第一話 『ベイゼンハウドの剣聖』 その15


 その遺体は他の全てと違っていた。呪いを放っているから?……もちろん、それも大きな特徴の一つではあるが、『剣』が彼の体を貫いていた……。


 ……そうだ。北天騎士の持ち物と思われる『剣』は、床に転がってはいなかった。鎧をまとった北天騎士の死体を貫いたままだった。彼が死んでから今まで、その『剣』は、ずっと突き刺さったままだろう。


 横たわった骸は、その剣に貫かれたまま長い年月のあいだ、その状態を保っていたようだな……。


「ソルジェさん、この遺体は……」


「ああ。自害したようだな」


『じ、自害って!?……つまり、自殺……っ?』


「そうだ。彼の鎧にも、彼に突き刺さっている剣にも、『ベイゼンハウド』の紋章があるからな」


『……『ベイゼンハウド』の紋章……それは、この……星ですか?』


「そうだ。十都市連合にあやかり、十の大きな星が『ベイゼンハウド』の紋章だな」


 呪われた骨が身につける鎧にも、そして彼を貫いたまま刺さりっぱなしになった錆びた剣にも、その紋章がある。


「……刃の鋼は血と呪いに蝕まれるように錆びているが……太さがある。研げば、切れ味を取り戻すかもな。柄に、十個の星が彫られている……柄飾りはミスリルが使われているな。業物ではある……小さ過ぎるが、北天騎士の剣さ」


『……ほ、北天騎士の剣で、北天騎士が突き殺された……?』


「ええ。突き殺されたというよりも、おそらく、そのミドルソードで自分を鎧ごと貫くようにして自殺したようです」


『……ど、どうして?……そんなことを……?』


「私にも分かりません。ですが……その剣はミドルソード。戦場で重装備の騎士が使うには、あまりにも小さく弱い鋼です」


 リエルやミアのように規格外に素早い者ならばともかく。大柄かつ、鎧を着ている騎士が使うには、こんな装備は武器と呼べる価値もないゴミだ。


「主武装ではないな。このミドルソードでは、重装備の敵を斬り殺すことは難しい。不可能ではないが、かなり苦戦してしまうだろう」


『つ、つまり、予備の剣なんですか?』


「ああ。敵との打ち合いで剣が折れてしまったとか、手から打ち落とされた場合。もしくは敵を斬り裂くときに、剣が骨と鋼に『噛まれる』ときがある。剣が死体から抜けなくなった時には、このミドルソードを抜いて使うんだろうよ。鎧を着る騎士の剣ではない」


「……この騎士の『真の剣』は回収されているのでしょうか?……少なくとも、この部屋には、ありませんね」


『……え、えーと。自殺すると、ミドルソードは回収されないのでしょうか……?』


「……推理になるが、オレには一つ騎士としての予想はある」


『さ、さすが団長!!』


「騎士は騎士を知るのですね!」


「まあ、推理だがな……彼が『自害』したことと……死してなお消え去ることのない『後悔』が、呪いを生んだことを思うと……考えられるストーリーは、一つだけだ。彼は、おそらく戦の最中に死んだのではなく、戦の後に死んだ。不名誉な死だ」


『ふ、不名誉な、死……ですか?』


「彼の鎧は錆びてはいるが、敵の攻撃を浴びた形跡はない。キレイなものだ。それは、つまり……彼は『戦闘を行わなかった』ことを示唆している」


『え?で、でも……彼は、この砦に……?』


「……おそらくだが。戦の最中に逃亡したのだろう」


『と、逃亡!?』


「そうだ。よくいるな」


『え、ええ……そうですね。戦場で、逃げる戦士は珍しくないです』


「彼もそんな臆病者の一人だったんだろうよ。だから……己の真の剣を取り上げられたのだろう」


「……敵前逃亡。騎士の証でもある『剣』を没収されるには、十分過ぎる罪ですね」


「これほど勇者に相応しくない行動も、他に無いだろう。戦が終わり……彼は再び、この砦に訪れたのさ。そして、自害した。戦死した仲間たちへの謝罪の一種なのかもしれないな」


 ……武勇を尊ぶ国であればこその、死にざまなのかもしれない。死から逃げることは許されないのだ。


 生命としての本能的な欲求よりも、北天騎士は任務を遂行することを優先する勇者でなければならないわけだな。


 この予想は外れていないと思う。『呪い追い/トラッカー』が見せる呪いの赤い『糸』は先ほどよりも濃くなっているからだ。


 より正しい認識を行えているからこそ、この『糸』は濃さを深めている。


「……己の名誉を失ったことを、悔いて……恥じたのだろう。だからこそ、己に罰を与えたようだ」


『……そ、壮絶な、価値観の国ですね』


「そうでもしなければ……北天騎士たちの鋼のような心を造り上げることは出来なかったんだろうよ」


「……不退転の騎士たち。死をも覚悟して敵に正面から相対するからこそ、発揮することが出来る限界を超えた力もある―――彼らは、それを得るために、厳しい罰を自分たちにも科していたんですね」


 ……戦場から逃げる。


 9年前のオレならば、その行いを恥ずべき行為と罵っていただろう。別に、今も敵前逃亡するような兵士を好きにはなれん。


 だが。9年間で学んだことも多い。


 戦士の家に生まれたような者ではない限り、『戦場で死んで歌になれ』という美学を理解することは難しいのだ。


 ……死よりも、生きていることを望むというのは、たしかに動物としては当然の発想でもあるじゃないか?……負け戦ならば、そこから逃げ出すというのも生きるための道なんだよ。


「彼は、おそらく真の臆病者ではない。少しのあいだ、生きていたかった理由でもあるのだろう」


『……り、理由ですか?』


「具体的には分からんよ。たとえば、看取りたかった老いた病気の母親でもいたのかもしれないし……生まれたばかりの乳飲み子でも、家にいたのかもしれない。そういう理由があって、一時的にここから離れたんだと思うぜ」


「……そして。その理由を完了させた」


「ああ。だから、戻って来た。北天騎士としての汚名をそそぐために……あるいは、北天騎士の秩序を保つために、彼はここで悔やみながら自害した。ミドルソードで、鎧と鍛え上げられた己の体を貫くことでな……即死は出来なかった。長く苦しんで死んだ」


「……首を切り裂かなかったのは、彼が自分に罰を与えるためなのですね……」


「そうだ。それでは、すぐに死ぬ。苦しみながら死ぬために彼は、腹を突き刺した。そして、あえてその剣を抜くこともなく……苦しみにあふれた死の道を選んだのさ。それが罰なんだろうよ。かつて、ここから逃亡したことへの」


「……真に臆病であるのなら、その行いは出来ませんね」


「そうだと思うぜ。彼の技巧は十分に鍛錬されたものだ。弱者の剣では、鎧ごと己を貫く剣を繰り出すことは出来ん」


『……つ、強いヒトだったんですね。腕も……きっと、心も……』


「誇り高い男ではある。逃げたのなら、そのまま逃げ続ければ良かった。しかし、それを彼は選べなかった。あえて、この場所に戻り……罪を償おうとしたんだからな」


『……でも、こ、後悔は……彼から、離れなかったんですね』


「そのようだな。死後も、その後悔は彼から離れることはなく……呪いとなって、ここに残ったのだろう……どんな理由で、戦線を離れたのかは分からないが……本当の臆病者って断言することが出来るほど、彼は弱い心を持ってはいないように思える」


「そうだと思います」


『ぼ、ボクも。そう思います……』


「……さてと。呪いは儀式で消せるらしい。聖職者の祈りに、鋼で更なる死を刻みつけることでも消せるんだが……アンタの遺骨を破壊するのは、オレの趣味じゃないな。祈りを捧げるべき、女神を持ってもいないしな」


 だから。


 雑嚢から酒瓶を取り出すんだよ。


 オレは呪われた白骨のもとにと歩み寄り、彼のとなりにしゃがみ込んだ。酒のフタを開ける。ブランデーの香りを、鼻で受け取ったよ。濃いアルコールだ。気に入って貰えるといいのだが……。


「全員分の遺骨に酒をかけて回るのは面倒だ。これも何かの縁だろう。雄々しく戦い抜いた、北天騎士たちへの『パンジャール猟兵団』からのリスペクトさ。アンタが受け取ってくれ。ここに来て、北天騎士の歴史の一端を知れたのは、アンタのおかげだからな」


 ブランデーを呪われた白骨へとかけていく。


 かつて裏切り者だったはずの白骨に、その酒は祝福となって降り注いだのだろうか?呪いの赤い『糸』が、ブランデーを浴びているうちに、空気に融けるように揺らいでいく。


『……あ。『イヤなにおい』が……薄くなっていますね』


「そのようだな。呪いが薄らいでいるようだ」


「ソルジェさんのお酒が、彼の悔恨を和らげているのかもしれません。いいことですよ。さすがは、私のソルジェさんです……」


 永らく呪いに蝕まれていた、その白骨から、呪いの気配はやがて消え去っていく。彼の苦しみは、ようやく世界から消え去ることが出来るようだ……。


 ブランデーを捧げ終わる頃には、彼はただの白骨へと戻る。


 ミドルソードを抜くべきなのか?……一瞬、そう考えもしたのだが。彼の罰を邪魔するのは、オレのエゴかもしれないからな。彼は自分を許せないからこそ、自害をした。そして、その事実は教訓となって『北天騎士団』に伝わりもしただろうよ。


 ……この罰こそが、彼が『北天騎士団』に捧げることの出来る、唯一の貢献ではあるのだ。邪魔は……しないことにしたよ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る