序章 『呪法大虎からの依頼』 その2
安くて美味いドーナツを天下無双の猟兵であるオレたちは、歩きながらモグモグしてる。何だか不思議な光景に思われてしまうだろうかな?……構わないさ。このドーナツは美味い。
「……な、なんだか。とても、やさしいヒトでしたね」
ジャンはブラウンの瞳に、温かい輝きを放っている。マダムのことが気に入ったらしい。ちょっとマザコンなところがある。『ゼルアガ・アリアンロッド』にも懐く男だったな。
「そうっすねー。うちの母ちゃん、もっと美人だったんすけど。思い出したっすわ」
「ギンドウもお袋を思い出したか」
「団長もっすかあ?」
「ああ。なんか、オレたち世代にとっては、ママを連想させるヒトなのかもしれない」
「たしかに、私も母を思い出しました。彼女より、細身の方でしたが」
「……そ、そうなんですね……ああいうヒトが、お母さんっぽいんですね?」
「……ヒトによって母ちゃんは違うんすよ。でも、オレとか団長とかオットーのとかには似ているところがあるみたいっすねえ、あのおばちゃんには」
「……そ、そうなんですね……へー……」
孤児院育ちのジャンは夜空を見る。星の影に母を探しているのかもしれない。孤独な青年は、母親像があいまいだ―――『ゼルアガ・アリアンロッド』も、ある意味では大きな母性を持っていた。
しかし、悪神の一種に、『母親』のイメージを重ねることは、どこか間違っている。オレたちは、ジャン・レッドウッドに自分の母親について語る夜があってもいいのかもしれないな。
ジャンの得ることの出来なかった存在について教えたい。何だかんだ男にとって、とても大きな存在なんだよ、母親って存在はな……。
「……で、でも。お母さんか…………ボクの『血』に、『狼男』が宿っているということは……両親のどちらかが、その呪いを血に潜ませていた……」
「そうだろうな」
『狼男』は、正確には種族ではない。呪われた『血』を引いている人間族だ。大昔に、何かが何人かを深く呪ったらしい。その呪いは世代を越えても機能している。
そんな邪悪な呪いの一つが、『狼男』だった。
「ジャンの父か母、どちらかの家系には『狼男』がいたのかもしれない。毎世代、覚醒するわけじゃないらしいがな……」
「……そ、そうですよね。ボクも『おかあさん』―――いいえ、『ゼルアガ・アリアンロッド』に覚醒させられたんです……」
そうだった。
そして、ジャン・レッドウッドは孤児院の子供たちも職員も……喰ってしまった。悪神は、強いジャンの一部に子供たちが融け合うことで、その不幸な子供たちも強く生きられると信じていた。
歪んでいるが、それは愛だった。
……悪神の愛情は、この世界に馴染みがたいところがある。
「……ザクロアには、いるんすかねえ、他の『狼男』?」
「……ど、どうでしょうか?」
「ジャンは、いないと思っているんですね?」
「……は、はい。そうです、オットーさん。ぼ、ボクは、ザクロアには同類はいないかなあって考えています」
さみしそうな顔ばかりしている今夜のジャンだが、その話題のときは、何故だか、安心しているようだった。
ジャンもレッドウッドの森で、長らく引きこもり生活なんてしていたものだから、どこかヒトとズレた感性を持っている。気弱で繊細に見えるが、グロさにも耐性が強いとか。猟兵女子以外には、『恐怖』の感情をあんまり持たないとか。
……どこか、不思議で分からない部分もある青年なんだよな。
ザクロアに同類はいない。
その言葉で安堵を得るのは、どういうことなのだろうか……オレには、よく分からなかったよ。
他のヤツから理解出来ない何かってものがあるとき、そいつは大体、『痛み』を由来としているものなのかもなって思う時はある。
痛みは、当事者だけの固有の感覚。誰も、それを完全に知ることは出来ない。ジャンは、ザクロアに同類がいないと考えると安心するようだ。そうなると、『痛くないらしい』。
……これは。
……つまんない野蛮人の、下らん憶測に過ぎないものなのかもしれないが。
一つだけ、思いついたことがあるんだ。
『ザクロアに仲間はいなかったから、自分は一人だっただけ』―――ジャンは、まさかそんな風に考えようとしているのだろうかな?
孤独が抱える、どうしようもない痛み。それをジャンは知っている。長い間、ガキの頃から大人になるまで、狼に変貌してヒトを襲わないようにとレッドウッドの森に一人で潜んでいた。
……森のなかに、一人で生きる。
その行為は、ゾッとするほどの孤独との戦いになる。その行き方を選べる者は多くない。まして、ジャンのように、完全に外界から隠れ住み、行き倒れの死体から服を剥ぎ取って着ていたような人生だからな……。
とんでもなく悲惨な男だよ、ジャン・レッドウッドは。
……オレは、勝手な誤解なのかもしれないけれど……ジャンが同類がザクロアにいないという言葉と共に、安心したことを分析している。オレの愚かな間違いであって欲しい。
しかし。
訊くことはしない。
ジャン・レッドウッドがその質問をされても、きっと上手く答えられはしないだろうからな。ああ、何というか、オレもオットーみたいに、ジャンにドーナツを半分こしてやれていたら良かったかもな。
そうしていたら。
少しは、今、心の苦しさが楽になっていたんじゃないかと思うなあ……。
「……ジャンは、同胞がどこにいるか、臭いで分かるんすかあ?」
好奇心旺盛なギンドウ・アーヴィングが、ジャンに向かって訊いていた。
「……え、ええ。ボクは、色々なこと、臭いで分かりますから。多分、自分の同類がいたら……気づくと思います。子供の頃は、ムリでしたけど……今なら、きっと」
「臭いねえ……『狼男』、特有の臭いってもんがあるんすかねえ……?」
「……おそらく、ジャンの鼻は、精密な意味では、嗅覚じゃないんだろう」
「え?ぼ、ボクの鼻、そうじゃないんですか!?」
「いや。いくら何でも遠くまで嗅げすぎている。もちろん、嗅覚そのものも優れてはいるんだろうが……それ以上の力もあるんじゃないかな?」
「それ以上っすか?」
「ああ。つまり、オレの『呪い追い/トラッカー』みたいな力さ」
「……あー、なるほどっすねえ。何か、似ているなあって思っていたんすよ、団長のアレとかジャンの鼻とか。だいぶ、常識離れしてるっすもん」
「……だ、団長と、おそろい……ッ」
そんなことに感動して、涙を流すのはやめてくれよ、ジャン・レッドウッド。ちょっと引くじゃないか。オレのファン過ぎるところはあるんだよな、ジャンは―――。
「―――とにかく、ジャンの嗅覚も、呪術絡みの力なんじゃないかと思うんだよ」
「ぼ、ボクの鼻に、呪術的な力が……?」
というか。
そもそも、呪術的な力でもなければ、数十キロ先にいる特定の人物を嗅ぎつけるとか。そんな、とんでもない行為を、やれないような気がするんだがなあ……。
嗅覚だけで、そこまで出来るものなのだろうか……?
まあ、出来ると言われると、反論のためのロジックを用意することは出来ないのだがな。
……こういうときは、賢いヒトに質問だ。
「オットーは、どう思う?」
「……そうですね。私としては、団長の意見に賛成ですよ。ジャンの『鼻』は、ただの嗅覚と呼ぶには、いくらなんでも高性能過ぎますから」
「ほら見ろ、オットーもそう言ってるぜ、ギンドウ?」
「なんで団長が自慢気になるんすかねえ?」
自分の予想が賢いヒトに支持されると、嬉しくなるものじゃないだろうか?……そういう理屈から、オレは自慢気な顔している。リエルで言うところのドヤ顔さ!
「ムカつく顔してるっすわあ」
ギンドウがイラっとしてる。まあ、酔っ払いなんだ、オレもね。大人げない態度の一つや二つ取るもんで―――。
「―――じゃ、じゃあ!」
……オレとオットーとギンドウが、ジャンを見る。ジャンは、何かを思いついているようだな。
「どうしたんだ、ジャン?」
「そ、その……団長が、魔眼の力を増やせたように……ボクも、努力と修行の次第では、そ、その……この『鼻』の呪いを、強くすることは出来るでしょうか……?」
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