第四話 『この復讐の雨に、名前を付けるのならば……。』 その3
不思議な生活が始まる。アプリズ3世と、助手のメリッサの日々だ。
3世には想定外のことだったが、彼の病院は流行っていた。連日のように妊婦と、風邪をこじらせた幼子が担ぎ込まれてくる。
……彼の医者としての腕は有能であった。
ある意味では、当然なのかもしれない。生命の謎を追い求めたアプリズ一派の叡智を継承しているのだからな。そして、『手術』の経験も異常なまでに豊富だった。使えるアンデッドを構築するために、死体をつなぎ合わせることもお手のもだし……。
女の腹を、うつくしいまま切り取ることにも慣れている。
邪悪な実験と殺戮の日々と、生命を冒涜するかのような、おぞましいまでの医学知識というものが、彼を最高の医者にしてしまっていた。
……お産で死ぬ者は多いが。彼は、誰も死なせない。子供も母親も救ってみせた。神の手を持つ医者と評されていく。
メリッサとはただれた愛人関係が継続してもいたが、夜には彼女へ学問を教えるようになっていた。自分の助手として育てるためだった。メリッサは、人買いを刺し殺して逃げて来た女だったから、度胸に優れている。
どんなことにでも怯まない。
お産での出血も、死産に見えた子に対しての救命処置のあいだでも。冷静に、命令を実行する胆力が備わっていた。血を見るだけで怯える者も少なくないのに、メリッサは全く怯むことはなかった。
血が好きなのかと、3世は彼女にたずねた。
彼女はそうではないと答えた。
……無垢な命を守ってる。
そのことに喜びを感じているのだと答えた。それがあれば、怯えることはないと語った。たかが娼婦でヒト殺しのくせに、何を言うのかと、3世は小バカにして鼻で笑う。メリッサは、子供とかシマリスみたいに、いじけて頬を膨らませていた。
偽善的な言葉だ。
娼婦の吐く戯れ言だよ。
3世は、そう考えている。
……だが、彼女との勉強会はつづいていく。
有能な助手が欲しいという願望は、強かったからだ。
どの医者よりも、生命の謎を探求してきたアプリズの叡智を、その18才の学無き小娘が受け止めることは出来ない。だが、要約した部分を授けることも出来たし、メリッサには、それでちょうど良かった。
メリッサには、仕事をこなすための知識があれば良かった。そして、その仕事に対する情熱がある。
彼女は無学な田舎娘に過ぎなかったが、その情熱と気迫を用いて、マジメに知識の習得に励んでいた。学問の面白さを、彼女は知ったのだろう。そうなれば、浅学な者も、やがて賢者のように賢くなるのさ。
……何ヶ月も過ぎる。
アプリズ3世は、ヒトを殺して金を奪わなくても十分な収入があったし。母親に化けたいという衝動もなくなっていた。
母親の愛には、慢性的に触れられる仕事だったからかもしれない。鏡の前に立っても、『彼女』にならない。『彼女』の代わりとなるメリッサがいれば、『彼女』は要らないのかもしれないな。
……因果なものだが、大量殺人鬼は、医者という天職を見つけていた。
最初からその道を選んでいれば、アプリズ3世は誰も殺さなかったかもしれない。産科医は繁盛して、彼はまたたく間に街一番の名医と呼ばれる。子供の流行病の病原を見抜き、大勢の子供たちを死から救う。
……彼は偉大な医者に見えたし、事実、多くを救っている。そんな日々を、彼は好きになろうとしていた。
『イナシャウワ』を使うための、『生まれ変わるための新しい体』を探すことさえない。メリッサがいれば、そして、母親たちの愛を目撃出来るこの仕事があれば、彼は虚構の母親に頼る必要なんてないらしい。
母親が子供に注ぐ愛を見ていれば、彼は満たされたのだ。自信が持てたらしい。自分も、きっと母親に愛されていたのだと、誇らしい気持ちになれて微笑みを浮かべている。
……メリッサを使い。
『器』を探すはずだった。
若い女の手駒がいれば、怪しまれずに子供の近くへと魔の手を伸ばせる。子供を誘拐する必要があるときの、実行犯としては有能だ。盗んで来た子を、自分の子だと言い張ることも出来るしな。
……3世が変態マザコン野郎であることを証明するかのように、彼は『生まれ変わった自分』を、メリッサに育てさせたいとも考えていたようだ。
……底抜けの変態野郎だが、メリッサの存在は彼を良い方向に導こうとしている。
歳月が流れていく。
仕事は忙しいが、それだけに充実してもいる日々だ。誰も殺さない日々。むしろ、多くの命を救うだけの日々。
生命の謎も、追いかけなくなっていた。
……アプリズ2世と同じように、自分ではムリだと悟ったのかもしれない。『シェイバンガレウ城』を見た日、自分たちの限界を悟り、色々なしがらみから解放されたようにも見える。
あきらめて、プライドを砕かれた夜に、メリッサを拾えたことが彼の人生を大きく変えたらしい。
悪意には合理的な仕組みしかないものだが、善意というのは読めないものだ。アプリズ3世の人生に、ひょっこりと飛び込んできた一人の少女が、彼を善良な者であるかのように変えてしまっている。
3世も、そのことに気がついている。
そのことに気がついて、この男は、鏡を見て泣きながら笑っていた。
善良さを得たからだった。
そのことで、邪悪すぎる自分の過去に耐えられなくなろうとしてもいる。何ヶ月も悩んだ。悩んだが、彼はメリッサに、自分の邪悪な過去を語ることに決めていた。
どうしてか?
……否定されたかったのかもしれない。
拒絶され、嫌悪されたのかったかもしれない。
遠ざけたかったのかもしれない、自分がいつかメリッサを殺す可能性を、アプリズ3世は否定しきれないから。彼にとっては、あの行為は神聖な行為だ。おそらく、愛するメリッサを太らせて、殺して、その皮を着たら、3世は感涙さえ流すだろう。
そのあとで、自殺したかもしれないが。
……その告白は、衝動に駆られただけであり、ただ自責の念という逃れようのない痛苦に、追い詰められた者の暴走だったのかもしれない。
3世は、激しい自己嫌悪のせいで、自殺願望が見えている。
メリッサに……拒絶されたがっている理由は、幾つもある。彼は複雑な人物だったからな。彼は、メリッサを遠ざけて守りたくもあるし、メリッサに距離を取られることで、自分の中にある愛情を小さくしたがっているようにも見えた。
守りたいが、殺したくもあるようだ。
メリッサを守りたいが―――同時に、殺して独占したい願望もあるのさ。彼の愛し方は、いつでもそうだったから。愛情と殺人が一つになっている。でも、今ほどメリッサが自分を愛してくれていると、殺せないのだ。
殺すために拒絶されたがっている。拒絶されれば、メリッサへの愛情が減ると、彼自身は考えていた。そうなれば、きっと、メリッサを殺すことが出来る。そのまま皮を剥いで、彼女を着込んだまま、一緒に死ねたら、彼には最高の結末らしい。
愛情と殺人行為が、一つに融け合ってしまっている人物ゆえの、ややこしい感情だな。
狂気に支配された人物の心は、よく分からんものだ。
……だが、アプリズ3世は、この世界で誰よりも、メリッサのことを愛していることは分かるよ。殺したいほどに、彼女を愛しているようだ。
……事態は、さらにややこしくなる。
驚くべきことに、メリッサはアプリズ3世を拒絶することはなかった。泣きじゃくる狂気の危険人物を、彼女はその腕で抱きしめている。
「だいじょうぶよ。先生。私は、誰にもそのことを一言だってもらさないから。だいじょうぶよ。どこにも行ったりしませんからね」
狂気の殺人鬼の心は、とても複雑なものだった。拒絶されて、遠ざけて守りたいし、じつのところ殺して一緒に死にたくもある上に―――彼が、真に願った最良の答えは、それでも彼女が一緒にいてくれる……その答えだった。
メリッサは変わり者だった。
この狂気の賢者アプリズ3世のことを、彼女はなんと愛してくれていた。彼が猟奇的な大量殺人鬼野郎だと知った今となっても。
「罪を、償っていきましょう。たくさん殺してしまったのだから、たくさん救えばいいはずよ。きっと、償うために、先生は、この仕事をしているのだから」
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