第二話 『アプリズの継承者』 その29


 酒を呑みながら、オットーやギンドウと語り合った。しらふだと、仕事のハナシをどうしたってしたくなるからね。酒と、間違いなくギンドウに助けられた。


 オレたちのような仕事人間が、仕事のことを語らずに、ただガキの頃の思い出だとか、下らない笑い話なんかを語り合って過ごせたのだからな……。


 5時間……いや、6時間も経った頃か。リエルとロロカ先生が目を覚まして、オレたち男どもに寝ることを命じてくれたよ。交替の時間が来たのさ。二人に見張りを任せて、オレたちは黙りこくった。


 あっという間に睡魔はオレたちを捕まえてしまい、まぶたが重たくなっていく。抗うことはなかったさ。ただ、大きないびきを上げながら、寝ちまうのさ……よく眠れそうだ。だって、リエルが、エルフ族の子守歌か何かを、歌ってくれていたから…………。


 綺麗な音が、やさしい春の風みたいに。


 何だか、オレを撫でている気がした。


 ……お袋を思い出したとか言えば、リエルは、怒るだろうか?……そんなに年じゃないぞと、怒るのかな……?それとも、喜んでくれたりするのだろうか……?分からないな。思考力が……落ちている…………疲れと、眠気のせいさ――――。




 ――――――ああ。まただ。また、『夢』を見る。


 ……『誰』の夢だろうな…………オレは、誰かになっている。


 そこは、寒い寒い山だった。そこに数軒の小屋を建てて、閉鎖的に暮らしているんだ。灰色に凍える空からは、いつも大きな雪が降ってくる。『今』は6月……いや、ここでは冬らしい。


 舞い散る雪を、老いた指が捕まえていた。雪は潰されても融けやしない。とんでもなく寒いせいで、『オレ』の体はすっかりと指先までも冷えている。


 ……それでも、毎日の日課を欠かすことはない。


 山を登る。


 骨が軋むのが分かる。


 全身を痛めつけながらも、この日課を果たそうとしている。何故ならば?……これは修行であるからだ。肉体こそ老いているが…………魔力は研ぎ澄まされている。


 魔術師なればこそ。


 肉体の滅びにも備えなくてはならない。


 そして、その滅びに負けてはならないのだ。魔力は、肉体が老いたとしても、翳ることはない。


 ……山で暮らして、毎日、毎日、鍛錬と研究を続ける……何年が経った?……この行為に費やしてしまった年月の膨大さを悔いたことがないのか?


 ……『オレ』は、ときおり自問するようになっていた。


 自分が辿ったものとは、違う人生も数多くあったはずだ。違う選択をしていれば、どうなっていたのか?……より多くの幸せを得たかもしれないのに。


 そうだ。


 すっかりと年老いてしまった『アプリズ2世』は、多くの後悔を胸に抱いている。自分が落ちぶれたように感じてもいるのさ。隠者のような暮らしに、どこか虚しさを見つけられるようにもなった。


 ……傲慢さは鳴りを潜めて、今の彼にあるのは…………やはり、相変わらずの、ギラギラした探究心だな。


 9人の弟子たちを、『アプリズ2世/オレ』は失っていた。修行で死んだ者もいるし、秘術を抱えて、ここから逃げ出そうとしたから『オレ』が殺した者もいる。病で死んだ者もいるし、発狂して自殺した者もいる。


 この土地は……多くの異常が『オレ』たちを襲った。そうなるように、呪術を組んだのだ。外界から閉鎖され、誰にも認識されぬ呪術―――『侵略神/ゼルアガ』を一柱殺した時に、『オレ』たちは、その得意な権能を模倣することに成功した。


 これは、似て否なる力でしかない。


 異界の侵略者の力を、完全に再現しているわけではないが……およそ、あらゆる者の認識を阻害し、孤立することが出来る。これで、我々は外部からの接触を気にすることなく、この寒い山奥で、魔術と呪術の探求に明け暮れることが出来たのだ。


 ……長い時間。


 多くの誘惑を排除して、ただひたすらに術を磨き続けた。


 初代アプリズに近づけている実感はあるし、いくつかの面においては、すでに『彼女』を抜いている……。


 だが……生命の秘密を解読するには至らなかった。


 そろそろ探求の時間も終わる。


 ……肺腑を患ったのだろう。血を吐くようになっている。骨に染み入るほどに深く使って来た呪術のおかげで、それでも体は問題なく動く。


 だから、今日も山を登り、錫杖と共に舞いを踊る。


 魔力を練りながら、ただひたすらに魔力を高めていく……それが何をもたらすこともないということを、『オレ』は知っているのだ。


 それでも、『オレ』は止めることはない。


 何故か?


 魔術師とは、魔力を高め、術を磨き―――識るべき真実を追い求めるだけでいい生き物だからだ。


 全ての欲を断ち切り、人生の全てを探求に捧げて来た。


 ……傲慢さではなく、ただの事実として……これほど『賢者』である者は、この大陸にはどこにもいない。そう確信している。


 そうだ。


 たしかに、『オレ』は、『アプリズ2世』の名に相応しい生きざまを示したのだ……。


 日課を終えて、山頂にある祠へと籠もる。


 そこには、アレがいた。


 『呪刀・イナシャウワ』……魔術師ミケイアの残した、彼女の打った最後の作品。『オレ』は、その刀に長年、呪術を刻みつけてきたし―――死んだ9人の弟子たちの血も、これに吸わせて来た。


 これは、すでに哲学の化身となろうとしている。『アプリズ学派』の神髄そのものと一つになろうとしているのだ。


 この『呪刀』に……どちらを捧げるべきか、『オレ』は悩んでいる。最後に残った弟子と、『オレ』自身……。


 弟子の方が、より長く生きる。それだけに、この『呪刀』に多くの呪いを刻みつけることが出来るだろう。『オレ』よりも、腕そのものは未熟ではあるが……裏切る可能性は少ない。


 順番の問題だ。


 この『呪刀』には、二人とも命とその魔力を捧げることは決定事項だ。この『イナシャウワ』に捧げる呪いと魔力。その回数を取るか、質を取るかの問題ではあった。より多くを捧げるほどに、『イナシャウワ』は力を得ていくだろう……。


 どちらから、先に捧げるべきか。


 動けぬほどに老いては、『オレ』はこの『呪刀』に満足な呪いを刻むことは出来ないからな。瀕死になれば、さすがに魔力も翳るのだ……。


 どうしたものか……。


 ……ここ一年ぐらい、どちらから死ぬかを考え続けていた。答えは出てくれない。迷い続けている。


 それほどに、難しい問題だ。どちらを選んだとしても、優劣の差違に変わりがないからだ。


「……お師匠さま!」


 その弟子の声が聞こえた。老いた魔術師が、この祠に入ってくる。珍しく、慌てているようだった。


「……結界との境界線で、馬車が『犬』たちに囲まれて、立ち往生しています!!」


「……なに?……認識を阻害する呪術が働いている……ここに至る道を、見つけることなど不可能なはずだぞ?」


「……おそらく……その中にいる者が、呪術を破ったのではないかと!?」


「……追っ手か……?」


 この十五年は、誰も来なかったのだがな。我々への賞金は、未だに、取り下げられていないというのか……?


 それとも、他の魔術師の結社だろうか?……我々は、一時期、大きくなり過ぎていた。あのときに……存在を知られすぎている。狡猾で貪欲な魔術師たちならば……我々が持ち得る知識の価値を分かっているだろう……。


 何であれ。


「仕留めなければな」


「はい!!」


 老骨にムチを打つことになるが……まだ、数人の魔術師だとか傭兵を殺すなんてことは、容易いことだ―――。


 ―――そう考えて、山道を下りていく。しかし、戦うことはなかった。『犬』どもが全てを終わらしていたのだから。


 白骨化した、『オレ』たちの猟犬は、仕事を果たして見せた。狩りでイノシシを仕留めるのと同様に、ヒトに襲いかかり、歯を使ってそのノドを噛み裂いた。


 結界と隠し郷との境目には、たしかに馬車が迷い込んでいた。つまり、結界を越えたのだ。その馬車の操り手は……我々の開発した、『ゼルアガ』の権能にも比類する術を打ち破った……?


 いいや。


 そうではなかった。そもそも、この馬車は……結界に引っかかっていたようだ。商人たちの馬車だった。おそらくは、近くの港から『ヒューバード』へと荷物を送り届けようとする者たちか……。


 意図的に、この場所を目指したわけではなく……結界に影響された脳が、予定の道を見失わせて、この場所へと迷い込ませてしまった―――しかし、どうしてだ?呪術は正常に機能しているのに……?


 考えることは好きだ。


 人生に舞い込んだ、久しぶりの目新しさに惹かれてしまう。何かがあるのではないか?我々の術に干渉してくる、何か特別な能力を持つ品が……そう考えて、積み荷を探る。だが、何も見当たらない。ただの薬草類だけだった。


 もう一度、考える……。


 我々の術に対して、干渉しえる魔力の発生源は……あるとすれば、魔術師並みの魔力を持ったヒトだけだ。死体を見る。だが、どの死体にも、目立つ魔力の残存はない……商人と思しき、太った男。痩せたエルフ族の御者。商人の妻と思しき、腹の大きな女……。


 ……。


 ……ふむ。なるほどな……。


 『オレ』はナイフを取り出した。そして、『生粋の魔術師』を助けてやることにする。魔術の才は、唐突に発生することも多い。素養を持たない、凡庸なる両親のあいだからも、飛び抜けた才能が生まれることがある。


 『この子』も、そうらしい。


 まだ、生まれてもいないというのに……我々の術を気取り、それに干渉する。いい人材を見つけたようだ。まだ温かい死んだ女の腹を、『アプリズ2世』は狂喜に満ちた貌で斬り裂いていく。


 腹の奥底に、小さな赤子が見えてくる。喜ぶ。さすがは、『アプリズ3世』だ!!この子ならば……器として、相応しい……っ!!


 赤子が、おぎゃあおぎゃあと、血に染まった肌のまま、力強く泣き始める。『オレ』は、声に魔力の波動を感じていた。唇が、耳まで裂けてしまうのじゃないかというほどに、大きく開いて、歪み、喜びを顔面の全てで表現する。


 ヘソの緒をナイフで切り裂くと、赤子の両足を持ち。彼を祝福するために、朝焼けの空に掲げた。


「ああ。おめでとう、新たな魔術師よ。君こそが、この世界で最も偉大な魔術師になるだろう!!」



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