序章 『鋼に魅入られしモノ』 その36


 トミーじいさんは、竜鱗の鎧を完成させてくれていた。早朝、見たときも、ほとんど仕事は終わっていたが……今ではこの複雑な鎧の可動部に、トミー・ジェイドの特性油が塗り込まれている。


 ……見ていると、気持ちが高揚してきた。この鎧が、どれだけ素晴らしい存在なのかを思い知らされる。


 じいさんがコーヒーを淹れてくれているあいだに、オレはそれを着てしまうことにしたよ。鎧は、着てみないと、完成度が分からないからな。じいさんの腕を信じているが、それでも、わずかな歪みでもあると使いにくさが出てくる。


 竜鱗の鎧が、脆弱性を覚悟して可動性を選んでいるのは、竜の上での動きやすさを追及しているからであり……竜太刀と共に、戦場で暴れるためだ。


 鋼が必要以上に曲がっていると、脆弱性を許容してまで得た可動性が失われている。そうなれば、竜鱗の鎧の『良さ』は消失してしまうのだ。


 植物性の油だろうな……鋼に混じり、酸味を帯びた香りを感じた。四日ぶりに、竜鱗の鎧を身につけていく―――オレにとっての第二の皮膚だよ。この重量感、この安心感……そして、体を動かして、ストラウスの技巧を使おうとしても邪魔をしない一体感。


 どれもが、今までの感覚だ。


 いや、鎧の鋼は、ほとんど修復されているが、地金に与えられたダメージは抜けない。耐久性の面では、99%は元通り。残りの1%は、どうにもならないだろう。しかし、動きやすさは、かつてよりも高いな。


 『奇剣打ち』は芸術家の要素が強すぎる。グリエリ・カルロは『最高の鎧』を作るが、それを身につける者に対しての興味は薄い。マシューズ・カルロの設計は、オレに沿う形状であったが、かつてと今とでは、オレも変わっている。


 武術の腕も上がり、鍛錬の種類も変わっている……ゼファーに乗っていることで、あるいは新しい竜太刀を振り回すことで、使う筋肉が変わっていた。


 ……その点、トミー・ジェイドは『職人』だ。しかも、使う側のことをよく理解している、元・剣闘士だからな。彼は、竜鱗の鎧を、オレのために歪めている。グリエリ・カルロを超えて、今のオレの体と装備と技巧に合わせた形に、ほんのわずかに変えている。


 鎧の鋼に与えている『ダメージ』は、なにも敵の攻撃によるものばかりではない。とくに、プレートとスケイルが混じったような、竜鱗の鎧は可動性が高い分、オレが全力で動くことで内側から曲がることもある。


 その曲がりの意味を、じいさんは読み取って、微調整をしてくれている。昨夜、ポールを斬らせたのは、鎧の強さを確かめるためだけじゃなく、きっと、ストラウスの剣術を識るためでもあったのさ。


 ……剣闘士としての、武術家としての経験値と才能を使い、ストラウスの剣術に合う鎧に仕上げたんだろう。ハンマーで、二度叩くだけでも、鎧の着心地を劇的に変える職人がいる。じいさんは、その水準を超えているのさ。


 鎧を愛して、戦士を理解している。それだからこそ、グリエリ・カルロやマシューズ・カルロという、カルロ一族が作りあげた『伝統』をも使いこなす天才たちに、負けてはいない。


「……いい子に仕上がったろう?」


 コーヒーが入ったヤカンを指に引っかけたまま、トミーじいさんは満足げな貌を浮かべている。ガルーナ人の蛮族の顔面は、分かりやすい納得の表情になっていたのかもしれない。


 竜太刀を抜いて、剣舞を踊る。


「よどみがない。今まで以上に、肌に馴染む……」


「鋼に経験が刻まれておったからな。その子は、お主のために、新たな形状を求めていたのさ。かつてよりも、剣と共に舞うときの、威力も速さも上がっておる。その子は、今までよりも頑丈ではないが……お主の動きを制限することは、ほぼ消えた」


「たしかにな。いい動きが出来ている」


「『奇剣打ち』の作った、爪も試してくれ」


「ああ」


 『風』の魔力を竜爪の篭手に込めると、今までよりも早く爪が出て来たよ。


「いい動きだ……改造は、していないんだよな?」


「『奇剣打ち』の品に、手を加える?……いらぬことじゃな。違うのは、仕掛けに塗り込まれている油じゃよ。ワシ特性の油が、鎧にも、その爪の仕掛けにも使われている。『風』使いの魔力と相性のいい油じゃ。『風』で動くのなら、最適なハズ」


「……そうか。気に入ったぜ」


「『風隠れ/インビジブル』なんぞとも、相性がいい。傭兵ならば、そういう隠密性も高い仕上げも良かろう」


「ああ、『風隠れ/インビジブル』は、よく使う」


「今まで以上に、鎧の音が鳴りにくくなっているはずじゃ。『風』にまつわる術は、何にしろ効果が高まるよ。鋼の質そのものは、『炎』にやたら強い。『炎』を帯びているゆえに、『雷』にも効果があるな……竜鱗の鎧は、ワシの油で、三大属性全てに有効な防具となった」


「……ククク!ワクワクするね……魔術師との戦いが!!」


「とはいえ。しばらくは、体に馴染ませるために、日常的に身につけておくとええぞ」


「もちろんだ。使い方を識るには、使うのが最適解」


「職人の助言に従ってくれる者は、その鋼をより効率良く使える。鋼との対話を忘れるでないぞ。お主にも、鍛冶屋の才はある……」


「早起きが苦手だが」


「鋼を識れば……敵の鎧を今以上に軽く壊せるようになるし、鎧を着た敵の動きを分析することで、今より楽に殺せるじゃろう。たとえば……お主と戦った太刀の使い手は、左利きであり、おそらく着ていた鎧は、鋼と革の混ざったモノ……つまり、ロイドか」


「……ご明察だ。鋼を極めれば、そんなに分かるのか」


「分かるが……ちょっとズルも使っているな。ロイド・カートマンの鎧も、ワシが作ったものじゃからな……」


「オレの傷から、相手を読んだのかよ?」


「それぐらいは、やれる。どんなスタイルなのかぐらいは、読める。鎧の弱点を識れば、殺すまでにかかる手数を減らす。それは、戦場でも有効なことじゃろう」


「ああ。じいさんと、鎧談義をしたいところだが……今は、プリンを食べるか?」


「うむ。昼飯の代わりに焼きプリン!!フフフ!!最高の堕落じゃなあ……っ。あと、弟子の負傷具合でも聞いておくとしようかの」


 じいさんは甘党の顔に戻った。鎧について語るときは、目がかなり怖くなるんだが、今の彼は愉快な老人の目をしている。いや、子供の瞳だ。あの瞳には童心ってものが宿っているよ。


 プリンをスプーンで貪りながら、じいさんは左耳でポール・ライアンの容態を聞いていた。さすがは、元・剣闘士。出血の量や、斬られた場所、意識の有無なんかを聞かせると、死にはせんな、と断言した。外科医のようだな。


 じいさんは、ポールも、そしてロイド・カートマンのことも、腕前も装備も性格も把握しているから、想像がつきやすいのかもしれん。


「……ロイド・カートマン、マジメ過ぎるタイプじゃったのう……東国の出身。祖国がファリスに併合されたとき……嫌気が差して逃げ出した来たと言うておったよ」


「……ヤツも祖国を帝国に奪われたか」


 そういう生い立ちの類似性も、オレに変な憧れを持つ理由となっていたのかもしれないな。同じ人間族に、同じような剣術……それに加えて、同じような人生か。感情移入しやすくは、あるのかもしれんよ。


「革の鎧を選んだのは、『虎』やエルフやケットシーの身軽さに憧れていたからだ。闘技場で手堅く勝つには、重い鎧に頼るべきだ。しかし……アレは、理想を求めながらも、迷い、くすぶり、あきらめていたな」


「スランプが長かったようだな。ヒトは、いきなり強くならん。ヤツは、もう何年も前から、一昨日の夜に自分が殺しちまったキール・ベアーよりも強かった」


「キールも、死んでいたか」


「ああ。オレとの戦いの、練習台にしたらしい」


「……キールとロイドは、良いコンビだったのにのう……残念なことじゃ」


「じいさんの常連が、ずいぶんと減ってしまったな」


「うむ。さみしい。あの二人は、強くて、マジメであった。死なずに、次の人生を探すことになるものとばかり考えていたのだが……残念じゃな」


 しんみりしてしまうな。この焼きプリンは、個人的には甘すぎるが、たしかに美味い。濃厚な甘味が、口のなかにとろけるように広がる。その甘味は、この悲惨な会話に癒やしを与えてくれていた。


「……ロイドという狂人は……マジメで、どこか心が弱かったようだ」


「その通りじゃよ。戦場で、ストラウス殿を見て……自分の剣の道を進むことを選んだ。ポールが鎧を『使う』ことに執着し、そこに理想を見たように……ロイドもまた、ストラウスの鋼たちに魅了されてしもうた。気持ちは、とても分かる―――しかし」


「……しかし?」


「……辻斬りなど、する必要もなかった。鍛錬の果てに、たどり着ける道でもあった。ヤツは……心を病む前に、己の道を信じさせてくれる剣聖に会えば、良かったな」


「理想家ならば……旅をしてでも、理想を探して求めるべきだったのさ。世界は広い。闘技場以外も見て回れば、迷える剣士には、より多くの道が見えただろう」


「ワシは、そう助言してやるべきだったかな」


「どうかな。彼は……追い詰められなければ、迷いを断てない人物に見える。修羅の道を選ぶためには、名誉の無い殺人鬼になるしか、けっきょくのところ彼には出来なかったのかもしれない」


「鍛錬では、ムリだったかのう」


「ムリだったかもね。迷う者は、どこかマジメで、やさし過ぎる。もう少し、彼がアホなら、オレにも迫る天才剣士になれていたのにな」


 才能も鍛錬も、集中力も。全てがあの剣士にはそろっていた。考え過ぎる知性がなければ、最高の剣士になれただろう。


 ……口には出さないが。


 ロイド・カートマンは、仲間も友人も、断ち斬って、真の孤独に陥らなければ、あの高みには達することは出来なかったと考えている。彼は、戦士としてやさしすぎた。殺人鬼になったというのに……ポールを始め、多くの同僚や知人を殺し損ねている。


 ポールを殺して、他の同僚たちも、『ちゃんと殺していたら』。真の孤独に陥れば、ヤツの太刀は、より早く、より鋭く、より強かっただろう。修羅には、少しだけ遠かった。だからこそ、オレに二歩届かなかった。


 仲間を殺して、真の孤独を得ていたら、一歩、オレに近づけただろう。そして、オレに対する憧れを、ただの嫉妬やら憎悪に変える性格の悪さがあれば……互角にもなれたはずだ。


 ヤツは狂ってはいたが、アレでもまだ善良さが抜けていなかった。


 友と他人は殺せたが、『オレとの練習台にはならない仲間たち』には殺意が鈍り、オレには一種の崇拝を捧げていた。殺すべき相手に、依存するという、大いなる迷いを持っていた。それでは、魔王には及ばない。


 戦士とは難しい。


 技巧と体力だけでなく、精神の在りようでも、大き過ぎる差がついてしまうのだから。達人たちの強さの上下を決めているのは、ただの性格の差かもしれない。


 心技体、最も鍛えにくいのは、あるいは変えることが出来ないのは、どう考えても心だな。やさしく迷う者は、真の修羅にはなれん。


「……どうあれ。じいさんにも、オレにも、罪などない」


「うむ」


「……納得しかねるかい?」


「理屈はそうじゃ。迷って、狂った男に、ワシとて責任はなかろう」


「ああ。無いぜ」


「……じゃがな。迷える若者って連中を、導く。そんなお節介な役目を、年寄りっちゅうものは担っている気持ちになるもんでなあ。責任を、感じなくなることは、なかろうよ」


「じいさんは、素直だな……感情に対して、真摯なまでに素直だ」


「甘党は、皆そうなんじゃよ」


 証明することの不可能な言葉を、じいさんは二つめの焼きプリンにスプーンを突き刺しながら語っている。


「なあ……じいさんは酒を呑まないのか?」


「ワシは、甘党じゃからな。これで酒まで呑んだら、どんな色の小便が出ることやら」


「ククク!ヒドい血尿が出そうだな」


「ポールはそんな重傷なら、セカンドライフに突入じゃろう。あばらも竜太刀で折られている。二日連続で、『負け』を知った剣闘士は、闘技場に立てないものだ」


「そういうモンかい」


「例外は、ほとんど知らん。ポールには、絶好の逃げ道もあるからな」


「ああ」


「鎧打ちになる道がある……ベッドの中で、どんな鎧であれば、より自分の負傷が少ないか……そう考えてしまえばな、剣を振るうよりハンマーで鋼を打ちたくなるもんじゃ」


「じいさんも、そうだった?」


「ヒヒヒ!!……ああ、そうじゃったよ。あの若いのも、剣闘士には戻れんさ。自分の限界を知っちまえば、剣闘士ってのは満足する…………ロイドも、そうじゃったろうて」


「そんなカンジの死にざまだったぜ。酒を呑みながら、語り合いたいところだが……じいさんは、血尿で死んでる場合じゃないからな。迷えるであろう若者が、アンタの指導を待っている」


「そうじゃな。せめて、ポールぐらいは……他人様に迷惑かけん、職人の道を歩ませたいもんじゃ。職人の道に賭けるのは、自分の命だけでええんじゃ。気楽なもんじゃよ。剣士と異なり、死ぬまで道を究め続けられるしのう」


「……ポールを導く、アンタの道に、乾杯」


 酒がないから、ゼファーと同じ色をした、ブラックなコーヒーの入ったコップを持ち上げる。


 じいさんはミルクがたっぷりの紅茶を入れたコップを掲げて、オレのコップとぶつけ合わせたよ。焦げた鋼のかおりが漂う、この場所で。『ヴァルガロフ』における、最高の鎧職人は、やさしく狂った職人の瞳を、子供みたいに輝かせていた。


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