序章 『鋼に魅入られしモノ』 その21


「―――各地に、それぞれの名前を持つ庶民食ですが、安定した美味しさがありますね」


 ロロカ・シャーネルは、やはりスタンダードを選んでいたな。ヨメの好みは分かるのだ、夫として。カロリーが多いものを、彼女はあまり好まないのだから……別に太ってはいないが、気にしているのだ。


「『メルカ』では、蜂蜜をより多くかけますね」


 『メルカ』の人々が、甘党なのは知っている。だから、やはりククル・ストレガは砂糖たっぷりを選んでいるな。


「……これに、蜂蜜までかけるのか……甘さが、スゴそうだな……」


 肉と酒を愛するシアン・ヴァティは、チーズが好きだ。だから、チーズたっぷりを選んでいる。


「甘いは、正義だよ!!」


 我が妹は、舌に宿った哲学を語る。そうだ。甘いモノは美味い。そのロジックも、世界にあまねく存在している。


「たしかに、美味しいです。自分、これ食べてると幸せになれるっす……っ!」


 アメジスト色の瞳を輝かせ、カミラ・ブリーズはあの吸血鬼の長い牙を、金色のトーストに突き立てていく。そう。十代女子は、甘いモノが好き……。


「チーズも美味しいであります」


 ボリュームを好む、キュレネイ・ザトーはカロリーが高いモノを好むのだ。チーズのように、脂質の多い食品を好む。栄養とは、正義―――なんか、いつものことだが、たくさん食べさせてやりたくなる。


「ソルジェよ、何をニヤニヤしておるのだ?」


 正妻エルフさんも、砂糖たっぷりの『パン・ベルデュ』を選んでいるな。この食卓が大人数でなければ……2、3人しかいなければ、リエルはスタンダードを選んだはずだ。


 甘いモノが好きなことを、子供っぽいと考えているから。でも、これだけの人数であれば、そんな細かいことに誰も気づかないと考え、本能に忠実になる。


 オレは、リエル・ハーヴェルのことにも詳しい。


「バターがいるのだろう?」


 ……そして、リエルもまた、ソルジェ・ストラウスさんに詳しかった。あんまり甘いよりも、ちょっと塩気があったほうが、オレは食べやすいからね。


 『ヴァルガロフ』の職人街にある人気店、『荒野の月』か……いい仕事をしてくれる。猟兵女子&妹分ククルは、大喜びだもんな。


 美味しそうに食べてくれているよ。買ってきた甲斐があるというものだ。


 古典的な美味しさがある。卵と牛乳の染みたパンは、金色に輝いていたよ。しっとりとしていて、甘い……外側は少し火が通り焦げ目をちょっとつけているな。硬さが少しあるが、それが歯ごたえとしてオレは好きだ。


 リエルがナイフで切ってくれたおかげで、色々なヤツを楽しめたよ。チーズが多いヤツも、また別の味もある。甘いチーズってのも、美味いからな。チーズに蜂蜜をかけると、ホント美味いし……。


 砂糖たっぷりも、分かりやすく女子の心を掴みそうな味がした。甘さの道を突っ走る。これもまた王道だったよ。


 ……ああ。フワフワとしっとりのコラボは、ボリューム感もあって、胃袋を満足させてくれるな。


 いい朝食だった。


 気の利くカミラがコーヒーと、カフェオレを作ってくれた。カミラも、それぞれの舌が好む味を、よく理解してくれている。さすがはオレのヨメだし、『家族』だよな。


 ……幸せな朝飯が終わると、オレはイスに座ったまま、三時間だけ仮眠を取ることにしたよ。


 仕事については……皆には語るまい。とくにシアンには言えない。太刀の使い手ばかり襲っているヒト斬り?面白そうだと言い出すのは、目に見えている。


 皆、今日も休日として、怠惰に過ごすべきだよ。この一週間、働き過ぎて、体は疲れ果てている。まとまった休みが欲しいものだからな。


 ……テッサの仕事に協力してやっているガンダラとオットーには、なんとも悪い気もするが、可能な限り、皆、休むべきだよ。疲れていては、いい仕事も出来ない。表面的には見えないダメージも、体の奥底に染みついているはずさ。


 そうだ。


 オレも休むべきじゃある。あまり深く考えられなくなっている。徹夜明けでは、推理力は働くまい。一度、眠って整理すべきだ。眠れば、頭に知恵が入りやすくなるのだと、アーレスがよく言っていたな。


 少しだけ寝て、それから後……テッサ・ランドールに会いに行こう。オレは、イスに座ったまま目を閉じる。ミアに勉強を教えてやっているロロカ先生の声やら、『メルカ』の剣術についてククルに質問しているシアンの声が、ゆっくりと遠くなっていく……。


 ……睡魔に体が引っ張られて、どこか遠くに沈んでいくような感覚を手に入れる。温かくて、やわらかい……ミルク・トーストを食べた後には、とても相応しい眠りを得られそうだ――――――。




 ―――竜騎士ソルジェが眠る頃、鋼に魅入られしモノは目を覚ます。


 それは『ゴルトン』の縄張りで、自分の体に入れ墨を彫らせていたよ。


 巨人族の入れ墨職人は、『竜』を入れるのはアンタで4人目だと語っていた。


 戦場で惚れちまったんだな、分かるよ強い者にアンタたちは惹かれるものな。




 ―――鋼に魅入られしモノは、首を振る。


 巨人族の職人は、自分が彫った『竜』の躍動感が足りないのかと心配する。


 オーダー通りにしたつもりですが、翼を曲げた方が良かったですかい?


 男は首をブンブン回す、横に振っていたんだよ……。




 ―――いい作品だ、とても感動した。


 鋼に魅入られしモノは、職人を褒めていた。


 まったくもって問題はない、いい絵だ。


 欲しかった『竜』だよ、黒くて残酷そうで何よりも強そうで。




 ―――美しいなあ、鋼と共に踊るんだよ。


 教えてやりたい、どれだけあの戦場で圧倒的だったのか!!


 誰よりも残酷に、敵を斬り裂いて回っていたのか!!


 職人はうなずいた、ああ英雄的だったと聞いているよ……。




 ―――男には、その言葉では足りないらしい。


 狂ったように横に振る頭は、何度も右と左を向いていた。


 狂気を帯びた回転は、心配そうな巨人族を睨みながら止まるのだ。


 荒くれ者の肌が商売相手の入れ墨師の度胸をもってしても、恐怖は止められない。




 ―――ちがうんだよえいゆうなんてものじゃない、あれは『戦神』そのものだ!!


 エルフのように尊大な魔力、ドワーフのように強靭な腕力!!


 ケットシーのように軽薄に踊り、巨人族よりもタフなんだ!!


 灰色の血のように異質でね、フーレンよりも血のにおいを放っている!!




 ―――あれをなんというべきなんだ、えいゆうなんかじゃない!!


 そんなことばでは、とてもたりないじゃないか!!


 あれは、もっとくるっているんだよだれよりもくるってこわれてつよいんだ!!


 『戦神』さえもころすにきまっている、あれはそうだやはり『魔王』だよ!!




 ―――薬物を勧めたのはマズかったか、職人はそう考えていた。


 あまりに『彼』が壊れたように、叫び散らしてうるさかったから。


 ……『信奉者』というのは、底なしだなあと職人は気づく。


 気づいたけれど、遅かった。




 ―――その『信奉者』は、あまりにも歪みすぎていた。


 わかるかいおやじおれはようやくじゅんびができたんだ、あんたのおかげでね!


 早すぎる舌が綴る言葉は、あまりにも聞き取りにくいものである。


 それでも狂気だけは認識出来る、太刀を持ち込ませるべきじゃなかった。




 ―――職人はその部屋から逃げるべきだと直感した、でも全ては遅かったよ。


 鋼に魅入られしモノは、その太刀を振り抜いていたのさ。


 巨人族の職人の首は、その瞬間に落とされてしまう。


 見ることも聞くことも、話すことも食べることもなくなった首の前で狂気は笑う。




 ―――この切れ味だ!!オレは鋼と一つになれているんだよ!!


 ああ、素晴らしい!!オレは準備が出来ましたよ『魔王』!!


 オレは貴方に挑戦します、オレに殺されて下さい!!


 貴方に憧れているんだ、貴方になりたい!!




 ―――もしも、その願いが叶わないのならば!!


 どうぞ、あの何でも殺してしまわれる竜の鋼で……。


 オレの心を掴んで離さない、あの素晴らしい鋼で……。


 オレを殺して下さい、オレを貴方の伝説の一部にしてくだせえ……。




 ―――狂気の始まりは、古くは無いんだよ。


 今からたったの四日前のこと、辺境伯軍との戦においてさ。


 あのとき見てしまったのだ、人間族の『彼』は。


 同じ人間族でありながら、あらゆる種族の動きを使う人間族……。




 ―――竜と共に生きる蛮族たち、ガルーナの武術を継ぐ男。


 白獅子の創り出した全ての技巧を宿し、猟兵の奥義を知り尽くす男。


 探し集めた12人の戦鬼たちと生き、12の最強をも識る男。


 竜すら使役し『悪神』をも斬り裂く、竜の宿りし鋼の使い手……。




 ―――知るべきではなかったのか、隠れた野心が燃え出すのならば!!


 身の程知らずというほどではなく、ただの臆病者でもなかったのだ。


 それは鋼に魅入られしモノ、経験豊富な剣闘士。


 それは鋼に魅入られしモノ、誰よりも強くなりたいと願ってしまった哀れな狂人。




 ―――知るべきではなかったのに、知ってしまったものだから!!


 彼はもう止まらなくなっていたのさ、巨人の返り血を浴びながら貌が笑う。


 それは鋼に魅入られしモノ、夢を見てしまった男。


 それは鋼に魅入られしモノ、竜太刀が呼ぶ殺戮に心を奪われてしまった人間。




 ―――独占したい黒き竜のタトゥーが踊る、傷だらけの肌をさする。


 墨を入れたばかりで、まだあちこち赤く腫れている。


 問題はないのさ、それぐらい。


 彼が気にすべきことは、他にあるのだから……。




 ―――ショー・タイムだ、人生最後のショー・タイムだ。


 オレは伝説になりてえよう、ソルジェ・ストラウス?


 人間族のくせに全部やれてる、アンタによう……。


 戦ってみてえ、殺しちまって奪いてええええ!!




 ―――それが、ダメなら『魔王』よ……。


 アンタの伝説を作る、その美しく狂暴な鋼を使ってよお?


 オレのことを斬り殺してくれええ、首を刎ねてもいいし心臓を突き破ってもいい!


 殺し合おうぜ、ソルジェ・ストラウスううう……っ。




 ―――ああああああ、その美しき鋼で!!


 殺し合いをしてくれよ、そのためにオレは磨いたんだ!!


 返り血にまみれて、アンタのために準備した!!


 オレだけの願いじゃない、この巨人のオッサンだって祈っているさ!!




 ―――命をムダにしちゃあ、いけねえよなあ!!


 意味なく死ぬなんて、ダメだよう!!


 だからよう、戦ってくれよう!!


 オレと、オレの準備のために死んだヤツらのために!!




 ―――戦神バルジアよ、オレの聖戦の最終章だああ!!


 オレの戦いを、オレの剣を!!


 オレの願いを、オレの祈りを!!


 どうか、ごらんくだい…………ッ!!




 ―――我が友ソルジェは、知ることになる。


 竜太刀と踊る魔王の力は、敵の心を恐怖で潰すだけじゃない。


 『仲間』である者の心にさえも、狂気を刻みつけることになる。


 ……君は悪くないんだよ、ソルジェ。




 ―――悪いのは、この男。


 とんでもない、狂人。


 君に憧れてしまった、殺人鬼。


 鋼に魅入られしモノ、コイツだけが悪いんだよ……。



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