序章 『鋼に魅入られしモノ』 その18


 闘技場で一番の太刀の使い手を、太刀で倒す……そういう行為が出来る人物は、一帯どれぐらいいるものだろうかな。『殺す』ことなら、まあ、簡単だろうが。太刀で、斬り裂く?……太刀使いと太刀の勝負になって、そいつに勝てるとすれば、工夫が要りそうだ。


 その点、このポール・ライアンならどうだろうか?


 ターゲットがキール・ベアーだったら?……彼の動きを、よく研究しているだろうし、鎧を『使う』という手段がある。


 他の剣闘士たちも長年の同僚だ。ポールからすれば、それらの連中を闘技場の外で殺すことは、大して難しくもない。ポールのような『鎧の使い手』みたいなヤツは、あまりにも珍しい―――顔を隠して闇討ちをすれば?


 見知った相手の斬撃を耐えきり……相手からすれば、想定外の反撃で仕留めるということも可能じゃあるのだろう。


 ……目の前で、楽しそうに鎧への情熱を語っている師弟を見つめていると…………オレの考えが、外れていて欲しい祈りたくなる。この二人のハナシを聞いているのは、とても有意義だし、興味深い。でも、何だか居づらくなって来たよ。


「……そろそろ、オレは戻ろうかと思う。いつの間にやら、朝が来てしまった」


「ん?」


「そうですね、ずいぶんと話し込んでいましたから……」


 懐からギンドウ製の懐中時計を取り出した。時計盤のあいだには、長針と短針が、ほとんどまっすぐにつながろうとしている……もう朝の6時が近かった。


「楽しい時間というものもは、あっという間に過ぎてしまうもんだな。竜鱗の鎧の油は、もうしばらくかかるんだろ?」


「うむ。もうそろそろ、最適の調合になるはずじゃ。アレを差せば、お主の肌に、あの子は今まで以上についてくるようになるじゃろうて」


「そいつは楽しみだ」


「2年分ぐらいの油は、作っておいてやるから、持っていくといい。せっかくの良い鋼じゃからな……管理を徹底して、より長く使うといい」


「そうですよ!こんな子、滅多にいないですよ。芸術的に美しくて、それでも、戦いに向かうことを求めているような……」


「……鎧が、戦いを求めている?」


「ええ。そんな風に、感じるんです。この子は、サー・ストラウスの鎧そのものなんでしょう。いえ、ガルーナの竜騎士たちとは、そういった存在なのでしょうね」


「すっかりと、一流の鎧職人みたいだな」


「い、いいえ。まだまだ、ボクは修行中の身で……」


「そうじゃなあ。仕込むところは、本当にたくさん残っておる。未熟者じゃよ」


「お、親方あ……」


 仲のいい職人師弟を見ていると、微笑ましくてしょうがない。でも、そうであるだけに、オレはこの場に居づらくなる。


 あくびをするフリをして、その場から立ち上がるのさ。


「……昼になったら、鎧を取りに来る。それまで、ちょっと仮眠しておくよ」


「ふむ。そうか、じゃあ、帰りがけに『荒野の月』に行くとええぞ」


「ああ、クッキーもだが、『パン・ペルデュ』が気になるからね」


 ミルク・トーストの一種。ミアが、間違いなく喜びそうだしな。ホテルの朝メシも美味いけど、やはり旅先で地元人気の高いメニューに触れたいものじゃないか?


「それじゃあ、ボクが案内しますよ!」


「え?」


「それが良かろう。ワシらの朝食も『パン・ペルデュ』にしよう。作るのも面倒じゃしのう……」


「……そうか。じゃあ、ポール。案内を頼めるかい?」


「はい!親方は?」


「ワシは、もちろん、砂糖と蜂蜜を多目で」


「いつものヤツですね」


 トミーじいさん、甘いモノが好きすぎる。そう言えば、クッキーが朝食代わりだったんじゃないのかね?……あまり、甘いモノを食べ過ぎても体に悪い気がするんだがなあ。


 まあ……日夜、ハンマーで鋼を叩く仕事をする人物だし、栄養の取り過ぎというコトにはならないか。


 老職人は、ねずみみたいに素早く動き、窯に薪を投げ込み始めている。人気の職人だからな、多くの仕事を抱えているのさ。客のオレがいたせいで、夜中も眠れなかったろうな……話好きの人物とは思うが、このまま邪魔をしていては悪い。


「じゃあ。行きましょう、サー・ストラウス」


「……おう」


 ポールに続いて、オレはトミー・ジェイドの工房を後にした。『ヴァルガロフ』の職人街は、働き者が多いのか、もう動き始めている。悪人だらけの街だとしても、職人たちが果たすべき全うな仕事は多い。


 小麦粉を扱う粉屋は、荷台に大きな袋を幾つも乗せて、贔屓のパン屋にでも品物を届けて来たのだろう。空になった荷車を、灰色のロバが引いて戻って来たようだ。店の前には、荷車とつながれたロバがいる。


 『荒野の月』にも、商品を送ってきたのだろうな。朝早くから、大変なことだよ。そのおかげで、皆、朝から仕事に取りかかれるのだけどね。粉屋が粉を運び、パン屋が焼いて、そのパンを食べて、早朝から仕事に取りかかる。


 『ゴルトン』の駅馬車も、トミーじいさんたちも、朝早くから、いい仕事を出来るというわけだ。


 職人街は、ハンマーで鋼を叩く音や、木工職人たちが気を削る音、未熟な弟子を叱る親方の声なんかにあふれていたよ。


 活気があるし、悪意がない。まるで、『ヴァルガロフ』じゃないみたいだ。東地区のダークじゃない部分なら、ミアと一緒にお散歩しても良さそうだな。他は、悪徳にまみれた街で……とくに『マドーリガ』の西地区は、売春婦と酒場だらけだしな……。


 右や左に首を回して、朝陽を浴びながら労働する人々を見ていると、なんだかワクワクしてくるね。


 ……職人の仕事は、罪深さがなくていいもんだ。オレの仕事は、ヒト斬りの排除。テッサのためだし、この街の治安のため。正義の仕事なんだけど。もしも、ポールだったら?……オレは、彼を斬り殺すことになる。


 そうでなければ、いいんだがな。


 ポールは職人街の複雑な小路を、迷うことなく進んでいったよ。どんなことを話すべきなのか?……遠回しに、探りを入れておくとしよう。あくびで会話を封じていても、状況が良くなることもないのだから。


「……ポールは、いつもトミーじいさんの工房にいるのか?」


「え?週の半分ぐらいですね」


「そうか。君は、剣闘士が本職だもんな」


「はい。いつかは、鎧職人になるのが夢です。闘技場で、死ななければですが」


「……君は、しぶといさ。オレの攻撃にも生き残れた」


「自信がつきました。ボクの目指す道が、間違いではないのだと……」


「……ああ。間違いじゃない。死中に活を求める、君の戦い方は、純粋なまでに正しい。オレも見習うべきところがあるぐらいだ」


「そ、そんな……」


「……鎧を打つのは、楽しいコトか?」


「ええ!とっても!」


 屈託の無い笑顔。迷いの無い返事。朝陽よりも、まぶしく思えた。


「……昨日もずっと、じいさんの仕事を手伝っていたのか?」


「はい。ほとんど。サー・ストラウスの鎧を磨いたり、打ち直したり。忙しかったです!……戦が終わってからは、鍛冶屋の仕事がいつも以上に多くて……闘技場の試合にも、出られていませんし」


「戦は、軍事的な特需を呼ぶからな。皆が、鋼を求めるようになる」


「そうみたいですね」


 ……鍛冶屋の仕事が忙しかったか。ヒト斬りをしている時間はなかった?……とはいえ、忙しければ、トミーじいさんだって、いつもより早く寝てしまうかもしれない。じいさんが寝てしまえば、ポールが夜中、どこに行っているか、何をしているかも分かるまい。


 ……決めつけるのは、よくないことだが。


 どうにも、ポールのことを怪しんでしまう。昼前に、テッサ・ランドールへ報告がてら昨夜、事件が起こっていなかったかどうかを聞きに行くとしよう。


 ヒト斬りの被害者が出ていなければ?


 キール・ベアーを最後に、この事件は終わったのかもしれないし、警備の多さで、防ぐことが出来たのかもしれない……。


 今夜も、オレは『囮』をしてもいいと考えている。一晩中、歩き回ったところで問題ない。人間族専門のヒト斬りの存在は、放置しておくべき案件ではないのだから。


「さて、サー・ストラウス。着きましたよ!!この店が、『荒野の月』です!!」


「……おお。朝から、大盛況だな」


 『荒野の月』には行列が出来ていた。古い黒鉄の看板だ。三日月の形に曲げられた、黒鉄の棒に、幾何学的な細工が絡んでいる。


 かなりの人気店だ。人種を問わず、大勢の労働者が並んでいる。50人ほどだろうか、この行列は……皆、目当てはミルク・トースト、いや、『ヴァルガロフ』流に言うところの、『パン・ペルデュ』らしいな。


 小さな店の軒先で、売り子の娘がテキパキと、紙袋と銀貨を交換していく。


「じゃあ。並びましょう。20分待ちぐらいで、すみますよ」


「……そうだな」


 20分。世間話をするには、悪くない時間だったよ。オレは、そうだ。世間話をすることを選んでいた。ネガティブなことを、朝から考えることは止めた。ポールが犯人ではない可能性もあるからね。


「闘技場で君は、どれぐらいの強さなんだい?」


「13位ですね……トップのヒトたちには、ちょっと壁があるんです」


「君は、腕がいい。そいつらにだって、別に勝てなくはないだろう」


「ええ。でも、ボクの戦い方は、お客さんの評価が低くて。剣闘士は、見世物ですから。勝つだけじゃなく、観客を楽しませるようにしないとダメなんですよ」


「強さ以外も評価されての、ランキングか」


「そうなります……強さだけなら、一桁台には、入れなくもないかなと」


「……まあ、君のは、派手な技巧ではないからな」


 アッカーマンのように動きながら、封殺のための攻撃を仕掛けるノーダメージではなく、深手を負わない程度には、攻撃されることを許容する。なんとも泥臭く、見栄えのする戦い方ではないな。


「あまりにも泥臭いスタイルじゃある」


「我ながら、そう思いますよ。でも、ボクにはこれが合っている」


「だろうな。というよりも、そう在りたいのだろう」


「……はい。趣味なんです。鎧の鋼を、信じたい。その強さは、強敵との戦いに際しても有効だと……」


「……そうだな」


 オレの心に、この青年を疑う気持ちがあるせいか。そんな世間話にさえも、オレは裏を感じてしまう。キール・ベアーは、彼にとってどんな人物だったのだろうか?……ヒト斬りの練習をしてまで、殺すべき相手?


 ……分からない。


 迷いながらも、集中力を欠いていたとしても、ヒトは世間話ぐらいこなせるものだ。ポールは闘技場の、上位陣について一通り語ってくれたよ。アッカーマンや、テッサ・ランドールが抜けてからは、明確な頂点はいないと。


「……じゃあ、誰が一番に近い?」


「やっぱり……キール・ベアーさんですかね。太刀の使い手です」


「……そいつに勝てるのは?『君』以外に、いるかい?」


「そうですね……キールさんの、弟分に、カートマンという人物がいます」


「カートマン?どんなヤツだ?」


「本名なのかは、分かりませんけれど。ロイド・カートマン。27才の、元傭兵。細身の剣士です。勝率は、30勝7敗、5引き分け、反則による無効試合が7……」


「強いのか?」


「消極的なので、判定で負けになります。でも、彼が深手を負ったのを、見たことはありません。本当に強い相手とは、すぐに降参してしまいます。彼は、臆病ですが、それでも30勝するんですよね……積極的になれば、強いんでしょうが」


「……いろんなスタイルがあるもんだ。人気は、なさそうだが」


「ボクよりないですよ、カートマンは。ああ、ダン・ジャニアスも、キールさんに勝てるかも?」


「どんなスタイルだ?」


「一か八かで、一発を狙いに行きます。実力は、キールさんには全く及びませんが。その積極性を知っている剣闘士は、警戒せざるをえません。彼は、ほとんどガードせずに、強打を振り回し、いつだって前に出ます」


「早死にしそうだな」


「はい。前歯は、全滅していますね。メイスによる打撃を喰らい。それでも、死んでません。14勝0敗」


「メイスで前歯を折られても、勝ちやがったか」


「はい!24才の、気鋭です。毎度のようにケガをするので、入院が多く、試合が組みにくいのが弱点ですが」


「ムチャするヤツは、人気が出そうだな」


「ええ。色々なスタイルの剣闘士がいます―――って。そうだ、サー・ストラウス。決めておかなくちゃ?」


「何をだい?」


「トッピングですよ!チーズたっぷり、砂糖たっぷり、スタンダード!ここの『パン・ベルデュ』には、三種類あるんです!!決めておかないと、他のお客さんの迷惑です!!」


 ……なんだか。


 この好青年が、ヒト斬りじゃないような気がしてくる。そうだと、いいな。オレは口元をニヤリとさせながら……頭のなかで団員たちが、どんな『パン・ベルデュ』を好むのかを本気で考えることにした。


 ヒト斬りのことは、忘れよう。太陽のある内は、その人物も血を求めることはないだろう。


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