序章 『鋼に魅入られしモノ』 その19


 『荒野の月』で、『パン・ベルデュ』を買い込むのさ。オレ、とロロカ先生はスタンダード。リエル、ミア、カミラ、ククルは砂糖たっぷり。シアンとキュレネイは、チーズたっぷりだ。


 これで、おそらく問題はないはず。無限の胃袋を持つキュレネイ・ザトーのために、それぞれの『パン・ベルデュ』を一つずつ買っておこう。まあ、これで十分なはずだ。ダメなら、切り分けて食べればいいし?


 キュレネイがいる以上、余るということはない。もしも、余ったら、まあホテルの従業員にでもやればいいんじゃないだろうか?


 計、11個だな。ついでに、テッサの元に出向くときのために、クッキーも買っておこう。好き嫌いは読めんが、真心は通じるだろう?……オレは、テッサ・ランドールの善き友であり、彼女のストレスを緩和してやりたいはずの男だしね。


 ……彼女の依頼と期待に、昨夜は答えられなかった。『ザットール』の若者たちのせいではあるが……オレは『囮』の役目を果たすことは出来なかったのだから。一応、謝りに行くべきだな……。


 でも、眠たいし、腹も減っているから。先に、宿へ戻るとしよう。


「……じゃあな、ポール」


「はい。また、お昼に店へどうぞ!仕上げておきますね!」


「ああ、任せた」


 チーズたっぷりと、砂糖たっぷりの『パン・ベルデュ』を抱えた、ヒト斬りかもしれない好青年は、愛想良く挨拶していたな。


 ……どうしたものかね。


 ……まあ、今は、急ぐとしようか。せっかくの、ミルク・トーストが冷めてしまっては味が落ちる。犯人は倒せなかったが、容疑者は一人ほど見つけている。昼前に、テッサと合流してミーティングだ。


 『ワイルド・キャット』の従業員は、『アルステイム』のメンバーだから、街で起きている事件は把握しているだろう。もしも、昨夜、ヒト斬りが逮捕されていたら?……オレは安心して眠れる。


 7時前の、人々が忙しく行き交う職人街を通り抜けて、路地裏を小走りに駆け抜けたよ。その宿には、すぐにたどり着く。この『ヴァルガロフ』は、小さな道を通れば、かなり早く移動することも可能だから。


 『ワイルド・キャット』……『アルステイム』たちが経営する、『外客用』のホテル。その裏口へと帰還する。正面から入ってもいいはずなんだが、癖というか?……こちらの方が近くもあるんでな。


 裏口のドアをノックする。


「オレだよ」


「はい。お帰りなさいませ、サー・ストラウス」


 見張りのケットシーが、ドアを開きながら姿を現していた。ここのホテルの従業員たちは、いつだって爽やかで、清潔感がある。スマートって言葉の体現者のようだ。


「……ヒト斬りは、逮捕されたか?」


「え?ああ、三晩連続で人間族ばかりを斬る殺人鬼のことですね」


「そうだ」


「いいえ。逮捕はされていません。ですが」


「ですが?」


「今朝は、今のところは被害者が発見されていません。市長が、あえて隠しているとすれば別ですが」


 ……『アルステイム』の情報網は、テッサ・ランドールとガンダラが、キール・ベアーの死を隠蔽していることを知っているのだろうか?……可能性はある。とくに、このホテルに詰めている連中は、有能な連中だろうから。


「……分かったよ。市長とガンダラに、連絡を頼めるか?」


「ええ。何なりと」


「犯人は確保できず。『ザットール』の若造に絡まれただけだった―――とりあえず、今はそれだけでいい」


「了解しました、すぐに使いを走らせます」


 ペコリと猫耳の生えた頭を会釈して、細身のホテルマンは、ホテルの奥へと小走りで消えて行ったよ……頼りになる人々だ。


 ……オレの、妄想かもしれない『推理』については、報告する必要はないだろう。間違っているかもしれないしな。ストレスを抱えているテッサの耳に入ってしまうと、ポールを逆さに吊して、拷問するかもしれない。


 犯人ならともかく、そうじゃない可能性もあるのだからな。不明確な情報を入れて、混乱を招いてもよくはない―――そう判断したのさ。


 さて。


 オレはこの廊下が少し細いが、綺麗でオシャレな造りの『ワイルド・キャット』の中へと入った。急ぐ必要がある。『パン・ベルデュ』たちが、どんどん冷たくなっているのだからな。


 こいつは冷えても美味いと思うが、温かい方がより美味いだろう。この横に長いホテルの、ケットシー・サイズである少し狭い階段を、蛮族の脚は急いで昇っていったよ。


 4階は、オレたち『パンジャール猟兵団』貸し切りだ―――。


「―――む!ソルジェ、朝帰りとは、いい度胸だ!!」


 エメラルド色の瞳に、流麗に踊る銀色の長い髪……そして、ぴょんと伸びたエルフ耳。4階には、まるでフロアを守る衛兵みたいに、オレの恋人エルフさんである、リエル・ハーヴェルが腰に両手を当てたまま、突っ立っていた。


 なんだか、機嫌が悪そうだ。彼女の長い脚が、ツカツカとリズム良く動いて、オレに近づいてくる。


「……おはよう」


「うむ。おはよう……お前にしては、早起きであるな」


「寝てないんだ」


「……ギンドウと酒を飲みに行くのは、別に問題はない。ヨメを三人も放置してでも、守るべき男同士の友情もあるのだろうが―――あのアホは、どこにいる?」


 リエルの翡翠色の瞳が、ハンターのように輝いている。ゾクゾクするほどの美人であることは変わらないが、ちょっと違う意味のゾクゾクが背筋に走った。


「いないな。ジャン・レッドウッドもいない」


「それには事情が……」


「ふむ。酒を飲むとやらは、口実で……よもや、女でも買い漁っていたのではないであろうな?」


「いや、そんなことは」


「では。なぜ、帰らん?……友と酒を飲み明かすのも、まあ、よかろう。じゃが、そうでないとすれば……嘘であるな。嘘をついて、あの、ふしだらな空間に行くとは……私は、正妻として怒るべき事情があるのではないか?」


 森のエルフの王族として、リエルに宿りし大いなる魔力。それが、彼女の握りしめられた右の拳に集中している。『雷』の属性を帯びたそれは、凶悪な破壊力を持つ紫電の煌めきを放っていたよ。


 ちょっとしたモンスターなら、即死させることも狙えるようなほどに強力な魔力。それが、リエルの曲げて握りしめられた5本の指に走っている……。


「ふしだらな女どもに、金を支払い、ふしだらなサービスを買ってきたのか!?わ、我々のような、美しいヨメが三人もいる身でありながら!?」


「誤解だよ。そんなことしてるヒマがあれば、リエルにオレの子を孕ませたいし」


「ふぇ……っ!!」


 リエルが顔を赤くしてしまう。『雷』の魔力が、霧散していた。でも、耳まで赤くなっている。


「あ、朝から、す、スケベなことを、言うでない……っ!!」


「オレが君たちのこと、どれだけ愛しているか教えてやったじゃないか」


「……す、スケベ……なのは、知っておるし……あ、愛されておることも、理解しているぞ……?でも、お、お前は、スケベだから……」


「女を買ってたわけじゃないよ。どちらかというと、ちょっとマジメな仕事をしていた」


「え?……仕事とな?」


「人間族専門のヒト斬りがいるらしい。放置すると、人種間のもめ事の火種になる可能性もあった。だから、そいつの『囮』調査を買って出たのさ」


「なんと、マジメな仕事ではないか……っ」


「うん。そんなマジメな仕事をして戻ったのに……リエルに疑われて、悲しい」


「す、すまない!!そんなことを、しているとは知らなかったのだ!!」


「まあ。どうせオレなんてスケベで酒呑みだし」


「そ、それはそうだ!日頃の行いがアレだから、私も疑ってしまった。でも、正妻として……信じてやれなかったのは、ダメな行いだ。私は、ダメなヨメだ……」


 マジメなリエルは落ち込んでいる。あの細い背中をオレに見せながら、うなだれてしまう。


「……落ち込むなよ?」


「むう……でも、正妻として、夫を信じられないのは失態なのだぞ?」


「嫉妬してくれただけだろ?」


「し、嫉妬とか……エルフの美少女は、そんなことしないのだ……っ!」


 そうなのだろうか?


「オレは嫉妬してもらえると、何だか、愛されてる気がして嬉しくもあるんだが」


「そ、そうか?」


「うん。別にイヤな気持ちはしていない」


「……な、ならば。良い!……森のエルフは、細かな己の失敗に、いつまでも、しょげていたりはしないのだっ!」


 森のエルフ族の辞書に反省とか無いみたいなセリフにも聞こえるが、笑顔のリエル・ハーヴェルが可愛いから、オレは許せる。


「朝メシを買って来てやったぞ?」


「おお!気が利くではないか……うむ。甘い香りがするな、その包みから」


「ああ、仕事の途中で、いい店を教えてもらった。『パン・ベルデュ』さ」


「『パン・ベルデュ』?」


「ミルク・トーストだよ」


「ああ!……うむ、私の地元では、『貧乏騎士』などとも呼ばれているモノだな。パンをミルクと卵につけて、焼くモノか」


 あちこちで色々な名前を持つ料理じゃある。戦神バルジアの教えが生きる、『ヴァルガロフ』らしい朝食サンだよ。


「皆を、起こしてきてくれるか?」


「任せるがいい!『貧乏騎士』は、温かい内が美味しいからな!」


 ……騎士の類いである竜騎士サンっていう立場からすると。


 『貧乏騎士』。その言葉は、心にチクりと刺さるものがある。実際に、三ヶ月ぐらい前まで極貧生活だったしな。


 ミルク・トーストで統一してくれても、いいような気がするのだが。色々と名前が多いということは、世のあちこちに貧乏人は多くいて、さまざまな土地で愛されて来た料理でもあるということか。


 呼び名の多さは、この料理にとっては一種の勲章なのだろう。


 多くの貧乏人の腹を満たしてきた、偉大なる料理だな。


 ……とにかく、腹が減っては戦も出来ん。


 『ヴァルガロフ』の職人街の味を、楽しもうじゃないか。


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