第六章 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その68


 娘に否定されたジェド・ランドールは、それでも静かに微笑む。彼の体を、『ルカーヴィ』の闇色の『枝』が絡め取っていく。老いた戦士が、オペラ座の舞台に浮かぶ。


 闇が、彼に入って行くのがアーレスのくれた左眼には見えた。


 彼は吐血した。娘が悲鳴を上げる。


 オレには分かった。彼の老いた小さな体には……いいや、そもそもヒトという器には、あの『ルカーヴィ』が収まりきるはずがない。それでも、『ルカーヴィ』も、何よりジェド・ランドールも望んでいる。両者が一つと融け合うことを。


「……ああ。心地よい痛みだよ……神を感じながら、最期を迎えることは、ワシにとって至福の結末だ……娘にも、祝福されてはもらえぬ終わりだろうがな……」


「……親父……ッ」


「……おい。竜騎士よ……」


「なんだ?」


「……娘を、守ってくれるのかよ?……お前、テッサを、『自由同盟』に巻き込みやがっただろう?……ロザングリードを、裏切らせて……平和な日々に、いることよりも……ワシの娘を……乱世の苦しみに、取り込みやがったな……」


「ああ。そうかもしれんな。彼女の選択でもあるが、オレはやはり彼女に、ロザングリードを裏切らせて、『自由同盟』に組み込もうとしている」


「ワシの娘を、苦しみの道に、誘いおって……」


「……そうだな。アンタの『家族』を、オレは利用している」


「……この、悪人め」


「魔王だからな。善人だとは、思っちゃいないよ。それでも、悪を成してでも、より多くを救う。多くの仲間が必要だから、オレは、彼女を巻き込んだ」


「……テッサの選択だろうが……お前の策略だろうが……何だっていい。うちの娘を、守ってくれるのかよ?」


「可能な限りは努力する。オレにとって、彼女も……いや、この『ヴァルガロフ』にいる連中も、オレの仲間なんだからな」


「……くくく。大陸のほとんどを支配している、帝国に……喧嘩売るかよ」


「喧嘩を売るだけじゃない。破壊して、勝利する」


「……お前の祖国を取り戻し、ベリウス王を継ぐためにか」


「それもある。でも、それだけじゃない」


「何を求めている」


「世界が欲しい。誰もが、生きていていい世界を、一つだけ欲しいんだ」


「世界が欲しいと来たか……魔王に相応しい、傲慢さだな」


「そうだ。だから、仲間がいる。アンタの娘も、アンタの『マドーリガ』も、アンタが神の生け贄にして殺そうとしている『ヴァルガロフ』の連中の力だって、いるんだよ」


「……多くを戦に巻き込むか」


「ああ。より多くを救うために。そいつが、オレの『正義』だよ」


「……本質的に、お前は、ワシに似ているようなところがあるな」


「そうかもな。オレにも、守るべき者を、守れなかったことがあってね」


「そうかよ。それなら、誰よりも残酷になれる。いい仕事をしそうだ。貴様が、『ヴァルガロフ』に産まれていたらな……きっと、いい悪人になったろうよ」


「いいや。オレは、アンタたちのようには、ならないよ。もしもは無い。ガルーナに生まれて、ストラウス家の四男坊として、年寄り竜に育てられた。ソルジェ・ストラウスって男は、この世界に、ただ一人だけさ」


「……くくく。ああ……魔王に会えて死ぬのなら、悪人としての道も、ワシは全うしたようだな」


「……そうなのかもしれんな」


「……おい。テッサ。さっさと、退け。ワシは、もうすぐ『ルカーヴィ』に呑まれる。神を補完する肉片となり、神の威力を示すために暴れる……お前を、巻き込みたくはない」


「……この期に及んで、私だけが逃げられるか」


「テッサよ、君は指揮官だろうが?」


「うるさいッ!!こいつは、どう考えても私の敵だッ!!……私が、命に替えても、否定して倒さなければならない敵だッ!!」


 そう断言されてしまうと、否定する言葉が思いつかないな。たしかに、ジェド・ランドールを呑み込もうとしている『ルカーヴィ』は、どう考えたってテッサが倒すべき存在のような気がするもんな。


「……頑固者め」


「親父に、似たんだろう」


「そうかもな……おい、魔王よ。竜に育てられた、赤毛のソルジェ・ストラウス」


「願い事かな」


「……テッサを、ワシから守れ」


「アンタの神さまをぶっ殺してか?」


「……手段は、問わない。そいつを縛って、連れ去るなり、何なり、どうにかしろ。ワシは……もう…………」


「……娘に、何か言い残せよ」


「…………いつか、死がお前に訪れる時。満足して、死ねるような道を歩め―――』


 その言葉を言い残し、老戦士の肉体はうごめく闇の『枝』に呑まれていった。テッサは苦悶の表情を浮かべるが、黄金色の戦槌を手放すことはない。涙を流すことはない。ただ、見つめている。倒すべき敵、『ルカーヴィ』のことを。


 うごめく闇は、球体へと至る。絡みつく無数の蛇のように、闇の『枝』は融け合うように密着して……実際、一つへと融け合っていく。


 大きなモノになる。


 それは球体だった。


 いや、わずかながら、楕円か。


 ……ふむ。今度の『繭』は、サナギよりも『卵』に似ていたよ。姿を変えるという戦神は、オレたちに三つ目の姿を見せようとしているのが理解できた。


「……来るぞ、ソルジェ・ストラウス」


「ああ。気を抜くなよ」


「誰に、モノを言っている」


「くくく!……そうだな、君には、もう油断など無いか」


「ランドールの戦士は、ジェド・ランドールの娘は、もう誰にも負けん」


 あちこち傷だらけではあるだろう。父親の拳をモロに浴びてもいる。それでも、今の彼女は、完成されている。今まで以上の、戦士だよ。


 父親との戦いで研ぎ澄まされて、真の『戦槌姫』に戻った。かつての『ヴァルガロフ』の闘技場の伝説。最強の女戦士、テッサ・ランドールに戻っているのさ。


 全身どころか、髪の毛一本にさえ闘志と集中力があふれているようだ。金色のツインテールが、わずかに揺れている。リズムを取っているのさ。シアン・ヴァティの尻尾みたいに。


 読み始めている。


 目の前で『卵』に化けた『ルカーヴィ』。あの闇の奥にいる、鼓動を嗅ぎ取り、その動きを予測している。魔力と、敵意……そいつを肌で感じながら、彼女の心は、もうすでに『ルカーヴィ』との戦いを繰り返している。


 予測し、推測し、あらゆる可能性に備えようとしているのが分かる。彼女は柔軟に動くだろうし、稲妻みたいに素早いさ。そして、竜巻みたいに容赦なく強い力で暴れ回る。


 今のテッサ・ランドールは、猟兵並みの戦闘能力だよ。


 並んで戦えることが、光栄の極みだ。


「……行くぜ、テッサ。魔王と『戦槌姫』の、コラボと行こうか!!」


「……ああ、行くぜ、ソルジェ・ストラウス……『ヴァルガロフ』を、守るぞ!!」


 もう退けなんて言わないさ。今から、一緒に神サマをぶっ殺すぜ。


 我々のタッグが結成されてから、数秒も経たない内に、『卵』は、孵化していた。巨大な亀裂が入っていき、そのヒビ割れからは、鮮やかなまでの真紅の光が放たれる。視界が、紅に染まり、肌に熱量を感じた。


 『炎』を使う?


 今度の『ルカーヴィ』は、力強さを連想させるな。


「……『卵』が割れるぞ」


「……開祖だろうが、君の親父だろうが、初っぱなから全開でぶつかりに来るつもりだ」


 隠すことの無い闘志が、肌を焼くかのようだからな。分かるよ。『卵』の中にいるのは、どうしようもなく攻撃的な、狂った獣。


 殲滅獣。


 戦神の見せる、最も狂暴な貌を模した存在だ。テッサと同じく、ヤツもジェド・ランドールという戦士を生け贄にすることで、自身を究極にまで研ぎ澄ませたのだろう―――。


 ―――紅い光が、一瞬だけ弱まる。


 次の瞬間、『卵』が砕け散り、歌劇の場は真紅の光に塗りつぶされる。神々しいとは思わんが、荒々しく、破壊衝動に満ちた光だと感じたよ。


 そして、そいつは間違いじゃなかった。戦いに関しての本能は、信じるべきだな。長年の戦場暮らしで身につけた、戦いの勘だけは、狂わない。


 巨体を見た。


 獅子に似た、紅い巨体。しかし、腕も有り、二足で立っている。獣とヒトの混じった姿だった。紅に染まる、世界の奥底で、そいつは猛り、闘争のための歌を放つ!!


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!』


 魔力じゃない。声だな。ただの大声で歌を放っただけだというのに、そこら中が揺れて、壊れていくようだった。


 紅の光の奥から、その巨体が来たる。獅子の化身、殲滅の獣、『ルカーヴィ』が!!


 爪が見えた。巨大な腕の先には、太くて鋭い爪が生えている。それが、頭上から降り注ぐ。防御する―――いや、しようとしたのだが、その爪による攻撃は、あまりにも速い。


 竜太刀で、一度目の攻撃は受けた。二度目の攻撃は躱せた、三度目の攻撃は竜太刀を弾かれ、四度目の攻撃は、竜鱗の鎧が救ってくれた。胸部から腹にかけて、右かも左かも分からない、殲滅獣の巨大な爪が走っていた。


 竜鱗の鎧でなければ?引き裂かれて、腹の中身を晒してしまうところだった。だが、とんでもない衝撃に、弾き飛ばされただけ。胃袋が揺さぶられて、ヒビの入った肋骨サンたちが、激痛を生んだがな。


 ああ、痛がっているヒマなんぞねえんだ。


 獅子の顔をした巨大な怪物が、オレ目掛けて追撃して来やがるッ!!足運びが、よく分からん。3メートルほどだ。さっきよりも縮んでいるのは分かるんだが、正直、さっきのがザコに見えるほどの強さだ。


 速い。しかも、力強い。雄々しいたてがみを揺さぶりながら、紅い獅子神は、爪のラッシュを撃ち放つ!!……ああ、一瞬で、何度、攻撃されているのか?……分からんな。竜太刀が、火花を上げる。重心が崩れてしまう、揺さぶられる。


 あまりの威力に圧倒されて、体が後ろに弾き飛ばされているものだから、ヤツの爪の嵐から逃れていられるし、竜鱗の鎧の頑丈さだから、致命傷を幾つか防げている。


 一瞬で、こんなに負けを感じたのは、初めてだ。


 スピード、パワー、手数……というか、動きそのものまでも。オレの理解を超えてきているな。ああ、ホントにムチャクチャだ。


 姿勢が崩されているというのに……まだ容赦してくれない。ヤツはさらに畳みかけてくる。無尽蔵のスタミナだな。百人相手に斬り合うような、そんな心境だ。ぶっちゃけ、その方がまだ、ずっとマシだ。常識が通じるからね、ヒト相手なら。


 ……くくく。


 ……なんて。


 なんて、強いんだ、『ルカーヴィ』よッッッ!!!


「ハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!」


 笑う。楽しくて、嬉しくて!!オレよりも、はるかに強いじゃねえか!!神を名乗るだけは、あるぜッ!!


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