第五話 『戦神の荒野』 その23
上空からの敵の動きを観察する……荒野のあちこちも見回して、想定外の動きが無いかを探したよ。『南の砦』を通過する難民たちの行進は、順調そのものだ。ゆっくりだが、滞ることはなく、闇に紛れて敵兵の目に映ることはないはずだ。
人間族の瞳は、それほど闇のなかで見通しがいいわけじゃないからな。オレも右の瞳では、長い列が動いる姿を見るのがやっとだが―――これは上空から観察出来ているからだ。地上からでは、かなり近づかなければ、何が行われているのかを把握することは出来まい。
……順調だよ。
『北の砦』は静かなものさ。オレたちの作戦がバレている様子はなかった。
南北の『連絡係』でもある見回りの騎兵たちも、ミアとククルの狙撃で排除されているからな。そのおかげで南で何が起きているのかを、『北の砦』の連中は知る術がないのさ。
しかし、帝国人はバカではない。
賢いからこそ行動が読まれるものの、賢いからこそ異変にも気がつきやすい。オレたちにも大きな不安がある。
『連絡係』を排除するのは、仕方がない行為だ。コイツらを排除しなければ、難民が『南の砦』を通過しているという事実を隠すことが出来ないからな。おかげで順調。
でも、『連絡係』の不在に、いつまで『北の砦』の連中が気づかないでいるだろうか?
どれぐらいの時間、兵士が戻らなければ『異常』と判断するか?……すでに、最初の連中は排除している。4キロの往復、つまり8キロだ。馬をゆっくりと歩かせながらの巡回さ。暗闇のなかで馬を走らせては、隠れている敵を見逃すからな。
せいぜい、ヒトが歩くのと変わらない速度で歩く。4キロか、周囲を警戒しながらのことを考えれば、3キロと見積もってもいいかもしれない。悪い方を考えよう。時速4キロで、8キロの道……2時間だ。
最高に上手く行ったとしても、2時間しかないが……現実は、より厳しいはずだ。
南北の砦のあいだを、お互いの兵士が行き来しているんだからな―――『北の砦』の兵士が戻るよりも先に、『南の砦』の兵士が来るわけだ。つまり、1時間毎には『北の砦』に報告は入っている。
そう、せいぜい、このまま1時間さ。1時間も見回りの兵士が戻らないのなら、異常に気がつき、やがて偵察兵を出すだろう。有事に備えて、騎兵数騎と数十人のチームをな。それはミアとククルでもさすがに排除しがたい……。
難民たち全員が橋を渡るのに、30分かかる。
橋を渡り次第、歩く速度を上げていく予定ではあるが……せいぜい、徒歩30分、荒野を西に進んだ分のアドバンテージしか稼げない。よくて2キロか3キロってところさ。悪ければ、もっと短い距離になる。
騎兵からすれば、いくらでも難民たちに追いつけるな。
だから。もう少し長い間、『北の砦』の敵兵から、南の状況を隠しておきたい。一分でも長くな。それだけ、皆がこの敵から、遠くに逃げることが可能となるんだからね。より遠くに逃げることが、被害者を減らす一番の方法だ。
……どうするか?竜騎士さんと、美しい吸血鬼さんの出番さ。
「カミラ、敵の動きは十分に察知した。連れて行ってくれるか?」
「はい!行きますよ、ソルジェさま……『闇の翼よ』……っ』
ゼファーの背の中で、カミラ・ブリーズの影に包まれた。夜空に融けるみたいに、オレとカミラは『闇』へと変わる。
視界が無数に分かれていく。体が軽く、フワフワと宙に浮かぶ感覚を手に入れた。オレとカミラは、たくさんの『コウモリ』に変化している。『吸血鬼』の能力だな。
この状態になれば、敵からは『コウモリ』の群れにしか見えない。空を飛んでいても怪しまれることはないな。
ちなみに、攻撃もまったく効かない。弓矢もすり抜けるし、攻撃魔術も『吸収』してしまう。『吸血鬼』が使える第五属性……『闇』魔術は、他のあらゆる属性の攻撃魔術を喰らってしまうんだよ。
カミラには、どんな攻撃魔術も効かない。同じ『闇』属性の使い手である、『吸血鬼』同士なら分からないが―――そこらにいるようなモンじゃないからな。
『では、行きますね!』
『ああ、頼むよ』
『ふたりとも、いってらっしゃーい!』
星空のなかで、ゼファーの幼い声に見送られながら、『コウモリ』に化けたオレたち夫婦は、パタパタと小さな羽音を立てながら、地上に向かって飛んで行く。
どこに向かうのか?……まずは、あの『油樽』の集積地点だな。二カ所ある。一つは、川に突き出た桟橋。そこに、山ほど『油樽』を積んでいるぜ。難民たちが川を渡ろうとしたら、ここから油を川に流して火を放って妨害するためのモンだ。
こっちじゃない。
こっちじゃなくて、もう一つの方。東西の城塞に囲まれた、敵の本拠地ド真ん中。そこにある、『油樽』の倉庫だよ。
外にあふれかえるほど『油樽』が置かれている。倉庫に収まらないほど、これを用意していたわけだな。なかなか、投資のかさむハナシに思えるが……油はランプにも使えるからな。じつのところ、備蓄が多くて、困るようなシロモノじゃない。
ここで余るのなら、ヨソの砦に運べばいいだけだからな。
それに商人から大量に購入するほど、安く買えることもある。だから、この投資はムダになるようなものでもないわけだ。
……だからといって。可燃物を、倉庫からあふれるほどに集めておくというのは、考えものではあるな。
オレとカミラは倉庫の屋上にたどり着く。もちろん、ここにもいるよ。見張りがね。二人ほど。倉庫へ盗みに入る兵士は多いからな。ああ、もちろん盗賊対策でもあるだろうが。
倉庫の屋上でヒトに戻ったオレは、見張りの一人に近づくと、そいつを竜太刀で斬り殺した。死体は倉庫から落とさないように、その場に捨て置いた。
あとは、もう一人に近づいていく。今度は竜太刀は使わない。使うのは、体術だった。背後に音もなく忍び寄ると、そいつの首根っこに腕を巻き付けながら、後ろに引き倒す。カミラが素早く、そいつの腕から槍を奪い取り、制圧は完了だ。
「カミラ、脚を折れ」
「はい、ソルジェさま」
命令は実行される。『闇』の魔力を帯びたカミラの体術は、超人的だ。この兵士の右脚を踏んでへし折ることなど、容易かった。オレは骨が砕ける音を聞きながら、この男が悲鳴を上げないように、その口をしっかりと押さえつけていた。
「……動くと、刺します」
槍の穂先を、オレが拘束している兵士の顔に近づけながら、カミラは冷たい響きで宣言していた。アメジスト色に輝く瞳が、クールで美しいな。
オレの腕のなかにいる兵士は、呻くような声で、ああ、と返事した。脚を折られた激痛が、彼の反抗心をも砕いたようだ。それでも油断はしない。わずかに首と口の拘束を緩めて、その中年男の耳に語りかける。
「……訊きたいことがあるんだが、ちょっといいかな?」
「……な、なんだ……ここには、食糧しかないぞ……っ」
「油は?」
「あ、油?……あんなもの、どうするというんだ……?」
「お前たちは、川に流して燃やすつもりだったんだろ?」
「な、難民が、渡ろうとすれば……な……」
「この中には、どれぐらいの備蓄がある?」
「……た、樽で……200以上……っ」
「ほう。ずいぶんと、溜め込んだモンだな」
「あ、ああ、溜めすぎだ……っ」
「……どこかに運ぶ予定はあるか?」
「い、いや。ないはずだ……っ」
「そうか。ここの指揮官の名前を教えてくれるかい?」
「す、ストワーズ卿だ……」
「ん?そうだっけ?」
「そ、そうだよ。ストワーズ卿。レイ・ストワーズ卿……嘘なんて、つ、つかんよ」
信じてやるか。指揮官の名前を教えることぐらい、兵士に罪悪感はないだろうしな。
「……た、頼む……こ、殺さないでくれ……っ!お、オレは……もう徴兵が終わる。43だし……脚も、ぶっ壊れちまったよ……へ、兵士としては、もう、使えんだろ……?」
「ああ。素直に話してくれたお礼に、殺さないでおいてやるよ」
そう耳元で囁きながら、オレは腕力を使ってヤツの首を絞めて気絶させていた。カミラに、そいつの拘束を任せて、倉庫のなかに向かう。
内部へと降りる扉には、鍵がかかっているが、問題はない。
猟兵の多くは、潜入の技巧に長けている。団長であるオレもな。ガルフ・コルテス直伝のピッキングの技巧が、ものの十数秒で、その鍵を解除してしまう。
「……楽勝だぜ」
勝者の感情で唇を歪ませながら、オレはその倉庫の内部に侵入していく。内部には、たくさんの食糧があった。そして、それだけじゃなく、『油樽』もな。大した量だよ。200以上ってのは、ホントだな。
そこら中にある『油樽』の一つのフタを取り、オレはそれを横に倒した……ドボドボと油が床に広がっていく。不謹慎かな?ワクワクしてるよ。敵の倉庫を燃やす準備をしているなんて、楽しい作業だ。
樽を両手で押しながら、オレは倉庫の入り口に向かう。こうして、倉庫の入り口から、『油樽』の山まで、油の道の完成だ。これで準備の一つは完成。
屋上に戻るついでに、横積みされている『油樽』のフタを、いくつか外しておいた。油が床に広がっていくのが分かるよ。
コイツは大惨事の予感がするな。
屋上に戻ると、カミラはあの兵士を縛り終えていた。口には猿ぐつわを噛ませ、両手を腰の裏で縛られている。脚は折れているから縛らなくてもいい。
「じゃあ、次に行こうか」
「了解っす!』
再び、『コウモリ』に化ける。拘束したその男も一緒にな……どこに行くか?レイ・ストワーズさんのトコロさ。指揮官の居所は分かっている。この『北の砦』は『南の砦』と同じ造りをしているからな。
……こちらは五階建ての建物さ。
くくく!……色々と、南のそれに比べて大きい。『南の砦』の指揮官が、やけ酒を起こす気持ちも、分かる気がするぜ……仲が悪かったのかね?
でも、あの世では仲良くやるべきだ。アンタたちは、同じ夜に、同じ鋼に斬られて死ぬんだからな―――。
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