第五話 『戦神の荒野』 その15


 『ゴルトン』の駅馬車だ。ゼファーは速度を緩めていく。無音での飛行を目指す。大地を蹴る蹄鉄と、軋む車輪の音で、あの巨人族の御者は気づきはしないだろうが……。


 実戦は訓練でもある。己を磨くためのチャンスだ。加速の次は、減速を学ぶのだ。


 漆黒の翼は才能を見せつけた。夜空の闇に融け込む無音の飛翔で、あの馬車の背後を取る。シアン・ヴァティが準備をする。彼女が襲撃するのさ。


 ゼファーが、馬車の上空を通り過ぎるその瞬間。


 黒い尻尾が夜空に踊った。


 フーレンの女戦士ならではの、しなやかな神速だった。星明かりの中で、彼女は華麗にくるりと回転しながら、丈夫な箱形をした駅馬車の屋根に飛び降りていた。小さな音が鳴る。


 御者席の巨人族が、上を向いた瞬間……シアンの体は両腕と両脚を器用に使い、獣のような俊敏さとなめらかさで、御者の背後へと降り立っていた。


 片方の刀を抜き、巨人族の首筋に鋼を当てる。


 この距離だから言葉は聞こえない。でも、魔眼の力で唇の動きは読める。シアンらしい短い言葉での脅迫だったよ。『止まれ』。おそらく、その一言だった。


 駅馬車はゆっくりと停車して、オレたちは、馬が驚かないように、少し離れた場所に降りたった。


 そこからは素早いものさ。巨人族の御者を、縄で縛って放置した。彼は、オレたちのことを睨んでいたが……『虎姫』の金色の双眸に睨み返されると、とても静かになっていたよ。


 四頭の馬を、馬車から解放した。よく訓練された『ゴルトン』の馬は、逃げ出すことはない。自分たちが、どんな仕事を任されるのかを、しっかりと理解していた。


 黒く聡明な瞳の動物に、シアンとガームルが華麗に跳び乗っていた。オレは、フクロウが届けてくれた、例の書類を袋から取り出す。


 さすがは、ガンダラの下書きだ。そして、『アルステイム』の盗みと偽造の技巧か。アッカーマンの筆跡を、オレは知らないが、なかなかに癖のある踊るような文字だ。


 他人は、なかなかマネ出来そうにない特徴がある。アッカーマンは、あえてそうしているのかもしれないな。命令書を、偽造されないために。


 しかし、合理的な策も、技巧の鋭さに敗北することもある。


「ジャン。アッカーマンの臭いは?」


「……動いていませんね。遠く、北にいます。す、少なくとも、こちらには近づく気配はないです」


「十分だ」


 相当な距離を離れていても、ジャン・レッドウッドの嗅覚は認識している。今のオレは、昨日よりも呪術に詳しい。だから、『狼男』の嗅覚が、呪術の一種だと感じられもする。


 超絶的な能力に、呪術の力も駆使している。魔術が使えないことに、ジャンは劣等感を抱いているらしいが―――得がたい『天然の呪術師』というワケでもある。


 『呪い追い/トラッカー』を、仕込むことも出来るかもな。今までは単純な力押しの攻撃要員でしかなかった。だが、呪術的な嗅覚とその機動力で、戦場で味方を守る、最強の防壁となれる日も近いかもしれん。


 ……成長の鋭さは悪いが、素材は超一流。経験で磨けば、最強の猟兵の座を、このソルジェ・ストラウスさまと争う日も遠くないかもしれないぜ、ジャン・レッドウッドよ。


 さてと。


 こっちの有望な若手にも指示を出さなくてはな。馬に乗ったガームルに、オレは近づいていく。あの書類を、彼に手渡した。


「……コイツは、シンプルな命令書だ。『作戦の開始を、24時間遅らせろ』。ケットシーたちが、アッカーマンの屋敷に忍び込み、その筆跡を偽造したものだよ。『ゴルトン』の馬車隊に合流したら、それを渡せ」


「はい!これで、今夜、オレたちのキャンプに、『ゴルトン』は来ない……皆を、守れるんだ」


「そういうことさ。ああ、それと……こいつも渡せ」


「二枚目も、あるんですね?」


「丁度いいのがあるんだ。『この伝令者を、すみやかに帰投させよ』……」


 さすがはガンダラ。手際が良いな。こんな下書きもあるとは。オレは、辺境伯の兵士を捕まえて、その鎧でも奪い、伝令役に化けるつもりだったんだがな……。


 ……より安全で確実そうな策を、用意してくれている。さすがは、ガンダラだ。


「なるほど。やれそうな自信が、ますます強まります」


「いいか、ガームル、それでもコレらはニセモノだ。見破られる可能性は、常にある。気を抜かずに、素早く行動をしてくれ。そして、戦場での嘘は、堂々とつけ」


「……イエス・サー!!」


「くくく!オレなんぞに敬礼か……軍属時代の癖が、出て来ているぜ」


「……西についたら、『自由同盟』の軍隊に入るつもりでした」


「そうか。近いうちに同じ戦列で戦う日もあるだろう。いいな、シアンを頼れ。彼女は、君を死なせることはない」


「わかりました!」


「……シアン。ガームルを頼んだぞ」


「……任せろ。『虎』が守れば、安全だ」


「ああ。心配はしない。こっちも、やれることをやる」


「そうしろ。行くぞ、ガームル」


「はい!!」


 シアンとガームルが四頭の馬と共に北へと向かう。四頭の馬と、体重の軽さ。そして、あの偽造書類と、シアン・ヴァティ。これだけ安全対策がそろえば、まったくもって不安は無い。


 さてと。捕虜にした巨人族を、ジャンに遠くの荒野に捨てて来てもらうあいだに、ゼファーに頼んで、馬車も遠くに引きずっていったよ。『ゴルトン』は、『道』を守る。


 自分たちの作った『道』以外は、走ることはない。なら、あそこまで遠くに隠した馬車を発見することもないだろう。巨人族の捕虜も、まあ、どうにか生き抜くだろうよ。


 誰よりも、この荒野を旅慣れている運び屋の一人だからな。死ぬようには出来ていない。


「……アイツを殺さねえのか?」


 ドワーフ族の男が、そうつぶやいた。仲間の虐殺死体を見てしまった後だ。冷静な顔をしているが、心の中はそうじゃない。殺意だ土砂降りみたいに降り注ぎ、復讐心に荒れまくっているはずだぜ。


 彼を、なだめなくてはな。


「利用価値がある。『ヴァルガロフ』は、ハイランド王国軍が掌握するんだ。四大マフィアの組織力も、『自由同盟』の大事な戦力になる……」


「悪人の力も、喰らうっていうのかよ?」


「責任者は、殺すよ。あの虐殺を生み出した責任は、二人だ。『ゴルトン』のアッカーマンと、辺境伯ロザングリード」


「……他の悪人どもは、野放しかい?」


「オレは全知全能の神サマじゃない。せいぜい、ガルーナの魔王どまり。ファリス帝国との戦に、『ヴァルガロフ』の戦士たちは必要だ。もちろん、アンタたちの力もな」


「オレは、戦うよ。帝国人が大嫌いだからね。だが……あの虐殺を見て、オレたちは、『ヴァルガロフ』人を、許せるか……」


「許す必要などない」


「……なに?」


「許せるわけがないことを、許す必要などない。千年、恨みを忘れなくてもいい。いつか報いを受けさせると永遠に誓え。そうするに相応しいことだ」


「……煽ってんのか?」


「真実を言ったまでだ。永遠に、誰とでも仲良く出来るわけじゃない。それでも……共通の敵がいるなら、戦える。しばらくは、同じ方向を向いて、戦おうぜ?……帝国をぶっ倒したら、アンタの好きにすればいいだろう」


「……はあ。魔王サンらしい哲学かもしれん」


「復讐は自分の手ですべきだよ。オレは、この事件の最大の原因だけは殺すぜ。それで手打ちにはならんことも知っているが、『自由同盟』の雇われとして、『自由同盟』の哲学は示した。それに……悪意だけで、アンタたちを薬草医が助けたわけでもなかろう」


「善良な子も、いそうだな……」


「オレは復讐を推奨する。だが……時には……『敵』とも組まねば、大きな勝利を得られんことも、知っているのさ……」


「……どうにも、苦しそうな言葉だな。自分に言い聞かせているのか?」


「アンタには、見抜かれそうだと思った。オレも……『敵』を許すつもりはないんだが。それと共に戦わねば、どうにもならんことも……この乱世にはある。それを、認めるのに、アンタの苦しみをダシに使っちまったな」


 ……ああ。


 そうだよ。


 知っているさ。オレは、バルモア人を許す日は来ない。ヤツらはガルーナ王国の永遠の敵だ。しかし……それでも、組まねば、成せぬ大義もある。


 ……あんな虐殺を、許してはならん。アレを許すようでは、『亜人種びいき』の魔王の名がすたるというものだ。


「……さて。ゼファーもジャンも帰って来たぜ。行こうじゃないか、ドワーフのオッサンよ。今夜は、皆で川を渡るぜ……オレたちが、進むべきルートは見えている」


「マジか?」


「ああ。難民キャンプへ帰るついでに……北の砦を偵察する。そうすれば、大半の者が、あの川を濡れずに渡れるタイミングを作れるはずだ」


「……濡れずに渡れる?」


「無意味に体力を失うわけにはいかんだろう?荒野を渡るための体力と、一戦交える覚悟はしてもらう」


「戦うか?」


「武器は用意する。戦う敵も、そう多くはない。援軍も呼んでおくから、大丈夫なはずだぞ」


「援軍が、この土地にいるのか?」


「いるぜ。ここから『西』にな」


 フクロウの指輪を魔力を込めた親指でこする、白フクロウを呼ぶのさ。あとは、暗号一枚かいて、白フクロウの脚輪にはめ込む。フクロウは、西の空へとまっすぐと飛び去った。ああ、こいつで、十分いけるはずだ。


 ギンドウ製の懐中時計で確認する。今は午後7時30分……深夜までは、十分に時間があるぜ。それに移動時間を含めれば……『あそこ』までに余裕で間に合うはずだぞ。

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