第四話 『祈る者、囚われる者』 その24


 戦術というものは、相手の弱点につけ込むことが基本だ。かつて須弥山に集まり、螺旋寺を建立したフーレン族の剣士たちは、壮絶な切磋琢磨のあげく、『虎』という最高の戦士を生み出した。


 『虎』の美学に、卑怯もクソもない。『虎』が追及するのは、ただただ『強さ』のみだ。武術の冴え、肉体の頑強さ、研がれた鋼……全てを駆使する戦術。あらゆるものを使い、『虎』は強さだけを目指している。


 シアン・ヴァティの実践する『虎』の美学。そいつに触れると、オレはどうにも楽しくなってしまうな。敵として彼女と遭遇したときでさえ、戦士ならば、彼女の美学に感動し、敬意を捧げてしまうだろう。


 あの若造は……そうでも無かったな。


 『首狩りのヨシュア』は、完全に脱力して歩くシアン・ヴァティを追いかけていた。気の抜けない瞬間だ。シアンの加速性能を、ヤツは理解しているのだから。適切な間合いを保たなければならない。戦鎌を持ち上げる角度を誤った瞬間、『虎』は襲いかかって来る。


 戦況を掌握しているのはシアンだ。ヨシュアは戦鎌を構えつづけなければならないし、シアンに対する警戒は集中力という長続きしない貴重な時間を潰されていく。シアンは、ほとんど無警戒だ。彼女の速さなら、後出しでも十分に鎌の間合いから逃れられる。


 圧倒的に優位の持久戦のなか、シアンは獲物に語りかけた。


「……お前は、その戦鎌を、地面に放置していたな」


「……ああ」


「……いい判断だ。それは、強い武器だが、重さが過ぎる。師に、言われたな?」


「……そうだ。背負っておくべき武器ではないと、教わった」


「疲れるからな」


「……それで、気づいたのか?」


「それも、ある。しかし、お前が、それを背負っていたとしても、我々は気づく」


「我々?」


「あそこの赤毛も、気づいている」


「オレは、アンタから視線を外さない」


「いい心構えだ。よそ見すれば、そのまま、殺していたぞ」


「……このまま、オレが疲弊するまで来ないつもりか?」


「どうだろうか。それも、面白くは、ある。私は、戦いには、全てを用いる。満足しているぞ、獲物を掌握するという行為も、楽しいものさ」


「……そうか。でも。オレは呼吸を整えることには、成功しているぞ」


「だろうな。それならば、攻めてみるがいい。死に方くらいは、選ばせてやる」


 『虎姫』は立ち止まる。未熟な敵を睨みつけながら、双刀を構えた。そろそろ仕留めるつもりのようだ。ゼファーも、楽しそうにシアンを見つめている。もうすぐ決着がつくことを、ゼファーは理解しているのさ。


『あれきの。きみの『まーじぇ』を、さらってやつが、もーすぐ、しぬよ!』


「うん。あいつは、きらいだ。このまま……しねばいいんだ」


 無邪気な怒りは、幼げな言葉たちを殺意に飾りつける。アレキノは、あの病んだ瞳で『首狩りのヨシュア』を見つめていた。無表情な『灰色の血』の少年たちを見ていると、『オル・ゴースト』の考えに、全く理解が及ばない。


 この壊れた者たちを大勢つくり……失敗したら、破棄して解剖して、呪術の道具にする……なんてコトを、よく選べたものだ。間違っていると、どうして気づけない?歪んだ信仰ゆえか?それとも、悪人ならではの邪悪さが由来なのか。


 狂気とは、常人には理解することも叶わない行為ということなのかもしれない。


 どうあれ。


 いいさ。


 今から、その狂気の物語の一つも、終わるのだから。


「―――行くぞ、フーレンの女」


 死に方を選んだ『首狩りのヨシュア』は、『虎姫』にそう告げると、戦鎌を構えたまま突撃を始めていた。前進することで、唯一のアドバンテージである威力を上げるのさ。


 シンプルだが、悪くない発想だ。戦士としての誇りがあるのなら、強さに賭けるという道も共感してやれるよ。


 戦鎌が、暴れた。風車のように、あの巨大な武器を回転させている。棒術のような動きだが、あんな重い武器でアレをやるとはな……。


 『首狩りのヨシュア』は、体力の全てをその乱撃に捧げている。あれだけの重量を振り回すのは、肉体を痛めつける行為だ。それでも、あの狂戦士は自分の肉体の悲鳴にさえ耳を貸すことはないだろう。


 無表情だ。


 無表情のままだがね、ヤツが嬉しそうな貌をしているような気がするのは、オレの身勝手な妄想ではないような気がする。楽しいものさ。己の人生の全てを捧げて鍛え上げた技巧に命を賭けちまって、強敵に挑む瞬間というものはね。


 戦鎌の鋼は壮絶な軌道を描き、シアン・ヴァティを追いかける。


 シアンはその嵐のように暴れる攻撃の数々を、完全に読み切っていた。全力の回避を行っている。全ての攻撃が、シアンの体にかすりもしない。まあ、かすった瞬間、シアンは窮地になるんだがな。


 アレだけの突撃だ。わずかながらにでも触れられたら、そのまま動きを崩され、次の瞬間には、戦鎌の刃に巻き込まれてしまう。そのための、回転さ。ヤツも、無力なまま死にたくはないらしい。


 戦士としての誇りがある。『ゴースト・アヴェンジャー』の精神が、歪んでいようとも、壊れていようとも。戦士は……しょせん、戦士でしかない。鋼に殺意を込めて、お互いを攻撃する。その瞬間に、心が通じてはいるんだよ。


 荒れ狂った攻撃をかいくぐりながら―――『虎姫』は、あのうつくしい顔に、猟兵の笑みを浮かべる。琥珀色の双眸を細めて、唇を攻撃性で歪めていた。シアン・ヴァティは、ようやく本気の攻撃を見せる気になったらしい。


「……ッ!!」


 殺気を浴びた『首狩りのヨシュア』が、警戒を強めるが……止まることを選ばない。体力は限界に近いだろうが、それでも攻撃の手を緩めることはなかった。むしろ、さらに速くなる……『チャージ/筋力増強』を使っている。


 あれで、筋繊維が千切れても、全てが断ち斬られなければ、体は動く。死を覚悟した上での突撃でもあるわけだ。いい覚悟だ、シアン・ヴァティに挑もうというのだから、それぐらいは最低限、必要な準備だよ。


「はあッッッ!!!」


 『虎』が歌う。迫り来る戦鎌の嵐に、重量級の鋼の乱舞に、正面から飛び込んでいく。『首狩りのヨシュア』は、シアンの突撃に斬撃を会わせようとした。肉体にムチャをさせる、刹那の間の緊急停止を作りあげ、シアンが間合いに入ることを防ぐ。


 リズムを力ずくで崩したんだ。全身の筋繊維に、その反動が襲いかかる。ブチブチとそれらが断ち切れているだろう。それでも、強引に間合いを会わせやがった。戦鎌のフルスイングを、シアンに叩き込むための間合い。


 しかし、彼女はそれすら読んでいたかのようだった。ヨシュアは、シアン・ヴァティの動きを真似ようとした。『ファイヤー・ボール』を躱したときの動き、急停止の技巧。あれで、カウンターのタイミングを作ろうとした。


 あのときのシアン・ヴァティの動きが、心に残像として棲み着いていたのさ。そして、それを再現するしか、対応することのない状況をシアンに『作られた』とき―――若造の肉体は、あの究極の技巧を模倣しようと動いていた。


 シアンは、ヤツの心をも掌握していたらしい。自分の技巧に惚れ込んでいると、悟っていたのかもな。直接、鋼をぶつけ合わせる者同士にしか、分からぬ世界があそこにはあったのだろう。


 とにかく。シアンは、読んでいた。急停止の技巧を、ヨシュアが再現してくることを。それゆえに、『虎姫』の双刀の牙は獲物を外すことはなかった。右の刀の斬撃が、それを切断していた。


 そうだ。戦鎌の長い柄を持つヤツの左手さ。より正確に言えば、その左手の指と、それらが握りしめている鋼の柄そのものだった。『一瞬の赤熱/ピンポイント・シャープネス』の祝福を帯びたシアンの斬撃が、それらを刹那よりも短い時間の内に断ち斬っていた。


「ぐ、あ!?」


 カウンターの姿勢が崩れる。戦鎌の柄が断ち斬られたことで、その威力と速度は大きく削がれていた。ヨシュアはそれ以前のフォームと右腕だけの力で、勢いを維持して戦鎌を叩きつけるしかない。


 片腕でその軌道を保とうとしていたが―――シアン・ヴァティの牙は、双刀だ。もう一つあるぞ。


 左の刃が、残酷な制圧手段として横に振り抜かれていた。赤熱を帯びた刃は、鎌の柄をかいくぐるように走り……戦鎌を握りしめる未熟者の右手首を斬り裂き、その先にあった戦鎌をも打ち払っていた。


 右手が絡みついたまま、巨大な戦鎌が宙に弾かれる。


「……く、そ――――」


 文句を言うヒマなど無かった。シアンは双刀なんだからな。右の次は、左。左の次は右だった。気を抜いてはいけない。とはいえ、両手を壊された『首狩りのヨシュア』は、迫り来るシアンの右肘を避ける術など持ってはいなかっただろうがな。


 ゴギュシャアア!!ヤツの白い皮膚に、シアンの鋭い肘撃ちがめり込んでいた。カウンターを作るために、ヤツは体を固めていた。それだけに、そのカウンターを崩された瞬間、打撃に合わせて首を回すという基礎的な体術さえも使用出来なかった。


 ……仮に、首を回して、直撃を回避したところで。次の瞬間には、左の刀に腹を貫かれてお終いだっただろうがな。


 顔面の皮膚がわずかに裂けて、その皮膚の下にあったヤツの上あごの骨が崩壊する。数本の歯が、つけ根からへし折られて、肘撃ちの強打は呪いに満ちたヤツの脳みそを激しく揺さぶっていた。


 首の骨が折れなかったのは、シアンがプロフェッショナルだからだ。折ろうと思えば、この一撃で折ることも出来ただろう。シアン・ヴァティには容易い仕事だ。それでも、それを選ばなかったのは……この少年の命が、誰の所有物なのかを理解していたからだ。


 だから、手心を加える。


 脳震とうに揺れる、その青年に止めではなく、横隔膜を破裂させる程度の、強力な前蹴りを叩き込むことで、シアンは攻撃を終わらせていた。横隔膜が裂けて、肋骨が数本蹴破られる。苦しいが死にはつながらない。


 『虎』の骨砕きの蹴りだ。暗殺蹴りとして、オレやミアも使えるが……本家の威力はオレたちよりも鋭いぜ。


「……が、あ……ッ」


 苦しいときは、うめくしかない。それが動物の本能でもある。助けを求めたわけでもないだろう。ただの反射だ。折れた肋骨の断端が刺さり、内出血に圧迫される肺を楽にしてやろうと、空気がノドから漏れただけだ。


 大地に仰向けで転がる、その少年……両手を壊され、顔面を破壊され、呼吸機能さえも潰された。悲惨な状態だが、瀕死ではない。治療を施せば、助かるだろうな。だが……オレたちの役目はそうすることじゃないよ。


 シアン・ヴァティが血に染まった双刀を握ったまま、こっちにやって来る。言わんとすることは分かる。無言のままで、いい。オレは、お姫さま抱っこしている女の耳元に、ささやいた。


「……ヴェリイ。君の獲物だ」


「ええ。気が利いているのね。殺さないでくれるなんて?……フーレン族は、もっと融通が利かないと思っていたわ」


「……猟兵は、長の命には従うものだ」


「まあ。可愛いわね。ソルジェくん。降ろして下さるかしら?」


「ああ……いいとも」


 オレは、ヴェリイ・リオーネの体を大地に戻す。彼女の体からは、麻痺毒の効果が抜けている。彼女にナイフを貸そうかと考えていたが……いらぬ世話だったようだ。


「……ヴェリイさま、こちらを」


 彼女の忠実なる部下が、彼女のそばに現れていた。ニコロ・ラーミアは、その見事な飾りのついたナイフをヴェリイに差し出していた。戦闘用……ではないな。儀式用でもない。荘厳なわけではない。小さく愛らしい宝石のはめられた、きらびやかな小刀。


「アルトのナイフね。気が利いているわね、ニコロ」


 ヴェリイは笑顔だった。あの深緑の瞳に、サディスティックな輝きを宿らせながら。復讐者の白い指が、その刃に、愛おしそうに絡みついていた。

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