第四話 『祈る者、囚われる者』 その16


「キュレネイ・ザトーが……オレを、裏切るだと?」


 色々な思考が消えて行くのが分かったよ。理性が消失し、判断しなければならないことやら、誘拐されたらしいヴェリイのことさえ頭から消える。ヒドい侮辱を受けた気持ちになっていた。


 キュレネイ・ザトーとオレのあいだにある絆に、ケチをつけられた気持ちになる。それが、何とも腹立たしくて。その怒りに、あらゆる思考が塗りつぶされていた。『予言者アレキノ』に近づいていく。


 この頭や体をいじくられた、哀れな『灰色の血』に対して、強烈な怒りがあるのさ。こんなに強い怒りは、久しぶりだ。他人の悪行を見たときとは、全く異なる怒り。己のプライドを傷つけられたときに感じる、黒くて残酷で、攻撃的な怒りの感情だった。


 アレキノの顔が歪み。


 彼は子供のように泣き始めた。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 ……怯えたアレキノは、オレから離れて、積もった瓦礫のそばに上半身を突っ込んで、ガタガタと震えていたよ。シアン・ヴァティが、オレの視界に入る。入ってくれる。アレキノの盾になってくれたのさ。ありがたいことだ。


 おかげで、オレが反射的な衝動に駆られたところで、アレキノを竜太刀で真っ二つにするなんてことは無くなった。アレキノは、その絶対的な庇護者の気配を嗅ぎ取ると、まま!!と叫び、シアンの腰に抱きついて来た。シアンは、殴りつけることはなかったよ。


 大人の対応を見てる。


 シアン・ヴァティは、模範的な行動をしているような気がする。いや、そうだ。彼女は正しい。この哀れな小僧を殺すことなど、大きな間違いだ。アレキノは、とても間違った行いの被害者であり、保護すべき対象。


 悪人どもに利用された、哀れな命だ。


 オレは……呼吸を、整える。体のなかが熱い。内臓が燃えているようだ。そのせいなのか、肺に吸い込むワイン倉庫のカビ臭い空気は、とても冷たく感じた。ニコロが、あの悪い左脚をゆっくりと曲げて、アレキノのそばにしゃがむ。


「さあ、アレキノさま?……クマですよ」


 ニコロはアレキノが放り捨てていった、耳が噛み千切られたクマの人形を手渡してやる。アレキノは、シアンの腰から離れて、ニコロのくれたクマの人形に噛みついた。アレで、オレが与えた恐怖は緩和されたのだろうか……?


「……すまんな、アレキノ。君を、脅かしてしまって」


 アレキノは気づかない。クマの人形に噛みついたままだった。オレの謝罪は伝わらなかったようだな。アレキノは、オレに興味が無いようだ。少なくとも、今は恐怖に歪んだ表情はしていない。


「……長よ。気にするなとは言わないが」


「……ありえんさ。キュレネイは、オレを裏切ることなどない」


「……同意する。しかし……」


「……ああ。分かってる。『オル・ゴースト』は、キュレネイにも何か、邪悪な呪術を刻んでいるかもしれん……ニコロ」


「は、はい!」


「……『ゴースト・アヴェンジャー』を、『オル・ゴースト』の残党どもは、操ることが出来るのか?……キュレネイの忠誠心は絶対的だ。彼女の意志で、オレを裏切ることなどありえない」


「……『オル・ゴースト』は、呪術や洗脳の使い手です。可能性は、拭い切れません。そして。これもソルジェさまにお伝えしておかなければなりません」


「……なんだ?少しは、冷静になっているから、問題はないぞ。シアンもいる。オレが愚かな行動に出ようとしても、君もアレキノも絶対に彼女は守る。教えてくれ」


「はい。ソルジェさま……アレキノさまの『予言』は、外れたことがありません」


「……そうか」


「はい。その、キュレネイさまという『ゴースト・アヴェンジャー』を側に置いておくことは、危険です」


「おい。予言を、回避した事例はあるのか?」


 オレに代わってシアンが発言する。ニコロは、ゆっくりとうなずいた。だが、笑顔では無かったよ。


「……『予言』に現れた『ゴースト・アヴェンジャー』を、殺害する。それで、『予言』は回避されます。アレキノさまの『予言』を回避するのは、そうするしかない。『ゴースト・アヴェンジャー』は最高の暗殺者。殺意がある限り、殺される危険があります」


「殺すことで、その殺意も止まる、か」


「ええ。そうです、シアンさま……もちろん。私どもが調べただけ。他の手段も存在している可能性もありますが……」


「……コイツは、間違いを言わないんだな」


「は、はい。ソルジェさま。アレキノさまの『予言』は、外れません」


「オレは、キュレネイ・ザトーに、『ゴースト・アヴェンジャー』の戦鎌で斬られる運命にあるというわけか」


「はい。おそらくは、そうなるかと」


「……いつだ?アレキノ?……いつ、どんな状況で、オレは彼女に斬られる?」


「……しらない」


 クマの人形に噛みつきながら、アレキノはそう言った。


「知らないだと?」


「……アレキノさまは、『予言』を行うとき、無意識のことが多いようです」


「完璧な予言者ではないということか」


「はい。後天的に、呪術で仕組まれただけの能力……こちらの願いのままに、全てを読み解いて下さるわけでもありません。依頼するどころか、日常的な会話にも困るのが、現実なのです」


 アレキノを『使う』には、苦労が多そうだな。忍耐と時間を費やすことで、『予言』を得ることが出来るわけか。コイツの世話を年中するのは、かなり苦労がいりそうだ。


「……そうか。気になることは多い。自分の命もかかっていることだしな。そして、そんなことよりも、キュレネイ・ザトーが裏切る?……あまりにも気になることだ。何かが起こらなければ、彼女はそうならない」


「……『ゴースト・アヴェンジャー』と、親しくなられているのですね」


「オレの猟兵だ。疑うことはない」


「……私は、同意することは出来ませんが。そう、祈ることは出来ます」


「十分だ。君は、キュレネイを知らないのだしな」


「……大変なショックをお受けだと思います。ですが、ソルジェ・ストラウスさま。今はヴェリイさまを救うべき時です。彼女は、『首狩りのヨシュア』に連れ去られている。ソルジェさまの推理も、アレキノさまの『予言』も一致しています」


「ああ。そうだな。今は、キュレネイのことよりも、ヴェリイだ。彼女は、殺されそうになっているんだな、アレキノ?」


「……うん。あと、にじかんご……かまで、くびをきりおとされる」


 そろえた指で、アレキノはクマの首をベシベシと何度も叩いていた。クマの首が激しく揺さぶられて、中身の綿が少しだけ飛び散っていく。


 ……この心を壊された『予言者』殿を、オレは複雑な心境で見ている。彼を疑うような気持ちもあるし、実際に、オレたちとヴェリイ・リオーネを出会わせたとすれば、彼の能力を疑う気もない。


 信じるべきだと理性は告げて、拒絶したがる感情が、獣みたいに頭のなかで暴れている。


 整理がつかない。オレは、まだ腹を立てている。オレとキュレネイの関係性を。オレたちの絆を、このおかしな小僧に否定されたような気がしているから。感情論だ。しかし、この怒りを否定することは出来んな。


 あの発言を受けて、怒らなければ……オレとキュレネイの絆への侮辱を受け入れるようなものだろう。


 オレは分かっている。


 この『オル・ゴースト』どもの哀れな犠牲者の能力は、おそらく信じるに値するものだということを。そして、キュレネイ・ザトーからは感情や記憶が抜け落ちていることもな。テッサ・ランドールは、キュレネイを認識していた。だが、キュレネイは知らなかった。


 キュレネイも、呪術なり洗脳なりの影響を受けたことがある……。


 アレキノほどは、露骨なダメージが現れてはいないが、大なり小なり似たような行為で、『ゴースト・アヴェンジャー』は作られているのかもしれない。オレたち武術を学んだ者の反応を無効化する、『無拍子の攻撃』。壊れた心のみが放てる特別な技巧だ。


 アレを生み出すために……キュレネイ・ザトーに、非道な行いを施していそうだな。具体的にどうすれば良いのか、見当もつかん。聞きたくもないし、想像もしたくもない。キュレネイの苦しみは……とんでもなく深いものに決まっているからだ。


 感情を奪い。


 記憶を奪い。


 命令に忠実なだけの道具にする。呪術と洗脳と、ときには霊鉄を体内に埋め込むことで?いや、そもそも……『灰色の血』として産まれたことさえも、『オル・ゴースト』の管理下の可能性もあるのか―――苛立たしいことだ。


 苛立たしいことだが……今は、そうだな。優先すべきことがある。


「……シアン」


「……ああ。準備しよう」


「ああ。ヴェリイさまの元に、向かって下さるのですね!!」


「……残念ながら、一仕事終えてからだ」


「え?」


「アレキノと一緒に、隠れていてくれ。敵の魔力が近づいて来ている」


「……ッ!!……『アルステイム』の、暗殺者たちですね……ッ!!」


「君とアレキノを連れて、ヤツらから逃げ切ることは不可能だ。ここで、対応する」


「……分かりました。どうか、ご武運を……ヴェリイさまが殺されるまで、2時間しかありません。『渇きの湖』までは、馬でも、1時間半は、かかります」


「もっと早くにたどり着くから、それは安心しろ」


「え?」


「……おい。そいつを連れて、さっさと隠れていろ。私たちの、邪魔を、したくないのならな」


「……分かりました。頼みます」

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