第三話 『辺境伯の城に、殲滅の使徒は来たりて』 その20


 『シュルガンの枯れ林』は、思い出深い土地になっていたよ。邪悪な伝説のモンスターを殺したし、運河の水で体とか、汚れた武器とか防具なんぞを洗っているあいだに、すっかりと打ち解けてしまっていたから。


 もしも、ここに酒場があったなら?


 オレたちはこの出来たての友情を深めるために、そして、もうすぐ訪れる別れにそなえて脳みそに思い出を刻みつけるためにも、ガンガン酒をあおったことだろう。戦友とはいい酒が呑める。最高の酔いに心と体を預けて、バカ騒ぎをしてみたいところだった。


 ……でも。現実は厳しいものでね。


 これほどに酒場を求めているというのに、オレたちのための酒場は、この立ち枯れた白い木々のあいだに存在することもなく、我々は記念のアルコールを口に含むことさえも出来ないのさ。


 無垢な少年たちのように、わずかな思い出を永遠に忘れないでいるためにはさ、欲深い大人の男は酒宴という怠惰なイベントで、この一日を飾りつける必要があるんだが。呑みたいね、この戦友たちと。


 だってよ?


 もうすぐサヨナラしちまうことになるんだからなあ……。


「……なあ」


「なんだい、ストラウス隊長?」


「『フェレン』には酒場とか、あるのかい?」


「いいや。禁欲的なイース教徒の村だからな……駅馬車の待合所では、酒が呑めるけど」


「……あんなところで呑む酒は、オレの理想とはちょっと違う。アレは、個人的に呑むときの酒で、君らと、この勝利を祝うための酒を呑む場所ではないな」


「そうですね。あそこは、そういう雰囲気がない!風情ってものがなく、事務的だ」


 酒好きだって雰囲気を大切にするんだよ。愛しているからね、ときに盲目的にアルコールだけを求めたい日だってあるが、勝利を祝うには相応しい場所ってのがある。


「……兵士の宿舎は、汗臭いしな」


「色気がなさ過ぎる」


「辺境伯の部屋とかなら、スゲーんだろうがよ」


「バカ。オレたちみたいなモンが、会わせてもらえるかよ?」


「そーだっつーの。こんな全身びしょ濡れで、浮浪児のガキみたいにボロボロだ」


「貴族サマには、会わせてもらえそうにねえな」


「きっと、あの執事が金貨をくれるんじゃないか?」


「そうだなあ……あの爺さん、オレたちが兵士を辞めるって言ったら、許してくれるだろうかな……?ストラウス隊長、どう思う?」


「……そうだな。言わない方がいい。オレたちには、馬があるんだからな。夜中にコッソリと全員で抜け出すのがいいだろう。追跡を防ぐために、馬を盗んで荒野に放ち……それぞれの目的地に向かって、バラバラに逃げるっていうのがベストさ」


「おお!……悪知恵が働くな、さすが、オレたちのストラウス隊長だ」


「悪をつけるな、スマートな知恵者じゃないか、オレはよ?」


「あはは!自分で言っているかぎり、そういう評価はもらえねえぜ、隊長さん」


「……まあな。分かっているよ。でも、オレは三枚目の要素が入っているほうがいいんじゃないか?」


「ああ!そっちのが、親しみやすいぜ。オレたちみたいなバカにはよ」


「でも……逃げちまうと仕官のハナシはナシになるか……辺境伯はともかく、アンタの下で戦ってみるのも、おもしろそーだったな」


「……そうかい?」


「ああ。アンタ、きっといい『隊長』になるよ。そうだな、いつか傭兵たちでも率いてみるといい。腕利きの傭兵たちをさ」


「……ああ。面白そうだよ」


 ―――時間が経つというのは、不思議なものだな。アーレス。オレは、お前が死んでから、ずっと荒れていたんだ。誰とも話すこともなく、ただひたすらに剣を振る日もあった。せっかく作った仲間にも、オレと同じように死線に飛び込むことを強いた。


 逃げ出すヤツも多かった。


 当然だ、誰もがガルーナの竜騎士のような強さを持っているわけじゃない。戦場でオレのようなムチャな復讐に走る男に、付き合うべきではないのだ。逃げなかったヤツらは、オレの隣で死んでいった。


 復讐の道に納得して死ぬ者もいたし、死にたくないと叫んで死ぬ者もいた。オレは後者を軟弱者と罵り、誰よりも敵を殺し、誰よりも仲間を死なせていた。『死神』という不名誉な二つ名も授かったよ。オレは命を刈り取る存在。敵も、仲間も見境なく。


 孤独だったが……。


 それをさみしいとも思わなかった。


 異常な心理状態だ。


 お前のせいでもあるんだぜ、アーレスよ。オレに、孤高の素晴らしさを教えてくれたから、お前のそれとオレの孤独を誤認していた。お前のようになれるような気がしてな。そうだと間違えて考えていたから、何の苦しみもなかった。


 ただただ復讐のためを考えていた。


 炎になろうと考えた。


 敵を焼き滅ぼすんだ、自分と仲間の命を燃料にして。そうして、ファリス帝国の兵士どもを殺しているうちに、自分にもいつか死が訪れるてくれるとでも思っていた。そうなれば、一族とお前の元にも行けるのだと……疲れていたのさ。オレは、ダメな時間を過ごした。


 ガルフ・コルテスという自由な男と出会い、オレはちょっと目が覚めていた。最初はガルフとも敵同士だったというのにな。気安く声をかけてきて、オレを拾い上げてくれた。敵同士だったが、手を組んで仕事をする道を選んでいたよ。


 何故かね?


 同じ年寄り野郎だからかもしれない。ガルフは、アーレスよ、お前に少しだけ似ているところがあったんだよ。だから、オレは自分がガルフから奪ってしまった『パンジャール猟兵団』の団員になっちまった。


 ……まったく。自由な男だな?ガルフ・コルテスの『パンジャール猟兵団』は、帝国側に雇われて、オレの敵だったというのに……戦が終わって、オレとガルフしか生きていなかった、あの戦場で……オレたちは手を組めたのさ。


 それから、オレは変わったんだよ。色々な戦いと、さまざまな冒険があり。ガルフ・コルテスから酒とか人生を学んで行けたから。


 そして。


 猟兵たちが集まってくれた。皆と仲間になり、『家族』となった。リエルとロロカ先生とカミラはヨメで、ミアはオレの二番目の妹になったよ。


 ……アーレス。


 大陸を彷徨った果てに、オレはいい傭兵団を作れたぜ?最高の傭兵団、『パンジャール猟兵団』をな。今のオレは、かつてみたいに仲間の命を軽んじることもないだろうし、少々、小賢しい悪知恵を身につけている。


 ……オレは、お前に近づけている気がするぜ、我が翼、アーレスよ。


「どうしたでありますか、しんみりして?」


 水に濡れた黒髪をタオルで拭きながら、オレのキュレネイ・ザトーがやって来る。変装魔術はまだ解けていない。いい子だよ、不慣れなヤツは、水につかると術が解けてしまうこともあるのさ。


 キュレネイは有能。さすが、オレの『家族』―――今は、妹ちゃんか。


「……『家族』のことを思っていたのさ」


「そうでありますか」


「そうだ。昔の家族も、今の家族もな……なあ、キュレネイ」


「なんでありますか?」


「オレは、いい指揮官になれそうだって、コイツらに言われちまったんだがよ、お前はどう思う?」


「お兄さまは、私にとっていい指揮官であります。三年前の、あの日から。ずっと」


「……そうか。それなら、良かったよ」


 ……オレは、死神ではなくなっていたようだ。相変わらず、敵には残酷だがね。それでも騎士道を貫けてはいる。猟兵たちが、オレをいい竜騎士に育ててくれたのさ。守るべきものをくれて、守るための力となってくれている。


 ……ちょっとだけ、やさしくなれてもいるんだよ。


「……さてと。隊長さんの最後の仕事をするとしますかね」


「ん。なんだい、ストラウス隊長?」


「ああ。『カトブレパス』の首を、『フェレン』に向けて運ぶんだ!」


「まあ、それもあるが……そいつの前に、仲間を弔ってやるぞ」


「……そうだな」


「このまま、野ざらしにしておくわけには、いかないか」


「……連中と親しい者たちは?」


「いなかったはずですよ。少なくとも、こあいつらは、ずっと南から来ていたから……」


「家族と、連絡をつけることは出来ないのか」


「……身内とは、連絡をしていなかったみたいだった」


「……責任を押し付けられただけとは言え、敵前逃亡の罪に処された身か。家族にも故郷にも、名誉を回復するまでは、戻れないと考えていたかもしれん……家族にも、どこにいるかを教えていない可能性もある」


「……そ、そう考えると、とても孤独な終わりですね……だん……ストラウスさん」


 ジャンは眉を歪めた、さみしげな顔を、荒野の空に広がる青へと向けていた。あのブラウンの瞳は、圧倒的な青に呑み込まれてしまいそうな、薄くて白い雲を追いかけているようだった。


「……弔ってやろう。ヤツらは望みの通り、帝国軍の兵士に戻れたし……名誉を求めて死んでしまった。いい若者たちだよ。主命に従い、魔物と戦い戦死したのだからな。穴を掘り、彼らを埋めよう」


「この『シュルガン枯れ林』でいいのか?」


「『フェレン』村で共同墓地に入れるよりも、『カトブレパス』を倒した英雄として、この地に眠ることの方が、戦士としての名誉だろう。それに、戦友であるオレたちの手で、弔ってやるべきだ」


「……そうだな」


「……オレたちは、『フェレン』を去る存在だ。あの執事はともかく、ロザングリードは逃亡の腹いせに、彼らの埋葬を許さないかもしれん」


「まあ、オレたちの命で賭けをやるような、狂人らしいしな。どんな陰険な報復をしてくるか、分かっものじゃない」


「そうだ。だからこそ、オレたちで弔うべきだ」


「了解だ!」


「ストラウス隊の、最後の仕事に相応しい」


「仲間たちを、弔ってやろうぜ?」


 ……かつてのオレなら、元・帝国兵である帝国人の若者の遺体を、どう扱ったのだろうか。放置して、去ったかも知れないな。


 だが、今のオレは、それを良しとすることはない。オレの憎しみは、翳ったわけではないだろう。オレの指は、セシルの骨の熱量を、まだ覚えているからな。それでも、あの不運な若者たちは、やはり哀れな者である。捨て置くべきではないと……。


 ……セシルがね、言っているような気がするのさ。


 あにさまは、やさしいヤツでもあるんだからね。オレは、セシルの声を、かつてより多く聞けるようになっている。


 あついよう、たすけて……それ以外の意味を持つ、セシル・ストラウスの声が聞こえているのさ。オレは、きっと、かつてよりも強くなっている。多くを識ることが出来る者のほうが、そうじゃないよりも、ずっと強いものさ。


 さあて。


 若造どもへの憎しみを捨てて、彼らのための穴を掘るとしようか!!

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