第三話 『辺境伯の城に、殲滅の使徒は来たりて』 その19


「うおおおおおおおおおおおおおお!!スゲーぜ、やったよ、ストラウス隊長!!」


「マジかよ、オレたち、あのクソバケモノに勝っちまった!!」


「しかも、無傷だぜ!!……ああ、坊主の馬は、残念だったがよ!?」


 戦士たちは喜んでいる。この勝利をね。だが、オレとジャンはそこまで喜びにひたれていない。あまりにも、『カトブレパス』の血から放たれる激臭が鼻をついているからだ。オレで、これだけ臭いと感じるのだから、『狼男』のジャンはどうなるのだろうか?


 ……想像を絶する苦しみだろうよ。


「お兄さま、ジャン。さっさと運河に飛び込むであります」


 キュレネイにそう言われたよ。ホント、それが一番だな。オレはアゴをしゃくって、ジャンを運河へと誘う。ジャンは馬の死体から脚を抜きながら、オレの馬について歩いた。


 運河の側にたどり着くと、オレは無言のまま馬から飛び降りて、運河のなかに飛び込んでいた。ジャンもとなりに着水する―――それだけじゃなく、ちょっと離れたところにオレの馬まで飛び込んできたのには驚いた。


 この馬も、返り血まみれになったことがイヤなのだろうな。それに、悪い予感もしているのかもしれない。『垂れ首の屍毒獣/カトブレパス』の血を、たんまり浴びちまうとはな。どんな悲惨な症状が後から体に発生するか、分かったものじゃない。


 あれは毒と呪いの固まりだったからな。


 運河の流水にもぐったまま、オレは犬かきする黒い馬の脚を見つめていた。頭を蹴られたら死んじゃうから、ちょっと離れたところまで潜ったまま進んで、それから浮上していたよ。


「ぷはあ……ああ、くそ……サイテーな臭いだったぜ」


「は、はい……本当に、そうですね」


 オレの隣りに浮かぶジャンの顔が、とんでもなく悲しいことがあったような男の表情を浮かべていた。


「……ほ、ほんと、ムチャクチャに臭かったですよね……ああ、鼻の穴が、火傷したような気持ちですよ」


「ああ……この運河が、田舎村の下流で良かったな。比較的、キレイな水が流れてて、ヤツの激臭を掻き消してくれそうだ……一日中、風呂に入りたい。ザクロアの温泉につかりたいところだ……」


 この辺りに、温泉とかないだろうか?……髪の毛のあいだに、毒が詰まってそうな気持ちになって辛い。


「……ストラウス隊長?」


「……あー、どうした?」


 運河の上から、戦士たちがこちらを見下ろしている。


「オレたちも、水浴びした方がいいっすかね?」


「そうした方がいい。ヤツの毒は強烈だ。どんな後遺症が出るか分からんぞ」


「ええ!?脅さないでくださいよ!?」


「……脅すつもりはないよ。アイツは、サイアクの毒を帯びたモンスターだ。正直、あの毒霧を浴びちまった部分が、どんなに焼けただれてしまうか、分かったもんじゃない。もしかしたら、腐って落ちちまうかもしれん」


「こ、こえええええええええええええええええええええええええええッッ!!」


「お、オレも水浴びするううううううううううううううううううううッッ!!」


「て、ていうか、全員だ!!ストラウス隊長に、続けえええええええッッ!!」


 戦士たちは、どんどん水に飛び込んできた。静寂なる水の流れが、あわただしさに壊れて行く。まあ、皆、必死だということ。装備品も含めて、全てを流水で洗浄したいところだったな……。


「ふむ。私も水に入るであります」


「……キュレネイ?どこに行くんだ?」


「上流に行くであります」


「お嬢ちゃんも、一緒に入ろうぜええええええええええええええええええッッッ!!!」


 命知らずのセクハラ野郎が叫んでいた。


「おじさんたちが、君のこと、キレイになるまで、いっぱい洗ってやるぜッッッ!!!」


 命知らずのセクハラ野郎2号が叫んでいたよ。


「ほんと、やさしくして、とっても気持ち良くしてやるから、おいでってッッッ!!!」


 ……いかん。セクハラ野郎が増えすぎている。そうか、コイツら辺境伯の執事に、荒野で特訓されていたから、女に飢えているのか……ッ。


「残念でありますが、私はお兄さま専用の女なのであります」


「……え?」


「……な、なにそれ、え?」


「……近親相姦……っ?」


 間違った認識が生まれようとしている。キュレネイは、オレをどんなスケベ野郎にしたいというのだろう。いかんのだぞ、近親相姦うんぬんは?


 ……いろんな王国の王子とその妹が、ちょいちょいしでかしていたりするが―――ガチに千里を離れた街にも伝わる不名誉でな。『自由同盟』側に伝わったら、オレ、ミアに手を出した鬼畜野郎って言われそうだッ!!


 自己弁護だ。


 己の名誉を守るんだ!!


「お、お兄ちゃんは、君に、せ、性的なこととかしない……いいお兄ちゃんです!!」


 不器用なオレの、ストレートな自己弁護であった。真実しか無いんだ。でも、どうだろうか、周りの戦士たちを説得出来たような気がしないな。


「そうでありますね。あの日のことは、無かったことになっているでありますからな」


「無かったことになったとか言うんじゃない!!」


 キュレネイは面白がっている。


 無表情のままだけど、きっと面白がっているよ。


「だ、団長……嘘、ですよね?」


 ジャンが真剣な顔で訊いてきているから、その時点でショックだよ。五割以上、疑っているヤツの顔してんじゃないっつーの!?


「キュレネイちゃんの、初めての男は……隊長なのか……」


「そこ!変なことを言うな!!」


「キュレネイちゃん……ダメだよ!!そんな歪な恋愛していたら!!」


「そうだよ!!おじさんたちが、ちゃんとした男女の営みを、教えてあげるよ!!」


「そうそう!!お兄さんとするなんて、ダメだよ!!おじさんたとちしちゃおう!!」


 セクハラ野郎どもが増えていく。勘のいいジャンが、震えながら犬かきを始める。だが、恐怖のせいだろう。手足がぎこちなく、まるで溺れているようだった。毒の恐怖を知らないオレの黒い馬がくずれた運河のふちを這い上がっていく。


 それを見た後で、セクハラの言葉を散々、叫びまくっている戦士たちのことをキュレネイ・ザトーは見つめていた。


「消毒してやるであります」


 その一言を聞いたあとで、我々はキュレネイ・ザトーの発生させた『雷』に全身を焼かれていたよ。水は、『雷』を通すみたいなんだよね。オレたち全員、強力な電流を浴びてしまっていた。


 無差別な攻撃だ。少なくとも、オレとジャンに関しては、キュレネイに対してセクハラ発言はしていないというのに……。


 電流を全身に浴びながらも、体に付着している『カトブレパス』の毒が、その『雷』に焼き払われて消毒になるかもしれないとかは……ちょっとだけ思ったよ。


 戦士たちが虫の息になるほどの電流が終わり、ジャンは、なんで、ぼくまで……と協調性に欠けるものの、実に正しい文句を口にしながら、運河の流れに従って南へと流れていくよ。


「団長。その汚物どもを、私の水浴びに近寄らせないようにするであります」


「……あ、ああ。そうする。お前も、しっかりと体を洗えよ?」


「イエス。嫁入り前のボディーなので、穢れるワケにはいきませぬ」


「……そうだね」


 キュレネイ・ザトーは北へと向かう。オレは、失神したまま南へと流れていく戦士たちを追いかけながら、一人一人を岸に連れて行ってやる。下手すれば、コイツら全員が死んでいたところだな。


 しばらくすると、ジャンも精神的なショックから立ち直ったようで、オレの作業を手伝ってくれる。冷静さを取り戻したジャンの犬かきは、本当に強靭だった。ジャンのベルトに捕まったまま、戦士たちは岸へと救助されて行くのであった。


 ちょっと死にかけたけど。


 いい風に解釈すれば、体にまとわりついていた毒を帯びた『カトブレパス』の血は、キュレネイの『雷』で焼き払われるんじゃないかな?茹でたり、焼いたりすると毒って消えるもんだからね。あの『雷』でも、オレたちの体の表面からは毒が消え去ったのかも。


 なんだか、救助活動でかなり疲れちまったな……。


 その後、オレは『竜鱗の鎧』を脱いで、運河の水でよく洗っていた。目を覚ました戦士たちも、同じく装備を洗っていったよ。自前の武器だけね。ヤツらの赤い兵士の服は、そこまで手入れするつもりは無いらしい。


 このまま、『フェレン』に戻り、あの『カトブレパス』の首を金貨に変えたら、コイツらは、『ヴァルガロフ』に行くらしい。


「女、買いまくってやるんだ」


「ハハハ。スケベ野郎め」


「ストラウス隊長は、キュレネイちゃんがいるからいいけど」


「オレと彼女は、そんな関係じゃないよ」


「分かってるって。誰にも言わない。オレたちだけの秘密だもんね」


 ……まったく分かってもらえていないようだな。まあ、いいや。こういうのは必死になればなるほど、深みハマっちまうタイプの罠だからね。軽く流すのが、いいことさ。


「……でも。金で買えない女がいいな。キュレネイちゃんみたいな、美少女としたい」


「……オレの前で、何てコト言うんだよ?」


「ストラウス隊長には、オレの気持ち分からんのだ!!オレは……皆がいるから、プライドが保っているけれど……皆がいなければ……っ」


「彼女に手を出すつもりか?彼女は、お前らが20人いても、力尽くでテゴメにすることなんて出来んぞ?」


「そんな乱暴なコトはしないっすよ。ただ……」


「ただ?」


「……キュレネイちゃんが上流で体を洗っている、この運河の水を……ちょっと飲みたいって思っているだけっすよ」


 ……性癖というものは恐ろしいものだな。キュレネイ・ザトーの、あの美しく穢れを知らない乙女の肌を伝って流れて来た水を……飲みたいだと?うら若き美少女の肌を、あの小さいが形のいい胸とかを伝って来たこの水を、口に含むだと?


 ……恐ろしいことに、誰もが少しだけ、この変態野郎の気持ちを察していたのかもしれん。ヤツを変態と罵ることが、どうしてか誰も出来なかったのだ。そのことを、オレは少しだけ悲しいと思った。


 美少女に、どこまでも弱い。それが、人類の半分を構成する男っていう生き物で、その一員だということが、なんだか泣けてくるんだよね。でも。そんなバカでアホで情けない性別に生まれたことが、実は楽しくもある。


「……まあ。とりあえず、やめとけ。生水なんてものは、飲むもんじゃないから」


「そ、そうですよ?……そんなことしたら、お腹壊しちゃいますよ?」


「でも、死ぬほどじゃないだろ?……キュレネイちゃんの体に触れた水を、飲むコトなんて、オレには一生無いし……」


「分かった。もうこれ以上、君は変態性を口にするべきじゃない。『背徳城』に行くがいい。あそこには気のいい美女も多いぜ」


「で、でも、あそこは高級な売春宿だ…………そ、そうか!!オレには、金貨があるんだよな!!元・帝国兵は死んじまったから、あの二人分はいらないとして、オレたちは11人……20を11人で割れば、金貨二枚ちかくはある!!買える!!」


 ……命を賭けて、得た報酬が、たった一晩で消えちまう。悲しい使い方だが、それも選択肢のうちだろう。こういうバカが世の中にはたくさんいるから、『背徳城』は栄えて、テッサ・ランドールの懐を温かくしているのだろう。


 まあ。しょうがない。男ってのはスケベに生まれてしまった、悲しい定めの生き物なのだからな。我々は、そのまま親睦を深めるように、金貨の使い道を語っていったよ。酒、メシ、借金を返す、分かれたヨメへの慰謝料……色々な使い道に、人生を垣間見た。


 なんだか、すっかりと打ち解けてしまっていたよ。オレが、ダン・ストラウスという偽りの名前を使っていることが、まるで彼らの信頼を裏切っているかのようで、居心地が良いものではなかった。


 男は、アホな部分を晒し合うと、すぐに仲良くなる。いいことのような、マヌケなような習性だったよ。このチームは、もうすぐ解散。『フェレン』に戻って、金貨をもらう。その後は、好きなトコロに旅立つのさ。


 辺境伯の変な遊びに付き合わされてしまった。オレたちの他に、こんな遊びで殺されている兵士がいるのかもしれない。消されかねない事情を知ったからには、『フェレン』に長居は出来ないだろう。


 名も無き戦士たちなら、『ヴァルガロフ』に隠れて、金貨が消えてなくなっちまうまで遊び呆けて……ほとぼりが冷めたら、また新たに金を求めて、ろくでもない仕事を請けるのだろう。悲しいもんだね、流れ者の戦士というものは。


 ……なんだか、『パンジャール猟兵団』の全員に会いたい。オレの『家族』たちにな。

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