第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その39


 ヴェリイ・リオーネに連れられて、オレたちは『ヴァルガルフ』の街中を歩いて行く。古くて灰色をしている街は、ホコリっぽい。風に削られた荒野の砂が、降り積もるんだろうな。


 路上で眠っている者もいる。昼間からけだるそうに酒をあおる者、摂取した薬物により幻覚を見ながらふらついている者もいる。自由?……オレはそれを求めて生きている気がするけれど、ここにいる連中には憧れを抱くことは不可能だったね。


 『昼猫亭』が楽園のように思える。この殺伐とした空間に、ミアを連れて来なくて本当に良かった。ミアの教育に悪い土地だぜ。昼までこの惨状だからな。夜になれば……ある意味では、マシになることを、大人のオレは知っている。


 悪人どもが夜中動く理由は、色々あるんだが。


 闇の中に、己の醜さを隠せるというのもあるわけだ。


 太陽の下で、この背徳の都の現実を見れば、腐りきっていることがよく分かる。大きな間違いを、数え切れないほど犯してきた、もうどうにもならない不道徳な街。滅びるまで、おそらく狂ったままさ。


 あまりにも痛々しい、その現実がね。夜の闇のなかでは、薄くなる。無かったことに出来るのさ。醜い失敗を。闇のなかに現実の惨状を隠して、酒を呑み、女を抱き、薬物で狂う……そして、朝が来て、太陽の下で自己嫌悪の果てに絶望する。


 そんな不毛なことを繰り返していると、いつのまにやら、こんな灰色の世界になっちまうんだな。


「……ゴミ箱の中にいるような顔しているわ」


「言い得て妙だが、その言葉では生易しいかもしれないよ。オレの知っているゴミ箱の中は、もっとマシだからな。君たち現地のヒトには悪いけれど、この街はどうにかした方がいいぜ?」


 ヴェリイ・リオーネは苦笑した。


「そうね。ここはサイテーな場所よ」


「……ああ。以前は夜中に来たから、もっとマシに見えたがな」


「昼来る場所じゃないわ、『ヴァルガロフ』はね。夜にだけ、訪れて欲しい街よ。女もあふれるように湧いて出てくるでしょ?」


「路上でもしてくれる安い売春婦とかな……」


「……ソルジェよ?」


「……買ってません。かつてのオレたちは、『密造酒』だけを求めていましたから!」


「はあ。ガルフ老との、あのマヌケな旅ですか?……私にミアを預けて、どこに行っていたのかと思っていたら……情けないハナシです」


「……社会勉強にはなったぜ?悪徳は、ろくなもんじゃねえってな!……それに、最高のお土産も持って帰っただろうが?」


「てれるであります」


 まったくの無表情のまま、オレがかつての『ヴァルガロフ』旅行で手に入れた女子が発言していたよ。


「……『ヴァルガロフ』の道ばたで、この子を買ったの?」


「なんて人聞きの悪いコトを言うんだ?……オレは、『ヴァルガロフ』から戻る途中の国境近くで、彼女を拾ったのさ……」


「落っこちていたの?」


「はい。落っこちて、空腹で、泥だらけで、血だらけで。死んでしまう半日前といったところで、団長に回収されたであります」


「へー。人道的なヒトね。若い女が好みなの?ロリコン?」


「熟女好きってことはないよ」


「……ねえ、ソルジェくんに、エッチなことされた?」


「人聞きの悪いコトを言い出すなよ……」


「いや。こんなかわいい子よ?瞳の色は赤くて変だけど、髪は水色でサラサラで……高く売れる子よ?」


 ヴェリイは、うちのキュレネイ・ザトーをジロジロと見つめている。まあ、キュレネイは確かに美少女さんだからな。無表情で愛想はないが、肌はキレイだし、顔の作りはいい。貧乳だが、それはそれでウケることもあるだろう。


「むが」


 変な声だな。まあ、いきなり往来を歩きながら口を開けられたら、そんな声も出るだろう。なんだ、虫歯の数を調べているのか?……よく分からんが、ガチの女体鑑定っぽい。


「うん!健康そのもの!金貨で、15枚はいけるわね」


「おい、うちの猟兵を値踏みするなよ」


「褒められたであります」


「そうだけど、喜ぶんじゃない!お前には無限の価値があると知れ。一億枚の金貨を積まれても、うちの子だからな!!」


「了解です」


「……いいヒトね、ソルジェくん。そういうセリフは、『ヴァルガロフ』で生まれたような子の心に、響いちゃうわよね?」


「トップシークレットであります」


「……もう、かわいい!!」


 ケットシーの女マフィアが、うちのキュレネイ・ザトーを抱きしめる。美女と美少女か。なかなか絵になるな。微笑ましい感じもする。


「ああ。もう、肌もすべすべ!!おっぱいは、全然だけどねえ?」


「道ばたで、胸をもんだりするでない!!」


 セクハラから猟兵女子の身を守るパンジャール倫理員会。その委員長であるリエルが、ヴェリイの指に胸をもまれるがままになっていたキュレネイを救出する。痴女ケットシーを、キュレネイから引き剥がしていたよ。


「……あーん。女同士に許された、ちょっとしたコミュニケーションなのにい?」


「キュレネイ、不届き者は殴ってもいいのだぞ?」


「イエス。次は、殺します」


 無表情のまま、そんなことを言われると、オレたち皆どうしていいやら迷っちまう。


「……そ、そこまでは厳しすぎるかもしれぬな!?……ほら、キュレネイが変なコトを覚えるから、不埒な真似はするでないぞ、ヴェリイ?」


「うん。わかった。やめとく。キュレネイちゃんは、やっていいことと、やっちゃいけないことの区別が、イマイチついてないタイプの子なのね?」


「イエス。育ちが悪いもので」


「……そうねえ。『ヴァルガロフ』っ子は、みんな変だものね。で。キュレネイちゃん。ソルジェくんに拾われたあと、エッチなコトされた?時効だから言っちゃいなさい?」


「3年で時効とは、刑法を舐めていますな」


「あら。巨人さん?『ヴァルガロフ』じゃ、そんなものよ?性犯罪なんて、泣き寝入り確実なのよ……ダメな土地よね」


 頭が痛くなるよ。倫理観が狂ってそう。ここは戦場並みにおかしい価値観に支配されている街だ。


「……それで、結局、エッチなコトされた?」


「団長は、やさしかったであります」


「語弊を招く言葉を使うなよ!!」


「ふむ。具体的に、何があったのだ?」


 委員長エルフさんが興味を持ってしまったな。ええい。誤解されるぐらいなら、自白しておこう。


「……泥だらけで、血だらけで、いろいろとグチャグチャだったから、川に投げ込んで、服を脱がして、洗ってやったんだよ。キュレネイには悪いが、餓死寸前レベルに痩せていたから、男だと思ってたのさ」


「へー。じゃあ、全裸に剥いた後で、体を洗ってあげたの?……性犯罪者だわ、リエルちゃん、旦那サマの過去の罪が露見したわよ!」


「そ、そんなの、罪ではないだろう。不可抗力だ」


「イエス。団長は、やさしかったであります」


「……このハナシ、もうやめねえか?」


「あらあら。やましいことがあるのかしら?」


「ないさ。というか、なんで嬉しそうな顔をするんだ?」


 満面の笑みかよ。悪趣味がすぎるぜ、ヴェリイ・リオーネさんよ。


「ややこしい男女関係が好きだからかしらね?」


「言い切るなよ?ろくなこと言ってないんだからな」


「えへへ。育ちが悪いからかしらね。なんていうか、自前の恋愛では、そういうのってイヤだけど、他人事のもつれてややこしいことになった恋愛関係を観察するのは、とても楽しいわ!」


 性格に問題がある女だな。美女なのに……『ヴァルガルフ』の顔のいい女は、変わり者ばかりかよ。


「―――ヴェリイ・リオーネ。宿屋の看板があります。あれですか、『ホテル・ワイルドキャット』……ずいぶん、品がない名前ですな」


 語感からは、やすらげる響きを全く感じないよね。


 その『ホテル・ワイルドキャット』からは、黒い猫の影をあしらった鉄細工の看板が、ちょこんと垂れ下がっていた。可愛らしい看板だな。外観も素晴らしいよ。古いが、立派な付け柱が玄関先にあるね。豪華さを感じる石の柱だった。


 装飾用のためだけの白い石柱のあいだには、黒い木のドアがある。名前の割りに、宿泊料金を高く取られそうだから……貧乏が染みついたオレたちは、普段なら素通りしてしまう宿屋だよなあ……。


「そう?まあ、名前の下品さは、『ヴァルガロフ・クオリティ』ってヤツかしらね?この街は、なんだって基本的に下品よ?それに……宿屋は、宿泊するだけの施設じゃないもんねえ!」


「はい。ゴハンを食べるところでもあります」


「……そうだけど。なんか、私、自分がヨゴレに見えてくるなあ」


 実際、そこそこヨゴレだよ。そう心に浮かんだとしても、口には出さないよ。オレは紳士だからね。騎士道ってのは、女性に甘いもんさ。


「まあ、ネーミング・センスはともかく。いい宿よ。『アルステイム』の正式メンバーの口添えがないと、宿泊できません」


「おい、マフィアの直営宿屋ってことか?」


「それは、問題があるのではないか?……お前は、『アルステイム』の上層部からすると……ここでいいのか?」


 口を濁すしかない。ケットシー族の多いこの街路で、四大マフィアに対して、一種の反乱を企てている女がいるとは、とても言えるものではないさ。リエルの懸念を含んだ言葉を聞いても、ヴェリイは涼しい顔のままだった。


「ええ。ここは、『アルステイム』の客人を泊めるための高級なホテル。地味で全く目立たない裏口もあるわ。そこからなら、秘密裏に出られる。路地裏も、アナタたちなら危険はないでしょう?」


「……リエルは、部屋のなかを気にしている。盗み聞きや、のぞき見される危険性は?」


「正直、ゼロじゃないわ。でも、他の宿屋よりは、はるかにマシよ」


「イエス。金を払った店ほど、秘密は守られるであります」


「……それが『ヴァルガロフ』の流儀か」


「野宿させるわけにはいかないわ。まあ、ここも私の客人ということにすれば、タダになるわ。料理も食べ放題。好きに使っていいのよ」


「マフィアってのは、気前がいいんだな」


「ええ、そうやって取り込むのが手口なのよ。入りたくなっちゃった?」


「いいや、残念ながら、人生に大きな目標があるからね。マフィアなんぞになってるヒマは一秒だって無いよ」


「……そうね。アナタたちは……世界を変えようっていう人たちだものね」


「ああ。なかなかやり甲斐のある仕事だ。いつか、時期が来たら、スカウトするよ、君のことをね」


「……いつか、自由になれたら、そういう選択するのも、楽しいかもしれないわね」


 望んだ未来が、実現しそうにないような顔をしていたな。マフィアの女は長い脚で歩き、そのホテルの玄関にあるドアをノックする。金属がスライドする音が聞こえた。ドアの覗き穴が開いて、中の従業員が、ヴェリイのことを確認する。


「客よ。赤毛の人間族、エルフの少女、巨人族の男、『灰色の血』の娘」


 ヴェリイもなかなかの実力者なのだろうな。ドアの中で、従業員が慌ただしく動いて、施錠の多いドアを開くのに手間取っている。ヴェリイ・リオーネは、オレたちを振り返る。


「じゃあね。また、情報が集まったら、連絡して。私は本部に戻るわ」


「ああ。気をつけろ。君と、君の『ボス』によろしくな」


「……ええ。お互いの目的のために、努力しましょうね、ソルジェくん」

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