第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その36
『昼猫亭』は落ち着いた感じの店だった。室内は小綺麗で、赤茶色いオーク材の床だ。壁は腰の高さまでが、落ち着きのある黒い色。それより上は白かった。天井を支えるように伸びる柱は黒くて、まるでピアノの鍵盤みたいだよ。
「……うむ。かわいらしい造りである」
「でしょう?」
「羊の脂の香りがします。群れでいるようですね」
女子たちは楽しそうで何より。オレとガンダラは、喜んでいる彼女たちの背中を追いかけるようにして店内を歩く。女子向けの店に入ったときの、男の居心地の悪さってあるよね。ガンダラはあまり気にしないらしい。
「いい店ですね。淫婦が踊る余地などない上品さがありますよ」
「淫婦とか言うなよ?まるで、悪口だぜ」
セクシーで肌色の多い服装をチョイスしている女なんて、男からしたら聖女みたいな存在だというのにな……。
「ああ、団長は性欲と食欲の境目を理解していないような営業方針をした食堂のほうが、お好みでしたかね?」
「……オレは食にはこだわる派だよ?お昼ご飯は、マジメに食べたい。羊のやわらかい肉を歯で味わいたいね」
「そうですか」
「ガンダラは羊肉好きか?」
「そこそこですね」
「……そこまで食に対して情熱がないよな、君は」
「ええ。オットーほどではないでしょうがね」
「オレから言わせれば、どちらもいい勝負に見える。もっと、『味』について探求しようぜ……?」
「……そうですな。この土地の食材を分析することで、学べることもある。戦略的な有利を獲得するかもしれません」
「ビネガーの価格で、敵軍の毛色を推し量った男だということを、忘れていたよ」
「男たち。こっちに来なさい」
「ん。ああ、行こうぜ、ガンダラ」
「了解です。団長、目的をお忘れなく」
「分かってる。彼女は『情報源』……タイミングを見計らって質問する」
「そうして下さい」
ガンダラと仲良くヒソヒソ話をしながら、女子たちが座るテーブルにオレたちも到着だ。ここの店主は、ケットシーの婆さんだったよ。客席を見渡せる厨房から、ヴェリイ・リオーネの姿を見つけると、愛想の良い声をかけてきた。
「ヴェリイ、お帰り。仕事は無事に済んだのかい?」
「ええ。叔母さん、無事に済んだわ」
「戦神サマに祈っていた甲斐があったようで、何より」
「……そうね。叔母さん、お店、貸し切りにしてもらってもいい?」
「いつもの歓迎会かい?……突然だねえ」
「ダメ?」
「それに見合うお金をもらえるのなら、かまわないよ」
「ありがとう!じゃあ、叔母さん、注文いいかしら?羊の白ワイン煮と……ていうか、いつものセット!5人前!」
「あいよ」
灰色の髪のケットシーは、ほがらかな声で短く答えて、厨房で年齢を感じさせないテキパキとした動きで作業を始める。
「……ふむ。『叔母さん』と言ったか?」
「そうよ、リエルちゃーん。マフィアのケットシーにも、親戚がいるのよん?」
「そうか。カタギの仕事をしている叔母に恵まれて、良かったな」
「ええ。ときどきは殺伐としていない、この空間に来て、ゴロゴロしながらワインを味わうのよ、日がな一日」
「ダメな女め」
「お子様には分からない、大人の女の苦しみがあるのよ?」
「若い乙女特有の苦しみもあるぞ。お前には、遠い昔の話かもしれぬがな」
「そ、そんなに遠い昔じゃありませんからね!?」
「そういうことにしておいてやる」
「……ちょっと、ソルジェくん!?君のヨメが、私のことをイジメるんだけど!?」
「ケンカするほど仲が良いって言うじゃないか?そうだよな、キュレネイ?」
「イエス。殴り合いの果てにかがやく友情もあるのであります」
「……いやよ、そんな熱っ苦しい友情っ!!」
何だかんだで女子どもは仲良くなっている。オレは仕事のハナシ……消えた難民たちの行方について知りたいところだけど、止めておこう。ケットシーの若い女の店員が、オレたちのテーブルに色々と運んで来てくれたから。
サラダに、薄くスライスしたポテトにチーズがたっぷりとかけられているグラタン……そして、羊肉とカブの白ワイン煮か。肉とカブがたっぷりで、ハーブの香りも素晴らしい。旅人の胃袋は、こういうボリュームと家庭的な雰囲気を併せ持つメニューを求めている。
「うむ。とても、いい香りだな。ハーブがたくさん使われている」
「でしょう?ワイン煮もいいけど、このポテトのグラタンもオススメ。取り皿によそってあげるわ、気の利く大人のレディーがね」
「ポテトを薄く切ってあるであります」
「そうすると、やわらかくて、とろける感じになるのよ。私、これが子供の頃から好きなのよね」
取り皿に分けられたそのグラタンが、オレの手元にも運ばれてくる。
「ありがとう、ヴェリイ」
「どういたしまして。さあ、どんどん食べなさい。『ヴァルガロフ』には、料理のマナーなんてないのよ?好きなものを、好きな順番に貪りなさい」
「ああ、とっても自由な食文化だ。その気軽さに乾杯したいな」
「ビールも頼む?」
「……午後からも仕事する予定だから、やめておくよ」
「そう。じゃあ、いただきましょう」
「羊を、食べるであります」
愉快で楽しい『ヴァルガロフ』の昼食が始まったよ。『昼猫亭』の羊は、ラム肉。若い羊さんのお肉だよ。その脂は少なめで、くさみはない。肉を愛するガルーナ人は、そう思わないが、羊の脂のにおいを気にするヤツもいるからね。
だから、脂の少ないラム肉はにおいが少ない。万人向けとも言えるし、初心者向けとも言えるかな。肉はやわらかいのが特徴だよね。歯ごたえのある固い肉も好きだが、煮込んだ仔羊肉のやわらかさもいい。
リエルはカブを美味しそうに食べているな。森のエルフ族は野菜好きだもんな。旬はやや終わりかけているが、よい味だったよ。料理は食材が決めるわけじゃない。料理人の技巧だな。
薄くスライスしたポテトのグラタンも良かった。濃厚なチーズが王冠みたいに乗っている部分も美味しいが、ポテト単独でもイケるな。
子供の舌がよろこびそうな味だ。セクシーなマフィアのレディーが、大人になっても好きな理由は分かる。美味いモンは美味い。シンプルな味ってのは、そいつの好みに合ったとき……一生モノの好物になっちまうのさ。
ああ、いいアイデアだ。ポテトを薄くしてグラタンにか。ガルーナ人の価値観のせいなのか、オレはどうにも具を大きくしてしまいがちなんだよな。細かく切るのが嫌いなわけじゃないんだがね。
今度、グラタンをつくるときは、薄く切ったポテトを使ってみよう。ミアを喜ばせてやりたいからね。
ホント、ヨソサマの食文化に触れると勉強になるよ。
……そして、社会勉強にもなるなあ。生産性の低い土地であるはずのゼロニア平野。そこに、これだけの食材が集まるということは、商人たちの流通網が優れているということでもある。『ゴルトン/翼の生えた車輪』どもの仕事は、有能らしい。
ヴァンガード運河も使っているだろうし、陸路も盛ん。この土地は、生産ではなく消費で経済を回しているタイプ……ガンダラにいつか読まされた本によると、そんなスタイルの経済ってわけだな。
モノを作ることは下手だが、モノを使うことは上手なのさ。ゼロニアの人々は……というよりも、『ヴァルガロフ』の人々が。
『ヴァルガロフ』の役割は『消費すること』。他の土地の役割は『生産すること』さ。ゼロニアの国内の経済は、そうして回る。そして、おそらく国外への『輸出』も盛んだ。量の割りに金に化ける、効率の良い商品……つまり、『麻薬』。
麻薬の輸出で儲けた金で、周辺諸国から、この料理に使われている、たくさんのスパイスを含めて、豊富な食材を輸入しているわけだ。『ヴァルガロフ』が、帝国人に破壊されない理由の一つにもなっていそうだよ。
『ヴァルガロフ』は、周辺の帝国領の『生産者たち』を守っている。『使いまくること』でね。その悪徳にまみれた金で、帝国人の農園から作物をたくさん買ってくれるのさ。ここが無くなれば……『ヴァルガロフ』周辺の農業生産者は買い手がいなくなる。
……腐敗が長らくつづいたせいで、『ヴァルガロフ』は周辺諸国の経済にまで大きな影響を与えているわけだな。根深い問題だ。この土地の腐敗を改善する方法は、多く存在してはいないだろう。
……くくく。だが、今はそれよりも、美味しい料理を楽しもう!
せっかく、ヴェリイ・リオーネが歓迎してくれているのだからね。彼女にとっては、オレたちは、恋人と流産した子の仇討ちに使いたい復讐の道具。だからこそ、ここまで親しげに歓迎してくれているのは分かる。
ヴェリイは、たしかに大人の女さ。計算高さを感じるよ。親族が経営する店に、オレたちを連れ込んだのも、一種の演出だろう。ヴェリイに親近感を持たせようとしているのさ。
色々と、オレたちの友情はうさんくさい。
こちらだって、彼女のことを利用しようとしているのだしね。予想していたけど、ビールが運ばれて来た。昼間から酒を呑むと、リエルに怒られそうなのだがね。この歓迎会の主催者であるヴェリイに勧められると、オレは断れない。
「乾杯しましょう、ソルジェくん。この、いい出会いに」
「……ああ。乾杯しよう。そして、誓っておくさ……いつか、君のために悪人を殺すよ」
「そうしてね?……美味しい料理をごちそうしてあげたのだから」
「オレたちのような、極めて怪しい旅人を、『アルステイム/長い舌の猫』の傘下ではないカタギの店に連れて来てくれた。ということは、君はオレたちのことを『アルステイム』に秘密にしたまま、利用したいってことかい?」
「あら。鋭いのね」
「まあね。あまり平和的な日々を送ってはいないのさ」
「……アナタたちのことを、黙っていてあげるわ。何か、四大マフィアに損失を与えるかもしれないコトを、計画しているんでしょう?」
「……そうとも言えないが、結果としては、そうなるかもね」
「……フフフ。最近、このゼロニアの地はおかしいの。おそらく、『裏側』で、大きな動きがあるのよ……私みたいな中堅には秘密にして、幹部連中は、何かを企んでいる。『ザットール』も『ゴルトン』も、おかしな動きがあるしね……」
「『ザットール』は麻薬の生産だったな。そこが生産量を増やした。『新たな買い手』がいるらしい。となれば、『ゴルトン』と組む理由があるな」
「ええ。生産者と運び屋は、手を組めるわ」
「……『新たな買い手』というのは、ゼロニアの『外』。ファリス帝国に、麻薬を流通させたいってトコロだろ」
「でしょうね。四大マフィアで最弱の『アルステイム』としては、このままでは立場が悪くなりそう。我々の稼ぎは元々、少ないからね。帝国深部に麻薬を売り始めれば?……帝国の議会も黙認できなくなる。辺境伯に圧力をかけるでしょう。マフィア対策をしろと」
「……なるほど。そうなれば、辺境伯が攻撃するのは『アルステイム』か」
「間違いなくね。『アルステイム』が辺境伯に渡せる賄賂は少ないもの。そして、帝国の経済に貢献する力もない。麻薬や奴隷の密貿易とは異なり、私たちみたいな泥棒稼業は社会とは独立した犯罪だもの」
「……君たちを叩きつぶせば、辺境伯ロザングリードは帝国議会に報告が出来るな。対策はしていると。つまり、君たちは『生け贄』にされるわけか」
「そう、『アルステイム』は、スケープゴートにされる運命にある。というか、ケットシー族ごと排除されるかもしれない。役立たずの『アルステイム』とケットシーを潰すことは、私たち以外の誰も傷つかない。とても合理的な生け贄ね。大のために、小を捨てる。いい政治的判断」
「君たちは、危機的状況にあるようだな」
「そうよ。そうなるのは、イヤだからね。色々と工作をしたいの」
「……なるほど。『アルステイム』の幹部たちは、乗る気じゃないわけか。つまり、自分たちだけは逃げる準備をしているか。君たち部下を裏切り、生け贄にすれば……自分たちだけは助かる。君たちが処刑台に送られている隙に逃げ出す算段か」
「他の土地にも、ケットシーの怪しげな地下組織はあるからね。そこは泥棒のフットワークの軽さよ……私たちは、切り捨てられるのはゴメンだわ」
「……君と組むと、派手なコトになりそうだよ」
「嫌いじゃないんでしょ、ソルジェ・ストラウス。私は、その名の意味を知っているわ。色々な国の戦場を、荒らし回っているわね……?今月、その名前を自己紹介に使った赤毛の人間族は、私と直接会った戦士だけでも4人目よ」
「……ひそかに、売れてきているんだな、オレの名前も」
「ええ。初めはアナタのことも、ニセモノだろうと思っていた。隙を見て、確かめようと、ずーっと観察していた」
「だから、隠しナイフを投げつけてみるつもりだったのか?」
「……バレてるっぽいから、やめておいたけどね。アナタは、ホンモノのソルジェ・ストラウスみたいだわ。黒い竜は、空にいないけれど」
「そうだよ。ソルジェ・ストラウスとその仲間たちさ。オレたちが『パンジャール猟兵団』だよ」
「……そっか。正直、かなり怖いけど……手を組みたいのよ」
「自分たちの生存のためにか」
「ええ。状況は、私たちに望ましくないように見えているからね。私たちが提供出来るのは、情報だけ。お金にはならないわ。でも……アナタがこの街で、何かを企んでいるとすれば、とても役に立てるはずよ。悪いハナシじゃないでしょう?」
「……そうだな。どうするガンダラ?」
「……反対はしません。リスクはありますが、彼女はいい情報源になりそうです。団長の判断にお任せしますよ」
「そうか。なら、乾杯しようぜ、ヴェリイ・リオーネ。新たなビジネス・パートナーの誕生を祝おうじゃないか」
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