第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その33
「……この馬車は『ヴァルガロフ』行きだぜ?間違っていないなら、乗りな」
「ああ。あってるよ。切符はコイツだ」
「分かった。たしかに、人数分……アルフレッドじいさんのサインが書いてある。『ヴァルガルフ』へ、ようこそ。お客人」
森のエルフの爺さんが売ってくれた切符を長い指で千切りながら、御者の細身の巨人族はそう語る。オレたちは駅馬車に乗る。そいつは二頭引きの大きな馬車だったよ。荒野の風に踊る砂に汚されて、遮られることのない陽光に焼かれた幌は黄ばんでいた。
うつくしくはないが、その分、車輪周りはよく手入れされているのが分かる。そして、この馬車の『底』には何か積み荷があるようだ。魔眼のおかげで分かる。大きな袋と、そのなかにある粉状の物質があるのさ……。
麻薬だろうな。
小麦粉を、そこまで隠しながら運ぶ必要はないものな。
さて、その駅馬車には先客がいる。若い女のケットシーの客が乗っていた。マフィアだろうかな。香水の強いかおりが漂ってくる。『アルステイム』のメンバーかな。赤毛のセクシーな盗賊だ。読書に夢中なフリをしているのさ。
そう、あくまでもフリだ。目を動かすことはないが、こちらを探っている。手癖の悪い女泥棒かもしれないな。でも、あえてその隣りに座ってみる。スリを働くなら、腕前を見たいしね。それに、5人で乗ると少々、狭くもあるからな。詰めるしかないのさ。
「……となり、いいかな?」
「ええ。ご自由に」
「クールな声だ」
返事はなかった。無視されたかな。同じ赤毛同士、仲良くやろうじゃないかとかいう言葉を用意していたが……彼女は読書も本気でしたいらしい。本のタイトルは、見えないな。こちらからでは背表紙だ。古い本らしい。教訓に満ちた物語が載っているのかね。
「乗ったな、客人たち。出発するぞ」
巨人族の男が、カランカランとベルを鳴らす。出発の合図だ。どこも似たようなことをするものだな。駅馬車が動き始める。
オレたちはしばらくのあいだ無言で過ごす。
リエルはオレの左側に座る。キュレネイとガンダラは反対側だ。赤毛のケットシーは、周囲を謎の達人たちに囲まれて、居心地が悪そうだ。彼女も素人ではない。鋼を持っている。腰の裏に大きめのダガー。あとは全身のあちこちに隠すようにナイフを持っていた。
スリの技巧を見せてくる様子はない。
プレッシャーをかけ過ぎているのかもしれんな。あるいは、『アルステイム』は見境のない盗人集団ということでもないのかもね。
……このまま黙っていても情報収集にはならない。
話しかけてみようじゃないか。オレたちには、情報が必要だしな。キュレネイの情報は頼りにしても良さそうだが―――なにせ、3年前までの情報。『ヴァルガロフ』の情報は多い方がいい。
「……ケットシーの姉さん。アンタもマフィアなのか?」
「……読書中なのが、分からないのかしらね?」
「読んじゃいないだろう。アンタが興味あるのは、どちらと言えば、その本より、オレたちのようだし」
「……自意識過剰じゃない?それほど美男子って顔してないわよ」
「顔はそうかもしれんがね。戦いの腕は、どんなに控え目に言ったとしても、超がつくほどの一流さ」
「……そうなのかもね。馬車があのエルフの縄張りに近づく前から、肌がピリピリしてたわ。どういった集団なのかしらね?」
「興味あるじゃないか」
「あ、揚げ足を取る男は嫌われるわよ」
「嫌わないでくれ。『ヴァルガロフ』まで、隣りに座り合う仲じゃないか」
「貴方の心がけ次第ね」
「オレは君の敵じゃないよ。今のところはね」
「……そう。旅人なのね。『ヴァルガロフ』なら、人種を問われず生きていけると信じて来たとしたら、少々誤解があるわよ」
「ほう?どんなだい?」
「人間族の地位は、ちょっとだけ低いのよ」
「なるほど。外とは逆か」
「ええ。アナタも調子に乗らないことね。ケットシーの組織が弱小だとか、舐めちゃダメよ?」
「その指で盗み取るのは命もかい?」
「場合によってはね。悪人を、からかわないことよ、お兄さん」
「了解だ。君は、泣く子も黙る四大マフィアの一員か?」
「ええ。そうよ。コレが、その証ね」
女盗賊がそこそこ短いスカートをたくし上げる。男ってのはしょうもない生き物でね。彼女の仕草に誘導されて、あらわになった太ももを見る。彼女は、『ヴァルガロフ』にいる背徳的な痴女ってことじゃなく―――たしかにマフィアらしい。
すべすべしていそうな内ももには、長くて赤い舌をもつ、意地の悪そうな猫のタトゥーが掘られていた。
「……そいつが、『アルステイム』の印か?」
「そうよ。『長い舌もつ猫』。猫のタトゥーを入れた、愛想の良いケットシーには騙されないようにしてね?」
「アドバイスをありがとうよ」
「ううん。取引よ」
「取引?」
「情報をくれないかしらね?」
「どんなことだい?」
「アナタたち、何者?」
「野心にあふれる流れ者ですよ」
ガンダラが淡々と語った。
「……帝国内でも、この土地ならば生きやすい。私たちは元々は、帝国の軍属でしたがね、帝国軍は居づらくなっているのです」
ケットシーはその言葉を信じたのか?……それは望み薄さ。他人の言葉を信じるような性格では、『アルステイム』のマフィアはやれないよ。
赤毛のなかにある猫耳を尖らせたまま、ケットシーは語る。
「……そういう理由は、よく聞くようにはなったけれど。アナタたちは、やけに堂々としているのよね。帝国からの脱走兵は、もっと、心に陰を宿している―――」
「ヒトそれぞれでしょう。我々は、南方戦線にいました」
「へえ。あっちは、たしかに亜人種が暮らしやすいと聞く」
「南方の抵抗勢力は強い。そして、帝国人の入植も進みが悪い。文明の低い土地ですからね、人種差別に理論武装が施されてはいなかった」
「なるほど。でも、事情が変わってきているのね?」
「ええ。変わっていますよ。『血狩り』の復活などは、象徴的です」
「……ハイランドとの国境線にも、異端審問官が出向いたってハナシだものね」
「そうなのですか?国境にまで?……それは初耳でした。帝国は、ずいぶんと本気のようですな」
……ガンダラは嘘つきだ。オレたちから異端審問官、ルチア・アレッサンドラの情報は伝わっているのによ。ポーカーフェイスは完璧だった。いつも無表情だからか、演技くささがないのさ。
オレがポーカーで滅多と勝てないのも、仕方がないだろ?
詐欺と盗みを生業にしているらしい、『アルステイム』のケットシーの女も、騙されているのだから。あるいは、騙されたフリをしているのかもしれないがね。
「……ええ。国境を越えて、帝国から逃げだそうとしている兵士も少なくない。アナタもその口でしょう、赤毛の剣士さま?」
「……ああ。『ヴァルガロフ』で稼いだら、帝国領の外に抜け出してやりたいんだよ。『ヴァルガロフ』は、人間族にとっては、居心地が悪いんだろう?」
「居心地が良いか悪いかは、努力と腕と運次第ね」
「いろいろいるんだな」
「人生で勝つ側にいるためには、それは当然のことよ」
「たしかにね」
「……それで、ケットシー」
「何かしら、スキンヘッドの巨人さん」
「ハイランドの国境に、異端審問官は、まだ陣取っているのですか?」
「……さあね。新しい目撃情報は仕入れていないの。しばらく、農地の方に行っていたから」
「農地?君みたいな、セクシーなケットシーが?」
「赤毛の剣士さん。この指が農作業のためにあると思う?」
ケットシーは赤く塗られた爪と、細くて繊細な指を見せつけるようにしながら、そんなことを口にしていたよ。
「……土を耕す者の指ではないな」
「そうよ。私は耕すんじゃなく、素敵な作物の視察に言ったの。『ザットール』どもが、農場を広げているってウワサがあったから」
「麻薬の生産拡大か」
「ええ。だから、剣士さんも、エルフの女が連れにいるのなら、『ザットール』と組むのもいいかもね。あいつらは、大きな顧客を見つけたみたい」
「大きな顧客……どんなヤツらだ?」
「さあね。そこは分からないわ。『ザットール』は秘密主義だからね。新しい仕事についての詳細は、まだ幹部級しか知らないでしょう」
「それを探ろうとしていたわけかい?」
「まあね」
「しかし、分からなかったと?」
「ええ。でも、現地を見てきたところ、農地を広げようとしているのは確かね。麻薬の供給量を増やしたいみたいよ」
「つまり、買い手が増えたわけか」
「そう。そうでなければ、そんな投資はしないわよ。過剰に麻薬を作られても、値下がりを起こすだけだからね」
「需要と供給のバランスを保つのか」
「そうよ。エルフたちの『ザットール』は、そのあたりの計算は緻密なの」
「……一大産業なわけだ、この土地における麻薬の生産ってのは」
「ええ。『ザットール』のお抱え錬金術師たちのおかげで、品質も上等よ。ドワーフたちのような雑な仕事を、エルフたちはしないのね」
密造酒の品質も上げてくれたら良かったのに……そんな言葉は口にしない。リエルに叱られそうな気がしているからね。
「でも。いいタイミングで来たわよ、アナタたちは」
「どういうことだ?」
「『ザットール』は、戦士を募集しているかもしれないってこと。用心棒が必要なのよ」
「用心棒ですか?……北の土地は、マフィアの支配が弱いのですか?」
「……流れ者さんは、知らないのね?」
「ええ。この土地には来たばかりなので」
「まあ、そうでしょうね。どこの土地だってそうだろうけれど、社会には色々と『問題』ってものが生まれるものよ」
社会問題のかたまりのような土地だからな、ここは。その言葉も口にしない。現地のヒトの気分を害してしまうかもしれないからね。
このおしゃべりなケットシーからは、情報が欲しいんだ。気分良く、話させておきたいところだよ。
「―――北の農地には、『反乱分子』がいるわ。怖い怖い『テロリスト』たちがね」
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