第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その30
粘っこく現実は絡みついて来るが、それでも、オレたちは明日へと備えて眠りについた。ホコリっぽい教会を掃除することよりも、テントを張る方が楽だということで、それを張ったのさ。
小型のテントが三つある。巨人族のガンダラは一人。キュレネイ・ザトーも一人で一つのテント。オレとリエルはせまくても二人で寝てる。鎧を脱いで、服も脱いで、同じ毛布にくるまりながら、疲れた身体を休ませる。
寝ようとしたさ。
ガンダラと酒を呑んだよ。多くはないが、それなりの量を。そして、今はリエルが腕のなかにいる。温かくて、無条件に安心出来るのさ。酒と女に癒やされながら、眠りにつこうとしていた。
リエルの寝息を聞いていると、いつもなら、オレもすぐに眠れてしまうのだがな。今夜は寝付きが悪かった。理由なんてものは、それは一つだけさ。
バルモアのことを考えている。
オレの故郷、ガルーナを攻めた、あの熊教徒どもだよ。
この指がにぎる鋼で、殺さなければならぬ敵の片割れだ―――そいつらと、オレたちの『自由同盟』が手を組みそうな定めにある。割り切れ、納得し、前向きになれ。そう考えようとしている。
しかし、未熟な精神が、オレを苦しめて、焦らせてしまう。
『自由同盟』とバルモアの共闘……それが始まるのは、時間の問題ではある。我々が各地の戦闘で、連中のあいだの対立を深めてやろうと工作を加えたことも一因にはなっているな。
まあ、元々、連中はお互いの存在や立場に、満足なんてしていなかった。いつかは、この対立が起きることは決まっていたんだよ。
今後もバルモア人たちは、帝国の主流派との争いを深めていくだろう。その傾向を改善する方法は見当たらない。
やがて、バルモア貴族どもが、ガマンの限界を迎えた時、帝国に反旗をひるがえした瞬間……ヤツらと『自由同盟』の共闘はスタートする。それを同盟の文書で縛ろうが縛るまいが、ある意味では同じことだ。
帝国が内戦状態になれば、これ以上の好機は『自由同盟』にはないのだから。
帝国を倒したあとは、両勢力は共存を模索するだろう。攻め滅ぼすには、お互いの土地があまりにも離れているからな。だが、ガルーナの土地は?……それをバルモアの熊教徒どもが襲わない理由が見当たらない。
歴史は繰り返す。
かつてバルモアが、ガルーナを襲撃し陥落させた歴史がある以上、ガルーナの土地を再び奪おうとやって来る。繰り返されなかった歴史などないのだ。ヒトは、成長するような動物ではない。
己が欲望にしたがい、バルモアはいつか必ずガルーナを欲するだろう。
その未来を否定する材料が、オレにはどうしても見つからない。ガルーナを再建する。それは、ただオレが『自由同盟』の友情を頼り、『バガボンド』でガルーナを取り戻すだけでは終わらないのだ。
二度と、誰にも奪われることのないガルーナを創らなければならない……。
そうでなければ?
この裏切りと悪意の蔓延る大地で、オレは再び故郷を失うことになるだろう。そいつは何としても避けたいことだ。
そして。何よりも、成さねばならぬことはファリス帝国の打倒である。その目的のみを考えれば、バルモアの力を借りるという選択は、『自由同盟』に大きな勝利を呼ぶことになる。
だが、それは確実に、ガルーナ復興を遠ざけることにもつながるのだ。クラリス陛下は慈悲深い。オレに、それに備えるための時間を与えてくださろうとしている。『ストラウス商会』に資金を提供し、オレたちを影ながら支えていて下さる。
ありがたい話だな。
その期待に応えなければならない。
……プレッシャーは嫌いではないが、世界の業に、絡め取られている気持ちは消えない。バルモアとガルーナのあいだに、戦の歴史が無ければ、ヤツらに平和を望む感情がある存在だと淡い期待を抱くことも出来ただろうに……。
オレたちも同じだぜ、フレイヤ・マルデル。『羽根戦争』の歴史があるせいで、君たちとザクロアはお互いを信じられない。ガルーナ人であるオレは、侵略者であるバルモアの熊どもを、信じられるはずもないのだ。
たった9年前の戦だからな。
バルモア人が、その短い月日のあいだに、何を学ぶというのだろうか?……何も学ぶことはない。
民族の性質か、思想か、宗教の違いか、人種の構成か、そもそも立地条件か……どれが原因になろうとも、バルモアが領土的野心を抱いたあかつきには、必ずやガルーナの土地を求めて来るだろう。
より広大な領土を、大陸に求めたときガルーナが何よりも邪魔な存在だ。9年前のように犠牲を大勢出してしまうことが分かっていたとしても、大軍で攻めてくるだろうよ。
バルモア連邦も、一枚岩ではない。だからこそ、連中には戦が必要でもある。統合した多数の勢力をまとめ上げるためには、『外敵』を作り、それへの政治的、経済的、軍事的な攻撃が必要なのだ。
敵へ振るう暴力は、ヒトという獣の群れを共存させる力になる。敵がいれば?結束を促すことが簡単になるからだ。敵との戦いに勝つためには?仲間同士の協力がいるのだ。それは真実でもあり、建前とも機能する。
政治家が戦争を主導することがあるのは、ようは権力の維持のためだ。
戦を起こせば?
民衆は支持してくれる。国内の反対派を弾圧するための理由も手に入れられるからな。権力を維持することが最優先の政治家や王侯貴族は、戦で民衆が死のうがどうなろうが、痛くもかゆくもない。
権力は維持される。
もしも、バルモアがファリス帝国を裏切り、ファリス帝国を巨大な内戦の戦火で焼いた後……バルモアが生き残っていたとして、そのバルモアは政治的に安定しているだろうか?……そうは思えない。ユアンダートと親しいバルモア貴族だっているわけだからな。
バルモア貴族どもにも色々いる。ファリス帝国と組んで、大もうけしている貴族も当然いるわけだ。誰もが、同じ損得の仕組みに所属しているわけじゃないからな。親ファリス貴族も、それなりにはいるのさ。そして、そいつらは富める者たちであり、力はある。
だから、ファリス帝国を打倒したあとに、バルモア連邦内には大きな不和が生まれるだろう。親ファリスと反ファリスでな。そいつを解決するには?……戦争を内政に利用するのさ。歴史上、無限に繰り返されて来た行為だな。
外敵を与えることで、国内の争いを弱めるのさ―――。
……いくら考えたところでな。
ヒトがヒトである以上、欲望と悪意で作られた邪悪な獣である以上、歴史は変わらない。侵略者は滅ぼさない限り、またやって来る。それだけが真実だ。ガルーナとバルモアがあれば……バルモアは必ず、ガルーナを襲うのだ。
それだけは確実なことだよ。悪意は、あまりにも合理的に働くのだから。
「……眠れないのか?」
闇の中で、うつくしい声を聞くよ。リエルが翡翠色の瞳を開けて、こっちを見つめていた。
「……すまない、起こしてしまったか?」
「ううん。いいのだ。むしろ、私だけ寝てしまうとはな……」
「明日の作戦に備える。当然のことだよ」
「そうだな。だが。私は、猟兵でもあるが……お前の正妻だ。お前のいちばんのヨメなのだぞ。お前が苦しむ夜には、共に苦しんでやりたい」
それが森のエルフの愛ならば、深くて、やさしくて……オレは好ましく思う。でも、苦しみを共有するってのも、不毛な気もするのさ。
「ありがたいが、オレはヨメに苦しさを与えたいわけじゃない」
「うむ。そうだ。そうだが、『共に戦う者でありたい』。その言葉の方が、私の伝えたい気持ちかもしれない。いろいろな意味で、一緒が良い。楽しいことも、苦しいことも。お前と友に味わい、乗り越える。それが、夫婦として生きていくということだと思うのだ」
「……ああ、そうだな」
「……悩んでおるのだな」
「そうだ」
「……ふむ。なかなか、敵と手を組むという行為は、難しいからな」
「難しいよ。だって、いつかまた敵になる存在だから。確実に、ヤツらは裏切る。いや、そうならなければ、オレの方がヤツらを先に攻撃するかもしれない。何度、考えたとしても……ガルーナとバルモアのあいだ起きる戦を、回避することは出来ない」
「うむ。だからこそ、少しでも早くガルーナを取り戻して、その戦いに負けぬように備える……それが、答えだと、お前自身が私に教えてくれた」
「そうだな。そうなんだ。それしか道などない……それなのに、オレの未熟な心は、迷っちまっている。もっと、いい道があるんじゃないかとな」
「……私には、その助言をソルジェにしてやれるだけの知恵も経験もない。それが、残念だ。ロロカ姉さまならば、お前に、もっと多くの助言を与えてやれるだろうに」
「……ロロカにしか出来ないこともある。リエルにしか出来ないこともある。誰かと自分を比べるものじゃない」
「……うむ。そうだな。ロロカ姉さまにしか出来ぬことは、ロロカ姉さまに任せるしかないな」
「そうだ」
「……私に出来ることは、あるか?」
「いっぱいある」
「そ、そうだけど、この件に関してだぞ?」
「……今、ちょっとだけしてもらったよ」
「え?」
「……答えなんて、もう出てる。それを、オレが君に教えて、君が、オレに伝えてくれたからね」
「自分で導き出した答えだぞ?……私は、あまり役に立っていないような?」
「いいや。自分の口から出た言葉では、心に響かぬこともある……愛する君の口から聞けたからこそ、オレの心に響くのかもな」
「そ、そうか……なら、言ってやる」
「なにをだ?」
「大丈夫だ。迷っても、苦しんでも、すべきことは一つ。戦い、勝ち、欲しい『未来』をその指で掴む。それだけだ。細かな難しいコトは、ロロカ姉さまやガンダラに任せろ。我々が悩んで作ったものよりも、より良い道を用意してくれる。我らは、信じて進めばいい」
「……いい言葉だ」
「だいたい、お前が言ったことのあるよーなコトバだぞ。ちょっと無責任にも思えるが、でも真実を射抜いている。役割分担だ。ソルジェは、考えることよりも、行動することに向いているのだろう」
「……オレ、おバカさんか」
「うむ。そうだ、おバカさんだぞ、私の愛する旦那さまは」
たしかにね。自覚はある。
そうだ。
分かっている答えで迷う。これが、きっと深く物事を考えられる賢者では無いということの証なのだろう。ファリス帝国を倒すためには、『自由同盟』はバルモア人と組むべきである。
そして、その戦の果てにファリス帝国を打倒した後……やがて、ガルーナとバルモアのあいだには戦が起きる。
帝国との戦いには有利に働き、将来的には再び敵となる。それが、バルモアだ。もう迷うまい。考えることは、賢い仲間たちに任せよう。
「……つまり、どっちも倒してしまえば問題はないな」
「そうだ。勝てばいい。簡単なことだ。あとは、勝つための力を確保するのみだ。難民を探しに行こう。そして、彼らを、私たちの仲間にしてしまうのだ。大きなガルーナを創ろう。バルモアとの戦にも、勝つために」
「ああ。すまんな。だいぶ、助けられた」
「正妻だからな。当然のことだぞ。さあ、早く寝ろ。最愛のヨメが腕のなかにいるのだから……」
「うん。今は、なんか、よく眠れそうな気がするよ」
「うむ。明日も、私が起こしてやるから。ガッツリと眠れ。明日は『ヴァルガロフ』に入るのだ。なんだか、厄介そうな街だからな」
「ああ……四大マフィアに、それを裏から支配する『オル・ゴースト』か。ヤツらの情勢も調べることになる……仕事は多いな」
「もう休もう。目を閉じろ。子守歌を聴かせてやる」
「……子供扱い?」
「寝付きの悪い子には、そうしてやるものだ」
「……そんなもので、寝れるほど、ガキじゃないと思うが」
「試してみるがいい。私の美声に、耐えられるかどうかをな」
……子守歌で眠らされるなんて?
ありえんよ。
そう思いながらも、オレはエルフの子守歌に聴き入って―――すぐに、寝ちまったのさ。
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