第五話 『戦場は落陽の光を浴びて、罪過の色をより深く……』 その23


 『青の強化薬』を飲み干しやがったビクトー・ローランジュは、人類で最もうるさくあることを目指しているかのごとく、狂人の質を帯びた声で叫んでいたよ。戦士の血肉は、邪悪な錬金術の薬物で汚染されていく。


 非合理的なことではあるが―――この強化を許してしまったし、一対一の決闘をしてやるとも約束してしまったな。リエルの矢と、ミアの弾丸、そしてオレの竜太刀。その連続攻撃でなら……三秒以内に致命傷を与えられるのだが。


 我が姉上殿の『戦友』なのだから、仕方がないだろうよ。


 それに。


 ストラウスの血に宿る本能か、猟兵の欲求か。有能な戦士であるビクトー・ローランジュを、より楽しみたいというのも事実だ。料理と一緒。最高のパスタには、最高のミート・ソースをかけて楽しみたい。


 戦闘狂?


 ああ、そうだろう。ストラウスなんだから、仕方がない趣向だよ。


 『青の強化薬』は、ビクトー・ローランジュの肉体を変貌させていく。ヤツが肥大化する?……筋肉が一回り近く膨らみやがったな。


 それに、ヤツの血に乗り、肉体を駆け巡る魔力の量が底上げされる。魔力が尽きて心臓発作や内臓の不調で倒れることを心配することなく、魔術を乱発出来るかもしれない。


 ヤツは己の右手が握りしめている大剣を手のひらで撫でて、魔術をかけたよ。『炎』の魔力が刃の鋼を紅くかがやかせている。『シャープネス/硬質化』だ。竜太刀に打ち負けないために、その術を選んだのか……。


 まさか、膨れあがった筋肉が産み出す豪腕のせいで、その刃を構成する太く分厚い鋼が折れてしまうとでも考えていたら、自意識過剰な男かな?


「行くぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


 『炎』使いの才能があるおかげなのか、ビクトーは発狂を免れていた。言葉も知性も失うことなく、強靱になった筋力を用いて、床石を蹴りつけた。


 爆発するような加速をし、鍛え上げられた肉体が迫ってくる。ヤツの鉄製の鎧が、膨れあがった筋肉のせいで窮屈そうに見えたし、その鋼は、ビクトーが剣を振り下ろしたときの動きに合わせて、少しながら曲がっていたよ。


 鉄より強い魔獣の革で、あの鎧が固定されていなければ……たとえば留め金なんかで固定する鎧であれば、ふくらむ筋肉の圧力に負けて、鎧が壊れていただろうな。


 ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンッッッ!!!


 風車の羽根に対して、ギリギリまで近づく遊びを思い出したな。ガルーナの一日中回りつづける風車のように、そのスイングは大げさで速く、力強かった。


 バックステップを刻んで、どうにか避けることには成功していたよ。


「ぬうう!?よく、逃げたなあああああああああッッッ!!!」


「……様子を見たくてな」


 どれだけ、あの薬で強くなれるのかには、単純に興味がある。いい薬……と素直に褒めてやる気にはなれないのだが―――筋力も、速度も、スタミナも上がっているらしい。


 フルスイングの連発だ、間合いと速度と威力を兼ね揃えた、言わずもがな最大にして最強の攻撃方法だ。普通の肉体は、それを連続で繰り出すことは出来ない。あまりに威力が大きすぎるため、その反動は、自分の身体から動くための余力をも奪ってしまう。


 だが、『青の強化薬』は、その反動すらも消している?


 ……いいや。反動にすら耐えるほどの、絶対的な筋力を付与しているということだろう。


「うおおおお!!いいいいああああ!!がああああああああああああああッッッ!!!」


 ヨダレを撒き散らしながら、狂った大猿のような勢いで、洗練極まる剣術を操る姿というのは、どうにも常識外れなものだったよ。


 『シャープネス』の祝福を剣に与えていたことは、正解だったよ。紅くかがやく大剣の舞いは、オレの足運びが残した影だけでなく、この闘技場の古びた床石さえも斬り裂いていたからな。


 ムチャクチャな剣舞だ。


 リーチとパワーで振り回し、空振りしても、床を斬り裂こうとも……その剣舞の速度が落ちやしねえ!!太刀筋が生む、唸りの音と、ヤツの口が放つ狂気の声。地面を破壊しながら駆け抜けてくる刃の切っ先には、緩むことのない必殺の意志と力が宿る。


 ―――達人の技巧に、錬金術の秘薬が混じると、ここまでの行為が可能となるのか。ああ、オレの予想は当たっていたようだ。


 ステップで躱しながら、ヤツの動きを見ているが……フルスイングの一撃が出す重量を、ヤツは足や手の指一本でコントロールしている。大げさな言い回しだが、そう見るのが妥当だろう。


 本来ならば、あのフルスイングの一発ずつが、ヤツの巨体をも振り回すほとの威力であるはずだ。だが、それを、本当に強化された筋力を使うことで、無理やりに剣舞の形に修正している。


 筋力任せで、技巧に沿わせる―――そんなイメージだな。技巧とは、筋力に依存することを嫌う発想で、動きが要求してくる筋力の負担を減らすことを目的とさえする。


 だが、今のビクトー・ローランジュは違う。


 真逆だな。


 力尽くで、技巧を実現しているのさ。とんでもなく強化された肉体があれば、反動も御しきり、最大の出力で大技を乱発出来る。夢のようなハナシだな、剣士として、ある意味では進化の終着点だ。


 隙無く最強の攻撃を連続で叩き込む。これ以上に、『強い』という概念を実現する戦術はありはしないだろう。強いぜ、ビクトー・ローランジュは。狂暴な大猿が、最高級の剣舞を踊りつづけるんだからな―――。


 しかし、ヒトの肉体は……それを許すほどの寛容さを持たない。


 肉体とは、使うほどに壊れていく。森羅万象、全てのものがそうであるように。強い威力を発揮すれば、その肉体の破綻も近づくのだ。


 『最強の剣舞』を躱しつづけるオレの魔眼が、兆しを見つけていたよ。ヤツにとっては凶兆だな。あの大きな鼻から、大量の出血が始まっている。いや、目玉からも血の涙。そして、体中から血の汗だ。


 汗に関しては、たぶん筋力が強くなりすぎて、それを覆ってくれている皮膚が耐えきれずに千切れているというコトなんだろうさ。


 代償の大きい力だな。


 ああ、飛び散る泡だらけの唾液にも、出血が混ざる。技巧の反動に耐える筋力を獲得したところで、筋肉以外の部分までは、強化されていないんだろう。肺とか、気管支とか。あちこちが裂けて、血が漏れ出している……。


 これは諸刃の剣だぜ。


 死に行く戦士にのみ相応しい、罪深い薬だよ。


 ……これは、命を消費して得られる、薬物仕掛けの『最強』。


 ホント、悲惨なハナシだ。悲惨なハナシだが、それでも戦士ってヤツはいけないね。オレも、ヤツも、唇を歪めて歓喜を表現しているのだから!!


「逃げていくだけかよ!!ソルジェ・ストラウスううううううううううううううううううううッッッ!!!オレは、テメーを楽しませてやるために、自由意志のもとに、全部、捧げてやっているんだぞッッ!!テメーが、大っ嫌いだからだぜええええええッッッ!!!」


 恩着せがましい言葉と共に、ヤツの大剣が迫り来る。


 だから?


 そろそろオレも楽しませてもらおうとしようじゃないか!!ヤツが薬に頼るなら、オレは魔術に頼ってやるよッ!!『雷』を腕に宿す。雷神の腕力を腕に帯びる魔術……『チャージ/筋力増強』だッッッ!!!


「うおらあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 闘志に爆ぜる歌声と共に、全霊を込めた竜太刀の斬撃で、ヤツの強打を迎え撃つッ!!


 ガギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンンッッッ!!!


 鋼が歌う、指が、腕が、肩が、体にまでも……とんでもない衝撃が加わるが、威力勝負はオレの勝ちだった!!


「ぬごおおおおッッッ!!?」


 跳ね上げられた大剣と、ヤツのバックステップが同調し、大猿は高速でオレから離れて行った。オレは追撃を狙っていたんだが、その間合いからヤツは一瞬で消えちまっていたよ。


「……ま、まさか。一撃の重みで……今のオレに、勝ったのか……ッ!?」


「まあ、そんなところさ」


 いいや。正直になると、威力では負けているよ。オレは完全に全力で捨て身だった。押し勝てたのは、あの一撃にのみ全てを捧げたからだ。


 連続攻撃を前提としたヤツの剣舞と、オレの一発にかけた威力が、ほぼ互角の時点でオレの力負けではある。


 ヤツが一発に全てを捧げたら―――その威力には勝てないだろうな。


 もちろん、力だけで勝ち負けが決まるワケでもない。


 オレはヤツに接近していく。ヤツは歓び、斬撃を振り回して、剣舞の盾を造り上げたよ。いい回転数で、近寄れそうにないが……うちには、一族伝来の嫌味なステップがあってね?本来は、打撃され重心を崩されたり、脳震とうを起こしたときの技巧だが。


 剣の威力に、『あえて打ち負ける時の合わせ技』にも使えるんだよ。


 竜太刀と大剣をガギンガギン!!と激しくぶつけ合わせつつ、オレは素直に力負けしながら、右に左にと体を振る。脚のステップを酔っ払いのようにふらつかせるよ。


 幼い頃から性格が悪く、躾には厳しく、理想が高い老竜なんかに育てられるとね、この技巧が極められる。


 『千鳥』。打撃に揺れる、軽やかなステップだ。四連続で宙返りしながら身を捻る老竜に鍛えられると、どんなにふらついても、体を支える技巧を覚えられる。百回もゲロを吐く頃には、マスターしているよ。


「なに!?」


 狂気が頭を支配しているわけでないからだろう、出血まみれのビクトーは、鼻血を噴き出しながらも、この打ち合いの奇妙さに気づいていた。まあ、当然だろう。力負けして揺れるオレのことを、いつまで経っても崩せないんだからな。


 ヤツは……『仕組み』を悟り、しまった!というような顔を浮かべる。素直な人物だ。ふらつくこと、アンバランスなことの『良いこと』は、実は色々とある。


 動くことで相手からすれば狙いにくいし、相手の威力を反らすように逃がすことも出来る。だから、力負けしているのに崩されないんだ。


 フツーの剣士は、これだけ揺られたらバランスを失うんだが、竜騎士の特訓のおかげで、オレたちは脳震とうの最中でさえ、バランスを保てるように慣れているんだよ。


 だから、『千鳥』という反撃のためのステップを守備に使うことで、どんな強打をも受け流せるということさ―――それに、剣士というのは、慣れてしまうもんでな。速かろうが、強かろうが、これだけ連続で間近で見て、まして剣で受けているのならば……。


 ……ドーピングで消したはずの、技巧の『隙』も見えてくる。


 ビクトー・ローランジュの『流派の哲学/スタイル』は、『守り』。『捨て身』を良しとはしない、善良な流派らしいな。堅実かつ、理性的な哲学だよ。


 だから、遠い間合いを好む。必殺の瞬間以外は、コイツは突撃しない。突撃しても、オレが崩れないと理解してしまっているから、流派の哲学が拒否している。さっきと違い、仲間のサポートが無いのだからな。


 ムダな突撃をすれば、オレは回転しながら躱し、同時に左腕から生えた竜爪が、胴体近くの動脈を引き裂く。具体的には分からないだろうが、必殺のカウンターを用意していることには、ヤツは勘づいている。


 だからこそ、近づけず―――間合いを広く保ち、結界のような防御を作るために動くのさ。


 高速の乱打に見えても、哲学は機能している。法則性があるんだ。


 こうやって、『千鳥』で後ろに下がり、間合いを開けた時には、必ず大振りの振り下ろしで、こちらが踏み込み接近するためのスペースを潰しにかかる。


 さらに、『両手持ち』に替えて……誘えば完璧だろうよ。ああ、大陸中央部の騎士の型だ。動きが遅くなるが、利点もある―――『千鳥』の『入り』とも相性がいい。


「はああああああああああッッッ!!!」


 迷いの無い、素晴らしい打ち込みだったな。ああ、初見で読むのは難しかったよ。貴様が『毒炎の大蜥蜴/サラマンダー』の腕に吹き飛ばされる瞬間の、バックステップや重心の操作を見ていなければ―――貴様の剣術を支配する哲学など、読めなかったよ。


 悪い気がしなくもない。フェアな勝負とはいかなかったな。しかし、戦場とはそういうものだ。より多くを知ることで、強くなれるってもんさ。


 ……刃が交差していく。交差させながら、ヤツは罠に気づいたな。


 だが、もう遅い。『両手持ち』で真っ直ぐに構えたオレの竜太刀は、ヤツの動きを真似るように大振りの斬撃を放っていた。


 道場でのみ使うべき技巧というものがある。崩し技や、牽制するための技ってのは、そういうモノの典型だ。


 戦場では、それらの凝った技巧は使うべきではない。シンプルで、速く、強く。それだけが正しい。


 結果としての崩し技やら、牽制技ならともかくな―――それらのみを狙う技巧ってのには、とんでもない隙が残る……『常に必殺を心がけろ』、『武器ではなく、命を狙え』。この二つは絶対に守るべきだ。


 そうでなければ?


 遠い間合いで、鋼をぶつけ合わせることを狙った牽制のためだけの斬撃ならば、何の役にも立たない時がある。殺すための斬撃でなければ、死なないからね。何のために鎧を着けているというのか。


 ……オレはね、ビクトーの『攻撃』をムシしたんだ。


 だって、『これ』は『攻撃』なんかじゃないから。


 ただの牽制でしかない。重心が引けてる。踏み込みが浅い。剣が外れても体当たりをぶちかます哲学がない。そんなものは、ムシしていい斬撃だよ。


 『千鳥』のステップを踏み込みながら、オレは使い古された『芸』を使う。


 『影抜き』。基本的に戦場では役に立たない技巧であり、未熟でアホな剣士から金を取るための道場主用の技巧ではあるが―――まあ、相手を読み切った時だけになら、使える。


 斬撃をぶつけ合わせるように見せかけて、前腕を操作して、こちらの斬撃を、相手の斬撃の裏側に入れるんだ。


 ああ、威力は下がるよ。必殺の技巧でもない。でも、空振りしたビクトーの左腕を、竜太刀の振り下ろしが斬り裂いていた。


 躱しながら、手首を斬る。


 ホント、どこまでも不完全な技だよ。


 剣士としては死んだか?道場剣術大会では優勝出来なくなったな。たしかに、そうかもしれないが、生きているんだ。いくらでも動くよ、敵は。しかも、実戦慣れした傭兵ならね。


 左の手首を斬り落とされることなんて、百も承知。それでも死んでないんだから、ヤツは斬られた左腕で殴りかかってくるんだよ。


 ……こっからが、戦場だよな、ビクトー・ローランジュ。血を吹くヤツの斬られちまった手首がオレの顔面を射抜こうと接近する。


 そうだ、おかえり!道場剣術で敗北して、貴様はようやく傭兵に戻ったな。真の戦士に復帰したことを、オレは喜んでやるぜッ!!


「うおががらああらららあああああああッッッ!!!」


 病気の狂犬みたいにわめきながら放たれた、ヤツの強打は空振りするよ。体術で唯一狙うべき場所、顔面を突いてきたことには感動してやる。


 だが、『影抜き』なんていう道場芸を使った時点で、オレだって色々と覚悟済みだ。それぐらい、予測済み。だから避けれるし、この突き出された左腕を、右手の指で掴めるんだよ。


「……ッ!?」


 驚くな。『恐怖』を抱いた臆病者から、戦場では死ぬだろ?そうさ。オレの指は貴様を掴める。なにせ、もう竜太刀を手放しているんだからな。ここまで接近してしまえば、ドーピング野郎の貴様が優勢だ。


 だから?


 オレは貴様を殺すために、両手を竜太刀から放している。突き出された左腕を掴み、左の脇にも腕を差し込む。そのまま背負って、ビクトー・ローランジュをブン投げていた。


「がはッ!?」


 ヤツが闘技場の床石に背中を強打したとき、オレの指は殺人のために動いていた。右手の指がブーツに仕込んでいるナイフを抜いた。細く小さなナイフだが、それだけに頑丈で、鉄を穿つ。精密に急所を穿てるのさ。


 冷たい刃が、倒れたビクトーの胸元深くに突き立てられたよ。薄い鉄の鎧を貫通し、肉と骨を穿ち、心臓にその一撃は到達して―――勝負はついた。

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