第五話 『戦場は落陽の光を浴びて、罪過の色をより深く……』 その21


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!…………ああ、おもしれえ……っ」


 ひとしきり笑った後で、ビクトー・ローランジュは静かになった。その集団で、最も有能な戦士であるヤツは、彼の異常な笑い声と、麻薬中毒者のように理解しがたい多幸感に歪んだ貌に怯えているような、周囲のヘタレどもとは一味違うのさ。


「……なんだろうな。この感覚は……どうにも、肌にピリピリと来やがるぜ。オレの『自由』を、否定する……戦場の空気のような……」


 ヤツの言葉はどこかおかしい。おかしいが、その反面、ヤツだけが正しかった。ヤツは、オレたちに気がついたんだよ。正確には、ただの予感だろうけれどな。


 傭兵の傷だらけの手が動き、『毒炎の大蜥蜴/サラマンダー』の腹に突き刺さったままになっている己の剣を引き抜いた。サラマンダーの腹から、どろりとした粘液が漏れて、それは空気に触れると炎になった。


 『毒炎』を成すための体液と、血が混じったものだろう。己の愛用の大剣が燃えているのに、ビクトー・ローランジュはそれを気にすることもなかった。ただ、クンクンと神経質そうに嗅いでいる。


 敵意を戦場の空気から読み取ろうとしているのだ。ヤツの青い双眸が、冷たさを帯びて、ヤツの新たな仲間たちを見回していく。裏切り者の持病が出ているな。裏切りは、呪いのように心を蝕む。


 裏切り者は、二度と他者に信頼を抱けはしないからな。


 さっそく、ビクトーちゃんは自分の周りにいる新たな仲間たちを警戒している。傭兵として数多の戦場を生き抜いた自分の勘だけを、今は信じていた。


「……なんだか、イヤな気配がしてたまらねえ。お前たち、オレに敵意を抱いたか?」


「そ、そんなことは」


「そうですよ、分隊長―――」


 その言葉が、ビクトー・ローランジュの病んだ心に生えた逆鱗って部分に触れちまった。冷酷で慎重な狩猟者ではなく、燃える怒りの表情になった男が、牙を剥き出しにしながら怒号を放つ。


「ちがう!!オレは、もうちがうぞ、ユリアンくん!!オレは、そんな存在などではないのだ!!『黒羊の旅団』の分隊長などではなく!!ただの、自由なるビクトー!!飲んだくれのパパが唯一くれた『名前』ってもんを持つ、ビクトー・ローランジュだッ!!」


 自由なるビクトーの、狂気と怒りを浴びて、仲間のユリアンくんとやらが平謝りしていたよ。


「す、すみません、ミスター・ビクトー!!言うべき言葉を、間違えていました!!」


「そうだよ。間違えちまっているよ、ユリアン……オレは、もうクソみたいな『黒羊の旅団』とは関係がねえんだぜえ?……そこんところは、しっかりと認識してくれたまえ」


「は、はい……」


 自由なるビクトーは、猜疑心に取りつかれてしまったようだな。裏切り者の持病が、ヤツを狂わせているのかね。


 元・傭兵のユリアンも、殺気を読むことが出来るんだ。ビクトーのじとりとした青い双眸に、恐怖を覚えている……ビクトーがもつ、あの大剣に宿った炎を見つめながら、ガタガタと震えていた。


 殺されるとでも予感したのかもしれない。


 元・傭兵どもは、その全くの落ち着きを無くしている自由なるビクトーから、後ずさりしていた。


 だが。


 ビクトー・ローランジュは有能な戦士。敵を間違えるほどには、その腕前そのものは腐ってはいなかった。ヤツ自身が心の底から毛嫌いしてきた『黒羊の旅団』が、ヤツに与えた能力だ。


 戦場に長らく棲み、殺意を放つ視線を雨のように肌で浴びてきた男は、長い舌で上唇を舐めながら……脅威的な読みを発揮した。


 猟兵は気配も魔力も消しているのだが、その完璧な隠蔽さえも、ヤツの経験値は解き明かす。


「―――おい。みんな。武器を握れ……何かが、何か知らんが、いやがるぞ」


「え?」


「も、モンスターでしょうか、自由なるビクトー殿!?」


「……モンスター……?いいや、どうだろうな……この、舌にビリビリくる感覚は、親父や副長に近く……より、深い―――」


 そうだろうな。


 『黒羊の旅団』の親玉どもよりも、このオレさまたちが格下なわけがない。自由なるビクトーは、仲間を裏切るという行為をも己の経験値として取り込んで、その実力と感性をより研ぎ澄ませたようだ。


 傭兵のカテゴリーの頂点に、ヤツは踏み入れた。そこらによくいる、たんなる武術の達人なだけではない。技巧と知識と経験が織りなす、理不尽なまでの勘をも手にした、最高の戦士の領域に、ヤツは入ったのさ……。


 ヤツの仲間たちは、ヤツほどではない。ヤツを疑ってもいるが―――ヤツの放つ緊張感に、感化されるように戦闘への姿勢を選んでいた。


 ……いい判断だ。


 殺すに値する腕前は、十分に持っているぞ、クソ野郎どもめ。


 さあて。始めようか。


 かくれんぼの次は、戦術の勝負だよ。


 オレはニヤリと笑いながら、あえて叫ぶんだ。


「上だッッッ!!!」


「なに!?」


「上!?」


「え!?」


 ―――叫んで、敵の視線を誘導しながら、オレたち三人は『それ』を戦場へと向かって投げていた。シャーロン・ドーチェが作った、『こけおどし爆弾』さ。


 殺傷能力は皆無だが、爆音が鼓膜を揺らして、強い光が網膜を焼き払う。


 シュバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンッッ!!


 三つの方向から投げ込まれた『こけおどし爆弾』を、裏切り者どもは見上げてしまったいた。見上げるように、上だ!って叫んだわけだから、その策に敵サンはハマってくれたわけだ。


 オレたち猟兵の『祖』である、ガルフ・コルテスの戦術だよ。視線を誘導するために、あえて気配を晒すこともあるさ。


 そして。


 オレは光に包まれる戦場に向かい、走っていた。闘技場の客席を駆け抜けて、『風』をまとったまま戦場に飛び降りていく。4メートルほどの高さがあるからね。『風』で体重を軽減していないと、脚の骨が折れかねんのさ!


 目を焼かれて、うめく戦士どもが見えたよ。


 そのうちの二人が、リエルの矢と、ミアの鉄の弾丸に頭を撃たれて仕留められる。音にやられた鼓膜は、あまりにも鈍感で、オレの襲撃にも気づけない―――気づけたのは、死んだサラマンダーのそばにいる、ビクトー・ローランジュのみか。


 猜疑心のカタマリと化した達人は、オレの言葉に誘導されなかったのさ。見事なもんだが、想定の範囲内。策が効かない獣もいるものだし、貴様は、間違いなくそうだと考えていたよ。


 だが。


 貴様のお仲間は、そうでもないのさ。


 竜太刀の重心と、オレの重心をひとつに融け合わせながら、剣舞を踊る。ストラウスの嵐。四連続の斬撃をもって、戦場を斬り裂く、伝統に研磨された竜騎士の技巧だよ。


 不安を招いた自由なるビクトーの言葉のせいで、獲物どもは肩を寄せ合うように、まとまっていたからな。ビクトーは、きっと今ごろ、反省点に気づいて奥歯を噛んでいるに違いない。


 散開しろ!


 その言葉を、10秒前に言っておくべきだったな。その指示があれば、この被害は生まれなかったと考えてしまう。戦場における指揮官ってのは、教訓探しに必死となっているもんだ。


 ちょっとでも、生き抜きたければ、狡猾と繊細さを磨くしかない。修行が足りなかったとは言えない。ただ、相手が悪かったんだよ、ビクトーよ。


「ぐええ!?」


「ぎゃがあ!?」


「だ、だれだよ……」


「……なんで……」


 竜太刀の鋼に斬り裂かれた戦士どもは、悲鳴と疑問を放ちながら戦場に沈む。答えてやる余裕はないね。ビクトー・ローランジュがオレ目掛けて、走り込んで来やがったから。


 ヤツは叫んだ。


「動け!!射手が二人いるぞ!!敵に接近し、敵の影を盾にしろ!!」


 好判断だな。そして、いい動きをしていやがるぜ。


 体格のいい戦士は駆け込みながら、豪腕を振るい、大剣の鋼を打ち下ろしてくる!!


 ガキイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンンッッッ!!!


 竜太刀が、ヤツの燃える大剣とぶつかり合う。火花と『毒炎』が、刀身から血みたいに放たれていた。


 その瞬間の熱量の奥に、オレたちは互いの技巧の深さを識る。ああ、ビクトー・ローランジュよ、貴様は、偉大な剣士ではある―――たしかに、貴様は、一皮むけた。


 さっきまでも有能であったには違いないが、しがらみを断ち斬り、自由であることを覚悟した貴様には、獣の力と魂が宿っていやがるのさ。


 悪意と孤独と猜疑心が―――貴様を磨いて尖らせ、技巧を深めた!!楽しいぜ!!ストラウスの血に歓喜の熱を走らせてくれるぞ!!


 獣の貌で笑ったよ。ヤツも、似たようなもんだ。同じように、体を踊らせた。剣が一瞬だけ離れて……次の瞬間には、高速の打ち合いへと至る。火花が散る、『毒炎』の名残が宙に飛ぶ、鳴り響く鋼の歌と、斬撃の嵐がじゃれ合うように混ざっていく。


 剣舞と剣舞の衝突さ。互いに持てる全ての力と技巧と、殺意をぶつけ合わせるんだよ。


 そいつを邪魔するように、戦士どもがオレたちに近づいてくるが、リエルの矢に二人が沈む。


 戦場に駆け込んで来ていたミアが、一人の戦士の首を蹴り技で折りつつ、半ば宙にいながらナイフを投げる。十人目の盾兵は、その『円形の盾/ラウンド・シールド』でミアのナイフを受け止める。


 ……悪い判断だな。


 なにせ、あのナイフには、森のエルフの王族が刻んだ、『雷』属性の『エンチャント/属性付与』の祝福が宿っているのだから。ラウンド・シールドに、雷電が発生し、盾持つ腕が、『雷』に焼かれてしまった。


「ぐわあ!?」


 叫びながら、ヤツは盾を手放す。ミドルソードの小回りの良さに賭け、小柄な戦士の突撃に対応しようとしたが―――オレの暗殺妖精、ミア・マルー・ストラウスの神速を舐めてはいけない。


 すでに、お前の背後に回り込んでいるぞ。


 そして、そのまま狩りは実行される。このダンジョンの深部まで来るために、重装の鎧ではないからね。ミアはヤツの背中に取りつきながら、一瞬のうちに、ナイフでヤツの首を掻き切っていた。


 ビクトー・ローランジュは孤独となった。


 そのことに気づきながらも、ヤツは折れない。覚悟を背負った者のみが辿り着ける、不屈の境地である。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 叫びながら、オレの斬撃のラッシュに対応していく。


 いい腕だが。


 オレもヤツも、分かっていたんだよ。両者のあいだにある、どうにもしがたい技巧の差について―――お互いの腕力の差について。残念ながら、オレの技巧に、そういつまでも対応出来はしない。


 ビクトー・ローランジュに限界が訪れて、竜太刀の威力に負けたヤツの鋼を持つ腕が、大きく後に弾かれる。その瞬間に、オレの薙ぎ払いが、一閃されて……ヤツの左のふとももを、浅く斬り裂いていた。


「……もっと深く、斬り裂くつもりだったんだがな」


 想定以上のバックステップを見せたビクトー・ローランジュに、オレは感心しながら言葉を与えていたよ。ビクトーは、忌々しげに顔をしかめながら、脚の傷を『炎』で焼いて止血する。切れた筋肉の繊維を、火傷で融け合わせるのさ。


 ヒドい治療法だが。動けないまま斬り殺されるよりは、ずっとマシだろう。さてと。戦術では、『パンジャール猟兵団』の圧勝だ。


 そうだと言うのに、あきらめてくれないことが、たまらなく嬉しいね。さあ、殺し合いを続けよう。貴様にとっても、強い敵と戦うことは、どうしようもなく嬉しい時間であることは否定出来まい?


 なぜならば。


 貴様の貌は、歪んでいるが……口元が、楽しげに開き、その長い舌が上唇を舐めている。戦いが持つ味に……酔いしれている戦士が、オレの視界のなかに一人だけいたよ。

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