第四話 『青の野心家と、紅き救い手と……』 その26
思えば長い時間が過ぎ去った。あらゆる願いが煮崩れしいくには十分だった。わずかな自由を我々が手に出来ているのも、そのせいだろうか。
『彼女』も……この300年をムダに費やしたわけではない。現れることのなかった敵のために、無意味に存在していたわけじゃないのだ。彼女なりに、『未来』を模索していたわけだ。
この抗いこそが、『彼女』の生きた証であるだろう。
望んでいたのだ。造物主の思惑を越えるということを。かつて、『クイン』どもが造物主である『魔女』に反旗をひるがえし、長命を手に入れたように。『彼女』は母親という名の造物主である『クイン』から、自由を手にした。
『未来』が欲しいと願う……呪いと復讐の怨嗟にまみれて、邪悪な魔物の腹でゆっくりと融けてしまいながらも……。
感服すべき戦士だ。
『コルン』という存在は、なんて偉大な戦士たちなのだろう。『彼女』が特別なのか?それとも、全ての『コルン』がそうなのか?あるいは、人類のメスは、皆がそうなのだろうか?
仔を産む存在には、苦しみに耐えて、『未来』を創造しようとする本能でも宿っているのだろうかね。造物主を超えて、己こそが造物主になる。ふむ。『オレ』も卵を産んでみたくなるが、残念だ。
ともかく、『彼女』はもう限界であり、今回のような『チャンス』はもう二度とない。
だからこそ、『彼女』は『オレ』の衝動を抑制した。あの連中に、託そうとしたのか?……あの二人が、あんなに嫌っていたイース教徒かもしれないのに。
まあ、彼らに信仰心があるようには思えないがね。『コルン』どもと同じように、科学を愛する錬金術師か。
知能があれば解除も可能な罠だらけの道に、『彼女』は連中を誘導していったよ。『オレ』の分身に襲わせることでね。連中は、知能を証明した。この墓荒らしどもは、それなりに科学的な知識と判断力を併せ持っているようだ。
……『彼女』は、それに満足したようだ。
だから、『あの子』を渡すことに決めた。黄金を求める男と、知識を求める男。『彼女』は、朽ち果ててしまう前に、未来を確かめたいらしい……。
だから。
『クイン』の命令を破っている。まあ、今に始まったことではないがな。本来は、山の上の裏切り者どもに使うための呪物だったというのに。三百年もかけて、『オレ』の魔力と生態の構造を研究しながら、自分に起きた奇跡を、『あの子/呪物』に与えようとしている。
……ヒトの心の難解さを、思い知らされる。
憎しみながらも、報復の炎を身に宿しながらも―――それに血肉も魂も縛られながらも、違う可能性を模索してみせた。『オレ』の腹で融けていきながらも、『彼女』は人類史上最も長く生き……そして、最も長く戦い続けている。
なぜ、そのようなことをするのだろうかな?
苦しみの中にある者は、利己的になる。それが、君らの人間観察の結論の一つだっただろう?
あきらめてしまえばいいのに。呪いと福音。破壊と創造。二つの相反するような行いのうち、どちらかを捨ててしまえばいいのに……それなのに、『彼女』は壊れて行きながらも、ついにやり遂げた。
『オレ』が『彼女』に与えた、想定外の長命。それの謎を解き明かした。みじめな小鬼であるゴブリンどもを呪術で育成し、『器用さ』を得た連中の小さな指を操って、錬金術の実験を繰り返した。
小鬼どもで、錬金術の作品を試す様子は壮絶だったが、それは『彼女』の生来のものではなく、『オレ』の冷血動物としての残酷さが繁栄されてのことだろう。容赦なく、小鬼どもの命は弄ばれ、消費されていった。
……あまり考えたくはないが、『彼女』は小鬼どもの命を消費することを楽しんでもいたようだった。暴力が心を満たす。牙の生えた肉食動物には、否定できない本能でもある。己の指で直接、命を狩れないからこそ、小鬼どもに劇薬を飲ませて殺していたのかな。
分からんね。
人類の心は本当に、理解が及ばない。
やさしいのか、残酷なのか。前向きなのか、後ろ向きなのか。まったく、理解不能だが……それがヒトの揺れ動く心なのかもしれないと考えると、少しだけ愉快な気持ちになれるのだ。
人間観察。
というか、『彼女』を識ること。それも『オレ』の楽しみだからさ。自分の精神の根幹を作っている存在を把握しようとする行い。その探求を、『オレ』は何よりも楽しんでいた。
……さて。『彼女』が造り変えた『あの子』を、墓泥棒たちは薬液の詰まった大瓶を割って助け出した。全裸のうつくしい女性だ、『彼女』は『あの子』が強姦されると考えてもいるが―――自分の研究の成否が実証されると期待してもいた。
だが、『彼女』は男を知らなかったようだな。
ヒトの男だって、性欲だけで行動を選択しているわけじゃない。とくに、心の底から価値を感じる女性には、性欲以外の感情を捧げるらしい。このちっぽけにやせたメスに、あの眼鏡ののっぽは、何を求めているか。
……太った個体の方が、より多く子孫を出産してくれそうだが、あののっぽは、ちっぽけに痩せたメスを好むようだ。ヒトの美醜は分かりかねるが、顔のいい男と『彼女』が判断した方ではなく、のっぽの冴えない男が『あの子』の実験の相手になるらしい。
薬瓶漬けにされている『あの子』を、あわれむように見つめていた。
だが、生きていると分かったとき……あののっぽは、とにかく必死にその瓶を割ろうとした。我々が『雷』を放ち、『あの子』を蘇生させたときから、あの薬瓶のなかにいることは、『あの子』を苦しめていた。
苦しみもがく姿を見て、より哀れに思ったか。
のっぽはナイフをも弾いた折ったあの薬瓶のガラスを、素手で叩いて割ったのだ。ナイフが欠けたとき―――ナイフはガラスに傷を与えていたからな。のっぽの冴えない男は、そのヒビ割れに、己の拳を捧げた。
骨が割れるほどに強く、皮膚が裂けて美味そうな血を放ちながら……あいつは『あの子』を助けてやろうとしていた。
その光景を、薬液のなかで苦しみながら……『あの子』は見ていた。だから、美しくない方に惹かれたのだと、『彼女』は残念がっている。『あの子』と自分の好みである美しい方の男が交尾する光景を観察したかったのか?
『あの子』に自己投影しているのかもしれない。ヒトのメスの性欲は、よく分からないな。
『オレ』はどっちでも良かったし、実験の成否をより確実に確かめるためには、両方のオスとすればいいじゃないかと考えている。その方が、『次の段階』に移りやすいわけだが……『彼女』は『オレ』の合理的な考えを、否定した。
ケダモノ!!
邪悪なくちなわめ!!
モンスター!!
不潔!!
ろくでなし!!
……『彼女』の美意識に反したのだろう。口汚く『オレ』を罵り続けている。強姦させたがっていたのは、『彼女』も同じだろうに……。
まあ、『彼女』の思惑は外れた。『あの子』を二人の男はどちらも強姦しなかった。のっぽが、そんなことを相棒にはさせなかっただろうし、相棒はすでに既婚者らしい。顔の良い男が既婚者と知ると、『彼女』は何故か落胆していた。
その理由をたずねるべきかと悩んだが……。
止めておくことにした。
どうしてか?
野生で生き抜いていた頃に培った本能が、止めておけと囁いたような気がしたからさ。人類のメスには、質問されると激怒を起こす課題がいくつかある。コレもそれのような気がしていた。
邪悪でグロテスクな『オレ』などに、300年も生きた女心の深淵をのぞかれるのはイヤなのだろうさ。『オレ』と『彼女』のあいだには、理解しがたく越えることの出来ない高い壁が立ちはだかっている。
……理解しがたいのは、のっぽ野郎についてだ。
手の骨を傷つけてまで、『あの子』を助け出したというのに、その行いを見て、『あの子』は、のっぽ野郎に好ましい印象を抱いたというのに。なんで、さっさと交尾をしないのか。
うるさい!
だまりなさい!
この鬼畜!!
また、『彼女』に怒られる。腹のなかで怒鳴って暴れるのは止めて欲しい。でも、まあ『オレ』も『叡智』に触れているから、少なからず、あのヘタレの交尾不全野郎の患った症状を予想は出来ている。
一目ぼれというヤツだ。
交尾不全野郎は、性的な機能が欠損しているわけではなく、たんに『あの子』を大切に考えている。宝物を守るような気持ちになっているんだな。
……ふむ。
『恋愛感情』というものは、いまいち理解できないものだが―――『父性』というモノは、わずかに理解できるような気がしているのだ。
『オレ』は『あの子』を300年も守って来たからか。
……そうさ。
うむ。
『オレ』にとって、『あの子』はとんでもなく大切な存在だった。その宝物を、『オレ』は墓泥棒どもに渡してしまった。『あの子』が……あの交尾不全野郎を見て、笑っているからかな。
まあ、醜く邪悪なモンスターなどである『オレ』を見たら、『あの子』は怯えて、恐がり、泣くだろう。
それは当然だ。
人類は、魔物を怖がるモノだ。魔物は、たやすく人類を補食してしまうのだから。当然至極の防衛本能だ。なるほど道理だ。道理さ。
……。
……。
……そうならなくて、良かった。『オレ』の姿を見られて、300年も守り続けた『あの子』に怖がられるのは、イヤだった……『無数の首持つくちなわ/ヒドラ』……そう呼ばれる『オレ』は、とくにヒトのメスから嫌悪される存在だからな。
醜い守護神である『オレ』を、一度も見ないで外へと旅立ってくれて……嬉しいよ。
300年守り続けたあげくに、悲鳴を浴びせられ、恐怖に歪んだ泣き顔を見るのではなく……あの、交尾不全のヘタレで、我々の宝物を奪い去る、クソむかつく、眼鏡ののっぽ野郎を……。
……つまらん男だが。
『あの子』のために、あれほど血を捧げ、肉と骨を壊してくれた、あの墓泥棒の錬金術師には……感謝しているよ。
『オレ』の姿では……『あの子』は笑ってくれなかっただろうから。
ああ。
動けばいいのになと、いつの頃からか願望していた『あの子』の脚が、軽やかに。初夏の沼地のように過ごしやすい温もりを帯びた、草原を駆けていく……草の海で暴れるのだ。元気よく、強い戦士の資質にあふれた肉体で!
……実験結果を、我々は知ることが出来ないようだな。
それでも、構わないさ。
いいや、そっちの方が良かったかもしれない。
残酷な結末と、敗北を知り、絶望と共に我々の自我が融けていくなど、耐えられぬ苦痛だろう、アメリ?
もしも、『オレ』の牙しかない口がヒトの心に響く言葉を持っているのなら……『あの子』に祝福の言葉を伝えたい。
幸せになるがいい。
我々の300年よりも大切な、尊い娘よ。
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