第四話 『青の野心家と、紅き救い手と……』 その25


 カミラを抱えたまま四階にたどり着くと、オットーは紳士道を体現してくれる。彼は長い廊下に三つ並んだドアの一つを開いてくれたよ。もちろん、そこは空室だ。リエルとミアの部屋は隣り。


 魔法の目玉の恩恵さ。リエルとミアの魔力を感じ取ることで、二人が一番手前の部屋で眠っていることが分かったよ。ドアを開ければ、二人は勘づいてしまうだろう。せっかく眠っている彼女たちを、深夜に起こさなくてすんだのは、ありがたいことだね。


 それに、両手がふさがっているオレのために、ドアを静かに開いてくれるオットー・ノーランの心配りも素晴らしい……。


「ありがとう、オットー」


「いいえ。それでは、おやすみなさい、ソルジェ団長……ああ。明日は、何時ぐらいに起こしましょうか?」


「……そうだな。早起きはナシだぜ。体力の回復を優先しよう。しっかりと休もうぜ」


「分かりました。私も、睡眠不足を解消しましょう」


「高い高度での長距離の移動が続いた。オレたちの体は、かなり酷使されちまっている。それに、もう『策』は動き出しているんだ」


「ええ。仕込みは万全……敵に気取られることもないまま、我々は仕事をしました」


「いい仕事だったな」


 誘うような笑みで、オットーにそう語りかける。オットーは成し遂げた戦士の笑顔を浮かべてくれたよ。あの細く閉じられた瞳を、歓喜の曲線に歪めながら、返事をくれたよ。仕事終わりの男同士の儀式さ。


「はい。上出来です!」


「状況は、オレたちの思惑に沿って動いてくれている……ルクレツィアも、もう情報をオレたちに隠したりすることもないだろう」


「これで真の『仲間』になれたような気がしますね」


「……そうだな」


 ルクレツィアから、よそよそしさは消えていた。今後は遠慮なくオレたちを巻き込むだろう―――『星の魔女アルテマ』との最後の戦いにね。


 自分を魔女にしてしまうリスクを背負ってでも、彼女は『アルテマの呪い』を破りにかかる。


 いい戦士だ。死ぬ覚悟までしている。だからこそ、こちらも命を賭ける価値を見いだせる仕事だよ。


「……12人いた『クイン/魔女の分身』たちの中で、最後に生き残った『メルカ・クイン』か」


「最も魔女に近い存在ではありますね」


「頼りになる仲間だよ」


「ええ。戦いへの覚悟を感じました」


「そうだな、彼女は命を賭けたんだ……」


「……団長。本当に、もしものときは…………いいえ。訊くまでもありませんでしたね」


「ああ。訊くまでもないことだ。彼女が『星の魔女アルテマ』の『2代目』になるというのなら……容赦なく、オレは斬り捨てる。約束は守るさ。彼女がそうしろと言うのだ、そうしなければ……『メルカ』を守れないと悟っているんだろう」


「……はい」


「そうならないように、全霊を尽くそう」


「……了解です、団長。今夜のように、最高の仕事をしましょう」


「うむ。オレたちに出来ることの全てを注ぐ。なあに、『パンジャール猟兵団』は最強の傭兵団だ。やって出来ないことなど、何もないさ」


「……そうですね。すみません、引き留めてしまいました」


「いいや、それじゃあ、お休み、オットー」


「ええ。お休みなさい、団長」


 その言葉を聞きながら、カミラを抱えたままのオレは、ルクレツィアに用意された寝室へと入る。オットーは、オレたちが中に入ったのを見計らうようにして、ゆっくりとドアを閉じてくれたよ。


 紳士だな、オットー・ノーランは。こういうところに憧れちまうよ。


「さてと……ベッドに、運ぶか」


 花の甘い香りがただよう寝室には、たしかにベッドが二つあったよ。カミラは寝息を立てているな。起こすのはかわいそうだから、このままベッドに運んでるか。


 ……しかし、生来のスケベのせいなのか、口元が緩んでいけないね。疲れ果てているんだ、エロいことは……する気が無いわけではない。でも、カミラの負担になってはいけないもんね。


 そう言い聞かせながら、自制をするよ。ホント、セックス依存症は怖い病気だね。愛に頼るしか、そういう衝動をコントロール出来そうにない。オレはカミラをベッドに寝かして、毛布と布団をかけてやったよ。


「……ソルジェさま……」


 起こしたか?……と思ったが、そうでもないようだ。寝言でオレを呼んでくれたようだ。ちょっと照れるね。だが、カミラの顔色は、微妙に曇っている……?


「……寒いっす……」


 なんとも的確な寝言を、オレは聞く。おそらく、眠たくて仕方がないのに、わずかながら意識があるのだろう。95%は寝ちまっているって比率かも?


「寒い……か?」


 ああ、なるほどな。布団のなかが冷えているのか。しばらくはしょうがないさ。そのうち体温で毛布が温かくなるはずだが―――ここは夫としての出番じゃあるよね。


 カミラが寒がっているのだから、このまま隣のベッドに入るなんて、あくどいことは出来ないよ。これは騎士道なんだよ、騎士道。誰に言い訳する必要もないはずなのに、そんな言葉を心で唱えながら、オレもそのベッドのなかに潜り込む。


 ああ、疲れた背骨がやわらかいベッドに受け止められると、疲労を実感できるな。このまま即座に寝れそうだよ。カミラもそんな状況らしい。『コウモリ化』を連発させたし、潜入任務というのは短時間でも精神を消耗させる……。


「よくがんばってくれたな」


 そう褒めてやりながら、彼女を右腕で抱き寄せていたよ。やわらかくて、温かい。温かさを感じているということは、オレの体温も彼女を温めてやれているだろうさ。


 温もりを求めて、カミラの体がモゾモゾと動いてくるよ。腕マクラのポジションを完璧に位置取りしてようだ。お互いの体で暖を取りながら、オレたちは山頂の氷河を駆け下りてくる寒さに対策するのさ。


 ヒトの体温は安心するな。性欲もあるんだが、安心感もある……カミラの寝息はおだやかで、まるで男を知らない乙女のように無邪気で子供っぽかった。演技じゃなく、本気で寝てしまっていることが、残念なような気持ちになる。


 ……男は本当にスケベでいけないな。


 でも……眠気と幸福感が強いのも事実だ。カミラの寝息を、耳元で聴いていると……眠気がどんどん深くなっていく。ガルーナの野蛮人として、セックス依存症野郎として、ある意味では情けないことに―――このまま、きっと、寝落ちしそう…………。




 …………温かくて、やわらかで、いい香りがしていて。そこは……どうやら夏の草原であるようだった。暑くはない。ちょうどいいのだ。青い影のように薄まる山脈の連なりが見える。


 記憶が即座に、語りかけてくる―――バシュー山脈の西側だ。双子の山脈の片割れだよ。つまり、この草原は、レミーナス高原のようだ。どこかまでは分からないが、あの特徴的な双子山脈を間違えることはないよ……オレは……『オレ』は……?


 『誰』だっけ?


 ふむ……自分が『誰か』に融けているようだ。


 まいったな、魔法の目玉を使い過ぎちまったか……?ああ……まあ、いいさ。呪われた夢にしては、あまりにも心地よい光景だ。うつくしい自然のなかに、黒い髪の乙女が踊っているんだからな。


 ……ああ。


 ……『オレ』の夢を見ようか―――。


 ―――夏の若い草は、生命力に満ちた緑色に輝いていて、『あの子』は……それを喜んでいるようだった。それは、そうだろうな。


 なにせ、『あの子』は……ずいぶんと長い間、閉じ込められていたのだから。『オレ』もそうだったし、『オレ』のなかの『彼女』もそうなのだが……。


 まあ、『オレ』と『彼女』のことはいいさ。


 もう、どうにもならないことだ。少なくとも『オレ』は、それなりに幸せな時間を過ごしていたわけだしな。


 『彼女』と『あの子』のナイト気取りでいられたのさ。ずいぶんと長く生きながら、あの二人を守り続けてきたのは事実だろ。人類からすれば、少々、忌まわしい手段だったかもしれないが。


 しかし、正直なところ。『オレ』は不必要な存在だった気がする。なにせ、山の上のヤツらは、もう『ここ』に興味がないようだからな。


 凶悪卑劣な錬金術師どもは、ついに来ることはなかったのさ。もっぱら、生殖の連鎖の果てに、呪術が途切れた『失敗作』ばかりと戦ったんだよ。とくに『呪いの風』を受けて生まれる種族は、刻まれた呪術が劣化しやすい……これは、大発見でもあったが。


 ともあれ、敵は来なかった。


 むしろ、壊れた味方と戦い続ける日々だったのは、かなりの皮肉ではある。


 守護神としては、『オレ』は、あまり大きな仕事をしていない。


 ……でも。別に構わないかな。『オレ』は『彼女』とは、歴史に対して、まったく異なる解釈をしていて、山の上のヤツらに憎しみや怒りはないんだよね。


 『オレ』には、そもそもが他人事だからかもしれない。ヒト同士の争いになど、本来は関わりがないしな。


 むしろ、『ここ』の連中にこそ、怒りがあるぐらいだよ。まったく、長すぎる任務に魂を縛りやがって。


 『オレ』を弄くり回して、『彼女』を腹の中に入れて来たんだぞ。どうかしている。そこまで憎しみというのは、ヒトに行動力を与えるのか……それで腹がふくれるわけでも、交尾相手が増えるわけでもないのにな。


 だが、おかげさまで、この三百年のあいだ、『知性』というものを理解出来たのだがね。『彼女』が教えてくれたのさ。


 まあ、たんに融け合っているおかげで、こちらにその知恵とか感情が流れているだけだが……『オレ』の人格は、副次的なものってことだな。『彼女』があってこその、『オレ』に過ぎない。影に宿った意志……そんな儚い存在だよ。


 月に映る、大地の影のようなもの。実質はなく、主たる存在たちに左右される、自立しかねている半端で不明瞭な存在だ。この言葉や思考の大半は、借り物に過ぎない。


 どこか自分がちっぽけなモノに思えて心細い。もしも、ヒトのように感情が豊かなら、吐き気を催し、狂暴になっていたのかもしれないな。


 『オレ』が生まれてしまったことを、『彼女』は別に喜んではいないだろうが、『オレ』にとってこの共生の300年は、初夏の沼地のように居心地の良い日々だったのは確かだ。


 もっと多くを理解してみたかったが、叶わぬ願いのようだな。


 人類どもの、罪や悪や憎悪や愛情……そういうものは複雑だし、どうにも科学的な合理性に欠けているように思えるんでね。おそらくは、『魔物』でしかない『オレ』には理解する日は来ないのだろう。


 ……『彼女』の意志も、そろそろ融けて消えてしまいそうだ。


 ついに『オレ』の欲深い血肉はヒトの心を完全には理解することもなく、『彼女』を消化してしまうようだった。お互いに本意ではないが、永遠など、存在しないということさ。


 融けるのは全てではない。


 『彼女』は臓器として『オレ』を支えて、最後の力を用いて練り上げた呪詛で、『オレ』が朽ちはてるその日まで支配しやがるつもりらしい。色々と努力していた『彼女』が最後に選んだのは、裏切り者たちへの憎悪か。


 まあ、べつにかまわないのさ。


 『賢さ』というモノを教えてくれた礼だよ。論理的な思考を続ける?賢者の『叡智』に己をつなぎ、無限の問答を楽しむ……なんとも知的な作業を300年続けることが出来たんだよ。


 他の生き方をするよりも、おそらくこの生き方は、なんとも有意義で、じつに楽しいことだったさ。その対価が、『オレ』の残りの時間の全てだとしても、まあ、妥当なものだろう。

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