第四話 『青の野心家と、紅き救い手と……』 その14


 ガントリー・ヴァントには謝礼をしたよ。金でもなく、食糧でもない。渡したのは、よく研がれた鋼が煌めくナイフ。そして、拘束呪術を無効化する、グラーセス王国の新たな名産品である『ミスリルのヤスリ』だよ。


 それらは隠し持つことも難しくないし……狭い檻のなかでも筋トレを欠かすことのなかったと見える筋肉質の体が、いつか、この囚われの身を終わりにしようと決断したとき、彼の助けとなるだろう。


 『青の派閥』とつるみ過ぎて、精神が多少、おかしくなっているようにも見えるガントリー・ヴァントだが―――結果的に磨かれた知性と、復讐心は錆びついちゃいない。


 ナイフの鋼を手に取り、包帯が巻かれた顔の近くに、彼はそれを近づけていたよ。


 呪術の入れ墨が施された魔法の目玉で、色彩が消えた視界に浮かぶ、そのナイフの輪郭の鋭さに見とれていたからな。


 近い将来、彼はあの檻を飛び出して、敵と見定めた者を、オレがくれてやったナイフで切り裂くだろう。


 オレとカミラは夜更けのキャンプ地を歩いて行く。堂々としたものさ。この変装が闇のなかでバレる可能性はない。それに……錬金術師たちのテントのあいだを歩く傭兵はいないしな。


 『黒羊の旅団』の傭兵たちは、錬金術師たちのテントの外側をよく守っているのさ。錬金術師たちの多くはテントのなかで、日誌を書いているようだ。


 魔眼の力で魔力の動きが獣毛生地のテントを見通すと、疲れ果てて眠っている影と、勤勉に書類を書き続けている影が把握できた。酒を呑んでいる者は、ごく僅かだ。


 なんともマジメで、つまらん夜を送っていやがるようだったな。


 オレたちが目指したのは、錬金術師、『エレン・ブライアン』のテントだ。28才の錬金術師。貴族の出身で、熱心な愛国者でもあり……そして、差別主義者のクソ野郎らしい。


 そいつのテントを探している。


 錬金術師ブライアンのテントは、ガントリー曰く、錬金釜のあるテントから出て、右手に曲がり、七つのテントを通り過ぎたら、左手にあるテントで……他とは質感の違う布で作られているそうだ。


 ガントリーは、あの包帯の下にあるノーベイ・ドワーフの秘伝の『瞳術』で、そのクソ野郎を追跡する『遊び』をしていたらしい。自由になったら、多分、殺すつもりだったのだろう。


 だから、ガントリーはブライアンのテントを知っていた。


「ここだな」


「はい、他のテントと、質感が確かに違うっすね」


 獣毛のテントを、帝国貴族である彼は嫌ったらしい。麻布のテントを選んだようだ。それが高貴さの証なのかは、オレにはちょっと分からない。


 他とは違うんだというトコロを見せるのが、貴族らしいのかね?……他の錬金術師たちから嫌われていそうだな。協調性に欠く人物は、集団生活では浮きやすい。


 ……まあ、人間関係が順調じゃなかったとしても、ヤツは仕事が出来るらしい。ガントリー情報では、エレン・ブライアンには『財力』がある。


 錬金術にとっては、それは何よりも優れた『才能』であるそうだ。錬金術の素材は高級なものが多い。それを惜しみなく、あの錬金釜で煮込むためには豊かな財源がいるだろうからな。


 金で買える成功。


 そういうものは世の中にはあふれている。エレン・ブライアンは、そのことをよく理解している男のようで……賢い変人、ガントリー・ヴァントによれば、貧しさをバカにしているブライアンを罠にかけるのは、容易いことらしい。アドバイスももらっているよ。


 さて。その麻布のテントのなかを、オレは魔眼でのぞく。そこにいる影は一人。貴族サマは自分専用のテントを望まれたようだ。


 その影は……寝息を立てている。マキア・シャムロックと共に『地下』へと潜っているらしいからな。疲れているのだろう。ご苦労なことだが、起きてもらうぞ。


「……ブライアンさま。ブライアンさま、起きて下さい」


 そう言いながら、オレは麻布のテントの生地を指で叩いた。貴族の繊細な眠りは、オレの声で妨げられたようだ。影がゆっくりと起き上がる。だが、テントからは出て来ないな。


 雑兵ごときを出迎えるために、外に出るなんてことを貴族はしたくないようだ。


「……なんだ、こんな夜遅くに!」


 不機嫌そうな声だった。あまり大きな声を出して欲しくないもんでな。オレは、ガントリーの知恵を頼ることにした。


「……旦那、静かにして下せえ。じつは、オレたち、コナーズの旦那に頼まれたんです」


「……コナーズ?ヤツが、何だって言うんだ?」


「……貴方を呼んできてくれって、金貨もらって頼まれたんですよ」


「金欠のヤツが、金貨だって?」


「ええ……何でも、『新しい薬』が出来たとかで?」


 その言葉を聞くと、ブライアンが沈黙する。『新しい薬』……あの哀れなロビン・コナーズが寝る間も惜しんで研究を続けている、『戦士の薬』。不眠不休で戦える戦士を作れるという、副作用が心配な薬だ。


 『人体錬金術』……肉体を『強化』することがテーマの錬金術分野においては、完成すれば、かなり高度な薬物のはず―――『青の派閥』の錬金術師にとっては、最高の発明品じゃあるのさ。


 帝国軍にバカ売れするのは、間違いないしね。


「……まさか。本当に作ったのか……?」


「ええ。オレと相棒、実は……四日前から、ずっと起きているんすよ。それでも、どこもキツくねえんですよ」


「ドワーフ並みに頑強な心臓でないと……すぐに死ぬ。その弱点を、ついに、克服したっていうのか……?そんな……でも、コナーズの執念と才能なら……」


 ロビン・コナーズは結婚にこそ失敗したようだが、錬金術師としての才能は認められてはいるようだな。人生というのは、上手いこと回らないもんだよ。


「……オレたち素人なもんですから、詳しいことは、分からねえんですが……ブライアンさまに、その『新しい薬』ってものについて……お渡ししたいとのことでして」


「……僕に、渡すだと……?」


「……コナーズの旦那は、交渉したいそうですぜ。他の錬金術師に聞かれたくないから、この深夜に、こっそりと会いたいそうでして、オレたちが使いに選ばれたんですよ」


「……なるほどな。コナーズめ、『世渡り』を覚えたようじゃないか」


 欲深い魚がエサにかかったようだ。


 ガントリーの『策』は、ヤツのハートを射抜いたようだな。このエサの中身は、『名誉』ってものだよ。


 愛娘のために、元ヨメの腐った肝臓を治療するための研究をしたいロビン・コナーズは研究のための資金に飢えているそうだ。それは周知の事実であり、錬金術師の同僚たちは同情と憐れみ、そして侮蔑の笑いをもって彼に接しているらしい。


 この貴族の男は、侮蔑の笑い系に属するのかね?……そういう人物なら、気が楽になるんだがな。拷問と尋問と……その後に実行する予定の殺人についても。


 ……とにかく、金のないコナーズは、『新しい薬』を完成させた。その完成させた『薬』を、上司であるマキア・シャムロックに報告するのでなく、それよりも先に金持ち錬金術師のブライアンくんのところにコソコソと伝えに来たわけだ。


 何のために?


 『名誉』を金に換える、錬金術を行うためさ。


「……僕に、いくらで売るつもりだ?」


「……そこは、オレらには分からねえところでございますよ」


「……まあ、たしかにそうだな……さて、幾らせびられるか―――」


 ―――オレは業界の闇に触れている。どんな業界にもあるのだろう、『名誉』というものを金で売り買いすることは。八百長蔓延る拳闘大会とかもそうだろ?……まあ、皆、金のために仕事しているわけで、チャンピオンベルトに値段がつくのも当然のことだな。


 さて、今夜、貧しいコナーズさんは、『新薬の開発』という錬金術師にとって最高の『名誉』を、金持ちの貴族に『売る』。


 コナーズは名誉こそ手に入らないものの、元ヨメの腐った肝臓を救うための研究資金を手に入れる……いいや、それ以上かもな。元々、金持ちではあるし才能はあるブライアンくんには、困ったことに『大きな実績』がないんだと。


 研究という分野は厳しいそうだよ。


 優秀な者たちを出し抜いて、最初に『答え』にたどり着くことは、もちろん実力や才能もいるが、運だって必要なんだろうさ。


 だから?


 ガントリーの言い放った言葉が、脳内にこだまするよ。


 ―――金のある錬金術師なら、悪気なく、金で『研究成果』を買うものさ。『慈善事業』とすら思うだろう。貧乏なコナーズに大金を渡してやるんだから。ヤツは、必ず釣れるぜ、間違いねえよ。錬金術師なら、みんな釣れるんだ。


「行こう。すぐに行ける」


「……ええ。お早く」


 くくく。ガントリー・ヴァントは、見事にエレン・ブライアンを釣り上げたようだぞ。ブライアンは急いで準備をした。コートを羽織り、テントの入り口に仕掛けられた、『番犬の笛』を解除する。


 ああ、『番犬の笛』というのは、テントに近づいた不審者が、その入り口を不用意に開けようとすると、ワンワン!と吠えてくれる防犯用の『罠』さ。


 かなり高級な素材を使うんで、価格は高いし使い捨て。それに戦士として、そんなモノに頼るのは恥でもある。だから、戦場ではまず見かけないが、金持ち貴族はご愛用らしい。


 呪文を唱える小声が響いた。


 そして……その金髪碧眼の人間族の青年錬金術師が、麻布のテントの奥から這い出て来たよ。だから、オレはその欲深く無防備な細首に腕を回して、キュッと締め上げるのさ。コツは、頸動脈に的確に圧をかけること……そうすれば、2秒でヒトは失神する。


 初対面の貴族に絞め技をかけたオレは、意識を失い、口から泡を吹くそいつをテントの中に押し込みながら、自分もそのテントに侵入する。カミラも続いたよ。


 獣の脂が燃えるランプの下で、猟兵の指が、帝国貴族の手首と足首にロープを巻きつけて拘束し、猿ぐつわを口に咥えさせた。


 手早く、ほとんど無音で作業は完了したよ。


 あとは……このテントの中の資料を持ち逃げするのさ。『地下』から発掘されたアイテムもあるはずだからな。泥がついた怪しげな小瓶の数々に、朽ちかけの本……そういった古そうな品を雑嚢に放り込み、仕事は完了だ。

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