第三話 『賢者の石は、『ホムンクルス』の血肉に融けて』 その18
『ブヒギュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンッッ!!』
東に見える林から、醜悪な歌が響いていた。心なしか、この沼地に漂う悪臭が強くなったような気がするぜ。声にさえ臭気を伴うほどの醜さがある?……気のせいのはずだが、何にせよ、不愉快なことには変わりがない。
「ソルジェ兄さん、オークの遠鳴きだ!!『町』の外に狩りに行っていた連中が、戻って来たぞ!!」
「焦るな。もうすぐ、あの教会は確保できるさ―――」
そうだ。
カミラが二体倒した。あと五体……?
いいや、そうじゃない。もうその場所に意識を保っている豚顔どもは、二体だけだ。
オットーはカミラが二体倒すあいだに、三体仕留めていた。オットー・ノーランの棒術は、敵を制圧するという種類の作戦が得意だからな。
『醜い豚顔の大悪鬼/ダーク・オーク』のように、攻撃性に富む相手にカウンターを入れるという仕事は、オットーの大得意分野なんだよ。
ダーク・オークどもの醜い巨体が、沼地に転がっている。三つ目を持つオットーの回避運動に一切のムダはない。カミラとは真逆だな。極限にまでムダを排した動作をもって、紙一重に敵の攻撃を躱す。
そうする理由か?
反撃を即座に入れるためだ。転がっているダーク・オークの体を見てみれば、一目瞭然。どれも醜いが、ボコボコに棒で打ちつけられたワケではない。
あの程度の敵に対して、オットーには何発も使う必要がないのだ。どの豚顔どもも、突撃を躱された次の瞬間に、棒の打撃で頭部を一撃さ。
たとえ、錬金術で体格や狂暴さを強化されたモンスターであったとしても、脳の入った頭を打たれれば一瞬で気絶する。
『ぎゅひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッ!!』
両手にナタを握ったダーク・オークが、オットー目掛けて走っていく。それと同時に、槍を持ったダーク・オークも彼に襲いかかった。
ふむ。ここの豚顔どもは、ある程度は戦略を理解しているようだな。本能じみたレベルではあるが、敵を取り囲もうとしたり、有効な攻撃を選ぼうとするぐらいの頭はある。
竜を確認すると、すぐに長弓を用意するあたりは……ヒトと違いパニックや迷いが無いぶん、その点だけでは有能かもしれない。知性が足りないだけに、恐怖に対して考え込んだりしないのさ。
「―――ああ!?オットー殿が!両側から攻撃されてるぞ!!え、援護を!?」
「オットーには必要ない。お前の任務は、この場所に敵の増援を寄せ付けないことだ!敵から目を離すな!!」
「わ、わかった!!」
そうだ、オットーはあんな雑魚を二匹同時に相手しようとも、絶対に負けない。彼は、両手にナタを握ったオークに向けて、棍を投げつけていたよ。
オークは反射的にナタを交差して顔面を守ろうとする。太い腕で胴体もカバーした防御姿勢になるが―――。
オットーの棍が命中したのは、ヤツの太い右脚だ。すねの骨に、大きな亀裂が入り、ヤツはその場に転がっていた。
『ぎゅぎゃがああああああッッ!!』
素手となったオットーに、槍使いのダーク・オークが迫る。オットーは三つ目を開いて敵を待つ。
槍使いはオットーに対して、『突き』を選んでいた。リーチを活かしての攻撃。オットーを格上だと判断しているようだな。
いい判断だ。
だが、それだけで実力の差がくつがえるワケでもない。あのダーク・オークは、ナタ使いのオークが攻撃に復帰する時間を稼ぎたかったようだ。脚の骨が割られたぐらいで、あの闘争心が消え去ることはない。
だから、遠い間合いから消極的に攻撃し、オットーに『防御』を選択させようとしたのさ。
……そんな見え透いた考えに乗るほど、猟兵オットー・ノーランは甘くはない。
オットーが揺らぐ。ギリギリまで槍の突きを引きつけて、その槍が彼の腹を貫く寸前に身を捻りながら『前』に踏み込んだ。
槍の先端にある錆びた鋼がオットーの影を貫く。回避は成功していた。慌てたオークは、槍を横に薙ぎ払おうとしたが、オットーの伸ばした右腕が放つ掌の突きが、ヤツのアゴを跳ね上げる方が先だった。
強い打撃が豚顔野郎のアゴを揺らす。
バランスが崩れ、瞬間の脳震とうがダーク・オークを襲った。一秒にも足りない、わずかな時間の『隙』に、オットーはつけ込む。ヤツに接近し、両手と体を使って槍ごとヤツを押し込んだのさ。
相手の重心を操る、オットーの体術だ。オークと自分の重心を重ね合わせて、踏み込んだ力で跳ね上げる。オークの巨体を、後方に向かって吹っ飛ばしていた。
見事な体さばきだな。重心を操るだけで、あのモンスターを投げちまうとはね。
もちろん、筋力もスピードもいるが、それがあっても技巧が無ければ不可能。
自分と相手の重心を、一体化させてコントロールする。ホント、天才だな、オットーは。2メートル200キロの巨体を、一瞬で宙に浮かせてしまうのだから……。
さて。空を飛ぶ者には残酷な運命がつきものだ。『墜落』。その定めからは、翼無き者は逃れることが出来ない。
オークが、背中から地面に叩きつけられる。こういうときは、何かを掴もうとしていてはいけない。だが、戦士の指は、戦場では武器を離さないものだ。
槍使いのオークもそうだったよ。槍に指を絡めたまま、反射的に身を固め、そのまま地面に背中から叩きつけられる。サイアクの落下さ。
……何が悪いのかと言えば、背骨に衝撃を受けてしまうことと、横隔膜が痙攣して、呼吸がままならなくなることだ。
肋骨というのは、よく動く。だから、背中から地面に叩きつけられたとき、肋骨はたやすくたわみ、その中の肺腑と、肺腑の『底』にくっついている横隔膜ってものに、破裂するような力が加わってしまう。
竜騎士は、ある意味で『落下』のエキスパートだ。オレたちは、背中からは落ちるなと教わるよ。
それでも、やむなく背中から叩きつけられるときは、『腕を広げなさい』と習う。腕を広げることで、肋骨を外に開き、背中を打ちつけたことで生まれる衝撃が、横隔膜に入らないようにするってわけだ。
肋骨が縮まっていれば、衝撃の逃げ場がないから、横隔膜に負荷がかかるだろ?肋骨を広げるために、腕を開いて備えるんだよ。竜の尾に打たれて壁にぶつけられる時なんかは、これをしないと死ぬ。
……この横隔膜ってのは、『呼吸』を司る部位なんだ。コイツに衝撃をもらうと、息を吸うのも吐くのもままならなくなる。
それがどれほどの苦痛なのか知りたければ、拳骨を作って、自分のみぞおちを叩いてみればいい。正確に入れば、したことを後悔出来る苦しみを味わえる。それが横隔膜に衝撃が加わるということの痛みだ。
オットーに投げ飛ばされたダーク・オークは、槍を握りしめていたがため、背中から地面に叩きつけられても肋骨が開かなかった。横隔膜に衝撃が加わり、ヤツの呼吸は破綻しちまったよ。背骨のダメージもキツい。シビれるような電流が全身に走っているはずだ。
痛みと衝撃で、指一本動かせない。
そうなる角度で、オットー・ノーランの体術が、ヤツをブン投げた。見事だな。あの投げを喰らって背中を地面に叩きつけられると、ヒト型の生命は、死にかけの虫けらよりも動きが悪くなっちまう。
オットーはそのままヤツに近づき、ブーツの底でヤツの腹を踏み抜くように押したよ。横隔膜が、今度は下からの衝撃で揺さぶられて、ヤツの呼吸が完全に破綻する。
死にはしない。しばらく失神しているだろう。無力化に成功したな。
一瞬の攻防だったが、見応えのある技巧だったよ。
しかし、槍を片手で奪い取り立ち上がったオットー・ノーランには、もう一匹、敵がいた。脚の骨にヒビを入れられたダーク・オークが、痛む脚を引きずるようにしながら立ち上がっていたのさ。
『ぐぎゃがぎいいいいいいいいいいいいいッッ!!』
ヤツは、叫び、怒りのままに、ナタの一つをオットーに向けて投げつけていた。
オットーは、半身になって飛来したナタを躱した?……ああ、躱したが、それだけで終わるほど彼はノロマじゃない。
オットーの指が、自分に向かって投げつけられていたナタを掴み取っていた。サージャーの三つ目に対して、モノを投げてもムダだ。よほど多くの物体を、同時に投げ込んだりしない限りは、何を投げても掴まれてしまう。
「……年代モノのナタですね」
冒険家は、そのナタに滅びた王国の歴史を感じたのかもしれないが、次の瞬間にはナタをオークに向かって投げ返していた。
オークは手に握るナタを振り回し、そのナタの投擲を叩き落とすことに成功する。鋼同士がぶつかり、耳心地の良い歌が、夕焼けに染まる沼地に響いた。
歌を放った鋼から飛び散る火花が消える頃―――オットー・ノーランは槍を構えたままオークに接近し終えていたよ。
オークの濁った目玉が彼の姿を捕らえた瞬間には、槍の石突きがオークのアゴを下から突き上げるように命中していたね。
アゴが割られ、強烈な脳震とうが生まれていた。オークは失神しながら地面に倒れ込んだ。戦いは決着がつく。最初から分かっていた通り、オットー・ノーランの圧勝だ。
オットーはその錆びた槍を沼地に捨てると、自分の愛用の棍を拾い上げていた。そして、こちらを見上げてくる。そうだ、この邪教の祈りの場は、オレたちが占拠したのだ。
「……よし。いい仕事だ。オットー!!下に、『樽』を落とすぞ!!」
「……了解です!!」
「ゼファー、低く飛べ!」
『らじゃー!』
ゼファーが、高度を下げた。着地寸前の低さまで落下する。ククリが、ひやあ!?と悲鳴を上げるが、作戦を優先する。
浮き上がりかけた彼女の体は、オレの上半身とアゴが押さえてやったから、落下することもなかった……セクハラ関連の文句は、後で受け付ける。今は、仕事だ!
「『風の刃よ』!」
ゼファーの胴体にくくりつけてあったロープを、魔術で呼んだ『風』の刃で断ち切った。ロープがすべり、そのロープにくくられていた『樽』が、ゼファーの腹の下から沼地のぬかるみに落下していた。
「よし、いいぞ、上昇しろ!!」
『うん!!』
漆黒の翼が空を叩いて、ゼファーが再び空に戻る。
オットーが走り、あの樽をぬかるみから引き上げてくれた。そして、その樽を、『ストレガ』の赤い花畑に向けて引きずっていく。カミラも駆けつけて、樽のふたをナイフで外しにかかる。
いい連携だ。あとは、オレたちが時間を稼ぐだけ。
「ふ、ふう。お、落ちたり、浮かんだり……胃が、きゅうーって、なった!」
「ああ。スマンな。だが、これも作戦のためだ……『樽』は二人に渡した、花畑に散布するまで、時間を稼ぐぞ」
オレは、敵をにらみつける。
ヒドラの死体が飾られた祈祷場の周辺の敵は排除した。矢毒とぬかるみに呑まれたヤツらばかり。とりあえず、周辺には危険はない。
……しかし、離れたトコロには動きがあるんだよ。
沼の果てにある東の林に、オークどもの群れがわいていやがる。南に動くヤツらと、西に回り込もうとするヤツらがいるぞ。ヤツらめ、取り囲もうとしているな。闇に紛れてコッソリと動き、オレたちの逃げ道を塞ごうとしているらしい。
『狩人』の発想だな。あの豚顔どもめ、取り囲んで、オレたちを狩るつもりだ。
……連中、竜が飛ぶということを理解していないのか?
あるいは、竜を射落とした後のことを考えているのかもしれん。連中は、知性の高い人造モンスターのようだ。つまり、本来は……ヒトの兵士を狩るための存在。油断はならないな。
「ククリよ、いいな!弓使いを優先的に仕留めるぞ。ゼファーの翼がやられたら、300匹のオークを殺すハメになる!!それでは、『策』が台無しだ!!」
「了解!!敵から、みんなを守る!!『策』も、守るんだ!!」
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