第一話 『星の降る山』 その11


 マルコ・ロッサのアドバイスとカレーの粉を受け取ったオレたちは、南に向かってゼファーで東に飛んだよ。東に飛んだのは、敵船の動きを見張るためでもある。


 すぐ近くに帝国の軍船の群れがいたら?


 さすがに見過ごせん。


 ゼファーで空高くを飛びながら、オレたちは帝国海軍の動きを見張りつつ東に向かったよ。東の海は機能までと同じように晴れやかで見通しがよい。


 ゼファーの竜の瞳と、オットーのサージャーの三つ目の力でも探してもらったが、敵対勢力の影も形もなかった。


「……これで後方の憂いもなくなった。ゼファーよ。南を向くぞ」


『うん。わかったよ、『どーじぇ』!』


 黒い翼が動いて、ゼファーはその鼻先を南へと向けた。ここから南は全て敵地だ。大陸の南の果てにある海に至るまでの全てが、ファリス帝国の領土かあるいは属領である……つまり南の果てに丸みを帯びて霞んでいるその地平線のずっと先までが、敵の土地。


 ファリス帝国の巨大さが分かる光景ではあるな。


 しかし、たとえどんなにヤツらの領土が広大だったとしても、雄大な自然が支配している未開の領域も多いのだ。


 事実として、ここから見える灰色の海岸に存在しているのは、寝転ぶオットセイと松の木ぐらいのものだ。帝国人どころか、人類の住み処ではない。これより南は、未開の森がしばらく続く……。


 森を貫く数本の道があるだけさ。それらの小さな街道を越えると、南に進むほどゆるやかに大地は傾斜していき、バシュー山脈へと繋がる。


 そうだ。


 長い旅は始まった。レミーナス高原にたどり着くには、アリューバ半島から南東に移動すればいいわけだが。その『東』の要素は今までの海上の偵察飛行で、消費しているよ。あとは、ただひたすらに『南』に飛べばいい。


 視界の先に見える山の列は、どんどんその数と大きさを増やしていきながら、山脈を構築するはずだ。


 長い旅になる。食事をすませてから飛び立つのには、腹ごなしのために着陸する時間が勿体ないからだという理由もあるのさ。朝飯と昼飯を大量に胃袋へと詰め込んだオレたちは、夜遅くになるまでは休憩ゼロで飛び抜ける。


 ミアはとっくの昔にお休みモードだよ。オレの脚のあいだで寝息を立てている。眠っても落ちないように、オレと革のベルトで連結しているのさ。オレは眠れるスイート・シスターを胴体で支えてやりながら、勉強タイムだ。


「オットー、バシュー山脈の情報を聞かせてくれるか?リエルとカミラにも情報を共有しておきたい」


 作戦については、海上を東に飛行するときにミーティング済みだよ。バシュー山脈についての地理情報を、仲間たちの頭に入れる時間だよ。ミア?……ミアはバシュー山脈については詳しい。


 かつて、オレとガルフと共にミアはバシュー山脈を旅したことがある。北部の方だけだがな。ミアは、そこで魔物を相手に猟兵となるための特訓をしたのさ。そんな場所だからね、ミアはこのミーティングは不要だ。


 オレがバシュー山脈を語らない理由?


 オットー・ノーランのほうがよっぽど詳しいからだよ。彼は帝国人に化けて、帝国の探検隊に参加して、大陸中の僻地に詳しい。山のことは山の専門家にお任せということさ。


 ゼファーの背のいちばん後ろに座る男、オットー・ノーランが、あのやさしげな声で空のなかで語り始める。


「―――バシュー山脈は大陸を、西、中央、東と、大きく三つに分けたところの、西と中央を区切るように走る山脈です。ルード会戦からこっち、我々がいたのは、おもにこの西側ですね。しかも、バシュー山脈からも大きく西に離れた土地です」


「うむ。それは分かっているぞ」


「はい。それぐらいは、大丈夫っす!」


「バシュー山脈の特徴は、その自然の豊かさかもしれません。切り立った山が並ぶような山脈ではありません。風雨の浸食により、山が崩れているのも特徴です。とくに、これから三十分後に見えてくるような山や高地は、かなり平たいものです」


 そうだった。バシュー山脈の北部の山々は、それほど険しい山ではない。だから今よりももっと小さかったミアでも、十分にその山を駆け巡ることが出来たのさ。


「……風と雨にならされて、平たくなったのか?」


「山って、そんなことで削れてしまうもんっすか?」


「ええ。洪水が起きれば、地面のあちこちがえぐれてしまうじゃないですか?雨や風も、日々、大地を削っていきます。何千年、何万年、何十万年と……時間を大きくかけることにより、その『わずかな浸食』が、ついに山をも削るのです」


「そうなのか……スゴいな」


「時間が経つのって、スゴいことっすね」


「ええ。山を見ていると面白いコトはよく発見できます。塩の固まりがあったり……魚の化石なんかも見つかりますよ」


「魚に塩?」


「なんでっすか?」


「確たる証拠はありませんが。何十万年よりも、はるかに大きな桁数の時間を与えると、かつて海だった場所も山になることさえあるのかもしれませんよ」


「そんなことがあるのか?」


「無茶なハナシっすよ?」


 世界は不思議と発見に満ちている。山で『海』の名残が見つかる理由を考えると、本当に不思議なことに触れているような気がするな。


 オットーの言葉は荒唐無稽のようにも思えるが……海だった場所が山になれば、たしかに疑問は解決するな。大地が動く……?地震という身震いをするのだ。もしかしたら、あんなものでも積み重ねれば、大地は動くのかしれん。


 ……男の心に幾つもあるオタク心が騒ぎ始める。だが、理解しているよ。猟兵女子ズは悠久の時間についての考察など、どうでもいいと一蹴するタイプが多い。女性の方が現実的なのだ。


「じつは、面白いコトにですね―――」


 心にある多面性。その面の一つに地理・歴史オタクという分野を明らかに宿しているオットー・ノーラン。彼の情熱が動き始め、とんでもない長時間の講義を聴かされてはたまらない。


 リエルは怒りっぽいし、キレたときのカミラはかなり恐い。


「―――オットー。大地の神秘にまつわる情報を楽しんでいる場合ではない」


「あ。は、はい。そうですね……すみません。どうしても、伝えたくなってしましましてね、地層学の世界を……」


 そう。彼はオタクなだけでなく、インテリなのだ。竜の背にいるオレたちの知性は、それほど高くは無い。インテリたちに本気を出されると対応が困る。


 アホ族が三人いたからって、自分に理解できない高度な知識を語るインテリには、うるさい、知ったことか!……と、低脳ぶりが露出した、みじめな学無き者の言葉で文句を言うことしか出来ない。それは、いささか不毛なのだ。


 リエルが、オレの肩を叩いてくれる。


「……いい判断だぞ」


 森のエルフの声が耳に届いたよ。


「ほんとっす」


 直後に『吸血鬼』さんの言葉もね。


 猟兵女子ズは、やはりオットーの地層学とやらの授業を受けたくはなかったらしい。


 まあ個人的には、男の冒険心みたいなのが騒いではいるんだよ。いつかヒマな時にでも、オットーの見て来た、『世界の常識の外側』に広がっている世界を、詳しく聞かせてもらいたい気持ちもあるが―――。


 今は、とりあえずバシュー山脈の基本的な知識だけを聞いておきたいね。


「うかつな好奇心を出さぬようにせなばな、カミラ」


「そうっすね、リエルちゃん。男性は、話したがりっすから」


 女子も話好きとは思うけれど。話したいことの男女差ってのはあるもんだ。


 オットーは風向きから考えて、彼女らのヒソヒソ話をオレよりもはるかに精確に聞いているはずだが、冷静さを失わない。女性に自分の趣味が受け入れてもらえなかったことなど、彼は何度となく経験しているのだろう。


 『パンジャール猟兵団』で最も紳士な男は、女子に怒るコトなんてない。ニコニコ顔が予想できるほどのやさしい声で、彼は説明を再開するのだ。


「―――では。基本的な説明を。バシュー山脈はモンスターが多いです。そして、風雨の浸食の結果から本来は地下にある鉱脈なんかが視認出来ます。そのため古くからあちこち鉱山として穴が掘られている……それが、モンスターの巣になっています」


「テキトーな開発の結果だな。エルフならば、そんな穴は掘らない!」


「そうっすよね。使わなくなったら、埋めておくのが常識っす!」


 そんなことをしなかったのは、金と時間が勿体ないからだろうな。だが、その怠慢がモンスターの巣を生み出し、バシュー山脈のモンスター生息数を跳ね上げることにつながったというわけだ。


 テキトーな開発がヒトの社会を破綻させる。よくあることだ。


「鉱石が出る土地は、豊かさを呼び開発を招きます……ですが、やがて鉱脈が消費し尽くされて壊れた自然だけが残る。財政は弱り、暮らしやすさを欠如しただけの貧しい国家は消える。それが歴史のパターンの一つですが、バシュー山脈の各地もその常識から外れません」


 リエルがとても小さな声で、また脱線か……と呟いたので、オレはオットーのフォローをする。


「滅びた国家が多いということは、朽ちた山城や放棄された都市も多いということだ。つまり、そこもダンジョン化している。つまりモンスターの繁殖地だ」


「そういうことです。さすが団長、詳しいですね」


「……まあね。猟兵だから。いいか、リエル。カミラ。バシュー山脈には、そういった危険なダンジョンも多い。今回は敵である『青の派閥』と、そいつらに雇われた『黒羊の旅団』以外にも、各ダンジョンからわいて来るモンスターにも注意がいる」


 オットーは、それを伝えたかった。きっとね。


 まあ、『ダンジョンとモンスターだらけの山ですから、ご注意を』……その一言でも足りたような気がしなくもないがね―――。


 だが、オットー・ノーランも猟兵である。オレたちの想像を超えて来る提案を出してくるもんだよ。


「―――ここにはヒトが住まず、モンスターの巣食う山城だらけです。いいえ、より高い場所には、モンスターさえ寄せ付けない山城もあるはずです。モンスターだって、住みにくいトコロには、あえて住んだりしないものですからね」


「ふむ。それが、どーしたのだ?」


「どうかしたんです、それが……?」


「……オットーは、オレたちの『拠点』を、その山城に作らないかと提案しているのさ」


 いい提案だと感じる。期限が五日後の夜までの任務ではある。だが、敵がやたらと大部隊であることを思えば、『ストレガ』の花畑以外に目的があるのかもしれない。『延長戦』も考えて、体力を管理したいところだな。


 何よりも……。


「雨風がしのげて敵の目を気にせずに、堂々と休むことが出来る……そんな山城が、欲しくはありませんか?」


 戦場においては理想的な『拠点』だな。隠密行動がメインとなる以上、夜間の仕事が多くなるだろう。昼のあいだ、敵を気にせず、全力で休息出来る場所を確保する?


 今度の任務において、最高の『拠点』だぜ、そいつはよ―――。


 もちろん、猟兵女子ズにも受けが良かったさ。


「いいな!!それ!!でかしたぞ、オットー!!」


「さすがっすね、オットーさん!!」


 そうだ。オットー・ノーラン。彼は仕事の出来る猟兵さんなのである。

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