序章 『嵐と共に来たりて……』 その10


「ほ、本当に樽が右回りに動いているぞ……ッ」


「サー・ストラウス、パネえええッ」


「どーして鯨を理解しているのだろう……まあ、竜と話せるぐらいだから、不思議じゃないか」


 あらぬ誤解を受けそうだが。


 オレは鯨の心を読んでいるわけじゃない。


 使っているのは猟兵としての、技巧と知恵さ。傷頭の鯨が『右回り』に動くのは、右側に集中させた傷を庇うためだよ。


 ヤツは海中で、痛む右側を庇うように固めたはずだ。筋肉をしめて縮こまり、動かさないようにする。そうすれば、痛みはいくらか和らぐだろう。だが、動きは再現されるはずだ、重心は右に傾き、右ヒレよりも左ヒレが動きやすい。


 そうなれば『右回り』に回るだろう。


 こちらの攻撃は、かなり傷頭の鯨にダメージを与えているようだな……。


 だが、それでもなお……逃げない。


 傷頭の鯨に引かれていた樽が、また沈んだよ。


「樽が……また、沈んだぞ!?」


「き、来ますかね、体当たりが!?」


「ああ。来るだろうな……狙わせるな。ボートを止まらせるんじゃない。とにかく漕ぎ続けて、動き回れ!!」


「りょ、了解!!」


 海賊どもは必死になって、ボートを漕いだよ。不安に晒されている。だが、前進することで、ヤツの攻撃を誘導できる……8時の方向で樽が潜った。ヤツは右回りを好む。そして、このボートが前進している―――それらを合わせれば。


「左舷から来るかもな」


 その言葉と共に、左舷に樽が浮かんだ。海賊たちは感心するやら気持ち悪がるやらだ。


「当たったあああああああああああああああああッッ!!」


「スゲーけど、怖ええええッ!!」


「どうなってるんだよ、アンタああ!?」


「……猟兵ってのは、戦いを『見切る』ことに長けているんだよ」


「サー・ストラウス、銛です!!言われた通りに、ボートの船首にくくりつけたっす!」


「うむ。ご苦労」


 指でその銛を掴むよ。確かに、ロープがボートの船首にくくりつけられている。船乗りたちの結び方。引き続ける限りは、千切れるまで解けない結び方でな。


「き、来ます!!こ、今度は突き上げるんじゃない!!横から、頭突きを喰らわしに来てるぞおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」


「くくく、ビビるな。ヤツが弱っている証でもある。深く潜ることが、出来ないんだよ」


「な、なるほど!!あ、ああ!!ヤツの頭がッ!!」


 紺碧の深みから、傷頭の鯨が浮かんでくる。かなりの速度だな。だが、ボートを漕ぎつづけているおかげで、直撃コースではない。しかし、ヤツめ……目玉が横についている割りには、こちらを正確に狙ってくるな?


 魔力を読むのか?


 それとも、音を聞いているのかもしれないな。海中は音がよく響くからな―――。


「来ますッ!!」


「ボートにしがみついてろ!!直撃だけは、させるつもりはないが、当たるぞ!!」


「そ、そんなああッ!!」


「強敵だ、仕方がない!!」


 オレは構える。海のなかを特大の獣がせり上がってくる。明確な殺意を感じるな。傷だらけの頭をぶつけてくる気だ。


 だが、攻撃を仕掛けて近づくほどに、オレからも強い痛みを喰らうということを教えてやるよ!!


 ヤツが浮かび上がる直前―――ボートから5メートルほどにまで近づいたそのとき。ギリギリに引きつけた、この近い間合いから、銛を思いっきりブン投げていたよ!!


 銛が空を飛び、海を貫いていく。


 浮かび上がろうとしていた出鼻を挫くように、ヤツの頭を銛が穿った。激痛のはずだ。突撃の勢いが、わずかに緩む。海中で、痛みのために身震いして、突撃のための速度が失われた。


 それでも傷頭の鯨が、大きな尾で力強く海中を漕いだ。加速する。最大の速度ではないが―――やはり、避けられんな!!オレの指が、素早く次の銛を掴んでいたよ。


「ぶ、ぶつかるぞおおおおおおおッ!!」


「ボートに、しがみつけええええええええええええッッ!!」


 ドゴオオオオオオオオオオオオンンンッッッ!!!


 鈍い音がして、ボートが浮かぶ。


 ヤツに乗り上げるようにして、ボートの左舷が高く持ち上がっていく。オレは、ボートの床を蹴り、左舷のふちを左の指で握り、ボートから大きく身を乗り出していた。ボートの真裏にヤツの黒い巨体が動いていた。圧倒的な存在感と、力を感じる。だが、傷は痛むのだ。


 背中に刺さったままの銛を気にするように、それがボートに当たるより先には海へ潜ろうと頭を下げた。ただでヤツを逃がすつもりはない。ボートが軋みながら、反り返っている。次の体当たりでは壊されるかもしれない。


 やられたら?


 やりかえさねば、猟兵ではない!!


「うおらあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 叫びながら、沈み行く鯨の脇腹目掛けて銛を放った。ヤツの体に、また深く銛が刺さったぞ!!


 ヤツが逃げたことで、ボートが海に着水する。海賊どもは、パニック寸前だが。オレは、笑っていた。いい戦いだ。ここまで、力を尽くす価値がある戦いは久しぶりだな。戦場で感じる策謀ではなく……より純粋で、血なまぐさい、原始的な争いだ!!


 血が踊るよ。


 鼻が、鯨の血の香りを嗅いだからだ。


「う、海が、赤いぜ!!」


「ヤツも、相当のケガを負わされているんだ……」


「か、勝てる!!き、きっと、サー・ストラウスなら、勝てるぜ!!」


「サー・ストラウス!!ロープが伸びきります!!」


「衝撃に備えろ!!ヤツと、このボートの綱引きが始まるぞ!!」


 ドゴオオオオオオオオオオオオオンンンンッッッ!!


 大きな音が走る。衝撃がボートを編む木ぎれを軋ませる。船の『骨格』が、ズレてしまったかもしれないな……ッ。


 ボートが、引きずられ始める。前にだ。ロープがピンと張り詰め、前方に巨大な獣が浮上した。ヤツが、潮を吹くぞ……だが、その潮には、血霧が混じっていた。オレたちは、なんとも生臭い血の霧を浴びながら、ヤツに引きずられ始めていた。


「くくく、血が混じった息を吐いたぜ!!」


「だいぶ、流血している……そうか、このボートの重みがだ……傷口が銛の返しで切り裂かれちまっているのかッ!」


「でも、た、たった、あれだけの数の銛で、あの巨体があそこまで傷つくのかよ……ッ」


「一本ずつが、とんでもねえ深さで刺さってるもんなあ……伝説を持つ鯨も、魔王サマの前じゃあ、形無しだな……ッ」


「サー・ストラウス!!新しい銛ですぜ!!」


「ああ。ご苦労」


 ボートを引きずり、これだけの速度を出すとはな。大した生命力だ。だが、もう潜れないだろう。このボートを海に引きずり込む力は、さすがに残っていない。体が右に歪んでいる。右が痛くて、右に曲げているな。


 だから、ボートを引きずりながらも右に回っている……。


 そろそろ、潮時というヤツだ。


「おい、皆。オールで後ろ向きに漕げ!!」


「え!?」


「鯨と綱引きするぞ!!……力一杯で、銛を引いて、ヤツの傷口を、より深く傷つけてやるんだ!!この出血量、動脈が傷ついたんだろう。切り裂けば、すぐに死ぬ」


「冴えてる!!」


「やるぞおおお、『アリューバ海賊騎士団』、根性見せろおおおおおおおおおおッッ!!」


 海賊どもの太い腕が、オールを海に突き刺した。それだけでも、かなりのブレーキになっただろう。ヤツのとても広い『眉間』に刺さった銛が、ヤツを吊り上げるような力で痛みつける。


 ビリリと鯨肉が裂けていく音が聞こえて、大量の血液が海を赤く濁らせていく。ロープを引きずるヤツの力が、減ったよ。狩猟者の本能が騒ぐ。海賊どもが、ボートを後ろに向かって漕いでいく!!


 銛が曲がっていくが……鋼が折れるギリギリで耐えている。ヤツは、海賊どもに負けないように、前に進もうとする。傷口を広げながらな。分かるよ、恐いんだ。殺されることを悟り、死から逃げようともがいて進む。


 鼻先が上がる、口で、空気を吸おうとしているのか?


 分からないが……楽にしてやるのが、君をこれから食べる男の義務だろう。ミアとドワーフたちを待たせているんでね。そろそろ、決めさせてもらうぜ!!


「うおらあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 暴れるヤツの横っ腹に目掛けて、最後の投擲を投げつける!!


 空を滑空したその一撃は、上体を海上へと反らしているヤツの右目の後ろに突き刺さる。海という盾に守られていない場所に、竜騎士の投げ槍を喰らったんだ。鯨の肉を深々と貫いただけじゃない。その奥にある頭骨をも貫き、脳の近くまで威力を与えたはずだ。


 ほぼ即死させるほどの深みだろう。ヤツは、静かになった。そして、これまでガマンしていたのかのように、全身を弛緩させて……その体と口から、大量の血を放出していく。


 命が消えるとき、ヒトと獣が行う最期の呼吸を、ヤツの背中の鼻が解き放つ。それは静かに、長く、血霧をともなう潮であったよ。


 それは、ジュシュウウウウウという長く響く別れの歌。傷頭の鯨は、その歌を使って、オレたちに狩りの終焉の訪れを悟らせていた。


「やったあああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


「仕留めたぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


「さ、さすがだ、サー・ストラウスうううううううううううううううッッッ!!!」


 歓声が上がる。


 オレの勝利を、海賊たちは称えてくれるよ。嬉しくなるね。強さを証明できた気持ちになる。狩りとは素晴らしい。これだけの充実感を覚えさせてくれた後に、あの脂肪がたっぷりの肉を喰らうことが出来るのだからな……。


「沈まないように、ヤツを回収しようぜ?」


「ええ。『ヒュッケバイン号』も、すぐ側まで来ていますので、すぐに船の上に持ち上げられますよ。あとは、素早く解体作業に入りやす!!」


「……そうか、どれぐらいで肉を食べれる?」


 オレは銛を準備してくれていた海賊に聞いたよ。なんだか、彼とは仲良くなれた気がするな。共に仕事をすることは、男と男のあいだに友情を築きやすいものだからね。


「肉……お急ぎですか?」


「ああ。ミアが……妹が腹を空かせている。それに、解放したドワーフたちも。よく働いてくれたのに、いいメシを食わせてやれていない」


「了解です!!海賊たち、全員で、作業にあたらせてもらいます。ヤツの……『傷頭』の肉は、脂肪も乗っていて美味しそうだ。作戦の勝利を祝う、最高の肉になるでしょう!」


「ああ。海とあの勇敢で強い獣に、感謝せねばな。最高の狩りだったよ。オレは、ヤツの肉を妹と仲間たちに振る舞えることが、とても嬉しいぜ」




 ―――海は、赤く染まって。


 獣の肉は、海賊船へと吊り上げられる。


 海賊たちは、鯨油ではなく肉を切り……。


 竜騎士はその新鮮な肉を、フライパンで焼いていく。




 ―――その肉は、ミアのグルメな猫舌を満足させて。


 飢えていたドワーフの奴隷たちの胃袋を、充たしてくれた。


 ドワーフたちは竜騎士に感謝を捧げ、その恩を生涯忘れることはなかった。


 このドワーフたちこそ、『未来』のガルーナ騎士団の一翼を担う戦士たち。




 ―――魔王のために命を捧げた、勇猛果敢な戦士たち。


 どんな傷を負ったとしても、不退転を貫いた、魔王の偉大なる『盾』。


 ソルジェは海の獣を仕留め、その血肉で、大いなる勇者たちと絆を深めた。


 ドワーフたちはアリューバにたどり着く前に、その獣の血肉で体力を取り戻したのだ。

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