序章 『嵐と共に来たりて……』 その二


「……よーし。ゼファー、上昇してくれ。あれだけ元気に遊んでいる余裕があるんだ。あいつらは、この程度の嵐では、やっぱり死なないらしい」


 心配して損した。いや、心配するのが失礼だったのかもしれない、『アリューバ海賊騎士団』の技巧は、嵐などに負けないらしいな。


『らじゃー!くものうえに、あがるね!!』


 ゼファーがそう言って、翼に嵐を掴まえた。


 そのまま、ゼファーの体が、とんでもない勢いで上昇していく。あっという間に灰色に渦巻く雨雲を抜けて、朝焼けの太陽が輝く上空へと突き出ていった。


 その解放感を感じる上昇のなかで、エルフの綺麗な声を耳に拾ったよ。風が竜の翼をこする音にも負けない、凛とした強い声だった。


「ソルジェよ、心配しなくても良かったな!海賊どもは、やはり、しぶとい!」


「ああ。だが……アレだけの嵐を思えば、フツー、気になるもんだろう?」


 魔王を名乗ることもある、ガルーナの蛮族、ストラウス家の四男坊ではあるが……自分にも常識というものが、ちゃんと培われていたのだと思うと少し安心したよ。


「うむ。そうだな。だが、無事だった。ならば、作戦通りに我々は先行しておこう」


「……ずいぶんやる気だな、リエル。戦闘になる可能性も少ない、地味な任務だぞ」


「任務は任務だ。油断してはならん」


「たしかにな」


「それに、シャーロンの情報によれば、作業を強いられているドワーフたちの奴隷もいるのだろう?」


「……その可能性はある。近くにいるのか……そうではないのかも分からないが」


「助けてやるべきだ!」


「……ああ。そうなんだが―――」


 少々、気になることもあるのだ。


「―――何が不満だ?『ミスリルのヤスリ』は、たくさん持ってきたぞ?ジーンたちが船は奪うつもりなら、それに乗せてやればいいではないか?」


「奴隷たちは、家族と引き離されているかもしれない。それならば、彼らだけで逃げることは出来ないだろう」


「……む。そ、そうか……たしかに、家族を置いてアリューバまで行くというのは辛い行いだな」


「とはいえ、彼らが置かれている環境次第だろう。もしも、死人が出るほどに過酷な労働を強いられているならば……逃亡することも受け入れるはずだ」


「うむ。それならば、助けてやるべきだな!」


「ああ。しかし、帝国はアリューバで大量の軍船を失ったばかりだ。奴隷といえど、船大工は貴重なはず。比較的、その扱いはマシかもしれんぞ」


「ですが、リングマスター。彼らがいれば、より早く、より多くの軍船を建造されてしまいますわ」


 ……ちょっと不穏な響きがあるが、恐いから追求しないことにしようか?……まあ、そうはいかないか。


「船大工を殺せってか?……つまり、ドワーフではなく、帝国人の」


「はい。きっと、有効ですわ。シャーロンから彼らのたむろしている酒場の情報を、もらっているのでは?」


 酒を呑むことが生きがいであるオレとしては、酒場を襲撃するという行為は受け入れがたい。あまりにも残酷に思えてしょうがねえぜ……。


 レイチェルは、ちょっと過激な闘争心を持つ大人女子だ。夫とサーカスの仲間たちを帝国の兵士に殺されているからな。『亜人種狩り』の被害者さ。そんな人生を送れば、攻撃的な『人魚』になっても仕方ないじゃないか?


「……たしかに、帝国人の船大工を殺すのも効果的だろうが、それを行っているヒマはないぞ。『イドリー造船所』を破壊するのが最大の目的で、二番目の目的は船の回収。そして、これはオレたちにしか出来ないが、『隣接している植林地を燃やす』。これも目標だ」


 『イドリー造船所』が帝国で『二番目』……いや、アリューバ半島が解放された今となっては、『帝国一の造船施設』である理由は、その施設の巨大さだけではない。


 そこに木材を供給するための植林地が、造船所に隣接していることが大きいのだ。材料を伐採して、すぐに加工し始めることが出来るというわけだよ。


 ……この植林地を、焼き払ってしまいたいのさ。


「造船ってのは、大量に木を消費するからな……イドリーの植林地を焼ければ、帝国の造船業に致命的なダメージが与えられる。職人は素人に5年も与えれば、それなりのモノになるが、木は10年以上はかかるぞ」


「つまり、『職人よりも木は貴重』だと?」


「ある意味ではそうだ。職人がいても材料が無ければ何も作れはしない」


「たしかに、そうですわね。職人は他の土地から連れて来ることも出来ますし」


「ああ、職人は呼べば歩いてきてくれるが、船の材料となるほどの大木を陸路で運ぶのは多くの馬と時間、そして金がかかるぞ。植林地を焼き払うというのは、イドリーの造船機能に破滅的なダメージを与えると思わないか?」


「ええ!さすがは、リングマスターですわね!お金のことまで考えているなんて、さすがは経営者ですわ!」


 レイチェルに褒められたよ。そう、オレは『パンジャール猟兵団』の経営者でもある。経営者ってのは、資金繰りや仕事のスケジュールってのを考えるもんだ。


 近場の植林地を焼き払えたなら、イドリー造船所を再建できたとしても、これまで以上に材木を仕入れることに金と時間がかかるようになる。そうなれは、どんなことをしたとしても業績の悪化は確実。かつての生産ペースを維持出来るわけがない。


 となれば?


 イドリー造船所に投資する帝国の商人や金持ちの貴族も減るはずだぜ。


 帝国の軍需産業を支えているのは、そういう連中の財布だからな。侵略戦争のうま味を知った金の亡者たちが、帝国軍を支えている。だから、『経済を壊す』ってのは、ヤツらには有効なんだよ。


「イドリーの造船業を『長期的』に破壊するためには、職人を殺すより、材料を潰す方がいい」


「海賊さんたちは、『短期的』な破壊というわけですわね」


「ああ。まあ、船を造られたら、防衛体制が整っていないアリューバが攻められちまう。植林地を焼くよりも急ぎの仕事じゃあるんだがな」


 だが、それらの長短の破壊を組み合わせれば?イドリー造船所の破壊は、より深刻になる。


 ああ。


 帝国人が不幸になると思うと、口元がゆるんじまうよ。


「―――ねえ、お兄ちゃん、質問があるんだけど?」


「どうした、ミア?」


「前に、リエルといっしょに敵ごと森を焼いたことがあったけど。そのときは『枯れた森』だったよ。お兄ちゃん、『雨で濡れた木』って……燃えるの?」


「もちろん燃えにくい。だが、結局は火力次第だ。この雨雲も、長くは続かない。昼前までは降るだろうが……それから後は晴れて、それから少なくとも4時間は止むことなく東の荒れた風が吹くはずだ。大火を作れば、十分に山火事を起こせる」


「なるほど!さすが、お兄ちゃん!」


「まあ。竜騎士だからな」


 そうだ、オレは竜騎士ストラウス。


 ストラウスは、五百年以上も竜と共に生きたガルーナの野蛮人だ。気象についての知識を蓄えるぐらいの知恵は、野蛮人にだってあるのさ。竜と共に空を高く飛び、蒼穹を睨みつづけ、雲をその肌に浴びてきたんだぞ?


 風も読めるし、雲と語らうことさえ可能となる。眼下で渦巻くこの雲の『色』を見れば、雨を降らせる時間も見当はつくよ。


 この春の終わりを告げる嵐とやらが、イドリーの植林地にどんな方角から、どれだけの時間、風を吹かせるかぐらい、嵐を体感し、地図を頭に思い浮かべることで容易く予測できる。


 風というのは、詩人どもが記すように気ままな存在ではない。


 おおよそ素直な存在であり、知識と経験と、それなりにいい目玉があれば、誰でも読めるようになるものさ。


「……その東の風を利用するぞ。リエルの紋章地雷で『炎』を仕掛ける。東の植林地に火をつければ、あとは勝手に植林地全体に燃え広がるはずだ。頼めるか、リエル?」


「もちろんだ。いいだろう、不自然な植林地など、傲慢の極み。森のエルフとして、そのようなものを許すつもりはない」


 森のエルフの好戦的な側面が出ている。


 自然を崇拝するエルフ族は、人為的な自然の操作を嫌う傾向があるんだよな。植林地を『傲慢の極み』と呼ぶのか。なんとも、エルフらしい発想かもしれないな。


 木とは、自然の恵みそのものではある。


 オレたち人類の燃料になり、家具にもなり、家にもなる。自然がくれた尊い贈り物という見方も出来るね。


 植林という概念は、エルフ族にもあるらしいが……『森を豊かにする』という作業ではなく、『ただ大量に消費するための植林』という形では、エルフ族の哲学として、受け入れられないのかもしれないな。


「―――調和を欠いた森は、ヒトに害を成すことさえある。肺と鼻と喉がやられる病を起こすのだぞ」


「そうか。ならば、帝国人の健康のためにも、イドリーに隣接する大きな植林地を焼き払ってやろうではないか。作戦は理解したな、レイチェル?」


「はい。リングマスターの命令は、絶対ですもの」


「ああ……そうだ。意見はいつでも歓迎だ。だが、最終的に『何』を獲物にするかは、オレに任せてくれ」


「ええ。あなたを信じていますわ」


 ……オレの復讐者としての、邪悪な狂暴さを信じてくれているのだろうか?それとも猟兵団長としての判断能力の方なのか?……帝国人の船大工への殺意をオレが見せなかったことに失望させちまったかな……?


 どちらにせよ、信頼には最良の結果で応えたいものだな。


 『最良の結果』とは何か?


 帝国への勝利だ。より大きな打撃を与えることこそが、その目的につながる。


 ……なあ、レイチェル。オレたちが復讐すべき相手は巨大だ。オレたちだけではなく、オレたちの仲間でも倒せるように、組織として弱体化させる。そうでなければ、帝国の全てを破壊することは叶わない。


 くどくて説教的になるから、その言葉は口にはしない。その必要もないしな。レイチェル・ミルラは、オレを信じてくれていると言ってくれた。ならば、オレは最良の仕事をすればいいだけだ。


 彼女を失望させるほど、オレは帝国人に優しくはないということを証明すればいい。なんとも簡単な仕事だよ。


『……ねえ、『どーじぇ』。りくがみえる、とうだいがあって、おおきく、みなみにへこんでいるよ』


 ゼファーの瞳が分厚い灰色の雲の切れ目から、地上を見ていた。そうだ。おしゃべりは時間を消費してしまうもので、竜の翼はとんでもなく速く飛べる。オレたちは目的地にたどり着こうとしているのさ。


「……『イドリー湾』だな。ゼファー、雲の下に降りるぞ」


『らじゃー!』


 ゼファーが翼をたたみ、鼻先を地上へと向ける。竜の降下が始まるよ。オレは仲間たちに告げる。


「風にあおられて、飛ばされないようにしろ!ミアはオレが抱きしめる!リエルはオレにくっつけ!レイチェルは、リエルにだ!!」


「うん!!」


「了解だ、ソルジェ!!」


「分かりましたわ、リングマスター」


 暴れる風を、ゼファーが突っ切っていく。横からも風に殴られ、前からも風が襲いかかる。幾重にも渦巻く暴風の囲いを、竜の飛翔が突き破って、嵐の最も濃厚な部分を貫いていた。


 白波の牙の群れを見る。雲の下に広がる海は、先ほどよりも、はるかに狂暴だ。雨も風も、とてつもなく強い。これが春の嵐の最もヒドい場所か。ジーンたちめ、この激しさをも乗り越えていたのか。


 それならば、先ほどの雨風など余裕というものだ。


 盟友たちの強さを感じ、貌が緩む。ガルーナ人の野蛮な牙で風を受けるんだ。嵐に噛みつくみたいに好戦的な笑顔となった。


「ゼファーよ、沖合に比べると、湾内は風も雨も弱まっている。このまま湾内を、南に抜けるぞ!」


『うん!みんな、とばされないでね!』


 ゼファーが嵐にうなる空を、その大きく成長した翼で力強く叩いた!嵐が放つ乱れた気流を、竜の翼が屈服させる。力尽くの羽ばたきで、嵐の風を破壊しにかかるぜ!


 竜が空の王者であることを、証明するような飛翔であったな。


 風の乱れを突き破り、ゼファーは暴風の中でも、まっすぐに飛んでいく。


 くくく。嵐のなかを飛ばせたことで、嵐をも学んだのさ。経験を積むことで、竜の飛翔は、より研鑽される。オレは、我が仔の成長が、『ドージェ/父親』として、たまらなく嬉しいぜ!


 世界を飛び抜けていく。


 ……またたく間にな。


 だから、ターゲットはすぐに見えたぞ。


「みんな、左だ!イドリー造船所を見ておけ!頭のなかに叩き込んだ地図と、現実をつなげておくんだ!不測の事態に備え、戦場を把握しておけ!」


 体をつなげているおかげで、重心の動きが分かるよ。竜騎士は重心を探ることに、世界一長けている職業だ。サーカスの空中ブランコ乗りにだって、負けないさ。腕と脚のなかにいるミアだけでなく、背後にいるリエルとレイチェルの動きも把握できる。


 猟兵女子たちは、オレの命令に従ってくれていた。


 もちろん、オレも左を向く。ああまで言ってしなかったら、正妻エルフさんに殴られちまうからな。


 暗雲の下、いまだに朝日の祝福を浴びることのない灰色の世界が、そこには存在していたよ。湾内は、沖合に比べると、はるかに静かなものだ。荒れてはいるが、沖合のように船をも呑み込みそうな大波はない。


 さて。大きく南にへこんだ、この小さな海の岸辺に、獲物は存在した。『イドリー造船所』さ。


 海岸には無数の作りかけの船たちが置かれているな。まるで、食い散らかされた獣のあばら骨みたいに、塗装前の白木の骨組みが放置されている。それらは皆、横転しないようにロープでくくりつけられていた。嵐に備えてのことだ。


「船がたくさんある!」


「お、多いぞ。作りかけを含めると、20や30ではないな……」


『『まーじぇ』、よんじゅうよん、あるよ!』


「まあ、たくさんありますわね。それらを全て焼き払うのですか?海賊たちだけで?」


「焼くための道具は持ち込んでいるだろうさ」


「どんなものですの?」


「鯨の油、松ヤニ……燃えやすくて、べたつくものでも塗り込んで、火をつけるだろうよ。完成間近の船ほど、雨よけは多い。風を読んで穴を開ければ、三十分もあれば、取り返しのつかないほどに燃えちまうさ」


 それでも足りなければ、ゼファーの炎で追い打ちをかけてやってもいいがな―――。


「んー。誰もいないね」


『うん……みはりだいにも、だれもいない』


 この大嵐のおかげだな。情報によると、イドリー造船所には兵士が20人ほど、警備にあたっているというが……さすがに、この暴風雨のなかでは巡回もしない。詰め所に集まって酒でもあおっているのか、寝ちまっているのだろう。


 ふだんはおびただしい数がいるであろう船大工たちは、春の終わりを告げるこの嵐が過ぎ去るのを、どこかの酒場にこもって大宴会をしながら祝っているのさ。


 ほとんど無人で警戒も薄い。


 実に狙いたくなる獲物だろう?


 襲撃のコツは、相手の想像を超えることだ。予想を超えた攻撃には、組織的に対処することは困難だからな。組織とは、備えていることにしか応答が出来ない。スケジュールを把握された組織を攻撃するのは簡単なことさ。


 『アリューバ海賊騎士団』は、先の海戦で大きく疲弊している。それに、帝国人の常識では、この大嵐を越えてくる敵などいない。それゆえに敵襲など、警戒する必要がない。


 まあ、なんとも常識的な判断だが、『アリューバ海賊騎士団』もオレたち『パンジャール猟兵団』も、非常識な攻撃性を有していることを、帝国人に思い知らさせてやろう。


 くくく!……ファリスの豚どもよ、夜ごとに怯えるがいい。海賊と猟兵が貴様らを襲撃する悪夢を、たくさん見てくれると嬉しいね。


 オレたちはいよいよ帝国本土を攻撃する。まあ、造船所と森に火をつけるだけの簡単な仕事なんだがな。戦略的には有効な攻撃だ。

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