第六話 『アリューバ半島の海賊騎士団』 その58
レイチェル・ミルラのサーカスは、いつだってストラウスの心を楽しませる。今日もさ。だって、侵略者どもの血と悲鳴が白波が混じる紺碧から、空へと飛んでくるんだからな。
ボートの上の兵士どもは大変だ。なにせ、空にいるオレたちと、海中から襲いかかるレイチェルの脅威に襲われる。忙しくって、てんてこ舞いだな。
もちろん……それが狙いでもあるのさ。ヒトの視野は狭いもんだ。上と下を同時に見ることは叶わんよ。たとえ見えたところで、それに対応出来るほど、二本の腕と二本の足では足りないさ。
竜と『人魚』のコンビ芸。世にも珍しいオレたちのサーカス芸を、楽しんでくれると嬉しいね。
お代は、君らの命で構わんよ。あの世に行ったら、伝えてくれ。オレとレイチェルの愛する人々に。君らの国が奪ったオレたちの家族に。
オレたちの愛は、まだ不変だということを伝えてくれよ。焼かれて、刻まれて、壊れて砕けたその命の赤で!!オレたちの、愛の深さを伝えてくれ!!
「ハハハハハハッ!!焼き尽くせえええッ!!!ゼファーあああああああああッッ!!」
『GAAHHOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHッッ!!』
帝国の兵士たちを空から焼いて、海からは『人魚』の殺意に踊る呪いの鋼が襲いかかる。竜と『人魚』は、ダンスのステップみたいに、ジグザグと交差を繰り返す。狙う獲物を左だ、右だと交換しながら、空と海を走るんだ。
オレは『リングマスター』、レイチェル・ミルラの旦那の代役さ。
彼女が踊りたいのなら、オレは無様な歩調で一緒に踊る。彼女の舞いを、覚えている。オレでもちゃんと踊れるように、右、左、右、左のステップだよ。
矢と意識が、空と海、左と右に分散していく。上下左右、世界を広く使いこなして、オレたちは回避の機動を創り上げる。
ボートの群れが、オレたちに幻惑されながら駆逐されていく。矢を放ち、悲鳴を放ち、敵意を向けるが……幻惑された者の矢は、風と海の守護を帯びたオレたちの舞踏には、かすりもしない。
それに、君たちは忘れているぞ?
攻撃を仕掛けに行くということには、覚悟が必要なものではないか。どんな覚悟か忘れたか?……それでも構わないさ。すぐに思い知らされるだろうからな。
竜と『人魚』を射るために、オールから指を離している。スピードを失っているというわけだ。海に漂うだけならば、その『矢』から、どうしたって逃げられないさ。
「照準、良し!!このまま、放てッ!!」
「イエス・マムッ!!」
疲れた顔ではあるが、それともリエルが凜とした声で叫んでいたよ。彼女の『部下』の海賊どもが、かけ声と共に動き、その『バリスタ』を発射させた。
オレたちにかまけていたことで、ボートは大きなミスを犯したのさ。ジーン率いる海賊船団は、すでに陣形を取っているぞ。右舷をボートに向けて、横に並ぶんだ。
ベテランだから、狙うべき敵の序列を理解している。迷うことなく、彼らは『バリスタ』から特大の『矢』を放っていたよ。それはカモメのように海上を飛び、雷のように鋭く敵へと降り注いだ。
ズグシュウウウウッ!!
残酷な音が聞こえる。串刺しの歌だ。海賊船たちが放った、それぞれの『矢』は狙い通りの軌道を描き、帝国人の肉体を破壊していた。
「ぎゃがああああああッ!?」
腹を『矢』に貫通された兵士が、悲鳴を上げた。彼は、ボートに縫い付けられる。その『矢』は、彼の胴体とボートの底を同時に射抜いたというわけだな。もちろん彼にとっては、それは致命傷だ。
だが、もっと悪いことに、串刺しにされた彼が、命を使い切りながら、必死に暴れて、もがいたことで、ボートの『傷口』も広がってしまったな。すぐに浸水も始まるぞ?
「し、しまったあ、も、もう、海賊船の射程距離にッ!?」
「いつのまに!?りゅ、竜と……に、『人魚』?に、気を取られすぎていたのか!?」
「ぬう!?ヤツら、帆船のくせに、は、速いぞ!?」
「こ、漕げ、止まると、止まると……『バリスタ』だけじゃ、すまねえぞおお!!」
そうさ。
さすがによく分かっているではないか、帝国海軍の諸君よ。
その通り、届くのは『バリスタ』の『矢』だけではない。海賊たちが甲板から放つ、大弓の矢だって、もう君らまで届くんだよ。
「一斉に撃て!!下手クソどもでも、数をまとめれば、一度で仕留められる!!」
「合点だああああ、シアン姐さんッッ!!!」
「一番近いヤツらから、射殺すぜえええええええええええッッッ!!!」
「『ケストレル』の、弔いだああああああああああああああああああッッッ!!!」
シアン・ヴァティ姐さんの号令で、海賊たちが、数十の矢を一斉に放つ。ああ、松ヤニ付きだ。つまり、火矢さ。
火矢の雨が、帝国軍のボートに降り注ぐ。帝国兵どもは、それを木製の盾で防ごうとするが、どうにも慌てすぎていて展開が遅い。
そして、何よりもボートが流されて、海賊船に右舷を見せてしまっていたな。
ボートの『前面』で盾を構えることで、当たる範囲を狭めて、確実に防ぐ。そういう戦術で君らは護られていたのだろうがな―――。
くくく、竜と『人魚』に見入っていたツケが来たぞ。
やはり、お代は命で支払うことが相応しいようだ。ボートの兵士たちの大半が射殺されていく。外れた矢も、ボートの上に突き刺さり、そのまま燃えつづけたな。
その松ヤニには、何かを混ぜている。錬金術の産物だろうよ。だから、波が当たったくらいでは、その火は消えない。炎で火傷したくなければ、そこから逃げるしかないが、ボートの上では逃げようもない。
そうなると、そのボートはどうにもならない。
そもそも、射殺された兵士が多すぎる。『漕ぎ手』の足らないボートは、まったく動けないからな。もはや、海賊たちの矢を恐れて木の板で出来た大盾の裏側に、震えながら身を隠し続けることしか出来ない。
だが。怒れる男は容赦がないぞ。
『ケストレル』を失った悲しみは、ジーンの心に激しい感情をもたらしている。
「臆病者に使う矢は勿体ない!!船で、轢き殺してやるッ!!」
「ひゃはは!!やっちまえええ!!ジーン船長おおおおおッッ!!」
「帝国の侵略者どもを、海に沈めちまええええええッッ!!」
ジーンは操舵輪を操り、海賊船の船首をボートに向けた。
「わああああああああああああああああああああああッッ!!?」
悲鳴と共に、ミシメシグシャリという、ボートが潰れてしまう音が海に響き渡ったよ。
海賊船に轢かれたボートは砕け散り、帝国兵は海へと落ちた。二度と浮かび上がることは無いだろう。この海の魚は、大きく育つことだろう。エサに恵まれたからな。
竜と『人魚』の攻撃に、『バリスタ』と弓の射撃、果てには海賊船の体当たりまで加わることとで、ボート部隊はまたたく間に海の藻屑と化していった。そのまま、北西に陣取るヴァーニエの艦隊を目指し、まっすぐと進むだけだ。
ジーンたちに戦略は、もう無い。
武装もかなり使ってしまっているし、激しい作業の連続で体力も奪われている。睡眠時間も足りないだろうしな。
海賊騎士団にあるのは、もう闘志と、基本的な戦術だけ。『バリスタ』と、トーポ沖の戦で敵船から盗んでいる十数発の『火薬樽』ぐらいのものさ。
そうなれば、敵に接近していき、基本的な戦闘能力で戦い抜くしかない。シアン・ヴァティもジーン・ウォーカーも、白兵戦の用意をしているぜ。双刀とサーベルを抜き、鋼の切れ味を確かめている。
敵船に乗り込んでの白兵戦。その勝算は十分だ。
ヴァーニエ艦隊は、海賊船団を狩るための白兵戦力をボートで送り出しちまったからな。
それぞれの軍船にいる海兵の数は、かなり減ったはずだよ。ジーンたちにはシアン、リエル、ジーンという白兵戦の達人たちがいる。達人に突破されたら、後続の海賊たち敵兵を蹂躙していくだけになるはずだ。
その白兵戦闘での勝利を目指し、突撃するのみだ。
問題は、ある。
『カタパルト』に狙われながら、その突撃を続けるしかないということだ。
リスクは高いが、それを選ぶしかない。
対策として出来ることは少ない。可能な限り、海賊船たちは幅を広げて、狙いが集中しないように心がけているが、どれほど有効なのかは不透明だ。
『火薬樽』が外れてくれることを祈りながら、とにかく可能な限りスピードを上げて走り切るのみ―――なかなか特攻じみた作戦だ。しかし、怯んでいればヴァーニエの艦隊が攻勢を強めるのみ。だから、無謀であろうとも行くしかない。
むろん。
オレとゼファー、そしてリエルが『火薬樽』の撃墜を試みるが……全てを確実に撃ち落とせるとは考えにくいのだ。
しかも、ヴァーニエのヤツは部下に命じているらしい。十分に引きつけろとな。その証拠に、海賊船が射程距離に入っても、撃っては来ない。
外れぬように、しっかりと狙わせるつもりのようだな。最も狙いやすく、精度が高まる距離……そこを選び、最良の一撃を放つつもりか。
強打を構えている敵に、正面から突撃して行くってことだよ。
まったく、緊張するな。
リエルのいる海賊船はともかく、ほかの船は……いや、リエルの船でも、集中して『火薬樽』を撃ち込まれたら、全てを撃ち落とせることは出来ない―――サポートしてやりたいが、ゼファーで近づこうに帝国軍船どもは、お互いの矢が届く範囲にいやがる。
まるで、矢の結界を張られているようなものだ。近づけば、数百の矢を喰らう。さまざまな方向から、十分にゼファーを傷つける威力の矢を浴びることになるな。ゼファーを犬死にさせるワケにはいかない……ッ。
くそ、なんという緊張感か。情けないが、体に冷や汗をかいてしまう。見守ることしか出来ないという現実が、あまりに、もどかしいぞ……ッ。
だが、始まっている。
もう海賊船たちは海流に乗って加速を始めたのだ。これからは、ただただスピードと幸運を頼りに、突っ込むしかない。
オレは、足の指を握ったり開いたりしちまうよ。落ち着かないぜ、この緊張感は……。
まったく、海戦ってヤツは……『戦い』というよりも、ポーカーでもしているような疲労を覚えるな。
運と度胸と、頭脳戦による駆け引き。ガルーナの野蛮人が得意な、筋肉を使う部分が、かーなり少ないんだよ。
ガンダラやシャーロンという、演技派と絶対的な無表情の人々に、ギンドウとオレが血祭りにされたポーカー・ナイトを思い出すぜ。悪夢のように負けちまったな。オレは、海賊船の船長には、きっと向いていない。
『……な、なんだか、きんちょうする……っ』
「『ドージェ』もだよ。フレイヤは、スゴいな……こんな緊張感を知り尽くした上で、あれほどの穏やかさを保てるのか―――」
―――オレは、そのとき思い出していたよ。
英雄の条件ってヤツさ。
いいタイミングで現れるんだ。みんなが望んだときに、そいつらは現れる。まるで、神さまがその時代とその場所に、そいつが産まれることを手帳に書き込んでいたみたいにな。
ルッセルドルフの赤毛のドワーフも、フェリージアの剣巫女も、うちの大大大ばあさまである『ガルーナの名前を喰われた竜騎士姫』も……いいタイミングで危機的状況の真っ只中に現れて、国難を救ってしまう。
だから、オレは、そういったタイミングの良さってのが、英雄の条件ってヤツだと思っているのさ。ただの持論だけどね。
でも。
その持論に照らし合わせると、今、北の海から響いてきた、角笛たちの歌は……英雄を感じさせるには十分だったよ。
オレの顔が緩む、間違いなく、人生でトップクラスだ。これより緩んだのは、オレの妹セシル・ストラウスを初めて抱っこしたときぐらいのものさ。
北風で満たされた帆が、その漆黒を帯びた船体に、白波を蹴散らす速度を与える。仲間たちの船を、置き去りにしてしまいそうだったよ。勇敢にして孤高、怯むことなきアリューバの姫騎士の船が、戦場に突撃してくるのさ。
最高のタイミングで来たぜ、『最速の海賊船』……『ヒュッケバイン号』がな!!
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