第五話 『復活の聖女は、仮面の下で嗤う』 その8
「ソルジェ・ストラウスくん。ヤツら、ベストなポジションだね」
オレに肩を寄せてきながら、マルコ・ロッサが話しかけてくる。彼のやる気の無さそうな目は、その実、精緻な分析力で世界を観察し続けているようだ。
「ああ。連中。高級酒場とやらの外にいるし……高級酒場さんに人気はほぼない。魔眼で見ると、地下に何人かいるぐらいだよ」
「まあ、営業時間ではないからね。人件費をカットすべきだろう……暗殺するにはベストだろう?」
そういう計算の元に、このうつくしいが邪悪な場所へとオレを誘ったというわけか。さすがはスパイだと納得するよ。
「護衛もついているしな」
「そう。いいセンスだ。『護衛がついている方がいい』。つまりは、油断してくれているからね。そっちの方が、むしろ暗殺しやすいときもある。奇襲を仕掛けられるときは、特にね」
「そうだな。本人も屈強。いきなり日中に、暗殺されるとは思っていないか」
「どうする?……『炎』の魔術でいきなり爆破して、海に潜って逃げるか?」
「……いいや。静かに殺すよ。ヤツとハナシをさせろ。オレが殺すよ。直後に、背の高い低い護衛もオレが殺す。アンタは、背の低い護衛を頼めるか」
「分かった。素手でか?」
「まあ、色々と考えているから大丈夫だって。さあて、始めよう、マルコ。ヤツらに声をかけてくれるか?」
「ああ、任せろ。魔王サマのお手並み拝見と行こうじゃないか……おーい!!旦那方!!ボクサーは、誰に見せればいいのか、教えてくれないかあっ!?」
マルコ・ロッサは大声で、帝国海軍の連中に声をかけていた。海を見ていたヘイズワース中尉が、こっちを向いた。ふむ。いかにも狂暴そうなツラだな。ヤツが、その好戦的な口を開き、オレたちを呼ぶ。
「こっちに来い!!オレが、見定めてやる!!」
「わかりやしたぜ!おい、ドーン。行くぜ」
ドーン設定なのは、そろそろやめて欲しい。あまり好きじゃない偽名だ。
オレとマルコ・ロッサは、ヘイズワース中尉のそばにやって来た。
ヘイズワースがのっしりとその巨体を揺らして、オレに顔を近づけてくる。ヤツの大きな鼻がヒクヒクと動く。
「お前、香辛料のにおいが強すぎるな」
「そりゃあ、すまんね。昼飯がカレーだったんで」
「ふむ。試合の前には、刺激臭のする食事は控えるように。ふむ。だが、お前は、かなりいい体をしているな」
そう言いながら、ヘイズワースは大きな手でオレの肩を二、三度叩いていた。オレはその程度の振動ごときじゃビクともしないよ。その強さを、彼は気に入ったようだな。
「ハハハッ!まるで、鋼のような強さだ。よく鍛えられてある!!」
「ああ。岩を持ち上げるのがコツだと思っている」
「ほう!!自然にあるモノを使うか!!いい鍛え方だな。人工物で鍛えるのも計画的で面白いが……少々、パターンが限定されてしまう」
「そうだな。好きなトレーニング・メニューが出来ちまいがちになる。それでは、一カ所ばかり鍛えあげられて、肉体の連動が乱れてしまうよ」
「なかなか良さそうなボクサーだ。オレの巨体を見ても、驚きもせん!!その胆力も気に入ったが……シャープで獣のような筋肉に、オレは惚れる。名前を言え、今度の試合は、お前に賭けてやるぞ!!」
「ああ。ありがとうよ。オレの名前は、『ドーン』だ」
「ほう。筋肉質でいい名前だ!!」
そうかね?
ボリューミーなイメージからかな。オレは、鈍くさそうであまり好きな名前じゃないんだけどね。
ヘイズワース中尉は、オレの首回りの筋肉をじーっと見つめてくる。
「いい僧帽筋だ。量が有り、柔軟そうだ。得意のパンチは、フックか?」
「フックもアッパーもストレートも。何でも出来ちゃうよ。とくに、オレの右腕は最強だよ」
「ほう!このオレの筋肉美を前にして、言ってくれるな」
「ハハハッ!いやいや、アンタの体も、中々、キレがあっていいと思うぜ。でも、オレの筋肉の方が、いいぜ!!」
オレは右腕の力こぶを、ヤツに見せつけるようにしてふくらます。ヤツは、ほう、と感心するようにしながら、自分も負けじと力こぶを作るよ。
まあ、筋肉自慢の男たちにだけ分かる世界だろうな。筋肉を自慢されたら、自分の筋肉を披露する。それが、オレたち筋肉野郎の世界共通の文化だ。
待っていたよ。
両腕が脇から離れる瞬間を―――。
オレは素早い。戦うことに興味がない相手だから、速攻で仕留めることに迷いがないのさ。オレの両腕が素早く動き、指は技巧を帯びていた。ヤツが左右の腰に差していたサーベルの柄を掴み。それを奪うようにして抜き取った。
「え―――」
戸惑いの表情さえ浮かべていた未熟者の胸に、オレはその二刀のサーベルを深々と突き刺しながら、刃をえぐる。
心臓が鋼の牙に噛み壊されて、ヘイズワースがほぼ即死する。オレはその巨体を蹴って、ヘイズワースの死体からサーベルを抜きながら、ヤツの死体を仰向けに倒す。
「お、おま―――」
のっぽの兵士がサーベルを抜こうとしていたが……だからこそオレの襲撃に遅れてしまう。『須弥山』で覚えた二刀の動きさ。彼の顔を削ぐように右の一撃を叩き込み、言葉をつむぐ動作を奪う。そして、次の瞬間には左のサーベルを彼の鳩尾に突き立てる。
みぞおちを貫いた刃が心臓を傷つける。取り返しがつかないほど、深刻に。オレは無音のまま死の痙攣で身を揺らす彼から、目を離す。
三人目は、背後からマルコ・ロッサに首を絞められていた。マルコは失神した兵士の首を、ひねって壊し、それでお終いだった。
オレも痙攣をやめた兵士を抱きかかえるようにして海へと運ぶ。彼の胸を貫いていたサーベルを抜いて、彼のことを海へと捨てたよ。マルコも、オレのマネをするようにして、兵士を海に捨てていたな。
軽装とはいえ鎧を着た兵士たちの体は、海に呪われているみたいだったよ。あっという間に、海の深い場所へと沈んでいった。しばらく浮いてこないだろう。腐敗で発生したガスが、その体積を軽くしてしまうまで。
「……いい仕事だね、ソルジェ・ストラウス」
「アンタもな。無音で動いてくれた。感心したよ」
カレー以外にも特技があるじゃないか。
「いいや。君に比べるとつまらん腕さ……さて。ヤツの上着を脱がそう」
「ああ。あの肉体に敬意を表しながらな」
オレはそう言いながらサーベルを海に投げ捨てていた。そして、オレたちはヘイズワースの死体を漁る。上着には色々と入っている……書類もあるし、財布もあった。マルコはヤツの指から、金の指輪を抜いていたぜ。
文句は言わない。帝国兵士から盗むことは、オレのなかでは問題がない行為だ。
「何て言うかさあ、あのクソ赤字のホテルも……維持しないと、スパイ活動に差し支えてね?」
「好きにすればいい。経営の足しにしろ。陛下にはチクらない」
「あんがと、助かるよ」
「その代わり、カレーをがんばれ」
「ああ。アレだけは、オレの情熱が入っているんだ」
スパイ活動にはそれほど身が入っていないのかもしれない。彼は、そうだ。ベテラン過ぎて磨り減っているんだろう。七つの国に侵入して、三代の王たちに仕えた。その暮らしは、オレが想像するよりも辛いモノだったのだろう。
カレーに現実逃避するぐらいで、彼の精神に平穏が訪れるのならば安いモノだな。
「さて……いい指輪だ。おお、身分の証明にもなるな。これは帝国海軍士官学校を優秀な成績で卒業した証だぞ。コイツで、当たりだったのかもしれないが……判別がつかん」
「さすがにスパイだ。色々な情報を知っている」
「まあねえ。色々とキャリアが生きてくる。ソルジェ・ストラウスくんも、そのうち、もっといいスパイになれるよ。優秀な分、死ぬほど苦労するだろう。何か、心を落ち着かせるための趣味を持つといい。そうじゃないと、自殺しちゃうよ?」
オレ、すっかりとルード王国のスパイとして彼に認識されているね。しかし、過剰な労働がマルコ・ロッサの精神を蝕んでいるようだな。カレーを取り上げられたら、彼は死んでしまうかもしれない。
料理がヒトの命を救っている……希有な例なのだろうか?
「さて……あらかた剥ぎ取ったな」
「……他には、何も持っていないよな」
「うん。本当に大事なモノは、スパイなら確実に身につけている。だから、全部奪った」
「なるほど」
オレは納得するように頭を縦に振る。スパイのベテラン殿の言葉だから信じよう。さて、ヤツの上着に、ヤツの所持品を包む。その後に、オレとマルコは、ヤツの死体を海に捨てちまった。鍛えられたヤツの体は、素早く海水に沈む。
それは筋肉質なせいだけじゃない。オレの刀がヤツの肺に大穴を開けていたからだ。そこから、肺に海水が入る。肺は『浮き袋』だ。でも、そこに海水が入れば死体も沈む。ヤツは海に呑まれていくというわけだ。オレだって、考え無しに殺しているわけじゃない。
「へへへ。いい仕事。こ・れ・で、不法なる空間が、逆にオレたちの証拠を隠滅してくれるよ、ソルジェ・ストラウスくん」
「『違法な行為』をしている場所だから、調査の手も入らないということか」
「ああ。上手く行けば……ヘイズワースが殺されたことを、他の二人の『ダベンポート伯爵』かもしれないヤツらに、伝わるのが遅れるぜ?」
「……その間に、他の二人とも始末出来ればいいんだがな」
「……理想が高いね。嫌いじゃないけど、がんばり過ぎは良くないよ」
「そうだが……がんばらないと、この戦に負けてしまうかもしれない。負けると、取り返しがつかないコトになりそうでね」
「ああ。そうだね。たしかに、ソルジェ・ストラウスくんの言っていた通り。ここは、世界を変えている最前線だ。オレには荷が重い。胃に穴があいちゃうよ」
「……で。情報は手に入れられるのか?『ダベンポート伯爵』の『容疑者』どもの」
あと二人いるはずだぞ。
たしか、『ヴァイス』と『ルービット』。
誰なのかが分からない以上、全員を殺してしまえばハナシが早い。
「分かったよ。居所が入り次第、アンタに報告するよ。じゃあ、徹底しよう」
「うん。それで、オレは血まみれだけど、門を出るとき、大丈夫かね?」
「ああ、大丈夫だ。門番もついでに殺して出よう。しっかりとオレの馬車を預かってくれていたんだ。もう用済みだろ?……連中の死体は、馬車に積めばいいさ」
オレたちは悪人みたいな貌で笑って、それを実行したよ。
人気のない高級住宅街ってのは、人通りが少なくて、こういう暗殺任務には向くな。
オレたちは馬車の客室に、首を折ったばかりの死体を二つ分ほど乗せて、街中を走って行く。人混みの中を進むと、ちょっとドキドキする。殺人犯の気持ち。まあ、殺人犯じゃあるけど?
「……まさか。この馬車のなかに死体が載っているとか、誰も思わないだろうな」
「死体を馬車で運ぶのは、日常的なことだよね」
「荷馬車の屋根に載っけてな」
「ああ。でも、たしかに、貴族サマ仕様の高級馬車のなかに、マフィア崩れの他殺体が入っているのは、意外過ぎることかもしれないね」
「……こういう経験もあるのか。オレ、街行く人の視線がこんなに気になるの、初めてのことだよ」
「慣れることだ。緊張も羞恥心も磨り減らしていけるよ」
「羞恥心まで磨り減らすのは、どうかと思うが」
「……スパイには、いらない。仕事とカレーが出来たら、他には、いらないんだ」
ふむ。どうやら、彼は相当に病んでいるようだな。
シャーロン・ドーチェが『いいトコロ』と表現してきた場所は、いつも難解な面白さにあふれていたものだけど……今回も例外に漏れなかったようだ。この面白い御仁は、オレを楽しませてくれてはいるぞ。
変人だけどな。仕事は出来るし、カレーを作らせたら天下無双だよ。心は、かなり壊れかけているが―――それだけに、言動が変で笑えもする。
「……さてと。時間が勿体ないから、読むか」
そう言いながら、マルコ・ロッサはヘイズワース中尉の死体から回収した書類を読み始める。御者席でね。脇見運転で怒られそう。一般市民を轢き殺すといけないから、オレはしっかりと馬の制御に集中するよ。
「……なるほど。彼は、どっちか分からない」
「『ダベンポート伯爵』ではなかったということか?」
「いいや。だから、どっちか分からない。この書類は、火薬の保管場所の変更について書かれてある。重要な機密を持っていた。でも、スパイがしなくてもいい仕事。少なくとも、オレなら、この書類は記憶して、頭に入れておく。持ち歩くのはリスキー過ぎるよ」
「スパイの行動として違和感があると?」
「ああ。だから……ヤツが『ダベンポート伯爵』であるかどうか……自信がない。オレのなかでは、もっと確率が高かったんだが……今は、よくて50%」
「……だが。火薬の隠し場所が分かった。そいつは、いいハナシだな」
「……まあね。海賊に教えてやるといいかもしれない」
「あるいは、オレたちだけでブン取るのもな」
「君は、ワーカホリックだ。自殺願望が出てくるより先に、スパイスを集めておくといい」
自殺予防のアドバイスを、オレは苦笑しながら聞き届けていたよ。働きすぎは良くないらしいが、今夜もほぼ徹夜だとオレは確信しているぜ。
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