第四話 『その海は、残酷な生け贄を求めて』 その13


「リングマスター、私もお酒を頂いてよろしいでしょうか?」


「ああ。もちろんだ。共に呑む相手がいなくてね」


「リングマスターはゼファーと契約して、その加護を得ているのでしょう。以前よりも、お酒に強くなられた」


「……解毒作用も上がるからね。でも、オレはお酒を愛しているから。そんなズルはしないよ」


「いい美学ですわ」


「うん。酔うことは毒じゃない。過剰なのは、ダメだけどね」


「ならば、心構えが変わったのでしょう。リングマスターは、真の竜騎士に戻られた」


「くくく。たしかに、竜のいない竜騎士なんて、名折れもいいところだよ」


 そう言いながら、オレは彼女のジョッキにビールを注いでやった。


 二人して、木製ジョッキをぶつけ合わせて、乾杯するよ。


「勝利に!」


「ええ、勝利に」


 そして、二人してゴクゴクとノドを鳴らして、その麦芽に祝福された金色の液体を飲み干していくのさ。混ぜ物のない、シンプルなビールだ。何か色々と入れるのも美味いんだけど、これはこれで好きさ。


「木製のコップなのですね。船乗りらしい」


「そうだな。揺れる船では、ガラス製のそれは、よく割れちまうだろうから」


 海の上では物資は貴重だもんね。


 このジョッキならば……たくさん燃やせば暖も取れる。ガラス製のそれよりは、ずっと使い勝手の良いものさ。


「……しかし。君は、ずいぶん薄着になっているな」


「ええ。宴です。踊り子としては、見せ場かと思いましたのに……ああ、海賊たちからおひねりを巻き上げるチャンスでしたのにね」


 踊り子の露出の多い衣装に、レイチェル・ミルラは着替えていた。オレは嬉しいよ。彼女のうつくしい褐色の肌を見ることが出来て。鍛えあげられ、よくくびれた腰周りも子持ちの女には見えやしない。


 ああ、こんな言葉で女性を表現すべきじゃないと、怒られるかもしれないが。エロい。まあ、エロさを見せるために職人がニヤニヤしながら仕立てたような服だもん。着こなせる美女が着ちまったら、エロすぎるわな。


「寒くないのか?」


「まあ。夜のお誘いですか?」


「肌で温めてあげようってヤツ?」


「ええ。娼婦のマネなどしたくありませんが。貴方ならば特別。一万シエルくださるのなら、リングマスターを楽しませてあげますわ」


「マジで?」


「はい」


 ドスケベのオレは、一瞬、真剣に考えそうになるよ。だって、絶世の美女とやる機会なんて、そうないんだ。でも、一晩一万シエルってむちゃくちゃ高いな、それ、もう嫌われている価格じゃないのかね?


 オレは立ち上がり、彼女に近づき。そして、自分のマントを彼女にかけてやるのさ。


「まあ。リングマスターの体温を感じられますわ」


「ああ。それでいい?」


「ええ、私の望んでいた行動の一つです。一夜を共にするのも、リングマスターとなら悪くはありませんけれど」


「からかうなよ。君、ムチャクチャ美女なんだから、本気になりそうだ」


「妻が三人もいるのです。愛人が一人増えても、世間様の反応は薄いですわよ、きっと」


「……なんか、ドスケベ野郎として名を馳せてるもんな、オレ」


 べつにいいけどね。スケベなのは事実だもの。オレが大富豪とかだったら、一万シエル即、支払っていたかもしれないもんね。でも、オレの懐事情を知りながら、レイチェルはからかっている気もする。


「海賊たちも噂してました。リングマスターは三十人の妻を抱える好色な人物と」


「ああ、ジーンも言っていたな、その噂……」


「良かったですね」


「オレが性豪扱いされていると、レイチェルには良いことがあるのか?」


 オレはちょっと男としての性能を褒められているようで、自尊心が満たされるけど。社会的には、ちょっと恥ずかしい話題ではあるよ。ドスケベ経営者か―――世間様の風当たりが強そうだ。


「私にというより、あなた方、ご夫婦4人にメリットがある」


「……まあな」


「30人も妻がいるのなら、1人殺しても、1人捕らえても……あなたへの脅しにはならないと、帝国軍は判断するでしょうから」


 そうさ。その噂はオレたち夫婦4人を守っている。戦は相手の泣き所を攻めるべきだからな。愛する者を奪う。人質に取る。それは、とても効果的な戦術だ。国家への大義や中性など、愛する者の命と比べたとき、ゴミにも劣る価値になるときだってあるよ。


 愛国心なんていう権力者以外に見返りゼロの感情と違って、触れあい共に生きていく愛する者の存在は、具体的に個人を幸せにするのだからね。


 だから、オレの妻は複数いたほうがいい。30人もいれば、それぞれへの愛は薄まると理性的な攻撃者は考えるんじゃないかな。たった1人の妻を誘拐するのとは、意味が違いすぎる。


 30人もいるという噂は、オレたち夫婦を守ることにつながっているんだよ。


「……オレたちに都合の良い噂を、各地に流すか」


「詩人殿の、いい仕事ですね。セクハラ男ですが、腕はいい」


 シャーロンは女性に嫌われがちだ。あの女子ウケの良さそうな、美形の童顔フェイスとスマートで細身の肉体があってそれだ。行いとは、恐ろしい。


「ああ。あいつが流してくれているんだろう。オレのふしだらな人物像を。オレが妻として愛しているのはリエルとロロカとカミラ。たった3人だけだ」


 一夫多妻の文化なんだし、ガチに愛し合っているから問題なんてない。


 レイチェルだって、ニコニコしながらビールを呑んでいるもん。彼女もオレたち4人の愛が真実で、オレがまったく、ふしだらな人物ではないと考えてくれているはずさ。


「……有益な噂を流されるのは、いいことですわ」


「まあ、オレの女子ウケも下がりそうだけどね」


「3人も相手がいるのだから、十分でしょう?」


 死んだ夫を今でも愛しておられる、一夫一妻制の文化のレイチェルは、妻が3人いることを『多い』と考えているようだ。『3人も』。『も』がついているから。


 結婚観は人それぞれだね。うちは4人でいいさ。


「そうだね。大金持ちになれたら愛人さんまで囲えるらしいから、オレは、猟兵女子に愛されていたら十分だ。オレの妻は、強くなければつとまるまい」


「ですわね。帝国との戦場が、私たちの住まいですものね」


 そうだ。残念ながら、楽しく平和な場所ではない。戦闘能力に劣る妻では、生き延びられない。最強の存在である『パンジャール猟兵団』のメンバーぐらいしか、魔王の妻として相応しくはないんだよ。


 妻に先立たれたら?


 オレ、自殺衝動とか出て来てしまいそうだもん。


「私には、愛別離苦の辛さは、よく分かります……リングマスターには、そうなって欲しくありません。素敵な妻たちですわ。あなたにとって、最高の女性たちでしょう」


「うん。本当にそう思う」


 オレはビールをグイッと呑むよ。レイチェルの悲しみに、ちょっと怯んだ。殺されそうになることには怯まないし、拷問で左腕の腱を切られても怯まない。でも、悲しそうな美女の瞳には、オレは怯む。


 ジーン・ウォーカーをヘタレとは呼べないな。オレは、彼女を抱いて慰めたりしたほうがいいのかな。言葉だけで、ヒトを慰めるよりも。肉体まで使って愛したほうが、ヒトの感情って伝わるよ。


 でも、彼女は貞節な妻であることを、どこか望んでるかもしれない。死んだ夫だけでいいのかね、彼女の愛する男は。そして、彼女を愛する男は。


 分からん!難しいね、ガルーナの蛮族の脳みそには、彼女ほどの悲しい運命の美女は持て余す。戦闘以外の細かいコトを考えるのは、苦手。だから、相手にお任せしとく。


「レイチェル。オレは君の人生が、より幸せであることを望む。だが、君の幸せを評価するのは、オレには難しい。オレがすべきことがあるのなら、何でも言ってくれ。オレは、可能な限り、それに応えるさ」


「……ウフフ。おやさしいですわね」


「騎士道とは、そう在るべきでね」


 女性へのやさしさを欠いた剣は……おそらく、世界の敵だろうから。


「分かりました。何か素敵な作戦を思いついたら、リングマスターを巻き込みましょう」


「そうしてくれ」


「はい。そういたします」


 そう言って、オレたちは誓うみたいにジョッキをぶつけた。ビールを呑んだよ、しばらくね。言葉を選ばずに、飲酒で語る絆もあるんじゃないかと。酒飲みの竜騎士さんは思っているんだよ。


 しばらく静かに呑んだあとで、レイチェル・ミルラは訊いて来た。


「……リングマスターは、今後のアリューバ半島情勢をどうなると予想しておられるのですか?」


「……珍しいな。オレに訊くのか?」


 プロフェッショナルの君は、より高度な答えを求める。


「オレよりも、ロロカ先生やオットーの方が、賢いんだぜ?」


「ええ。知っています。ですが、知性派の方々の答えよりも、あなたの野性の勘が、戦場では敵を見抜きますからね」


「勘だけでは無いが……勘も大きいか」


「褒めているのですが?」


 アーティストの感性としては、そうなのかもね。知恵や理屈で組み立てる、それが芸術の99%だと思うけど、ラストの1%は勘だろう。閃きやアイデアとも言うのかもしれないが、多分、どれも同じようなモンだと思うよ。


 不明確で、感覚的で。


 それでも、合理性を超える真実を含む、生物的な衝動―――意志ってヤツかも。


 そういう生き物じみたモンを、レイチェルは大切にしているんだと思う。


「……勘で言わせてもらうのなら。アリューバ半島は、激動の時間に入るよ」


「……新たな総督が来る。いいえ、もう『来た』のですか?」


「君の青い瞳は、オレの心を見抜いちゃうのかい?」


「ただの勘ですわ」


「くくく。そうだ、来やがったよ。そいつの名は、『ジョルジュ・ヴァーニエ』」


「ふむふむ。どんな男ですの?」


「帝国海軍の創設メンバーみたいな立場だよ。海軍の重鎮。そして……かなりの右翼的思想の持ち主だ」


「右翼的。軍人には多そうですね」


「ああ。シンプルだから敵からするといいエサだよね。狙い目さ。傾向として、バカが多いから。もしも、軍事力が互角なら、オレたちなら三時間で沈められると思うよ―――」


 だが。バカなのに出世している。それが厄介な性質を証明しているんだよね。


「―――実行力はあるはずだ。右翼でバカの良いところの一つ。排他的だが、強く結束する。圧倒的多数の戦力を用いるファリス帝国には、悪い指揮官ではない。オレたちにとっては、厄介なんだがね」


「右翼的ということは、ファリスの哲学に準ずる―――つまり、人間第一主義の『実践』ということですか?」


 アーティストさんとの会話はハナシが早くて助かるね。自分を強く持っているから、結論に入るのが早いんだろうさ。


「ああ。そうなるだろう。人間族以外を、狩り殺そうとするさ。その悪意と暴力を実践することで出世なさった方だ。それに権力を与えた。彼は、皇帝ユアンダートに……いいや、ファリス帝国そのものに選ばれたと感じている。哲学と方針を、より遵守するだろう」


「……『血狩り』が始まるのですね」


「……そうだ。アリューバ半島の亜人種には、地獄の日々が始まる。だからこそ」


「あの『策』で、フレイヤさんを守るんですわね?」


「ああ。フレイヤ・マルデル。死んでも守る。いや、『死なせてでも守る』」


「象徴……それが結束には必要ということですか。犠牲を強いることになるのですね。この海は、何と欲深いものなのか」


 多くの犠牲がいる。戦だからな。だが、失った以上に多くを、守ってみせる。それが、オレたち少数派の、5%の戦だよ。それ以外の道は、全て敗北と滅びにつながる。だから、オレはこの道を行くのさ。魔王と名乗り、その名にふさわしい力と選択を伴って。

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