第五話 『悪鬼たちの夜』 その17


 ―――『ハディー・ハント大佐』は、ハイランド王国の王族の一員として産まれた。


 とはいえ、王位継承権も持たない彼は、貴族ではなく武人として生きることを選んだ。


 『須弥山』へ赴いて『螺旋寺』を巡り、武術を習得していった。


 やがて幾つかの内乱が起きて、王族の地位が没落した頃、下山した彼は軍に入る。




 ―――腐敗を始めていた王国軍を正すため、彼はその集団に身を投じた。


 武骨で曲がらぬ男は、腐敗と戦い続けたものの。


 『白虎』のもたらす甘い汁に、多くの兵士たちは、勝てなかった。


 彼は一目置かれる存在でありつづけたものの、『白虎』との戦いには負けていた。




 ―――『白虎』に支配された王国も、腐敗した王国軍も、彼には許しがたい。


 だが……堕落を好んでしまうこの国の民は、マフィアのもたらす利益に溺れていく。


 ハント大佐は何度か、この国を捨てて『螺旋寺』にでもこもるかと考えた。


 冒険を求めて、世界の果てを目指すのも楽しそうだとも。




 ―――それでも、自分は王族だからか?


 理由は彼自身にさえも分からないままだけど、北の山脈の寂れた砦で暮らしながら。


 ハイランド王国の腐敗を、憂いながらも……勉学を続け、武術の鍛錬もまた続けた。


 北海を経由して、何人もの賢者を招いたこともある、海賊対策に追われた時期もある。




 ―――気がつけば、40才になっていた。


 王族ゆえのことなのか、出世だけはしていき、大佐となった。


 遊びも知らぬマジメな男、辺境の土地にて、ただただ闇雲に己を磨く。


 本を読み、ヒトと会い、貧しき者にも富める者にも、悪党にも善人にも会った。




 ―――ヒトの生きる寿命は、せいぜい八十年。


 一日をムダにするなど、もったいないと、時を惜しんで知恵を高めた。


 もう自分の人生が、半分も終わっていることに気づいていたが……。


 いつか大いなることを成し遂げてやろうと、誇りは気高く燃えつづけている。




 ―――『白虎』が難民を国境線で止め始めたとき、彼はすべきことを見つけた。


 己の人道を貫くために王城へと向かい、カーレイ王へ直訴を求めた。


 ……王の代理である6才のシーヴァは、怯えた顔でハントを見ていた。


 『白虎』の首魁、『ラーフマ』はシーヴァを恐怖で縛り付けてきた。




 ―――いつか王族の誰かが、シーヴァを狙って城に来るのだ。


 助けられるのは、このラーフマしかおりません。


 2才の頃からすり込まれたその言葉が、シーヴァの心を苛み、極度の臆病とした。


 ハントは彼を抱きしめてやったが、シーヴァの心は警戒を解けなかった。




 ―――カーレイ王は、ハントと会うことを拒んだ。


 しかたなく、シーヴァに頼る……苦しむ異国の民たちがおるのだ。


 それを、お前の言葉でなら、助けられるのだ、シーヴァよ。


 どうか、助けてやれ、金のために非道をするなど、人の道にあまりに反する。




 ―――シーヴァは、ラーフマを呼び、その膝に抱きついていた。


 母親と離して育てた結果だったのか、シーヴァはラーフマを庇護者と信じている。


 シーヴァは、ラーフマに任せる、その一言を口にしただけであった。


 ハントは、人生で味わった、何度目かの大きな失望感を覚えていた。




 ―――もはや、カーレイ王に会うしかないと、王都シャクディー・ラカに残るのだ。


 毎日、毎日、面会を求めて、拒絶された。


 それでも、王宮の庭で叫ぶのだ、亜人種を滅ぼす帝国と、手を組むなど、恥を知れ!!


 ラーフマは涼しい顔で笑っていた、その本心は……別であったけれど。




 ―――ハントは王家をあきらめていたわけではないが、朝と夜には街に出た。


 その叡智にあふれ、武勇を宿した声で、辻立ちさ。


 街頭演説するんだよ、難民たちを救えと訴えた。


 亜人種を殺す帝国に、フーレンの尻尾を振るのは間違いだと魂から吼えるんだ。




 ―――亜人種の多い国家だし、そもそも世界中からの移民で生まれた国だもの。


 ハントの声は響いたよ、ハイランド王国の国民は政治をあきらめて長いけれど。


 真っ暗闇の絶望の中でこそ、希望は価値を持つときもある。


 平時ならば、ハントの言葉になど、この国の民は耳を傾けることもなかった。




 ―――マフィアの奴隷の王族なんて、その王族が行う政治なんて。


 構っているヒマがあれば、己の商売のために働くべきだと信じていたからね。


 でも……『白虎』がもたらす利益が減っていたことを、ハントは知っている。


 欲深い者たちには、こう告げるのさ。




 ―――帝国向けの商いが、いつまでも続くと思うのか?


 馬車を買い、人手を集めただろう……その投資を、『白虎』が補償するとでも?


 北海にもファリスの軍艦は泳いでいるのだ、ハイランドの商業の道が廃れれば?


 すぐにでも、北海経由で品物を取り入れるようになる。




 ―――そうれなれば君らが買いそろえた馬車が、荷を運んでも利益にはならん!!


 帝国には北海を使うことで、北の産物をより安価で、大量に仕入れる海路がある!!


 今は未開拓だが、帝国政府の意向を汲んで、資本がその開拓に流れれば?


 すぐさま、ハイランド・ロードの商業路として価値は低下するぞ!!




 ―――そもそも軍事的恫喝を受け入れた時点で、不利な商いしか出来なくなる!!


 内政干渉される国家などに、民草の利益を守れる力など、どこにもない!!


 国家とは、利益のために動く獣の群れだ!!


 獣は、弱みを見せる家畜を、骨の髄までしゃぶりつくすぞ!!




 ―――北の海に泳ぐ、軍艦を見て来ればいい!!


 我らは、もはや南北を帝国に奪われているのだ!!


 そして、帝国の恫喝を受け、同盟を組むべき西の勢力との間に亀裂を産んでいる!!


 孤立していくぞ、この国家は!!それでも、帝国を受け入れるのか!?




 ―――孤独なままで、いつか来る帝国軍の群れに、太刀打ちが出来るのか!!


 南からだけではない、北からも来るぞ!!


 南北から攻められ、困窮し、そのときになって、ようやく西の仲間に頼るのか!!


 落ち目の仲間など、誰が助けるものか!!誰も来やしない!!




 ―――この国が、同盟を組むに足る価値がある内に、敵に備えて同盟を組むのだ!!


 そうでなければ南北を封鎖され、朽ちて痩せていくこの国に、『未来』などあるか!!


 守るベき価値を失う前に、奪いに来る欲深な豚どもに備えろ!!


 我ら亜人種を下等と見なす豚どもの、薄汚い歯に、この国の富を喰われるなッ!!




 ―――聞け!!『虎』の国が、『虎』を敬わぬような国の、属国になるのか!!


 それを望んでいるのか!?そんな『未来』が、我らの末路であっていいのか!!


 それを選ぶのか!?それでいいのか!?それに、誇りを持てるのか!?


 考えろ!!『未来』が欲しいのならば、我らが築いた富を守りたいならば!!




 ―――誰にその鍛えた牙を向けるのか!!誰の手を握るべきなのか!!


 今のままでいいのか!!我らの祖のように、希望の土地を求める者たちを追い払い!!


 我らに敬意を払わない、邪悪で欲深いファリスの豚どもに、尻尾を振るのか!!


 にやつき、あきらめ、何もせぬまま……『虎』が豚に喰われていいのかッ!!




 ―――ハーディ・ハント大佐の言葉はね、この国では珍しいベクトルを持っていた。


 王族の『虎』が、民草に頼るように訴える。


 そんなことは、この国では、未だかつてないことだ。


 ハントはね、民衆を頼ったんだ……民衆に、国家の危機に立ち向かえとね。




 ―――ハントの言葉の全てが正しいのかを、ハイランドの民には分からない。


 それでも、帝国へ抱えていた不満の理由を、ハントが指摘したことは分かった。


 帝国人に媚びへつらうことが、耐えられないし。


 帝国人の命令に従って、自分たちの損得が操られる現状を情けないとも考えていた。




 ―――ハントの雄叫びのような訴えは、シャクディー・ラカに響いていった。


 民衆たちが、ハントの言葉に同調を始めたのは、すぐだった。


 だから……ラーフマは手を打ったのさ、ハントを病床の王の寝所に招き入れ。


 結社最強の『虎』として、暗殺の剣を振るい、武器持たぬハントを倒した。




 ―――殺しはしなかった、利用価値がある男だからね。


 刃の毒に犯されたハントを、南に運び……国境沿いの拠点に幽閉していた。


 今日の朝には、ハントはそこで吊されていたよ、鎖にね。


 拷問を受けていたのさ、『白虎』に忠誠を誓えって。




 ―――ハントの歌が消えてしまった、シャクディー・ラカでは……。


 ハントに同調した若者の死体が、道ばたに並び……。


 誰もが、また政治に絶望していたのさ。


 ハントはね、また負けてしまっていたんだ。




 ―――でも、ラーフマは追い込まれてはいた、『白虎』の支配力が揺らいでいる。


 そもそも帝国の人間第一主義は止まらず、狂気をも帯びた敵意となっていた。


 フーレン族を帝国が『敵』と定めるのも、時間の問題ではある……。


 だが……帝国との貿易で組織を強めた結社……『白虎』が取る道は他にない。




 ―――弱さを見せれば、フーレンの戦士たちは容赦なく……『白虎』を滅ぼすだろう。


 この国の民が、どれだけ危険な存在なのかを、ラーフマは誰よりも熟知してきた。


 残酷を用いて対応しなければ……『白虎』の権威は保てない。


 無限の日々を求めていたわけではないが、まだ十数年をラーフマは豊かに生きたかった。




 ―――でも、状況は彼にとって悪い方へと転がっていくよ。


 ソルジェたちが『バガボンド』と一緒になって、帝国軍を潰したからだ。


 帝国の領土をわずかにだが奪い、その行いに王国軍さえ荷担させた。


 ラーフマは追い詰められているよ、帝国軍を撃退したと喜ぶフーレンは多い。




 ―――愛国心を造るのに、暴力と戦争行為は持って来いだ。


 民衆は、ラーフマの想定を超える愛国心を持って、反帝国に燃え始めている。


 帝国人の商人が引き裂かれ、帝国人の商人の店が略奪されていく。


 北海のルートを使うことで、帝国商人たちは逃げ始めていたが、多くは逃げられない。




 ―――たった一日での動きだが、まるで炎のように帝国人への怒りが広がった。


 世界で最も狂暴な国家の民衆が、暴力に目覚めたのだ。


 その敵意は、もはや……『白虎』をも獲物にしていたよ。


 親帝国派であるラーフマは、国民からも帝国からも敵意と疑問を向けられている。




 ―――ラーフマは知っているよ、マフィアだから暴力の持つ力をね?


 暴力を政治に用いれば、民衆は容易くまとまるんだ。


 人類の本能だから、それは効果てきめんさ。


 『敵』を用意しなくてはならない、『敵』を……己の身代わりとなる『敵』を。




 ―――ラーフマは、部下の口よりルードのスパイが流した噂を知る。


 ヴァン・カーリーの暴挙だよ、前々から彼を信じていなかったラーフマは笑った。


 ヴァンを捕らえろと『白虎』に指示を与え、王国軍を動かしている。


 それでいい、『白虎』と王国軍、暴力組織は動いている間は命令に忠実なものだ。




 ―――ラーフマは、最も自分の命を狙う、『同胞』たちを制御しようとしていた。


 だが……足りない、『民衆』の悪意を向ける先が、用意できていない。


 歯がゆい……無力を感じる、くやしかった、力の頂点……『白虎』の首魁であるはずの自分の無力さが。


 ラーフマは、愛国心に燃える民衆を、割るための策を思いついていた。




 ―――反帝国の象徴でもあるハントを、利用するのさ。


 今の民衆は、冷静ではないからね?


 なにか、大きな事件を起こし、意見の対立をもたらす必要があったのだ。


 荒唐無稽な『嘘』でもいい、民衆は怒りの矛先さえ向ければ、簡単に割れる!!




 ―――悪意を熟知した、マフィアの発想だったけど……その威力は絶大だったのさ。


 『裏切り者』をでっち上げることにしたのさ、もちろん、それはハントだよ。


 民衆が支持し始めている、ハーディ・ハント大佐だ。


 彼を、『裏切り者』とでっち上げることにしたのさ、そして……。




 ―――長年、キープしてきたカードを、今夜、彼は切っていた。


 カーレイ王……病床に伏している、彼の元に行き、ハントから奪った王家の刀で?


 切り刻んで殺していたよ、冷静を取り戻すために……暴力を用いるのさ。


 そして……怯えて失禁するシーヴァを殴り、命令するのさ、この国の『王』として。




 ―――シーヴァよ、ハントが殺すのを見たと言え?


 幼いシーヴァは、泣きながら、うなずいていたのさ。


 今、シャクディー・ラカの都では、ハントが帝国に仕えていた裏切り者であり。


 王殺しの大罪人として宣伝させられている、シーヴァは狂ったようにハントをなじった。




 ―――民衆の半分は、混乱してしまう……混乱しながらも、二分した。


 殺し屋ラーフマは、都の大通りで宣言しているよ、ハントみたいに街頭演説だ。


 ハントはハイランド王国とファリス帝国の間に、戦を起こそうとした悪人である!!


 邪悪で攻撃的な戦争好きの野蛮人だ!!愛国心を高め、戦を招こうとした!!




 ―――だが、その野蛮を諫めた、平和を愛する我らがカーレイ陛下を!!


 ヤツはその欲深い双刀で、切り裂いたのだ!!


 ヤツが求めていたのは、けっきょくのところ、乱世に乗じた王権の簒奪だ!!


 誇り高きハイランド王国の民たちよ、欲深き悪鬼に、騙されてはならない!!




 ―――ハントを信じたい者もいるだろう?彼の言葉は、確かに愛国を騙っていた。


 ならばこそ、私は、シーヴァさまが王位に就かれる三日後までのあいだ……。


 『臨時の国家代表』として、貴様に己を自己弁護できる証拠があるのなら?


 国民の前で、その訴えを聞いてやろう!!




 ―――さあ、お前が本当に真の愛国を、語っていた真の『虎』だと言うのなら!!


 私と民衆の前に、姿を現して、真実を語るがいい!!


 王を殺した不名誉に疑われる貴様が、逃げて隠れていいわけがないのだ!!


 それでも、逃げるのであれば、貴様こそが、真の悪党なのだぞ、ハントよ!!




 ―――そうさ、歴史は夜に動く、とんでもない激動がこの王国に起きていた。


 ハントは出てこられるわけがない、ラーフマに捕らえられているからね?


 今は帝国軍に渡されそうになっている、それにもプランがあるんだよ。


 『ハントは国境の外に逃げて、帝国軍に捕らえられる予定』だからね。




 ―――そうすれば、民衆はハントに疑惑を抱けるだろう?


 外国に逃げたということは、王殺しの罪を認めているようなものだ。


 そして、なぜ、帝国に逃げたのか、帝国を毛嫌いしていたくせに?


 まさか、帝国のスパイなのか?




 ―――ラーフマは、そんな筋書きを書いていたよ……。


 その輸送は静かに、そして最高の護衛をつけていた……完璧なはずだった。


 でも、ソルジェの言う通り、『善意』は読めない。


 計画的な『悪意』とは違ってね、『善意』は運命みたいに『自由』だよ。




 ―――今、ソルジェはね……?


 『ハイランド共和国』の、初代大統領となる男の頬を叩いているんだ。


 負けを重ねて来た『虎』が、亡国の竜騎士に出会ったよ。


 負けを重ねて来た男たちだけど、運命はね、こっそりとこの夜、奇跡を用意していた。


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