第五話 『悪鬼たちの夜』 その10


 ―――『盲虎』は喜んでいる、かつて『須弥山』の頂を目指していた血が騒ぐのだ。


 12年前に、王族の娘とも剣聖の娘とも謳われる女の『虎』と戦った。


 とてつもない才能の前に、『盲虎』はソルジェの予想の通りの敗北をしたよ。


 シアンは手加減なんてしないよ、『虎』には、それは無礼な行いだから。




 ―――目をえぐられたとき、『盲虎』は感動していた、『虎』の美学に酔ったのさ。


 それはともかく……両目を喪失した彼には、不自由が訪れる。


 どうにもならない程の不自由だよ、だって、いきなり目が見えなくなったんだから。


 積み上げてきた技巧も、ムダになる……だけど?




 ―――彼は困難を修行として楽しめる性格をしていたよ、いい根性しているよね。


 失明の闇のなか、彼は双斧を振りつづけたよ、何年もね。


 そのうち肉体は更に極まり……感覚は更に研ぎ澄まされていく……。


 彼は、雪の音を聞くよ?彼は、筋肉と骨が軋む音で、他人を解釈する。




 ―――ソルジェの読みは、当たっていたんだよ。


 視覚以外のあらゆる感覚を総動員してのことだけど、彼は、確かに敵の全てを見極める。


 ……だけど、その感覚には限界があった。


 当たり前さ、両目を失った戦士は、『須弥山』を制する巨大な夢とは釣り合わない。




 ―――弟弟子たちに当たり散らすようになった、ときには無意味に殺生していく。


 イー・パールは技術を指導することに長けていたが、弟子の精神を教育するのは不得手だったらしい。


 強く、哀れな、この努力家を、破門してやるしか出来なかった。


 『須弥山』の頂きなんていえ叶わぬ夢など、見ぬ方がマシ……幸せを願った破門だよ。




 ―――イー・パールに追放された『盲虎』を、『白虎』は放置しなかった。


 最強クラスの『虎』だからね?マフィアは、すぐに彼を仲間に招き入れた。


 『盲虎』は強く、残酷で、マフィアの質に合っていた。


 酒にも女にも、溺れるほどでなく節度ある欲求を満たし、ストイックであることを忘れない。




 ―――鍛錬は、イー・パールの弟子であったかつてよりも激しいほどさ。


 毎日、部下たちに自分を襲わせて、拷問と変わらぬ激しさの鍛錬で肉体を磨く。


 ……今の『盲虎』は、シアンに目玉をえぐられたときの、何倍も強くなっている。


 正直、ジーロウ・カーンのレベルでは、太刀打ちが出来ない高みにいるのさ。




 ―――それでも、ジーロウが互角に戦えている理由はあるよ。


 同門対決だからさ、お互いの技巧の意味が、隠された意図も、全てがバレている。


 意識の底にある、本能に刻みつけられた鍛錬の反復が機能するのさ。


 否定出来ぬ運動となって、双斧の軌道は伝統を守った。




 ―――『盲虎』の限界の一つでもあるかもね、彼は新たな道を……探せなかった。


 失った道を、取り戻すための集中ゆえに……イー・パールの技を捨てられない。


 破門されたことで、より欲求は深まって求めていく。


 それゆえに、限界が規定される……イー・パールの模倣でしか無いのさ。




 ―――だから、より能力で劣るはずのジーロウなんかに互角の勝負をされている。


 筋力も、技巧も、速さも、精神力も、経験も……。


 あらゆる面で、彼はジーロウよりも優れているのに、この闘いは互角。


 イー・パールに酷似しているからこそ、イー・パールを見てきたジーロウにはしのげる。




 ―――そのことを、この『盲虎』は理解している。


 自分より劣る存在にさえ、互角にされてしまう……。


 だが……それは、自分がイー・パールに近づいた証でもあるのさ。


 だから、『盲虎』は納得している。




 ―――師を模倣しきったことに、彼は満足を得ているのさ。


 自分を見放した師の実力に、匹敵することが出来た。


 その事実は、彼にとってたまらなく嬉しいことだったんだよ。


 だから、格下のジーロウに粘られても、誇りに思うことが出来ていた。




 ―――ジーロウと斧をぶつけ合う度に、『盲虎』は歓喜で貌を歪める。


 いいぞ、ジーロウ。


 そう褒めていく、何度も、愛でるように?


 目標であるイー・パールを感じさせる弟子を知ることで、己を再確認する。




 ―――ジーロウは、『盲虎』にとって鏡であった。


 己が、イー・パールから離れてしまっていないかを、確かめるための乱打戦だ。


 イー・パールなら、こうするだろう?


 イー・パールなら、やはりそちらに足を進める。




 ―――イー・パールを継承しているジーロウ・カーンを、『盲虎』は喜んでいる。


 師に囚われることで、己の限界を低くしているのさ。


 そんなことは、『盲虎』という達人自身がよく理解している。


 それでも、彼はこう哲学したのさ、こだわりを捨てる『虎』など、つまらぬものだ!!




 ―――破門されてからの二千と十七日のあいだ、師の舞踏を忘れたことはない。


 ひたすら追求し、ひたすら模倣してきた。


 その鍛錬が背負っていたはずの意味を、彼は今、実感出来ている。


 記憶と妄執が見せた夢のなかにしかいない師が、ジーロウの形となって彼と戦う。




 ―――その事実に、『盲虎』は昂ぶり感動している。


 ああ、ジーロウ・カーンよ!!


 よくぞ、そこまでの武術を得た!!


 やはり、お前は才ある男……弱き心も、いくらかマシとなったかッ!!




 ―――『盲虎』が前蹴りで、ジーロウを打つ!!


 老いたイー・パールを超える威力が、その蹴りには宿っていたよ。


 腹筋の繊維が千切れるかとも思う、でも……千切れることはなかった。


 横隔膜が激しく揺れて、肺が潰れそうになるが……どうにかこうにか耐えるのさ。




 ―――ムカつくぜ!!……ジーロウは、そう心の中で叫んでいたよ。


 今の蹴りに耐えられた理由が、いくつか存在していた。


 その一つは、あの蹴りが、イー・パールのための蹴りだったから。


 ジーロウよりも小さく、より前傾姿勢で戦う老師のための蹴りだったんだ。




 ―――ジーロウは気がついたのさ、いいや、知っていたことに確信を深めたのか。


 この『盲虎』が戦っているのは、ジーロウではない。


 ジーロウの技巧の裏側にる、師であるイー・パール。


 命がけのこの闘いの中でも、『盲虎』はジーロウそのものを見てはいない。




 ―――オレは、お師匠さまの代役かよ!?……誇るべきか!?そうなのかもなあ!?


 でも……それでもよう、『盲虎』の兄貴ぃ……ッ。


 オレは、アンタのその態度が、気にくわねえぞおおおおおおおおおッ!!


 『虎』が誇りの歌をその身から放ち、獣のような俊敏さで『盲虎』へと飛んだ。




 ―――『盲虎』は躱すためにステップを踏み、斧で急所を守ったが……。


 左腕に斧の刃がかすっていた、骨を打つ痛みを、『盲虎』は驚きながら感じていた。


 ……あの蹴りを、耐えれたか?浅いのは承知だったが……。


 それでも、体勢を立て直すのが、早い……?




 ―――あの蹴りを千人以上に当ててきたが、ここまで効果が薄かったのは初めてだ。


 もちろん、ジーロウにしたってあの動きは意地で作り出したようなものさ。


 肺が痛いし、逃げた『盲虎』を圧しきるための追い足は出せなかったよ。


 ……ああ、ホント、ムカつくぜ。




 ―――ジーロウは、悪態をつく。


 兄貴分に対してではなかったよ……彼が怒るのは、ソルジェ・ストラウスだった。


 あの前蹴りで倒れなかったのには、ソルジェが関わっていたんだよ。


 ソルジェがジーロウの腹に入れた一撃は、『盲虎』の前蹴りなんかより重たかった。




 ―――『盲虎』の前蹴りが、完璧にみぞおちに入った瞬間。


 ソルジェにワンパンでKOされた屈辱が、蘇っていたのさ。


 負けるかよ、と『虎』の本能が燃えたんだ。


 オレさまを、見てもいない『盲虎』なんぞの蹴りに、負けるかよッ!!




 ―――呼吸を整えたジーロウが、『盲虎』に迫る。


 『盲虎』は喜び、その身を躍動させて、双斧の舞いを放つのさ。


 斧の剛刃が衝突し、威力は互角を極めたか……いいや、一瞬だけ均衡が崩れる。


 『盲虎』は違和感を覚えたが、次の瞬間にはジーロウの左肩の肉を削いだ。




 ―――だが、同時に攻撃も喰らっていたのさ。


 ジーロウの左手がもつ斧は、『盲虎』の脇腹へと命中していた。


 肋骨が燃えるのを、『盲虎』は感じる。


 数本の肋骨が砕けて、焼けるような痛みを放っていた。




 ―――わざと……タイミングを、変えたのか……?この瞬間を作るために?


 ……そうだ、オレを……オレさまを見やがれ、クソ『盲虎』おおおおおおおッ!!


 ジーロウが叫び、『虎』は本能のままに肉へと食らいついていた。


 ジーロウの歯が『盲虎』の右肩の肉に……僧帽筋に噛みついていた。




 ―――いいや、噛みつくだけじゃい、牙を立てたまま、首を荒々しく振ったのさ。


 ああ、『盲虎』の肩にある大きな筋肉の塊が、一口分だけ食い千切られたよ。


 『盲虎』は痛みを失ってはいないが、叫ばない。


 悲鳴の代わりに唇を歪ませて、彼はジーロウの顔面に頭突きを喰らわしていた!!




 ―――『虎』どもが、揺らめいた……脳がダメージに揺れて、お互いから離れる。


 そして、同門の『虎』たちは、同じ貌して笑うのさ!!


 ハハハハハハハッ!!そうか、そうだなあ、お前は、ジーロウ・カーンだッ!!


 ガハハハハハハッ!!ようやく、分かったのかよ、このクソ『盲虎』がッ!!




 ―――次の瞬間には双斧が衝突した、しかし技巧が変わるよ。


 同じ曲ではない、肉体が奏でたのは骨が肉を穿つ音。


 ジーロウの顔面に、『盲虎』の曲げた左腕の肘が突き刺さる。


 だが、『盲虎』は足に痛みを感じるのさ。




 ―――ジーロウが、その重たい足で彼の足指を砕いていたんだ。


 褒めるためと、怒りのために彼らは笑い。


 ふたたび鋼がぶつかる、肘と脚が乱暴にお互いを痛めつける。


 イー・パールの武術から離れながら、闘争本能のままに鋼は暴れる!!




 ―――鋼が散り、刃が身を切り裂き。


 肘が頭突きが、足踏みが、膝蹴りが。


 お互いの肉体を、どんどん破壊していく!!


 そうさ、『虎』たちは死闘がくれる至高の快楽に昂ぶりながら、必殺のための牙を振るう!!




 ―――血潮が吹いて、肉が崩れて、骨が割れる。


 全身が痛いが、全身が焼け崩れていくようなほどに苦しいが……。


 それだからこそ、『虎』はお互いを殺すために、舞踏と乱暴と技巧を混ぜる!!


 そのとき……そこにいたのは同門の武術家などではなく、ただの二匹の『虎』だった。


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