第四話 『戦場で踊る虎よ、昏き現在を撃ち抜く射手よ』 その13


 ―――信仰に疑問を抱いているわけではないが、それでもルチアは知りたくなった。


 ソルジェ・ストラウスが自分の首を絞めながら、死による救済を否定した。


 それが……信仰者としての哲学に、牙のように突き立てられている。


 そんなものがあるのだろうか?存在するのだろうか……したとすれば?




 ―――否定するために、その小さな階段を上って、その白いシャトーにたどり着く。


 それとも魔王が口にした希望を……信じているのだろうか……?


 女神イースは、慈悲の女神……『生け贄』などを求めてはいない神なのだ。


 理解している、誰よりも……イースさまの慈悲深い御心は―――。




 ―――『カール・メアー』はイース教の『番人』さ、異端を正す罰を与える剣だよ。


 それだけに、迷うことなく断罪する厳しさを植え付けられる。


 迷うことのないほどに、完璧な宗教理論の理解をもって、教えを実行する存在さ。


 ……ルチア・アレッサンドラは、自分の宗教理論の理解力を、疑っているんだ。




 ―――教義を疑っているわけではない、現世の苦しみを逃れる術はなく。


 苦しむ者が選ぶべき道は、女神イースへの誠実だけである。


 嘘偽りなく、ただ命を費やして、全てを捧げる信仰でのみ……。


 救われなかった者にも、慈悲の救いが楽園にて与えられるのだ―――。




 ―――それは、絶望と戦うための理論なのか?


 いいや……そうではない、女神イースは戦いの神ではないのだ。


 慈悲の女神だ……ヒトを癒やすための、魔法の言葉。


 せめてこの世で幸福を得られないのなら、女神の待つ楽園で安らぎを……。




 ―――亜人種も……『狭間』も……苦しみのみの生ではありませんか?


 それでも……嘘偽りを帯びて、死後の救済さえ捨て去り、生きることに意味があるの?


 苦しみの果てに、救済されることもない終わりが来るなんて……。


 あまりにも残酷な道だと、思いませんか、ソルジェ・ストラウス……?




 ―――イースの信仰者は、白いシャトーにたどり着いていた。


 ……ふふふ。こんな忙しい時期に、尼僧の同業者かい?


 その声が響いていた、何故か、その声を聞くとルチアは後ろめたくなっていた。


 顔を下げてしまう、まるで……師匠に叱られている気持ちになった。




 ―――未熟者の自分が、僧兵武術の大家の前で選ぶべき態度ではない。


 信仰への疑問を抱き、私は何を訊ねに彼女の前にやって来たのだろう。


 自信なく顔をうつむけてしまうほどに、彼女はそれを恥じたのさ。


 それでも、彼女は宗教家である前に、役人でもある……その務めに頼るという真面目さがあった。




 ―――シスター・アビゲイル、お伺いしたいことがあります……。


 懺悔は自分のところの僧侶にすればいい、お前の聞きたい言葉をつらつらと語ってもらえるぞ。


 ……懺悔を、しにきたわけではありません。


 ほう、じゃあ……このクソ忙しいときに、何をしに現れたって言うんだい?




 ―――このシャトーに……いいえ、『アーバンの厳律修道会』に、彼が来た理由です。


 彼とは、誰だい?ここは尼僧と、穢れなき淑女たちの屋敷だよ?男はいない。


 ……グレイ・ヴァンガルズです、異端者として、私が逮捕したあの男。


 ほう?そんな男がここに来ていたかねえ?




 ―――嘘はつかないでくださいまし……私は、貴方を断罪したくない。


 ……ほう?その程度の腕で、出来るとでも?……負けた跡が見える。


 ……ッ!!……どうして……私が、負けたと?


 武人同士、嘘はつけんということさ……誰にやられたんだい?




 ―――魔王……ソルジェ・ストラウス、彼に負けてしまいました。


 なるほどねえ……強かったかい?


 ……全力を知りません……ですが、『カール・メアー』の頂点と、同じほどかと。


 『聖騎士イシュー』と互角かい?若い頃に、会ってみたかったねえ……。




 ―――魔王のことは、いいんです……異端審問官として、質問します。


 あの男が、ここに来た理由は……妹が、エスリン・ヴァンガルズがいるからですか?


 ……ほう、なかなか勘のいい子だ、異端審問官とかいう厄介な職務の才はあるのかい?


 ……いるんですね、ここに、エスリン・ヴァンガルズが?




 ―――そう言いながら、ルチアは聖剣に指をかける……場合によれば、戦うつもりだ。


 彼女は疑っているのさ、『アーバンの厳律修道会』のことをね?


 元々、皇帝から『カール・メアー』の受けた任務は、帝国内にある宗教大家の調査。


 宗教組織が自分の敵になる可能性を皇帝は見抜き、『カール・メアー』を利用したのさ。




 ―――ほう。自分の身もロクに守れん小娘が、私に挑戦かい?


 ……身の程知らずは、百も承知……ですが、必要とあれば、命を賭けます!!


 ホホホ、下らんのう……未熟すぎて、からかう気も起きない。


 そんなにエスリンに会いたければ、あそこの礼拝堂にいる、会ってこい。




 ―――血の杯による試験を、いたしますが……いいですね?


 帝国の法律がアンタに与えた権利だろう?かまわんさ、すりゃいい。


 ……ご協力を、感謝いたします……。


 ホホホ、お前のような小娘に、全う出来る仕事ではなさそうだねえ。




 ―――未熟は、『教え』で補います。


 ほう……いいセリフだ、では、さっさとしてくれよ?我々は南に逃げなきゃいかない。


 なんでも、魔王が難民たちを率いて、大軍を蹴散らしたようだからねえ?


 ……おや、押し黙るのかい?……お前、魔王に何かいやらしいことでもされたかえ?




 ―――いいえ……そんなことは、されていません。


 ただ……ただ、私の信仰は……間違っていると、言われてしまいました。


 だろうねえ?お前の山の教えは、私から見ても冷たすぎるさ。


 苦しむ者を、見捨てるのだろう?……イースさまへの冒涜だ。




 ―――激情のままに、聖剣を抜き放ちそうになるが……ルチアは指を離していた。


 ……なるほど、これぐらいの怒りで我を失うほどの修行では、無かったか?


 お前の山は、なかなかスパルタらしい……鋼を腰に下げていて、冷静を失わない。


 悪くない鍛錬だ、お前なら迷う資格ぐらいある。




 ―――迷う、資格……ですか?


 当たり前だ、僧侶であるとは、自己陶酔で完結する道ではない、常に苦しむべき道だ。


 この世の理を嘆け、この世の悲しみと絶望を、その身で知れ。


 そうでなければ、どのような宗派であろうとも、信徒への言葉に意味を帯びない。




 ―――迷うことは、僧侶として、二流の証なのでは……?


 そうかい?お前が一流の僧侶としての自覚があっての言葉なら、自身の言葉を信じれば良い。


 ……意地悪ですよ、シスター・アビゲイル……。


 ホホホ、夜逃げの準備中に、押し掛けてくる尼僧には、丁度いい態度さ。




 ―――では……エスリンさんのもとに、まいります。


 ああ、さっさとすませな……魔王が軍勢率いて来るんだ、忙しいんだよ?


 ……すぐに、すみますよ……この聖剣があるわけですから。


 『杯の聖剣』……大仰なモンだよ、まあ、いいさ、すぐに終わらせな。




 ―――御意に……そうつぶやいて、ルチアはシャトーの礼拝堂へと向かうのさ。


 魔力で感じる、いる……若い女の魔力だ。


 ひとりでいる、この礼拝堂に、逃げ場はない。


 ……確かめさせてもらいます、エスリン……貴方の血が真実か、偽りか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る