第三話 『囚われの騎士に、聖なる祈りを』 その11


 オレとグレイはエスリンちゃんを連れて走り始めていた。もちろん、背後をカバーしていたのは、我が妹、ミア・マルー・ストラウスさ。


 若く健康的なエスリンちゃんの脚は、意外なほどに速くて助かったよ。ゼファーを移動手段に使わなくても、良いからね。


 さすがは、あのシスター・アビゲイルの教え子というわけかな?戦場で敵味方を問わずに負傷者へ治療を施す……とてつもない善意の体現者だよね。まあ、そのハードワークで鍛えられた足腰は、この夜の逃避行を可能とする。


「……時間には余裕がある。あまり、急ぎすぎなくていいぞ?」


「は、はい……でも、だいじょうぶ。走らせて」


「……ああ」


 そうだな。シスターや学友たちとの別れ……そして、祖国との決別の瞬間でもある。亡命者、彼女とその兄であるグレイ・ヴァンガルズは、そういう立場になる。


 祖国を追われる……祖国を滅ぼされた、命からがらそこを離脱したオレと、どこか似ている気がするね。きっと、心が抱えることになる苦しみの質は……喪失感とさみしさという意味では、同じことだろうな……。


「エスリン・ヴァンガルズ」


「……は、はい」


「世界はあまりにも広く感じて……不安に思うかもしれない。だが、君は孤独ではない。となりに兄もいるだろう。それに、オレたちもついている」


「……サー・ストラウス……」


「苦しみが待ち受けていることは事実だが、孤独ではないことは君を救う。この先にいるのは、君たちが助けようとしてくれた難民たちだ。君の成してきた行いが、君自身を守る。彼らは、君を拒絶することなく、受け入れてくれる」


「……そうであれば……うれしい、のでしょうか……?」


「故国を離れたとしても、そばにいてくれる人々がいるのは、とても嬉しいことさ」


「は、はい。そうですよね!……すみません。混乱しているのです」


「しかたがないさ。心に思い描いていた人生が、崩れたんだ」


 きっと。

伯爵令嬢さまなら、顔のいい金持ちな貴族の婚約者でもいたんだろう。


 18才、学園の卒業を控えていた身だ。その婚約者に嫁いで、君は幸せで平和な人生を遅れるはずだったんだがな。


 君は、本当に悲劇のヒロインさ。


 歌劇のそれとは違い、運命が都合良く手助けしてくれることは無いだろう。君が死ぬときは、残酷な拷問のあげくか、処刑台での吊るし首……戦場での意味のない殺人の犠牲。そういうもので、君は終わるよ、不運が訪れるだけでね。


 それが現実だ。


 でもね。


 そんな現実でも、孤独でなければ、生き残れるかもしれない。


 君はこれからオレたちと同じ立場だ。世界最大の覇権国家、ファリス帝国に攻撃される存在になる。不安だろう?ああ、そうだ。いつ、殺されるか分かったものではないからな。


 だが、忘れないでくれ。


「……オレたちは、君を守る。君が、善良なエスリン・ヴァンガルズである限り。多くの難民の戦士たちも、そうだろう。その意味はね……命がけで、君を守るということさ」


「……私を、命がけで……守って下さる?」


「そう。君が哀れな他人の傷口を、血で指や服が汚れることも構わずに、消毒してやり、縫合してやり、包帯を巻いてあげた娘だからだ。そういう子はね、戦士は守ってやりたくなるものさ。だから、大丈夫。君は、『未来』を失ってはいない」


 苦労はするだろう。


 それでも、あきらめないでいてくれ。


「……サー・ストラウス……あなたは、とてもいい人ですね」


「美人さんには、よく言われるよ。こんな怖い目つきした大男なのにね?きっと、その見た目のハンデを克服しちゃうぐらい、善人なのさ。まあ、ただの女好きなだけかもしれないがね」


「うふふ!面白いヒトです!」


「……ソルジェ・ストラウス」


 エスリンちゃんのお兄さんが、オレの名前を呼んでいるよ。なんて顔面しているんだ?美形が台無しになるぐらい殴られたからってだけじゃない、無傷のはずの目玉が主張しまくるぞ?


 妹に、手を出すな、殺すぞッッッ!!!


 ハハハ、オレもお兄ちゃんだから分かるよ?オレのミア・マルー・ストラウスを口説くヤツとか?デートに誘うヤツとか?ベッドに押し倒すヤツとか?


 ……そんなヤツを見つけたら、ルチア・アレッサンドラちゃんもドン引きな残酷刑で、そいつを殺すもんな。皮剥いで、手足を切断して、吊して、火あぶりだ!!


 そうさ、分かっている。いくらセックス依存症のオレでも、グレイくんの妹に手を出さないよ。あの元気な脚がいくら魅力的でもね……ほんと、いい脚してるぜ……。


「……ソルジェ・ストラウス……ッ」


「ああ。すまん、前見て走らないと、転けちゃうよね?」


 グレイくんに背後から刺されそうなレベルの殺意を浴びるよ。背中が焼けそうだ。


 さーて。


 冗談はこれぐらいだ。


「……ッ!!エスリン、止まれッ!!」


「え?」


 さすがだな、グレイ・ヴァンガルズよ。感心してやろう。


 グレイは剣を抜きながら、停止したエスリンの前に踊り出る。妹を背中に庇いながら、彼は剣を構える。いい構えだ。ルードでやられてから、オレの助言を聞いてはいたんだな?いいぜ、強くなるために、敵の言葉をも喰らう。その姿勢は好ましい。


 道場剣術の鋭さは消えて、戦場向きの身体能力に頼る、本物の戦士となったグレイ・ヴァンガルズは、道の脇にある茂みに叫ぶ。


 ああ、もちろんだが、草木と会話しているわけじゃない。そこに隠れている人物を脅しているのだ。よく隠れてはいるが、妹を守ろうとしているシスコンが帯びる、集中力の前では無力であったな―――。


「出て来い!!追っ手か!?」


「……いいや。そうじゃないよ」


「なんだと?」


「落ち着け、グレイよ。ここは、もうオレたちの『テリトリー/縄張り』なのさ」


 その言葉にグレイ・ヴァンガルズは落ち着くどころか、緊張を強めていた。まだ、『帝国騎士であった自分』と決別できてはいないのだな。


 ……当然か。この短時間で、そこまで切り替えられるようでは、逆に、つまらん男だぜ。オレはその未練を、評価するぜ?騎士とは、しがらみに囚われるべきだよ。


「……まさか、ここまで来ているのか、難民たちが!?」


「そうだよ。難民というか……もう民兵だけどな―――」


 しかし、『難民軍』というのも、何か冴えない単語だ。


「ああ。なんか、いい名前を考えないといけないな。さーて……おい、ピエトロ。見張り役、ご苦労だったな」


 その言葉に、茂みから少年の頭が飛び出すのさ。ピエトロ・モルドー。オレの大ファンの少年だよ。


「……は、はい!!サー・ストラウスも、お疲れさまでした!!」


「簡単なミッションだった。君たちも、よく帝国軍に見つからずに、ここまで来てくれたな」


「ほとんど、見張りがいなかったんです。だから、楽でした―――」


 どこか浮かない顔をしている。ああ。そうか。袖が血で汚れているな。殺した敵の見張りを、運んで隠したときに、血が付着したのか。


 オレは新兵の肩を叩いてやる。


「……いい仕事をした。その罪悪感を忘れるな。君の心を強くする」


「そ、その……オレ……敵を射たことはあったけど……殺したことは、は、初めてで」


 やさしさと勇気を備えた、このエルフの少年は、その顔を歪めて、涙をあふれさせていた。


「て、敵を!!敵を、こ、殺しただけのことなのに!!なんで、なんで、僕は、こんなに情けないんだろう……ッ」


「……大丈夫だ。その苦しみは、君の心の偉大さを示している」


「そんなこと、ないですよう……ッ。強くなりたい……っ。皆を助けたい。だから、敵を苦しまずに殺せるように……なりたいです……っ」


 弓兵にはよくある現象さ。接近戦で殺し合うのと、遠くから射抜いて殺すことは、かなり意味が違う。相手の攻撃が及ばない安全圏からの射撃は……どこか卑怯に感じてしまうらしい。


 鋼をぶつけ合わせての殺し合いでは、相手に感じられる敬意も多い。殺せたことを光栄に思う。だが……射手という存在で、殺した相手の数を誇らしげに語れる男は、じつのところ少数派だ。


「……やさしいからこそ、強くなれる。君の親父さんもそうだろう?」


「は、はい。でも……オレは……サー・ストラウスみたいに……なりたいです」


「……オレだって、殺したことを悔やむこともあるさ。知っているだろ?オレは、『呪い尾』の子を、斬ったんだ」


「……っ!!でも、あれは、しかたがないことで……」


「ああ。分かっている。それでも、心が苦しいときは、苦しいことを受け入れるしかないんだよ。お前も、その苦しみを拒絶するな、受け入れろ」


「ど、どうすれば?」


「『殺した以上に、救います』……これからは、敵の心臓を射抜く度に、そう誓え。そうすれば、お前の強さは、揺らがない。オレよりも親父さんよりも、おそらくお前の心は強くなれる」


「ほ、本当ですか……!?」


「ああ。絶対にだ。君は、最高の戦士になれるよ」


「……は、はい。オレ、が、がんばります!!」


「ああ。期待しているぞ、ピエトロ・モルドーよ。さて、とりあえず、彼らを君のお袋さんのところまで、連れて行ってもらえるか?」


「……は、はい!!よろこんで!!」


 ピエトロが袖で涙を拭いたあと、ハーフ・エルフの兄妹のところに向かう。


 向かって……止まったぞ?


 ゆっくりと、オレの方を向いた。そして?とんでもない勢いで走ってくる。オレはその動作に何か嫌悪を抱いて、思わずカウンターを入れそうになったが……ガマンできた。


 だって、彼はオレにとって得がたい大ファンだもの。


「ど、どうした?」


「あ、あの!!……サー・ストラウス。ちょっと、こっちに……」


 そして。彼はオレを木陰に誘い込もうとする。ああ、なんだコレ?見覚えのあるシーン。今夜、二度目なんだけど?……まあ、オレの大ファンでいてくれる少年の願いだ、ついて行くよ?


「……で。どうした?」


「……あ、あの子……ウルトラ可愛いっすよッッ!?」


 まったく、君ってヤツは。


 難民キャンプなんかにいすぎて、性欲がたまりまくっているのか?


 オレは少年の肩に腕を回していた。


「いいか。彼女の名前は、エスリン・ヴァンガルズ」


「エスリンちゃんか……ウルトラいい名前ですっ。可憐だあ!!……名字は、厳ついけど……」


「いつか、エスリン・モルドーにしちゃえば、問題はない」


「そ、そんな!?」


「……彼女は、仲間たちと別れ、不安がっている。亡命者としての苦しみは、難民のそれと同じように辛いだろう」


「……っ」


「彼女に一目ぼれしたのなら、傷つけるマネはするな?紳士的に振る舞え。動物的な求愛は、全てタブーだ」


 マジメなピエトロには、こう言っておけば不用意なマネはしないだろう。


「は、はい。がんばります……。オレ、皆を守りますよ、必ず!!」


「ああ。そして、君も死ぬな。皆で生き残るぞ」


「はい!!」


 乱世の若者たちも大変だね。でも、ピエトロくんは顔もいいし、やさしくて勇敢。暴走しなければ、キューピッドに頼らなくても自力で彼女の心を射抜ける日も来るかもしれない。


 どうあれ……全ては、この戦を生き残ってからだ。


 オレは懐中時計を確認するよ……。


「……3時27分か……おい!!グレイ、エスリンと一緒に、この少年について行け!」


「……ああ。行くぞ、エスリン!!」


「は、はい!!サー・ストラウス……ご武運を!!」


「任せておけ。敵に勝つのは、慣れているよ!!……ゼファー!!」


 オレは、ゼファーを呼ぶのさ。もう『彼ら』の『援護』は必要ないからな。オレの肉眼でも確認出来ているぞ、ピアノの旦那と、アイリス・パナージュの姿が。


 ゼファーとリエルが夜空から戻る。


 リエルがゼファーから飛び降りてくるぞ。


「おい。ソルジェ、急ごう!!戦が始まるぞ!!」


「おう、リエル、手伝え!!鎧を着て、竜太刀を担いで……突撃の準備だ!!」


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