第二話 『魔王は、命の値段を訊ねられ……』 その17
……星をにらんで叫んでいたが、それも終わるよ。怒りは、収まったわけじゃない。だが、今はもう十分だ。怒りの熱量が皮膚を焼く、こんなに怒りを抱いているのは、いつ以来だろうかな……。
「……落ち着いたか、『長』よ」
背後からシアン・ヴァティが話しかけてくる。その言葉はいつもよりも、わずかながら優しい響きを宿していた。彼女はオレの怒りの意味を知ったのか?……そんなわけはないか。
「……ああ、いくらかな」
アーレスが教えてくれたから、オレはメフィー・ファールの人生を知っているだけさ。アーレスに無理やり共感させられたんだ、彼女の辛く惨めな日々を……。
真実の幸せなんて、どこにもない、昏くて歪んだ人生を―――ッ。
「……クソが……ッ」
「ソルジェ・ストラウス、あの者の『苦しみ』を、竜の眼で見たか」
「……ああ。酷いハナシだった。『白虎』に弄ばれて、グチャグチャにされた人生だ。オレは……すまないな、シアン。あれは……お前の兄貴の友人だっけか?」
「ああ、ヴァン・カーリーはな」
「うん。オレ、それのことを許せねえよ……だから、オレは、それをぶっ殺す」
「……分かった。やれ」
「……いいのか?」
「お前の決めた道ならば、私は拒まん」
「……理由も、訊かなくていいのかい?」
「必要ない。敵は斬る。私の敵も、『長』の敵も。それが、『虎』だ」
「そうかい……了解だ」
うん。正直、助かるよ。
メフィー・ファールの物語を口にすると、オレはまた暴れてしまいたくなる。
抜き身の剣みたいな怒りはさ、周りを容赦なく傷つけてしまう。だから、オレがこの怒りを制御出来るようになるまで、ちょっと待っててくれ、シアン。
「……あとでさ、詳しいことを色々と話すよ?それで、いいかい?」
「ああ。それで、構わん」
言葉少ないシアン・ヴァティの態度は、いつも完璧には理解できないんだけれど。感覚的な居心地の良さがある。きっと、オレたちは剣士同士だから、特別な絆があるんだろうさ。
「……ほら。剣士の魂だぞ」
「おう。ありがとうよ」
シアンの手が、オレにアーレスの竜太刀を渡してくる。ああ、すまんなアーレス。だが、シアン・ヴァティの指に抱かれるのも、心地よいものだろう?
彼女も最高の剣士の一人だからな。
「……ん?」
オレの指が、竜太刀を掴んだときさ。この部屋の壁に埋められた魔術照明に灯りがついた。完全には壊れてはいなかったのか?全てではないが、四つの灯りが光を放ち始めている。
暗がりが終わり、天井の崩落した部屋に光は戻った。まあ、完全とは言えないけれど、十分だな。
「ふー。かなり薄暗いけど、これで確認が出来る……みんな、生きている?」
アイリス・パナージュが魔術灯の回路を調整したのか?……さすが、ルード王国軍の女スパイ。仕事の出来る女だよな。
あのナイフを使ったのか?壊れた魔術灯のカバーをナイフでかっさばいて、暗闇の中、手探りで回路を修復?……宿屋の女将をやってて良かったね?
旅人から、こんな文句を言われたんだろ?『灯りがつかないんですけど?』……『はいはい、すーぐに直しますよ』。そんなやり取りを十数回もすれば、魔術灯の修理ぐらい出来るってわけかい?
「何を笑っているの、サー・ストラウス?」
「なんでもない。人生の不思議について、考えていただけさ」
「よく分からないことを言うのね。まずは無事なら、返事をするべきよ?」
「ああ、オレたちは無事だぞ?」
そう返事したオレを見て、彼女は肩をすくめる。
「でしょうね。貴方と『虎姫』さまが死ぬとは思えない」
「……当然だ。『虎』は、この程度のことで、死なない」
……ぶっちゃけるとね、ジーロウ・カーンくんのおかげで、オレの中の『虎』のイメージは下がっているんだ。
でも、シアンの中にある水準の高さは知っているよ。くくく、シアン・ヴァティは、『虎』に対して誇りを持っていなくちゃね?そういう彼女が、とってもカッコいいんだから。
「で。そっちは無事かよ?」
「……保護対象は無事ね?」
「そうか。ケガは無かったか、ピエトロ?」
エルフ族の少年は、首でも痛めたのか、何度か首を捻りながらオレに返事をした。
「は、はい。どうにか……っ」
「首が痛むのか?」
「い、いえ。平気ですよ、これぐらい……でも、ちょっと……ていうか、かなり熱かったですけど」
よく見るとピエトロと、その父親であるイーライの服も焦げていた。『バースト・ザッパー』で呼んだ炎のせいだろうな。難民にとって、貴重な服をひとつ焦がす?なんだか、心苦しい事実だ。
「……すまんな。とっさだったもので、魔力の調整が上手く出来なかったんだよ」
「い、いえ……あれ、やっぱり、サー・ストラウスがしたんですよね!?」
「あれとは?」
「いや、その。サー・ストラウスが、落ちてきた天井を、壊してくれたんですよね!?」
「ああ。簡単な仕事だよ」
「す、スゴいッ!!や、やっぱり、サー・ストラウスはスゴいですよ!!」
「……まあね!」
過度な謙遜は皮肉すぎるだろうから、オレは賞賛を受けておくことを選ぶのさ。
調子に乗りすぎる男も軽薄でつまらないが、あまりに愛想の悪い男ってのも人気者にはなれんだろう?さてと、あとは……。
「いつまで寝ている、起きろ」
そう語りながら、『シアンお姉ちゃん』は、ジーロウ・カーンに蹴りを入れている。
ハハハ!頭部を蹴りつけるんだから、恐ろしいハナシだ。ちょっと力加減を間違えれば、死ぬんだぞ?彼女は、ジーロウがオレに対して、あまりにも容易く負けたことを、まだ怒っているのか。
まあ、あの怒りが回復する理由も、『実家が隣だから』ってぐらいの事情だものな。
『虎』の『強さ』を重んじるシアンからすると、ジーロウの弱さは、本来なら死罰が相応しいんだもんね。あるいは、『去勢』か……ああ、背筋も凍るよ。
まったく、ドワーフにしろ、フーレンにしろ、どうしてタマを狩りたがる文化があるんだ?そういうハナシを聞く度に、男は寒気を感じるんだぞ……?
「あ、頭を蹴らないで、シアンお姉ちゃん!!」
「……気安いぞ」
「は、はい!!す、すみませんです、『虎姫』さまッ!!」
鼻ピアスのマフィアは、飛び起きると、『虎姫』さまの前で敬礼だよ。『虎姫』……シアン・ヴァティよ。君は、昔、どんな酷い暴力を、この国で振るったのかね?
まあ、いいよ。この国での仕事が終わった後で、しっかりと聞かせてもらうとしよう。今は、すべきことが幾つもある。状況は、それなりに緊迫しているんだからな。
「それで……ジーロウ・カーンよ?お前の部下は、無事なのか?」
「お、おう!!無事だぜ!?なあ、みんな!!」
「はい!!」
「お、おかげさまで、生きています!!」
兵士たちが口々にそう言ってくる。点呼でもとればいいのにな。でも、鼻ピアスのジーロウは、その太い指で、仲間たちを数えていく。なんだか、意外なほど細かい作業に向いているようだ。
熟練を感じさせる指の使い方で、あっという間に兵士を数えていく。もしかして、この男はいつも指で部下を数えているのか?……点呼とか、隊列組ませて、かけ算を使うとか、そういう発想はないのかな。
「……60!!ちょうど、ぴったりいるぞ!!皆、無事だった!!」
「喜んでいる場合じゃないでしょ?」
女スパイがジーロウに指摘する。そうだな。たしかに、喜んでいる場合ではない。
「……いい?貴方たちは、上司であるヴァン・カーリーから『ヒットマン』を送られたのよ?『呪い尾』とかいうモンスターをね?その意味、分かる?」
「……そ、そうだ!!お、オレたち、命を狙われているんだッ!?し、しかも、ヴァンの兄貴にッ!?……だ、ダメだああ、殺されるッッ!!」
「パニックになるなよ!!」
ピエトロ少年だった。彼は自分の倍以上は体重のあるジーロウを、叱るように叫んでいた。
「……え?」
「お前たちは、オレたちに『合流』したんだろ?情けない振る舞いを、するな!みっともない!!」
「合流?……それは、つまり……?」
まったく、理解の悪い男だな。だが、混乱するのも仕方がないか。自分の兄貴分に裏切られたどころか、部下共々、殺されかけたのだからな。分かりやすくオレさまが説明してやるか。
「分からないのか、ジーロウよ。今日から、君たちも『難民』の一員ということだぞ」
「そ、そうなる……のか?」
「おい!何か、文句があるのかよ?文句があるなら、どこにでも好きなところに行っていいんだからな!!」
やはり、ピエトロ・モルドーは、このマフィア野郎のことが嫌いなのだな。親父を殴られ、同胞たちを苦しめられたのだから、当然か……。
たしかに、オレもメフィー・ファールの人生を知った今では、『白虎』に対して、かなりの憎悪を抱くが―――この間抜けな男には、どこか愛嬌を感じるんだよな。
「……おい、ジーロウよ?素直になれ?死にたくないんだろう?」
「ソルジェ・ストラウス……あ、ああ……分かった。分かったよ!!い、いいか、野郎ども!!オレたち、このまま軍に帰ったら、兄貴に間違いなく殺される!!だから、難民の皆さんに、合流するぞ!!」
「お、おお!!」
「し、死にたくないもんな!!」
「よ、よろしくお願いいたします、モルドーさん!!」
「……調子が良すぎるが、困ったときは協力するのが人類のあるべき姿だと私は思うぞ。よろしくな、ジーロウくん」
人格者のイーライ・モルドーはそう言いながら、ジーロウ・カーンに手を差し出す。素晴らしい男だな。苦労が磨いた父性の塊といったような男だ。ジーロウは、その男気に感動している。
「あ、ありがとうございます!!モルドーの旦那ッ!!オレは、アンタの舎弟になりますッ!!」
ふむ。調子が良すぎるかもしれないが……でも、コイツらが生きていくには、難民と合流する……この選択しかない。そして、オレたちには『戦力』がいるからな。こっちにとっても、都合はいいのさ。
……ん?ルード王国軍の女スパイ殿が、口元を隠しながら、小走りで接近してくるぜ?時々、彼女はおばちゃんっぽいな。
そこそこいい年こいてるし、酒場や宿屋の女将をやると、スパイらしさが損なわれちまうんだろう。庶民派の女スパイってのも、悪くはないがね。料理の上手さと酒の趣味は最高だもん。
「……ねえねえ。サー・ストラウス。やったわね……っ。『アイリス・パナージュ・ルート』の、完成じゃない?彼らだって、フーレンの戦士だもの。難民の護衛をさせるには、丁度いい戦力よ!」
やはり、同じことを考えていたようだ。うん、この兵士どもは、それなりに使える。下の階で眠りこけている連中も数えれば、100人ちょっと。訓練された兵士たちが、それだけいるか。色々と、やれるな。
「……そうだな。それに、逃げ出す以上のことも可能となってくる」
「え?逃げ出す……以上?」
「ああ。だが……今は、『工作』の時間だぞ」
オレの言葉に、大柄なフーレン族は首を傾げるのさ。マヌケなクマみたいな鼻ピアス野郎がな。
「『工作』?どういうことだよ?」
「このまま消えれば、君らは追われる身になるだろ?」
「あ、ああ。そうだな……ヴァンの兄貴は、逃げた者を、許さねえ……っ」
なるほど。性格の悪そうな男で何よりだ。殺した後で気に病むことは一切なさそうだぜ。ストレス・フリーでぶっ殺してやるよ、ヴァン・カーリーよ。何日か待ってろ。見つけ次第、斬り殺す。
「ど、どうしよう!!」
……だが。とりあえずは、この間抜けな大男と兵士どもを、どうにかしないとな?ヴァン・カーリーは残酷な男らしい。マフィアらしく、部下も脅して支配して来たのかね?
「オレに任せろ」
「え、いいアイデアが、あるのかよ!?ソルジェ・ストラウス!?」
「あるさ。つまり、君らを『死んだコト』にしようってわけだ」
「はあ!?」
「死人を追いかけては来ないだろう?ヴァン・カーリーだって、大それたことをした。忙しくなっているはずだぞ?」
「兄貴が、忙しく……?」
「そっちは考えるな。今は、生き延びるための策を練ろう。君たちと……そして、イーライ・モルドーの死を、偽装してね」
「……私もか?まあ、そうだろうな」
理解力があって助かるよ。アンタもヴァンに狙われていたんだ。アンタも死んでなくちゃ、怪しまれてしまう。
「……なるほど。サー・ストラウス。そういうの、私は得意よ?」
「だろうね?」
君の指は、錬金術装置の修理から、色んな土地の郷土料理まで、守備範囲の広い技巧を宿しているもんね。そして、おそらくそれ以上に……スパイとしての工作活動に長けているはずだ。
「さて。嘘つきクズ野郎のマフィアちゃんを、ペテンにかけてやるとするか」
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