第一話 『イラーヴァの森の魔獣たち』 その8
「―――わかったわ。貴方と……『パンジャール猟兵団』の強さを信じます」
「信じてくれて構わないぞ。失望をさせることはないさ」
「ええ。貴方たちが『ギラア・バトゥ』を倒して、『イラーヴァの森』を陥落させることに期待する。サー・ストラウスの言う、ヤツらの皮と血のマント……それがあれば、私の『無謀な作戦』の成功率は上がる。ちょっとでも西に抜けられる難民が増えるわ」
「自分でも、『無謀な作戦』と考えていたのか?」
たしかに、数百メートル進む度に襲われるような狂った森林を、疲れ果てた難民たちに突破させるというのは……大いに無茶なハナシではある。
「……そうよ。『パンジャール猟兵団』の先導があれば……大勢を助けられるとは確信していたけれど、それでも、犠牲者は多くなるという認識はしていたわ」
「たしかに、無謀な作戦だな」
だが。聡明な女スパイであるアイリス・パナージュは『それ』を選んだ。それは、つまり……。
「……『それ』のほうが『現状』よりも、まだマシだということか」
帝国に送還されて殺されるのを待つよりは、モンスターばかりの森林を踏破するという命の危険を選んだ方がマシだというのか。なんとも、悲惨な現実じゃないか……。
「そうね。もっと良い作戦を見つけられたら良かったのだけど……」
「船での脱出を再開することは出来ないのか?」
「それが出来ればいいんだけど……『白虎』は、それを許さないでしょうね!……帝国からの経済制裁は、彼らの暮らしと彼らの権力を崩壊させるから」
「難民の命よりも、自分たちの利益か」
「ソルジェ・ストラウス。『白虎』は、マフィアに過ぎない。正義や誇りを期待するな」
シアン・ヴァティはそう語る。琥珀色の瞳が帯びた感情は、怒りなのだろうか?自己愛の強い彼女ではあるが……その心の奥には、気高い誇りを持っているからな。
「……弱肉強食は世の常だが、『虎』にもその理屈は降りかかる」
「帝国軍の方が、難民とそれを擁護するオレたちよりも『強い』から、『白虎』はそっちに尻尾を振るということか?」
「……そうだ。強さの認識を変えろ。強者にならば、『虎』は従う」
―――『須弥山』を登るか。
マジで、そういう行為をする必要があるかもしれないな。
くくく、仕事であの山に挑めるとすれば?
趣味と実益を兼ねた、いい登山になりそうじゃないかね。
「……サー・ストラウス、分かってはいると思うけれど?」
「『白虎』とは、極力、もめるなと言いたいのか?」
「そうよ。私があんな『無謀な作戦』を用意するのだって、『白虎』との対立を避けてのことなのよ?」
「ヘタレなハナシだな」
『虎姫』さまは『白虎』が嫌いなのかもしれない。昔、もめていたのかな?まあ、シアン・ヴァティなら、不思議はない。国家を牛耳るレベルのマフィアごときに?彼女が従うことは無いだろう。
彼女の『縄張り』に、近づけば?
彼女の大切な存在に、そのクズどもが近づけば?
瞬き一つすることもないままに、八つ裂きにしてしまうようなヒトだろう、君は。
「……ソルジェ・ストラウス。何をにやつきながら、私を見ているのだ?」
「君が素敵だからさ」
「何を今さら言っている?」
「ハハハ。そうだね、たしかに今さらなハナシだよ」
「はあ。『白虎』ともめちゃう日は、遠くなさそうねえ……」
女スパイが頭を抱えている。そうだな、オレもそんな予感はしているよ……だが、傀儡の王に―――いいや、王の『孫』だったか?とにかくその人物を確保して、このハイランド王国の実権を握る『白虎』には、たしかに利用価値がある。
「いいかしら?ハイランド王国の軍事力は、帝国との戦いを考えると魅力的なのよ」
「……確かにね。この国の知的水準の低さは有名だと思うが……『虎』に率いられた軍勢の強さだけは魅力的だ」
そうだ。
どんなヤツにも魅力的な部分はあるものさ。『白虎』がクズだろうが何だろうが、彼らの軍勢は、『強さ』という得がたい魅力を有している。
三つの『小国』を救った?
それは良いが、それだけのことをしただけで、オレたちの軍勢は、多くの仲間たちを失っている。
『無傷の軍隊』を、オレたちの同盟に組み込むことが出来たら?……戦力を回復するいい機会になるのだがな……。
「……『白虎』と帝国を敵対させる方法はないのかな?」
「まあ、怖いコトをつぶやくのね?」
「賢いスパイさんになら、思いつくのかなと期待しているんだが」
「……人間第一主義とは、どんな亜人種だって反りが合わないわよ」
「―――『白虎』と帝国が紛争状態になるのも、遠からずってことかい?」
「ええ。その流れがあるから、『白虎』は追い詰められている。『白虎』の行いに民衆は反抗的になっているわ。マフィアにとって、民衆に舐められることこそ、怖いコトはないわよ?」
「たしかにね……『恐怖』で管理しているだけに過ぎない。舐められたら、彼らの政権にも終わりが見えてくるね」
オレはグラスに入った密造酒を見下ろす。
そうさ、『白虎』が禁じたはずのそれを、ここの連中は堂々と呑んでいるよね?
北の台地の上がどうなっているのかは分からないが、少なくとも、この南では、『白虎』の威光は翳っているらしい。
「時間の経過と共に、帝国との共存というストーリーには、破綻が増えていくわよ?この国は移民国家。フーレン族だけじゃない、たくさんの亜人種のコミュニティが存在しているわ。個々の勢力は大きくなくても、数はいるんだから」
「それは面白いハナシだな。その連中をルード王国が支援することで、次の『白虎』の座を狙わせているのかい?」
「……そうよ!」
「はぐらかされるかと思った質問だったのだけどな」
「……最終的には、『白虎』を排除する。そのプロセスは、不可避になってくるでしょうね。ハイランド王国軍を我々の『仲間』に引きずり込むためには、政権を交代させる必要がある―――でも、現状この国の支配者は『白虎』なのよ?」
アイリス・パナージュも葛藤を抱えているようだな。三年もここで秘密の存在をしていたら、久方ぶりに本性を見せられるオレたちみたいな客は、心の苦しみさえも見せるに値する仲間なのかもしれない。
酒とピアノ弾きの旦那だけでは、スパイ活動という『虚構』を続けていくことの疲れが、全て癒やされるわけでもないのかもしれないな。
孤独な戦いを長らくつづける女エルフは、言葉をつづけたよ。
「亜人種たちの難民の集団が、『白虎』の延命のために消費されている現実は、私にとっても否定したい現実よ。でも、悲しいけれど、それが現実なの。『白虎』との本格的な対立は……あくまで現状では、支持できないわ」
「そうだな。ルード王国のためにでもある……この国の軍隊だけは、たしかに、ノドから手が出るほどに欲しいぜ」
「それに……『白虎』の叩き方は、慎重でなくてはならない」
「どういうことだ?」
「『北』に行けば分かることだけど……あちらには人間族も多くいるわ。『白虎』が帝国との貿易を強めていった結果ね。人間族の商売人が、あの土地にはかなり入植したのよ」
「……『白虎』を衰退させすぎると、人間族の……つまり、親・帝国側の『政権』が樹立するかもってことか?」
それは確かにオレたちにとって好ましい状況ではないな。
ルード王国がコツコツ亜人種のコミュニティを支援しているように……ファリス帝国もまた、この土地の実権を握ってやろうと、ヒトと資金を送って来ているのか。
スパイ同士の密かな戦いは、とっくの昔に始まっていたのかよ。
他人さまの国に、その国をも支配できる存在を、創り出すという密かな侵略戦争は始まっていたんだな。
「サー・ストラウス。移民だらけで、多民族国家であるこの国の民は、損得勘定を優先するわ」
「どこも一緒だよ?」
「いいえ。この国はとりわけ、その傾向が露骨ではあるのよ。哲学よりも、実益を好む習性が、かなり強い」
「帝国豚の金にも弱いか」
「ええ。『白虎』を……『虎』を弱体化させるには、タイミングがいるのよ」
「人間族のマフィアが……つまり、帝国寄りの結社が、実権を取ったりしないためにか」
マフィアの争いにまで注意を払うか。なんだか、大変なお仕事だな、スパイっていうのもさ?
「……そのタイミングには留意する必要があるの。でも、難民たちを放置することは出来ないでしょう?」
「現状の支配者の顔色をうかがいながらでも、難民の救助活動をしなくてはな」
「そうよ。我々の目的は、難民を救助する……そのことに集中しましょう」
「……ああ。議論の余地はないんだ。君の作戦を実行しよう」
「……ええ。現状を改善する……それが、最終的な勝利につながっていくはずよ」
最終的な勝利―――なるほどな、ルードのスパイたちが、こんな過酷で孤独な任務に耐えられる理由のひとつが分かったよ。
彼女たちは、勝利をあきらめていないからだ。
強い意志のもとに、ルード王国が帝国の暴虐を打倒する日を夢見ているのか。
本当に、素晴らしい仕事をしているね。
「……さて。いい仕事をしようかね!」
「そうね。私たちはプロフェッショナルだもの」
「……ああ。オレもね。この森林については素人なのだが、君の作戦には気になる点が残っているな」
「どんなことかしら?」
「いくつかあるが……これだけの距離を歩かせるとなると、原初の森林のなかで何泊もすることになる。野営するのは、あの環境では、かなり厳しいことになるぞ?……旅になれた難民たちでも、雨風に打たれていては、体力を失いすぎる―――」
―――ん?
微笑みを浮かべているじゃないか、アイリス・パナージュさんよ?
「……その顔は、解決策があるって表情なのかね、アイリスさん?」
女スパイは静かにうなずくよ。
その微笑みと一緒にね。
そうだ、オレの知らない要素が、まだ原初の森林には隠されているようだな。
「ソルジェ・ストラウスよ」
「どうした、シアン?」
「この森林には、雨風をしのぐに、そこそこ適した建物があるぞ」
「本当か?どんなものだ?」
「お前も、すでに見ているではないか?」
「オレが、すでに見ている―――」
―――となれば、思い当たるのは一つだけだな。
オレはここにいる二人と違って、原初の森林について知っていることは数少ないものでね?
「……アイリス。この森林には、放置された古い『砦』が、いくつも点在しているのか?」
そう。
ゼファーが今、寝床にしている、あの古びてはいるが、岩で組まれた頑健な砦。
もしも、あのようなモノがこの森林に点在してくれているのなら……移民たちの『デス・マーチ/死の行軍』も、いくらかは楽になるだろうさ。
期待しながら、オレは瞳に女エルフの諜報員を映している。さあ、アイリス・パナージュよ。オレの指摘に、君はどういう答えを用意しているのかな?
「……この森林には、数多くの砦があるのよ?『虎姫』さまのルートにもね、その休憩が可能な施設は、数多く含まれるているわ!」
「なるほど。オレの指摘は、不必要なモノだったらしい」
「いいえ。そんなことはない。貴方が難民たちに、どれだけ多くの想像力と、助けたいという意志を注いでくれているかが分かったもの」
「……そうかい?」
「ええ」
「なかなかのイケメンお兄さんだろう?」
「そうね。赤毛は好みじゃないんだけれど、貴方の『生き様』には魅力を感じるわ」
「オレもアンタの作ったこの店が……『虚構』とは言え、とても居心地が良いよ。魅力にあふれたお店だね」
「自分のことを褒められるよりも、そっちの方が嬉しいわ」
そうだよね。何だかんだで、この店は君にとって『道具』以上の存在だよな。もしも君が無事に使命を果たして、いつか引退したとしたら?
君はルードの乾いた大地で、これと同じような店を経営しているんじゃないかなあって思うんだよ。
「……プランは固まってきたわ。あとは、うちの旦那と煮詰めておいてあげるわね。サー・ストラウスに、シアンさまは、ベッドで寝てください。体力を回復しておいて?」
「そうだな」
「私は、そこのソファーでも良いが」
「せっかくのベッドなんですから、使って下さい、シアンさま?」
「うむ……おい。サー・ストラウス。背中を貸せ」
オレの返事なんて待たないよ。その尻尾ちゃんが、オレの背中に飛びついてくる。
「オレの背中を馬代わりにするのか?」
「……女に乗るのも乗られるのも好きだろう」
「まあね」
「……あら?やっぱり仲良いのね?」
「彼女のコレは性的な誘いじゃないよ。ただの馬扱いさ、残念ながらね」
「くー、すー……」
ほら。もう寝息を立てている。まあ、そろそろ三時過ぎだ。しっかりと寝て、明日の『ギラア・バトゥ』狩りに備えるとしますかね。
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