序章 『剣士たちの聖なる山』 その7
―――旅立ちの日は、歌と笑顔の混じる晴れた空だ。
ゼファーの黒い翼が空を叩いて、ドワーフたちの大地と別れを告げる。
ドワーフの戦士たちは、竜に乗ってこの王国に来た者たちを忘れないだろう。
救国の英雄、ソルジェ・ストラウスと『パンジャール猟兵団』のことを!!
―――重傷のガンダラと、探査能力を活かせそうなオットーを残しての旅立ちさ。
ああ、ソルジェの領地を、ギュスターブは、まだ走っているよ?
それを竜の背から見たソルジェは、大爆笑しているぞ。
ギュスターブはソルジェを楽しませる、ドワーフ戦士の化身さ。
―――妹ミアを足のあいだに、いつもと違ってカミラがソルジェの背についた。
最後がリエルで、ちょっと不満そう?というか、カミラを心配していた。
異常にソルジェの酔っ払った血を吸ったせいで、その酔いはカミラを襲っていた。
愛する男と血とアルコール、吸血鬼は、そんなの吸えば、こうなってしまう。
―――ああ、ソルジェはグラーセス王国の大地を見回すよ。
ゼファーに空をゆっくりと旋回させてね、この戦いの大地をじっと見つめた。
瞳に焼き付けたかったのさ、この偉大なるドワーフたちの王国を。
そして……強敵たちとの戦いを!!
―――気高き将軍マルケス・アインウルフ……そして、宿敵ガラハド・ジュビアン。
その二人に勝利したソルジェだったが、共に激しく厳しい戦いであった。
たくさんの思い出を刻んだ、このグラーセスの大地。
それを見回しながら、ソルジェはゼファーに歌わせた。
―――伝説と勝利を大地に刻み、天空には大いなる竜の歌を遺して。
ソルジェたちは、このドワーフたちの王国を後にするのさ……。
そうだ、目指すは、僕とクラリスのいる、ルード王国だよ。
お帰りなさい、ソルジェ!!
「―――長旅、ご苦労様でした、サー・ストラウス」
オレは久しぶりにルード王国の城にいる。玉座の間だよ。クラリス女王陛下の前に戻ったオレは、長い報告を彼女にしたあとで、その言葉で労われた。
ああ……クラリス陛下に褒められると、無条件で嬉しくなるね。オレは、彼女を尊敬しているからね?ガルーナと同じ風の吹く、人間と亜人種が共存する、この大いなるルード王国の女王サマだもん。そりゃあ、とんでもなく大好きさ!
「……勿体ないお言葉です」
「……ウフフ。サー・ストラウス、立って下さい。貴方には、ずっとしゃがんでいるなんて、似合いませんわ」
「ええ。自分でも、そう思いますよ、陛下」
そして、オレは立ち上がる。しかし、気品があるねえ。ジャスカ姫とは大違い。ジャスカ姫だって美人の類だけど?……この気品は天と地ほどの差がある。
「どうかしました?」
「いいえ。女王陛下のうつくしさに、見とれていただけですよ」
「あらあら。嬉しい言葉ですわ。でも、もう妻を三人も娶っているではありませんか?」
「……そうですね。でも、うつくしいヒトを褒めるのは、騎士のつとめですから」
「ソルジェってば、色男になってるよ!!」
オレの親友、シャーロン・ドーチェがそう言って茶化す……うん。茶化し過ぎだろ?
「なんで、お前、まだ女装しているんだ、シャーロン?」
「え?僕は、ラミアだよ!?」
なんだかしばらく見ない間に、女装レベルが上がりまくっている……踊り子みたいなセクシー衣装なんだけど……ボディ・ラインが、女っぽい。ていうか、胸まで作っているんだが?
「……お前は、何を目指しているんだよ?」
「今は、女装の道を極める。そして女性の心を完璧に把握して、それを恋愛小説の執筆に活かすつもりさ」
『ゾルケン伯爵夫人の痴情』を、『恋愛小説』と言い張る感性は、いかがなものか。
恋人シャーロンの奇行を、最も間近に見続けているクラリス陛下は呆れ顔だった。
「……私の顔をマネしてくれるのは、『身代わり』のためだと分かっていますけど」
さすがは聡明なクラリス陛下。シャーロン・ドーチェこと『ラミア』の存在理由をよく知っておられる。
そうだ、シャーロンは対暗殺者用の影武者だよ。その童顔の美形顔を活かして、完璧な女装をしている―――全ては、もしもの時、陛下の影武者とし凶刃を受けるためさ。
見た目はともかく、男らしい戦いではあると感心はする……しかし、踊り子の衣装を着るのは、もう完全に悪ふざけだとしか思えなかった。
「まあ、彼のことはいいです」
「そうですな、ヤツに効果のある薬はこの世にはないでしょう」
「ヒドいぞ、ソルジェ!それに、クラリス!!」
「……おだまりなさい、ラミア?」
「……オッケー!!」
何だかんだで、いい恋人同士なのかね?……まあ、微笑ましい夫婦漫才のひとつさ。
さて、次の仕事を聞かねばならんな……オレは、『パンジャール猟兵団』のメインの雇用主は、このルード王国の女王である、クラリス陛下なのだから。
彼女は、北方の自由都市国家ザクロア、さらに北方のディアロスにつづき、南のグラーセス王国との『同盟』を構築してみせた。この同盟の名手は、クラリス陛下である。
今ではファリス帝国との戦いにおける、最大のカリスマだ。帝国への反乱の象徴として、彼女の政治力は高まり続けている―――そして、それゆえに暗殺される可能性もな。
猟兵シャーロンことラミアを、彼女のボディガードにしておくべき理由は日々増えている。
もしも、彼女が死ねば?ファリス帝国に唯一対抗出来る可能性のあるこの同盟の結束は、大きく崩れてしまうだろう。それだけは、回避しなければならない。
だが、オレまでここに常駐していては、何も出来ないだろう?……陛下のことはラミアことシャーロンに任せるのも有りだよ。ヤツほど『得体の知れない護衛』は、敵が調べにくいという有利があるからね。
暗殺者対策からすれば、謎の護衛という評価しにくい脅威は、いい『盾』にはなるだろうよ。暗殺任務とは、失敗が許されない繊細な仕事だ。下調べをしっかりとする。なら、調べにくい変な護衛がいるというのも、いい対策だろ?
情報を攪乱する―――それが、シャーロン/ラミアの存在意義だ。
陛下は恋人さんに任せて、オレは自分に出来る限りのことをしようではないか?
「さて。クラリス陛下、オレの次の仕事は、一体どのようなものですか?」
「……長旅から、せっかくご帰還なさったばかりの貴方に、仕事を押し付けるのは気が引けるのですが……」
「大丈夫ですよ」
「報告では、拷問も受け、全身に傷を負っていたと?」
「いいえ、傷の手当ても済みました。グラーセス王国の軍師殿に、傷口は縫合してもらえましたから」
おかげで、左の指はピアノを弾けそうなぐらい、よく動くよ?
「なるほど……それは良かったです」
「クラリス陛下。報告した通りに、グラーセス王国の外科手術のレベルは高い。しかし、薬のレベルはそうでもない。いい取引が出来そうです」
「はい。救援物資の第一弾には、外傷用のエルフの秘薬をたっぷりと用意しました」
「さすがです。それがあれば、また戦士として復帰できるドワーフも増えますよ」
「……いい出会いをしたようですね?」
クラリス陛下は、オレの顔からグラーセス王国での物語の一端を読み取っている。女王陛下よ。そこまで、オレは楽しそうな顔をしていましたか?
だとしたら、その通りです。オレはまたかけがえのない友を得ることが出来ましたよ。
「ええ。たくさんの仲間を得ました。この同盟は、帝国との戦いで、必ずやルード王国を勝利に導くでしょう」
「よくやってくれました。ザクロア、ディアロスにつづき、グラーセスとも同盟を築けたのは、貴方たち『パンジャール猟兵団』の働きがあってこそです」
本当に、この女王サマはオレの心を射止めるのが上手い。オレが、オレ自身が褒められるより『パンジャール猟兵団』が褒められたほうが、ずっと喜ぶことを見抜かれておられるな。
クラリス陛下にせよ、シャナン王にせよ、『王』の眼力というものには恐れ入るよ。魔力を用いずに、ヒトの本質を見抜けるのだから。
「……ここまで働かせておいて、休暇を与えもせずに、任務を依頼するのは、とても気が引けます―――」
「いいえ。正直、グラーセスでは、しっかりと休めもしましたから。次の任務に備えて、準備は万全ですよ」
「……なるほど。さすがは猟兵ですね。では、心置きなく、命じます」
「ええ。どうぞ、クラリス陛下、オレはどこに行けばよいのでしょうか?」
「―――ここより、はるか北西の国です……音に聞こえた剣士たちの聖山『須弥山』をいただく武勇の国―――」
「……ふむ」
―――なかなか、厄介な国だね。あそこの『虎』どもは、ドワーフよりも気性が荒い可能性があるぞ、うちの双剣の女戦士さんを見ているとね……。
「『ハイランド王国』……ここに貴方を派遣したいのです」
「……剣士として、いつかはいかねばならない土地ですからな。くくく、この鎧を新調できていて良かった」
……それに。なんていいタイミングだ、『奇剣打ち』よ?……ありがとうよ、この『竜爪の篭手』をフル活用出来そうな国だな。
「……行ってくれますか、サー・ストラウス?」
「ええ。もちろん、行きますよ。あの螺旋の山は……オレが登るべき山の一つ―――ですが?……一つ質問があります」
「……なんでしょう?」
「『ハイランド』の軍隊は、恐ろしく強いものです。経済規模ではルードよりは、かなり劣るでしょうが、こと武力だけなら、ルード王国軍の比ではない……」
「ええ。彼らは四万二千もの軍勢を誇る。何より、個々の力が強い」
「『ハイランド』を仕切る『武侠』ども……『フーレン族』の強さは、かなりのものです。それに、彼らには地の利もある」
「……『ハイランド』……険しい地形と、強力なモンスターの蔓延る『原初の森林』もありますからね―――防衛に関しては、世界屈指の戦闘能力を持つ国家。おそらくファリス帝国軍でさえ、たやすく落とせるような国ではない」
陛下の知識と判断力には脱帽だ。シャーロンからの情報かね?それとも、彼女の独自のルートによる情報なのか……あるいは、ガンダラが仕込んでいたルード王国軍の諜報部員の成果かもしれんな。
誰の知恵であれ、それを自分のものとして使えるほどの柔軟性と想像力、なによりも分析力。ふむ、さすがはクラリス陛下だよ。『フーレン』なんぞの、ならず者どもとの交渉も考えていたのか。だが……。
「……連中の本質は『武侠』。悪く言えば、ただのならず者どもです。ハッキリと言えば、王家の影響力は低く、仕切っているのはマフィアのようなクズどもだ。連中に親書を送っても、同盟に色よい返事をもらえないのでは?」
「……ええ。それどころか、同盟の盟主の座を要求されるかもしれませんね」
「ハハハ!田舎のヤクザらしい発想だ。なるほど。それは難しい相手ですな。彼らは最大限に良く言っても、『武人』の集まりでしかない。政治力や多国間の連携をまとめあげる度量は、まったく無いでしょう」
「ええ。現状では、帝国軍の侵略を受けていない以上、我々との同盟にも消極的な態度を取るでしょう」
「彼らは……あまり自分たち以外に興味がなさそうだからな」
『フーレン』どもの邪悪で違法なビジネス以外にはね……。
「政治には疎い連中だ。自分たちに干渉しなければ、文句は言わない」
「ええ。ですから、今までは問題がなかった」
「……問題が出来たと?」
マフィアみたいな連中の悪さか?……イヤな予感がたっぷりだな。
「……西へと逃れてくる亜人種の難民たちを、『ハイランド』は今まで素通りさせてくれていました」
「その言い分では、その状況が変わったということですかな?」
「……はい。彼らは今、帝国から逃げ出した亜人奴隷たちの、領地内の通行を禁じている」
「そいつは、難民たちには死活問題だな」
『フーレン』どもめ、何を企んでいる?……まあ、難民から奪えるモノなど、知れている。想像はつくが、それだけに……腹が立ってくるな。
「『ハイランド』を通らなければ、ルード王国にも、ザクロアにも辿り着けないな―――そうなれば」
「ええ。追っ手に捕まり、難民たちは、帝国領内に連れ戻されている……」
「たしかに大問題だ」
そうなれば?過酷な暴力にさらされる。見せしめの暴力だろうな、逃亡を抑止するための。『フーレン族』め……オレの怒りを買ってくれる連中だな。
「この問題を、解決して来てくれませんか?サー・ストラウス?……このままでは、帝国からの逃亡者たちが、大勢殺されることになります」
「もちろん。それが、貴方の願いであるならば―――オレの正義と同じ道です。いくらでも、オレと『パンジャール猟兵団』の命を『剣』として振るって下さい、クラリス陛下」
さて、今回は世界で最も邪悪な武侠集団とのケンカかい?ああ、『須弥山』の『螺旋寺』を登るハメになったら?……『虎』の群れとケンカかよ。ああ、剣士冥利には尽きるぜ?ワクワクするのは、悪い癖だが、性分だから、仕方がねえよなあ。
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