第四話 『猟兵たちは闇へと融けて、雨音と共に』 その1


 ―――そして、雨が降り始めた。


 そのとき、帝国軍第六師団の将軍アインウルフは、馬の背を撫でていた。


 自慢の白い馬だ、その尻の筋肉は大きいが、脚は繊細なまでに細い。


 馬体も小さいが、とにかく競馬にも耐える走力を愛していた。




 ―――アレクシスと名付けられて、その白馬を彼は愛している。


 この世で最もうつくしい生き物は、そう訊かれたら?


 いついかなるときも、彼の口はアレクシスと歌うのだ。


 戦場を駆け抜ける白い風、その馬が返り血に染まるのを、彼は尊ぶ。




 ―――アレクシスと共に、アインウルフは戦場を駆けた。


 ドワーフたちを殺すために、歩兵どもが泳がせて疲れたところを一噛みだ。


 文武を極め、詩をもたしなむが……やはり本質は戦人。


 マルケス・アインウルフ、彼は武の者だったのさ。




 ―――彼は炎のように草原を燃やすが、馬にはやさしい。


 軽装騎兵の技で、戦況を変えることを喜ぶ。


 主力には大いに甘い、彼らで殺すのだから。


 新兵には試練を与える、生き残れる腕があるなら愛してやろう。




 ―――主力の馬たちが、雨に濡れることを彼は嫌がる。


 彼の仕上げた『血統』は、速く鋭く強いが……不自然だからだ。


 馬体に比べて大きな心臓は、呼吸と循環器の呪いを招く。


 細い脚は速いが、たしかに折れやすい。




 ―――雨のにおいを嗅いだとき、彼はこの日を休息にあてた。


 馬を失うわけにはいかないのだ、この血統たちは若い弱兵の命では買えない。


 速さを威力にして、粘る敵を貫くための牙たちさ。


 マルケス・アインウルフは、狂暴に笑う……朝日と共に進軍しよう。




 ―――聞いていた、鳥の翼が運んだ文で。


 あの不気味な砦の様子がおかしい、連絡は不通。


 ジャスカ・イーグルゥだろうか、それともロジン・ガードナー?


 殺し損ねたらしい、あの殺戮者どもが、何かしたのだろう。




 ―――アインウルフは気にしない、どうあれ戦を決める時が近づいた。


 朝日を背中に進軍し、南西にあるドワーフたちの城を喰らうのだ。


 この『血統たち』に、返り血の勲章を授けよう。


 我が愛馬たちと、雄壮なる騎士たちを、返り血の名誉に……。




 ―――その手がアレクシスの背を撫でて、彼は獲物を殺す感触を夢想する。


 マルケス・アインウルフは、まだ知らないのだ。


 自分よりも強い男を、まだ知らない。


 それゆえに、彼の心は子供のように戦場で踊る……。




 ―――そうさ、敗北知らずのマルケスに、猟兵たちの牙は迫る……。


 真の恐怖を知ったとき、彼は何を知るのだろう。


 何を奪われるのだろう、命は残るのか……?


 すべては定かではないのだが、幼き四十路の心は曇りを知らない。




 ……マルケス・アインウルフは天才だよ?ソルジェ、気をつけてね。




「ああ!!よかった、生きてたのね、カミラぁああッ!!」


 『アジト』に連れてきたリエル・ハーヴェルは、カミラの穏やかな寝顔を見ると歓喜を歌った。そして、あのつるつるとした肌におおわれた美しい細い脚を動かし、眠っているカミラに飛びついた。


 ベッドの上で安らかだったカミラは、ぐええ!?と悲鳴を上げて、飛び起きる。


「な、なにっすか?て、敵襲っすか?」


「そうじゃない。そうじゃないぞ、カミラ!!私だ、私だぞ!!リエルだ!!リエル・ハーヴェルだ!!」


 美少女エルフさんの翡翠色の瞳に、涙が浮かぶ。ああ、慈愛に満ちたその瞳。なんて美しいのだろう?オレのリエル。そして、リエルを見て、オレのカミラが破顔する。


「ああ!!リエルちゃんっすううう!!し、心配かけて、ごめんっすうう!!」


「ああ!!まったくだ……死んだのかと、思ったのだぞ?」


「すみません……でも、ありがとう!!探しに来てくれたっすね!!」


「当たり前じゃないか?私たちは仲間だ。家族だ……そして、ソルジェ・ストラウスの妻だろう?」


「……っ!?」


 リエルに抱きつかれたカミラが、ベッドの上でその身をビクリと揺らしていた。そして、オレの方を見る。怯えた瞳だな。どうした?


「そ、その、あ、あの……これは、その、ね、『寝取り』とかじゃ、なくてっすね?」


「ん?どうして、震えているのだ?」


「あうう!!ご、ご主人さまぁああ!?」


 怯えた少女がオレを呼ぶ。ああ、オレのカミラ。なんか、その情けない怯えた泣き顔が可愛いよ……助け船を出そうと動き始めたとき、正妻エルフが先制攻撃を仕掛けてくる。


「―――ソルジェ。この建物から出て行け」


「どうして?」


「今から、カミラと大事なハナシがあるのだ。なあ、そうだろう?カミラ?」


 カミラがあの吸血鬼の牙が目立つ歯を、ガチガチ鳴らしている。恐怖だな。女神のようにやさしく微笑んでいるリエルが、何だか怖いのかな?……分かるよ、ちょっとオレもビビってる。


 だけど、まあ。信じているぞ。


 リエルよ、お前はオレにヨメが一人増えたぐらいで、怒るような女じゃないだろう?


 君たちは年も近い。性別も一緒、恋人も一緒だ。気が合うだろ?


「わかった。積もる話もあるだろう、終わったらオレを呼べ」


「え!!?ご、ご主人さまぁあッ!?」


「ああ、怯えるな。カミラよ……どうした?私に怯える必要があるようなことを、お前はしたとでもいうのか―――?」


「―――そ、そんなことは、ないっすよ……あは、あははは……っ」


 オレたちの夫婦コントが、新たな局面を迎えたような気がするなあ。ロロカ先生は賢い系の女子だから、このコントに参加しにくいけれど……アホな子カミラなら、バッチリだぜ。


 オレは眠気のせいで口から漏れそうになるあくびを噛み殺しながら、修羅場の風が漂う『アジト・隠し砦支部』から脱出するのさ。


 外に出るとガンダラとジャスカ姫がベンチに並んで座っていた。


「なんだい姫さま、ガンダラとデート?妊娠中だろ?浮気は良くないんだぞ?」


「まあ。呆れたものね。どの口がそんなことを言えるのかしら?」


 ニヤリと牙を見せつける。この口だけど?


「貴方、浮気どころか重婚でしょう?アミリアの文化では街から追放されるわよ?」


「重婚ではない。『一夫多妻制度』を継いでいるだけだ、森のエルフ族から」


「貴方は森のエルフ族の子孫じゃないでしょう?」


「ああ。でも、正妻のリエル・ハーヴェルは森のエルフの王族。彼女と結ばれるんだからさ、オレもその文化遺産の継承者だろ?」


「都合がいい解釈するのね……背後の修羅場が気にならないの?」


「べつに?」


 一瞬、笑うリエルが放つ謎の迫力に圧されたけれど?


 心配はしちゃいない。彼女たちは仲良くやるさ。


「はあ。なんでそんな余裕なの?」


「二人のこと愛しているし、信じているからかな?」


「……愛とか信頼?……本気なの?」


「ああ。命がけで愛し抜くよ、あの二人とロロカ・シャーネルのことをね?」


「そっか。もうすでに三人目なのね?修羅場は一度経験してるの?」


「ノーコメントだ。恋愛脳なお姫さまよ。オレとヨメたちとの恋愛劇よりも、やることがあるだろう?」


 そう。だから、アンタはガンダラと一緒にいるんだ。まあ、そのベンチを引きずって、オレたちの修羅場とやらを見物しようとしている所を見ると、集中出来ていないかもしれないがね。


「……そうね。三角関係で歪む恋愛模様を見物して、面白がっている場合でもないわ」


「そうですな。雨雲が近づき、絶好の機会が訪れようとしている……団長、予測では?」


「一番、ヒドく雨が降るのが、8時間後。深夜二時過ぎ。雷が乱発する、とんでもない土砂降りになるぞ」


「確実なの?」


「竜騎士を信じろ。風のにおいで分かる。これほど確実なことは絶対に外れない」


「……分かったわ。信じましょう」


「そうしてくれ。後悔はさせない。100%当たるよ」


「……ジャスカさま、『ガロリスの鷹』と王国から派遣されたドワーフ兵たちは、王城に移動する予定でしたな?」


「ええ。だから、出撃準備は完了しているわよ」


「ふむ。ならば余裕ですね。ゼファーが雨雲に乗じて敵情視察も続けてくれるなら、陣形の把握は容易い。移動時間も……この地図が正しければ、40分もあれば十分……」


「誰かを試しに移動させろ。偵察も兼ねてな」


「分かったわ。後で私の部下を使う。3時間で行って帰って偵察も出来る」


「8時間後には、間に合う上に、その偵察兵たちの休息も十分取れる」


「別ルートでも、5時間あれば修正できるわね」


 その偵察兵たちが帰って来ない場合でも、対応は可能。


「ふむ……問題は無いでしょう。あとは、私がいくつかの攻撃プランを組み立て―――」


「―――それを、私と部下たちで共有するのね?」


「そうだ。十分に準備は間に合う。そちらは頼んだぞ?」


「はい。団長は……ちょっと寝てくれませんか?」


「後ろのアジトで3Pかませってこと?」


「そうじゃなくて、体力を回復して下さい。十分な休息時間でしょう?」


「そうね。冗談じゃなく、眠そうよ?目の下に大きなクマさんがいるわ」


「分かってる。さすがに疲れてきている……ずっと寝ていないからね。でも、その前にゴハンを作るよ……」


「ゴハン?」


「エビグラタンを作りたいんだ」


「眠たすぎておかしいことを言っているの?」


「いいや。本気だ。オーブンと食材を貸してくれるかな?何なら君らの分も作るぞ?」


「……百人前以上よ?貴方たちの分だけ、作りなさい。食材はあると思うわ」


「どこに行けば?」


「あの赤い屋根の建物よ?食堂になっている。コックに言えば、用意してくれるわ」


「分かった。このさい、目の無い白いエビでもいいんだ。とにかく、ガルードゥの焼けたにおいを嗅いじまってから……エビグラタンをミアに作ってやりたくて仕方がない」


「……好きにしなさいな?」


「ああ。好きにするよ」


 オレは何度かあくびをしながら、その赤い屋根の建物へとたどり着く。


 背後で修羅場を見たい巨人とドワーフ系の姫さまが、ワクワクしてる。でも、オレは知っている。あの二人はケンカをすることはないさ。


 もし、してたら?


 ハハハハ!


 ……そのためにも、美味しいエビグラタンを作らなくちゃね?修羅場とやらがやって来ても、美味いエビグラタンがあればどうにでもなるだろう?


 ん?正気かって?いいや、だいぶ眠たい。だから、ゴハンを作り、それを平らげ、寝るつもり。


 そして起きたら?


 戦争しに行く。


 シンプルなスケジュールだろ?


 食事、恋愛、睡眠、殺す。いつもと同じようなもの。




 ―――エビは白いが目があった、うむ、満足だと赤毛のコックはうなるのだ。


 大きさも、気持ち悪いぐらいには大きい。


 ザリガニが、独自の進化を果たしたのだろう、この暗い地下の歴史に促され。


 ソルジェの調理が始まるぞ、エビを茹でよう。




 ―――タマネギをスライスしよう、涙をこらえて?


 バターで、茹でた白エビとタマネギを炒め、小麦と牛乳を混ぜるのさ。


 マカロニはもちろん大事だよ、マッシュルームも入れようね。


 塩こしょうは、ソルジェの舌に任すのさ。




 ―――鍋でグルグル、エビを踊らせ、時が来たら?


 お皿に移して、削ったチーズの雪を降らせたら、オーブンにゴーだ。


 グラタンは、眠気と戦いながらでも、かんたんに出来ちゃうすぐれもの。


 赤毛のコック・ソルジェさんは、今日も完璧なお仕事さ!!


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