序章 その2


 ―――気づけば、アーレスが目の前で死んでいた。オレの視界のなかには、ぐったりと首を大地に沈ませた、年寄り竜がいる。血まみれで、微動だにしない。


「……アーレス……」


 雨が降っていた。冷たい雨だ。オレは死に損なってしまったのか。まいったな。一族よ、死なせてくれて良いタイミングであったろうに。


 雨に打たれる体を起こす。全身が傷だらけで泥だらけで、火傷だらけだ―――しかし。オレはおかしなことに気がついた。左目が、見える……?


「……斬られたはずだが?」


 分からない。どうなっているんだ……?浅かった?そんなバカな。骨まで斬られる感触があったほどだぞ?


 迷うオレに、その懐かしい声が投げかけられる。


『……おお。気がついたか、ソルジェよ』


「え……」


 老竜もまた生きていた。けだるそうに口を開き、血と共にアーレスはしわがれた声を吐く。オレは、その声に喜んでしまう。だって、子供の頃以来だぞ。剣をその手に握るようになってからは、アーレスはかたくなにオレのことを名前で呼ぶことはなかった。


 ―――オレは、古竜に本当の意味で認められたのだ。


『……うれしそうに、顔を歪めるでないぞ……』


「……笑うさ、お前に認められたようだからな……」


『……まあ、な。我は……お前を一人前のストラウスと認めた……』


「そうか……はは……死に損なった甲斐がある」


『……はたして、そうであればよいが』


「……どういうことだ?」


『……鳥たちが……教えてくれたぞ……王が、死んだ』


「王が……そうか」


 かまわないさ。決まっていたことだ。そう、ファリスの義勇兵たちと組み、王は最後の突撃をするのだ。オレたちは、その突撃が敵の本隊に届くために、右翼側の集団を殲滅するという任務を引き受けたのだから……。


 ベリウス王は戦士だよ。オレたちの長だが、この野蛮で山深い小国であるガルーナでは、王ですら戦士。戦での敗北は、全滅を意味する。


 あとは血筋を残すために、獣の本能に従い、逃げる女子供たちのための盾となる。そして、戦士の意地を見せるために、戦い死ぬだけのこと。


 問題は無い。


 無いはずだが、どうした、アーレス?


 悲しそうな瞳をしているではないか?


『……王の隊が、敵の本隊に到達することは、無かったようだ……』


「途中で、連邦の軍勢に討たれたのか……?」


『……いや……これは、ちがうのだ……実に、屈辱的だな……』


「なにがあったという、アーレス!?」


『城を出る前に、王は殺されてしまったようだ……これは、『裏切り』だ』


「……なんだと!?」


『……ファリスだ。同盟国の義勇兵などでは、なかったようだ……ただの暗殺者の群れでしか、なかったようだな……おのれ……ファリスめ……ッ』


「……まて、ファリスには、お袋も逃れる予定だぞ!?……それに、セシルも!!」


『ファリスが連邦と通じているというのなら、同盟にはなんの保証もなくなった……連邦は……お前の母親を許さんだろう。元は、連邦の魔術師でありながら、お前の父親に誘拐されて、竜騎士を四人も産んだ……お前たち竜騎士は、連邦の兵士を一万人は殺している』


「……お袋は運命に従うだろう。だが、セシルは!?あの子は、まだ七才だぞ!?」


『……分からない……こればかりは、どうなることか……我にも読めぬ……おのれ、ファリスの詐欺師どもめが……ッ。我らの戦を、穢しおって!!』


「……くそっ!!……アーレス、飛べるか!?」


『……すまぬな、ソルジェ。飛べぬよ……なぜなら、我はすでに死しておる』


「……なにを、オレと語らっているぞ!?」


『……よく『見ろ』……それは、我が与えた『魔眼』の仕業よ』


「なんだと……?」


 オレは、何度か目を瞬きさせてみる。すると……アーレスが突然、死体に戻った。持ち上がってオレを見てくれていたはずの頭は、雨でぬかるんだ地面に突っ込んだままだ。オレは、幻を見ているのか……?


「いや。そうか……この『新しい目玉』が!?」


『そうだ。それこそが、『魔眼』だ……我と同じ、金色にかがやく、古い魔力を秘めし瞳よ……』


 死体から、アーレスの声が聞こえる。


「まさか……オレは、竜の『魂』を見ているのか?」


『……いや。残留した思念を見ている……予期せぬ恩恵だ。瀕死のお前を救うだけのはずが、新しい目玉に異能まで生えてくるとはな……』


「……よく、状況は分からんが……オレは死したお前と話しているのか?」


『置き手紙と話しているのさ……我は幻。もうすぐ消え去る……だが、ソルジェよ。命を救ってやったのだ。その身で、我の願いを叶えてくれぬか?』


「……願いだと?」


『我は……我らの戦いを穢した、ファリスが許せぬ』


「それは、オレもだ……」


『……ならば、ヤツらを滅ぼしてくれ』


「……なに?」


『あの国を、滅ぼしてくれ……』


「戦えというのなら、いくらでもやるぞ?……だが、国を滅ぼす……?どうすれば、いいのだ。オレは、戦術以上に深い、戦略というものは、理解していないぞ!?……それに。もう、オレには竜がいない!!」


『……生きて、学べ……力を……集めろ……お前に出来ぬなら、出来る者を……そろえてくれ……盗んでこい。奪え……そして……ファリスの王族を、根絶やしにしろ……ッ』


「……ッ」


 なかなか難しいことを言う。戦場で死ぬことしか能が無いストラウスに!?


『……我は……口惜しいぞ……ッ』


「アーレス……お前が、それほどまでにか。ああ。ならば……やろう。やってみる……死に損なうにも、理由がいるのだから……ッ」


『…………たのむぞ……ソルジェ・ストラウスよ。我の角を持っていけ―――魔力を込めておいた……才あふれるドワーフならば……剣にしてくれよう……』


「……ああ。お前は……これからもオレといっしょだ」


 死にゆく古竜と約束は交わされ。そして、オレは死にかけている体を引きずり、新たな戦場を求めた……。




 故郷は滅ぼされていた。我が家も里も焼き払われ、誰一人として生きている者はいなかった。ファリスと連邦の兵士たちは、教会に村人たちを集め、そこを焼いてしまったらしい。故国の流す涙雨は冷たいが、焼け焦げて赤くなった骨たちを、やさしく冷ましてくれているようにも思えた。


 オレは……魔眼を使う。


 魔眼は、見せてくれたのだ。お袋と、妹の最期を……ッ。


 『魔王軍』の関係者に例外など無いのだとヤツらはオレの家族を罵り、殴り、縛り、生きたまま火にかけた……。


 ふたりの骨を見つけられたのは、アーレスのおかげだ。


 オレはふたりを愛していたはずなのに、どれが二人の骨なのかは、魔眼を用いなければ判別がつかなかった。オレは……他の全ての者たちを弔ってやる余裕はなかった。二人の骨だけを拾い集める。


「……アーレスめ」


 最高の気持ちで死ねたはずなのに、何てことをしてくれた?


 あのまま戦場で死ねたなら、あの世でまた王に仕えることもあっただろうに?


 家族みんなでだ。


 ああ……小さな骨だ。小さな骨……いつか、オレたち兄弟によく似た赤毛の男の子を産むはずだった妹は、こんなに小さな欠片になっていた……ッ。


 ゆるさない……。


 ゆるさないぞ……。


 連邦も、ファリスの裏切り者どもも!!


 オレはアーレスの角と、二人の遺骨だけを携えて、もはや敵の領土と化した故郷を足早に立ち去る……なんというみじめな敗走だ!?


 竜騎士にあるまじき行いだ。


 竜と共に死ぬ。


 ただ突撃あるのみ。


 それが、オレたちストラウスのはずであったのに……ッ。


 なんと、みじめな。


 血の涙が流れている。口惜しくて、口惜しくて、たまらない。オレの誇りを構成する哲学を、完全に否定しての逃亡だからだ。


 死にたい。


 敵と、戦い、討ち死にしたい。


 英雄たちのように、そうなりたい!!


 だが……アーレスとの約束と、泣き叫びながら燃えて死ぬセシルの幻影が、オレを敵陣への特攻を選ばせてくれなかった。


 怒りと誇りと屈辱と悲しみが、オレの心をグチャグチャにしていく。メシも食べていないのに、吐き気を催した。どういう理屈だろうか?壊れた心が、胃袋からあふれているのだろうか?


 分からない。


 だが……延々と苦しみ抜いたあげく、答えを見つけていた。


 オレは英雄にならなくてもいい。


 死に損なってしまったのだから、その資格を失ったのだ。


 オレがなるのは、復讐者だ……。


 この屈辱に耐えて―――復讐を果たす。そうだ。連邦も、ファリスも、全てを滅ぼす。どうすればいいのかは、まだ分からない……まったく分からないが……オレは、あきらめることはないぞ。




 何日も山をさすらい、オレは飛竜たちの聖地にたどり着いていた。


 ストラウスの一族しか知らないこの土地に、オレは母と妹の墓を作った。


 ここならば、静かに眠れるだろう。


 そうだ。オレは二人に連邦の首領どもと、ファリスの王の首を捧げてやるよ。


「……それなら、オレは国を喰らったことになるかな?」


 軍略にすぐれた将軍でもない、蛮勇さしか能が無いオレには、それ以上の難しいことは出来ないように思えた。だから、この飛竜の聖地でオレは誓う。


「―――竜たちよ!!オレは、ここに誓うぞ!!ここに、仇どもの首を並べると!!オレは英雄にはならない!!みじめな復讐者に身をやつす!!だが、必ずや!!この屈辱を晴らすことで、オレもまた偉大なストラウスであることを、証明するぞッ!!」


 霧深き谷のあいだに、オレの叫びはこだましていく。


 竜たちの魂は、オレの訴えを聞いたか?


 オレの目に宿ったアーレスの苦しみと願いを聞いたか?


 ……まちがいなく、届いたであろう。オレがストラウスである限り、竜たちはいつもオレと共にあるのだから。





 ―――あの誓いの日から、すでに9年が経とうとしている。


 裏切り者のファリスは連邦を支配し、それらの新しい領土をまとめ上げて、今では『ファリス帝国』と名乗っている。オレの戦いは常に後手に回った。


 初めは、山賊まがいのゲリラ組織に身を寄せ、次は帝国に弾圧される亜人種たちのレジスタンスにも参加する。局所的な勝利は掴めた。


 ストラウスの名に恥じぬ戦いばかりだったはずだが……千人殺したところで、急速に拡大していくファリス帝国の版図を、オレだけでは食い止めることなど出来ない。


 あらがいつづけた。あらがいつづけ……元連邦の首魁どもの数名を殺した。


 しかし、そいつらは権力から追い落とされたみじめな敗北者に過ぎない。


 今、オレの目標は、ファリス帝国の現皇帝、『ユアンダート』に絞られている。


 暗殺するにも、体制の転覆を謀るにも……オレには力も知恵も足りなかった。


 そして……何よりも、アーレス!!


 お前が欠けている!!




「……酒臭くてすまんな。久しぶりに、こっちへ戻ってみると、なんか呑みたくなってしまって……悪酔いして、部下に愚痴ってた……悪いな、まだ、酒が抜けてなくて……」


 3年ぶりに訪れたセシルと母の墓に、オレは『花束』を供えた。ひとつ断っておくが、こんな可愛らしい贈り物を、『片目の復讐鬼』が選んだわけじゃないぞ?そんなセンスはオレにはないからな。


 これらは『鎮魂』と『安らぎ』を意味する黄色とか青い花たちだ。


 名前はー……クソ、忘れちまった。えらく古いエルフ語で名付けられた花たちだからな。覚えにくい。これは、2年前から行動を共にしているエルフの娘が選んでくれたのだ。


 帝国の弾圧で村を焼かれたエルフ族の娘さ。そういう連中が、反帝国を掲げるオレのもとに、いつの間にかやって来ている……今じゃ、結構な人数だ。オレはいわゆる元・魔王軍だからな。亜人種たちからは、人気があるらしいぞ?


「……小さな抵抗組織たちは、ファリスの放ったアサシンどもに潰されつつある……亜人種たちへの弾圧は日に日に辛辣さを増している。でも、悪いニュースだけでもない。ドワーフのジジイが、竜を見たらしい―――竜騎士のオレが、9年探して見つからなかったんだがな……」


 しかし、希望は捨てるわけにはいかない。


 オレは、家族と竜たちに誓ったのだから。


「……さて。そろそろ、行くよ……連れと合流しなくちゃならないしな?……今度は、そうだ。その花の名前を忘れずに覚えてくるぞ、セシル……これはエルフの森にだけで育つ、特別な花らしい。お前は、きっと気に入ったはずだ―――それじゃあな?」


 思い出のなかにいるセシルは、その花で冠をつくって遊ぶ。


 お袋は、七才のままのセシルをやさしげに見守っているはずだ。


 ああ。


 振り返るのが、怖い。


 もしも、思い出ではなく……幻を見たら?


 二人や、他の家族たち。そして、アーレスがこの崖の果てに見えたら?


 彼らが笑っていてくれたら?


 ……オレは、赦された気持ちになって、その崖から飛んでしまうかもしれない。深い崖だ。数秒だけ空を感じたあとで、楽になるだろう。苦しみは終わる。屈辱は終わる。ガキの頃、あれだけなりたかった歌に、オレは今ではならなくてもいいとさえ考えている。


 戦いに疲れたわけではない。


 孤独に襲われ、心がすり減っているのさ。


 だから。オレは、ふたりの墓を振り返らずに、ここを去るんだよ。オレは……まだ癒やされぬ乾きのことを、許容したくないのだ。ユアンダート。あいつの首を切り落とすまでは、オレは……孤独な鬼でいたい。


 安らかな死に包まれるのは……その後でも遅くないのだ。


 いいか?帝国のクズどもよ、オレの怒りを忘れるな?


 我が名は、ソルジェ・ストラウス。


 故国と一族と竜を失った、復讐鬼だ……ッ。





 ―――かつて、黒翼金目の竜と契った蛮勇らがいたという。


 滅びた国の竜の騎士たち。


 その者らの血につけられたる名はストラウス。


 剣と翼は戦場の風に遊び、嵐のように無慈悲にすべてをなぎ倒す。




 ―――すべては歌に融けていく。


 英雄輝く星空に、捧げられたのは竜と騎士の魂。


 もはや、それらは過ぎ去りし物語。


 歌い手さえも、途切れていった。




 ―――それは竜の焔を継いだもの。


 赤い髪の片目の剣士。


 竜角の融けた大剣を肩に、ゆくあてもなく世界をさすらう。


 それは歌なき屈辱の日々。




 ―――歌われることを拒んだもの。


 戦場を巡り、現世を彷徨う。


 幽鬼のような足取りで、飢えて、狂って、終わりなく。


 求めるのは新たな翼か、道連れたる弓使いか?




 さあ、今宵語ろう、竜と踊り、悪帝屠った片目の男の伝説を。


 ……ソルジェ・ストラウスの歌を!!



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