第6話 共有のスタートラインと勘違い
先導する形で日向が向かった先はスカイロード部の部室である。正門から見て左手、校舎から見て右手に位置する建物が部室棟としての役割を担っている。部室棟は全五階建てと校舎より高さを誇り、体育会系と文科系共にすべての部活の部室が集約されている。一階には第二保健室と体育教官室も設置されていてケアの準備も整っている。
スカイロード部の部室は部室棟の五階の一番端に当たる、毎日、五階まで上る面倒と辛さはあるものの、空を舞台にしたスポーツの部活が建物内で一番空に近くなくてどうする、と初代部長の発言によって場所が決定したそうだ。
「部活からは海も一望できてとても綺麗なんですよ」
日向は声を弾ませた。彼女曰く空か見る景色と部室からふと見える景色で色も姿も違うそうだ。どうやら歴代の部員からも部室から眺められる景色に定評があったらしく、最上階の部室がある文句も一週間も経過すれば自然と消えてしまうそうだ。
部室棟に入って階段を上る合間も他愛のない会話が続く。率先して話題を振る日向の態度からとても他人と会話することが苦手とは思えない。或いは話題の大半がスカイロードのために苦手意識を忘れているのかもしれない。好きなことになると夢中になるタイプの人間とはこれまでに何人も出逢ってきた。
結局は一度として会話が途切れることなく部室前に到着すると、日向は扉に鍵を差して解錠した。
「えーと、こういうときは……。ようこそ藍千高校のスカイロード部へ!」
部室の中央まで進んでから独白気味に何かを呟くと、振り返って俺を迎え入れてくれた。
「失礼します」
部室内全体を俯瞰するように視線を配る。中央には長机と複数の椅子が並べられ、壁際にはトロフィーが飾られた棚やファイルなどが納められたロッカーなどが置かれている。他にも一人なら寝転べる程度の大きさはある革製のソファーまであった。所狭しと家具が置かれてはいるが窮屈に思わない見事なレイアウトが施されている。
「海が一望できるというのはその窓からですか?」
カーテンで閉じられていた窓に指を差して訊くと日向はひとつ頷いた後、閉じていたカーテンを開いた。薄暗い室内に光が射し込んで色を付けていく。宙を舞う細かな埃が光の反射で存在を主張すると道を作るように窓へと導いた。
「……綺麗だ。あー、本当に綺麗だ……」
窓越しに一望した俺の感想が自然と声として出た。彼方まで続く水平線が太陽の光を浴びて爛々と輝き、視線を手前に戻せば曲線を描くように続く砂浜が見える。鳴滝浜と呼ばれる地元の人間ならば誰もが一度は訪れたことのある砂浜だ。自身も生前の母と父と一緒に何度も遊んだ思い出がある。何を隠そうその時に母から藍千高校の部室から鳴滝浜とその先に続く広大な海を一望できることを聞いていた。幼かった俺はせがむようにどんな景色なのか訊き、母は大きくなった時に自分の目で見なさい、と言って教えてくれはなかった。
「ようやく、ようやく母さんと同じ景色を見ることが出来たよ」
両目を閉じて胸を掴み、先程まで眼に焼き付けた景色を記憶として刻む。そうしてこの日を俺にとってスタートラインだと言い聞かせた。
「あのう、大丈夫ですか?」
「え、ああ。すみません」
窓の前で黙り込んで静止していた俺を心配した先輩が声をかけてくれた。
「先程、お母さんと聞こえましたが、もしかして……えーと……」
「君島彼方です。先輩の思う通り母はこの学校の卒業生で、スカイロード部に所属していました」
「君島! もしかしてお母さんは君島空音さんではありませんか⁉」
「どうして先輩が母のことを?」
「それは知っていますよ! だってこのスカイロード部を創部したのが君島空音さんなんですよ!」
「母さんがスカイロードの創部者? ……え? つまり最上階に部室を提言したのは――」
「あはは、そういうことになりますね」
思わぬ形で学生時代の母を知った俺は自然と笑みが漏れた。母の歩いた軌跡を時を越えて俺も共有しているのだと思ったら嬉しくなってしまったのだ。
「――そうでした。まだちゃんと挨拶していませんした。私は仁科日向。二年生で部長を務めています……といいますか、部員が私とマネージャーの友人だけなんですけどね……」
申し訳なさそうに小さくて乾いた笑い声を漏らしながら日向は簡単な自己紹介を済ませた。
「いいじゃないですか、少人数の部活。大勢の部員が初めからいるよりもやりがいがありそうです!」
「それはつまり……入学した際には入部してくれると思っていいのでしょうか?」
「もちろんです! これからよろしくお願いします、仁科部長」
「ぶ、部長! あわわわ! やめて恥ずかしいです!」
顔色を赤面させながら口をわなわなと波のように動かして恥ずかしがる姿を見せる仁科部長の反応に思わず笑ってしまった。後輩に笑われたことに憤りを覚えた仁科部長は両頬を膨らませて怒りの感情を表に出した。容姿も相まって全く怖くないのはご愛嬌である。そんな二人の間に生まれた独特の空気に、遂に仁科部長も耐え切れずに笑い声を漏らしてしまった。
二人しかいない部室が笑い声に包みこまれた。そこに来客者が訪れた。
「ひ、ひ、ひ、日向ちゃんが見知らぬ男子と談笑している! それも超親しげに! これは大事件です!」
「七海ちゃん! え? こ、これは違うの! いや、何も違わないけど、でも違うの!」
言葉からは何を伝えたいのか全く分からないが、慌てる態度からおおよそ伝わったのだろうか、七海ちゃんと呼ばれたポニーテールの女子生徒はうんうんと執拗に頷いて見せた。
「皆まで言わなくても分かってるよ、日向ちゃん」
女子生徒は仁科部長に向けて掌を見せるように腕を伸ばした。仁科部長は理解してくれたことにホッと安堵の息を漏らした。
「つまり逢引きという奴ね。やるじゃない、日向ちゃん!」
女子生徒は親指を除いた指を折り畳み、右眼をウィンクした。
「何一つわかっていなーーーーい‼」
仁科部長の魂の叫びが部室棟に響いたのだった
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