第3話 ひとつの疑問が解消してひとつの疑問が浮上しました

 生徒会に所属する先輩の女子生徒に案内される形で学校の敷地に足を踏み込んだ俺は挙動不審と取られてもおかしくない程に周囲に視線を配る。合格発表の確認が先輩と言う案内役が就くことに戸惑っているのと、単純に通うことになるもしれない学校の姿に興味があったためだ。


 先輩によって案内されたのは多目的室のプレートが飾られた部屋だ。合格者番号は校舎前に掲示板として張りだされるばかり思っていた。それだけに教室に案内されたことが少しばかりの戸惑いとして襲う。そんな俺の様子を悟ったのか、女子先輩は眉を下げながら口を開く。


「教室に案内された戸惑ったでしょう?」

「……はい。てっきり掲示板で一斉に発表されるものとばかり思っていました」

「うちの学校も以前はそうしてたのだけど、掲示板に受験生が群がり過ぎて目的である番号が確認できない、と苦情が多く届けられましてね。だからこうして教室ごとに受験番号を割り振って案内しているわけです」


 なるほど、と思わず声にしてしまった。確かにテレビなどで見る光景は受験生だけではなく、同伴した両親などが加わることから数が膨れ上がって見辛い環境にあったと思う。


 しかし疑問はまだある。父が言った洗礼のことではない。それはそれで気になっているが、今の一番は案内役の先輩の同僚が贈ってきた言葉である。


「校門前で迎えてくれたもう一人の先輩が、おめでとう、と言ってくれたのですが、それはつまり、そう、いうことなのでしょうか?」


 合格発表を確認しに来た受験生に、おめでとう、の言葉が差す意味など一つしか考えられない。仮にこの祝言が何一つ意味のないものだとしたらたちの悪い悪戯である。


 真偽を確かめるべく問い質した結果、女子先輩は背骨が折れるのではないかと思わせる勢いで上半身を九十度に曲げた。


「ごめんなさい!」


 動作と同様に勢いのある謝罪の言葉が届けられた。それから何度も頭を下げる行為を繰り返す。謝罪をしたということは非が先輩たちにあることを認めたことになるわけだが、謝罪を何度も繰り返されていると罪悪感が芽生えてしまうらしく、途中から居た堪れなくなってくる。何より教室に到着するなり謝罪する女子と謝罪を受ける男子の構図は悪目立ちしてしまう。その証拠に既に入室していた受験生や在校生たちの視線が突き刺さる。


「しゃ、謝罪はもういいですから! 理由だけを教えてもらえればそれでいいです!」


 女子先輩の両肩を掴んで謝罪の動作を強制的に停止させた。そうして初めて女子先輩の過剰な謝罪は止まり、恐る恐るといった形で俺と視線を合わせた。双眸にうっすらと涙を浮かべていることから本当は気弱なタイプなのだろう。一男子としてはそんな姿を見せられては心にグッとくるものがあるが、ここで下手な感情を示しては余計な面倒事を増やしてしまうと思って堪える。


「えーと……最初に答えを言うなら君島君の予想通りです。本当に申し訳ありません! これまでの努力と緊張感が報われる瞬間を無碍にしてしまいました……。彼も悪気があったわけではないのです。ただ受験生の緊張を一秒でも早く解きたくて、一秒でも早く祝ってあげたい気持ちが早まってしまったのだと思います」


 予想通りの答えに落胆することはなかった。それよりも同じ生徒会役員とはいえ、男子先輩の弁明をすらすらと言える優しさに感銘を受けるほどだ。あくまで女子先輩の見解だろうけど、それでも他人の考えをそこまで読み取る行為は相手を観察してこなければ言葉に発することができないものだ。


「ありがとうございます。それと怒っていませんので大丈夫です」


 それから、と言葉を付け足してポケットから合格番号が記載された紙を手に取った。


「一応、自分の目でも確認してきますね」

「は、はい!」


 返事を貰った俺は周囲から視線を浴びながらも張り出された合格発表に目を通していく。近しい番号を見つけてから視線を落としていくと案の定、自身の合格番号があった。


「……なるほど。確かに大喜びできるだけの感動は出てこないな……」


 控えている女子先輩に聞こえないように独白気味に感想を漏らした。実際に確認したことで喜の感情が湧くには湧いたが、爆発的な込み上げる喜びはない。視線だけを横に逸らして女子先輩を見ると緊張した面持ちで直立している。あの様子では彼女の下に戻ったら感想を訊かれることは間違いないだろう。そして本音を伝えれば悲しむ姿を見ることになるのは明白だ。


 それだけは避けたい、と俺は小さく深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから女子先輩の下へ踵を返した。


「あ、あの……どうでしたか?」

「もちろん、受かっていましたよ」


 なるべく自然を心掛けて笑顔を浮かべた。表情とは大事なことで、顔色ひとつで相手に与える印象とは大きく変化するのだ。状況と場合によっては笑顔を送られた当事者は気を遣わせているとう受け取るだろう。今がまさにその状況なので、女子先輩に主導権を握らせないように間髪入れずに質問した。


「ところでこの後も何か案内があるのですか?」


 自分の案内役を買ってくれた女子先輩だけではなく、既に到着して受験生たちにもそれぞれ制服を着用した先輩たちが複数に多目的室内で控えていた。


「実は合格者と不合格者の方で帰り道を分けているのです。合格者の方々は不合格者の方々の前では素直に喜べないでしょうし、不合格者の方々からすれば合格者の方々を見て帰路に着くのは辛いでしょうから……」

「随分と気を遣って大変ですね」

「はい。正直なところ平等性に抵触しているようであまり好きな方法ではないのですが、学校の方針ですし、まったく理解できないわけでもありませんから」


 せっかくのめでたい空間が落ち込んでいくのを肌で感じた。それは女子先輩も同様だったらしく、傍目からでも分かる程に無理矢理、喜の感情を全面に出した。それから重たい空気を払うように両手を合わせるように叩いて音を出すと、気を取り直したかのように話題を変えた。


「それではこれから帰路を案内しますね」


 周囲に聞こえない程度の声量で言った女子先輩は多目的室の扉を開いて外に出た。俺もその後に続いて多目的室を後にして扉を閉める。その音に合わせるように女子先輩が振り返った。


「そうでした! 言い忘れていました! 君島君、合格おめでとうございます!」


 俺にしか聞こえない程度の声量で、しかし確実に祝言をくれた。


「ありがとうございます!」


 校門前の時とは違い、自分の目でも合格を確認したことで喜びの感情は何倍にも膨れ上がっているのを実感した。


「では行きましょう! ……あ、そうでした、そうでした。帰路に着く際はどうか気を強く持ってくだいさね! そうでないと勢いに呑み込まれちゃいますので」


 喜びの感情は一瞬にして身を隠した。女子先輩も父と同様に謎めいた言葉を送ってきたことに、果たしてこの先に何が待ち受けているというのだろうか?


 俺は一抹の不安を抱きながら帰路に着くべく足を進めた。

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