第2話 不安を抱いて校門を叩く

 本格的な冬を乗り越えて春の兆しを見せ始めた季節。春一番が観測されるもまだ肌寒さが残り、潮風に乗って吹き通る風は肌を差すように冷たい。三月に入っても体感温度は変わる様子もなく、早朝に息を吐けば白く濁る気温の低さを継続している。


 二階にある自室から外と内の気温差で水滴で濡れた窓を開ける。春空には程遠い張り詰めた冬空が広がっていて、どの季節よりも空気が澄んでいて綺麗な空ではある。


 視線を地上に落とせばコートを羽織ったサラリーマンがポケットに両手を入れながら通勤する姿が映る。その前方には学生の姿があった。登校時間として早いことから部活の早朝練習でもあるのだろう。


「ついこの前までは自分も同じだったとは思えないぐらいに懐かしさを覚えるな……」


 中学三年生となった俺は既に部活を引退して卒業を間近に控えている。しかし今日に限っては卒業よりも大きなイベントが待ち受けている。


 高校受験の合格発表である。亡き母と生前に約束を交わしておきながら受験に失敗したなど笑い話にもならない。そのため死に物狂いで勉強に励み万全の状態で試験に挑んだ。その裏付けになるのか、正直なところ合格している自信がある。あるにはあるが、それでも結果をこの目で確認するまでは安心できない。


「彼方、起きているか?」


 ノックなしで部屋の扉を開いた声の主は父の武彦だ。細身の体躯に眼鏡と短く整えられた黒髪の姿はとにかく目立たない。これでも空靴の開発に携わる研究所の主任なのだが、疑いたくなる程に存在感がない。


「おう、起きていたか」

「ノックぐらいしろよ」

「すまんすまん。少し考え事をしていたもんでな」

「考え事って新作の空靴だろ? いつも言ってるけど外や研究所では本当に気をつけてくれよ?」


 研究者としての性か、君島武彦という男の性格か、空靴に限らず何かに興味を持つと常に考えに耽ってします癖がある。家の中だと俺の目が届くので然程、心配はないのだが、これが通勤時や帰宅時にも影響を及ぼしているから心配が尽きない。


「わかっているさ。それより今日は合格発表の日だろ? ならしっかりと朝食を食べていきなさい。でないと力負けしてしまうからな」


 軽快に笑いながら謎の言葉を残して父が部屋を去っていった。


「力負けしてしまう? なんのことだ?」


 言葉の意味が見当もつかない。合格発表に必要なのは体力よりも精神力だと思うのだが、ここで思考したところで答えは出そうにないので、父の背を追うように部屋を出た。


 しっかりと朝食を済ませた後、中学校の制服に袖を通してから父の車で学校まで送ってもらった。学校近くに停留所があるので空を飛べばいいのだが、本日に限っては受験生たちたで混雑することを踏まえて禁止例が発令されたのだ。


 校門前に車が到着した。降りると父が助手席側の窓を開けて体を前のめりにして声をかけてきた。


「さて、この門を潜れば洗礼を受けるだろうが、喰われるなよ?」

「だからこの先に何があるんだよ!?」


 引き摺った笑顔を浮かべながら家の時と同様に謎めいた言葉を送ってきた。浮かべる表情から父にとってはあまり良い記憶ではないことが分かる。


「まあ、なんだ……頑張れ!」


 親指を立てながら無責任なエールを送った父は窓を閉めて逃げるように車で去っていった。結局は不満と不安だけが取り残された形となりながら仕方なく足を進めて校門を眼前とすると、在校生らしき男女に声をかけられた。


「受験生の方ですね?」

「え、あ、はい。そうですが……」

「生徒会のものです。掲示板まで案内させていただきます」

「いいんですか? 助かります」

「では合格番号の通知書を提示してもらえますか?」


 生徒会に所属する女子生徒に言われるがままに、家に届けられた合格番号が記載された通知書を手渡した。


「えーと、この番号は……」


 通知書を受け取った女子生徒は隣に立つ男子生徒が広げるプリントに目を通していく。当事者である俺には何をしているのか分からず小首を傾げる他にない。


「お待たせしました。確認ができましたのでご案内します」


 何を確認できたのか、それを問う暇すら与えることなく女子生徒が歩き出す。俺は慌ててその背を追う。その際、男子生徒の横を通り抜けた時に「おめでとう」と一声をかけられるのだった。

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