第60話 病み軍師

「癒してください……」


突然の訪問だった。

クリムは、弱ったような顔をしながら、ミスティの部屋に入り、話しかけてきた。


「ど、どうしたんですか……。

 そんな顔をして。ずいぶん落ち込んでいるようですね」


「最悪です」


「いったい何が」


「このままでは軍師を辞めないといけないかもしれません」


「?」


「あの男は、私の役割を奪っています」


「あの男って誰でしょうか?」


「リンツさんのことですよ。

 モンドアー伯爵邸の戦いでは、ほぼ彼が軍師役になってたじゃないですか。

 しかも弓まで使えて、敵の頭目を討ち取るし。

 どんだけ万能なんですか?

 このままでは、私の影は薄くなり……。

 消滅してしまうかもしれません」


「そ、そんなに気にしていたのですか?

 消滅は言い過ぎなのでは……」


「気にしすぎではありません!

 明らかに、前回の私のセリフ量は少なかったです!」


「……あ、そう」


ミスティは、だんだんとうざったく感じてきて、淡泊な反応を返す。


「この苦しい境遇。いったいどうすればいいのでしょうか。

 シャロさんに甘えて癒してもらおうとしたら、忙しいとかで断られるし……。

 うう。私にはもう、ミスティさんしかいないんです!

 どうか! どうか!

 私にも……ノエルさんと同じように、心を癒す魔法をかけてくださいっ!」


「えっと、あの、それは、ですね……」


ミスティは、歯切れが悪そうに視線をそらす。


「?」


「あれは……よっぽど心を病んだ人にしか使えません。

 クリムさんは病んでいません」


はっきり伝える。

クリムは衝撃を受けたようで、だいぶ表情が凍り付いていた。


「そんな……嘘ですよね。

 私は病んでいますよ。

 ほら、手首にこんなに傷跡が」


クリムは手首を見せつけるが、まっさらで清い皮膚しかない。


「……何もついてないですよね?」


「心の中では傷跡が見えるんです!」


「あ、そう……」


「また淡泊な反応を! いいですか。

 私は、こう見えても、とても傷ついているんです。

 私の存在意義とは……使命とは……。

 聞いているのですか? ミスティさん!」


「クリムさんは、大事な人ですよ」


公女の唐突な優しい言葉に、クリムの胸はどきんとした。


「だ、大事な人!? そ、そんな……」


クリムは、顔を赤くして、髪をいじりながら、体全体をもじもじとさせた。


「公女に……そんなことを言ってもらえるなんて光栄ですよ」


「クリムさん。

 あなたは軍師という役割だけでなく、

 今は、私のお付きの侍女で、身の回りの世話をしていますよね。

 そんなことは、リンツさんにはできないことですよ。

 リンツさんは男の人だから……。

 だから、クリムさんはもっと自信をもって」


ミスティは、クリムの両手をつかむと、ぎゅっとにぎりしめた。

視線を合わせる。


「~~~~~~~~~~~」


クリムは、相当にうれしかったのか、鳥のさえずりが壊れたかのような、

声にならない嬌声をあげる。


ミスティは、クリムの心がこれ以上病まないように、

少しだけ計算めいた演技をしていただけなのだが、

クリムの心がここまでちょろいとは思わず、拍子抜けしていた。


ミスティは、本来、おとなしく引っ込み思案な性格であるが、

公女であるという立場が、それを許さなかった。

人心をひきつけなければ、公女としての立場を失墜してしまうからだ。

クリムを始めとする護衛たちの人心を掌握することは、

ミスティにとっては至上命題であった。

そうでなければ、いかに公女と言えど見捨てられてしまう。

切実な危機感だった。


ノエルたちは、ミスティにとって家臣ではない。

会ったばかりの人たち、長いつきあいも信頼もない、ただ役職と立場だけで結びついている人たち。結びつきは薄い。

本来、いつ瓦解しても、おかしくはないのだ。


それに、ミスティはもうひとつ嘘をついていた。

心を癒す魔法。そんな魔法は昔から存在しない。

実はまったく別の魔法だし、それはノエルにも他の人にも内緒だ。

今後も、死ぬまで、ミスティはずっと黙っているつもりだった。

あれは癒しの魔法でもなんでもなく、

回復魔法・催眠術・その他魔法を混合したものだ。

それは、ミスティのとある目的を満たすためだけの魔法だった。

その目的は、将来明かされることになるのだが、今ここでお伝えすることはできない。


「それじゃあ、ミスティさん! 何かお世話をさせてください!

 私は、今まで、ミスティさんの世話をそれほど多くはしていません!

 さあ、着替えでもお風呂でも添い寝でもなんでもお申し付けください!」


クリムは、明るく押し付けるような笑顔で、ミスティに迫った。

実際、クリムは見習い軍師としてずっと軍略ばかり立てていたためか、

ミスティの身の回りの世話をすることは少なかった。

もっぱら、同年代で仲の良いステラや、世話焼き気質のあるシャルロットが

ミスティの世話役を担っていた。


「そ、そんないっぱい、いきなり言われても……。

 それにお風呂とか恥ずかしいですし……」


「それなら食事を『あーん』させてもいいですよ!」


「ええっ……!? そ、それはぁ……そこまでしなくても」


「ミスティさんのお役に立ちたいんです!」


「じゃあ……そこのカーテンを閉めてくれる?」


「この部屋のカーテンを閉める!?

 誰からも見えない、完全な密室にするんですね……。

 これから私たちは何を行うのか、すごく胸が高鳴ります!」


「そうじゃなくて!

 太陽の光がまぶしいから閉めてほしいだけです!」

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