▶眞白可奈②

『今日、学校で重要な書類をもらったんだ。眞白さんの分、放課後渡しに行ってもいいかな』


昼休みに、僕は眞白さんにLINEでそうメッセージを送った。


北見さんと何かがあったことは明白だが、それを知るのはもはや本人達だけだ。

だが、北見さんたちが口にするとは思えない。

ならば残された手は、由加里先生や園芸部の二人から得た情報を使って、眞白さん本人に訊ねるしかないだろう。


放課後になってスマホを開いてみると、返事はなかったけど、僕の送ったメッセージには既読マークがついていた。僕は、それを勝手に了承と受け取り、由加里先生に聞いていた眞白さんの家に向かった。


ちなみに、重要な書類というのは進路希望調査である。



眞白さんの住むマンションのエントランスまで来て、一度深呼吸する。ちょっと緊張してきたぞ。

ルームナンバーを入力して呼び出すと、お母さんと思われる女性の声が聞こえて来た。僕が持ってきた書類を直接渡したいことと、少し眞白さんと話がしたいことを伝えると、オートロックを解除してくれた。なんとなく安心したような声に聞こえたので、親御さんも心配していたのかもしれない。


玄関からは思った通り眞白さんのお母さんが顔を出して、僕を部屋にあげてくれた。彼女に似て優しそうな印象の女性だった。


僕は軽く挨拶をして、再度訪問した目的を伝える。

お母さんは僕を眞白さんの部屋の前まで案内し、外から僕の訪問を伝えた。中から返事はなかった。

お母さんが少し悲しそうな表情を見せてから、軽く頭を下げて僕にバトンタッチをする。

僕は扉をノックしてから、眞白さんに呼び掛けた。


「眞白さん。友瀬です。いきなり訪ねて来ちゃってごめんね。どうしても直接話したくて」


やはり、中から返事はない。お母さんは成り行きを見守りたそうな様子だったが、そっとリビングの方へ戻っていった。


「まずはひとつ、お礼と謝罪をさせてほしい。……立花先生から聞いたんだ。先生に僕の虐めのことを伝えてくれたのは、眞白さんだったんだね」


中で、小さな物音が聞こえたような気がした。


「立花先生を責めないであげてほしいんだ。先生はちゃんとこれまで黙っていてくれた。けど、眞白さんが学校に来なくなって、先生も心配してる。そのことが関係していると思って、教えてくれたんだ」


そして、あらためて。


「本当にありがとう。眞白さんが先生に教えてくれていなければ、僕はきっと、今前を向けていなかったと思う。勉強もやる気なんて無くて、ただ虐められながら毎日を過ごしていたと思う」


それから、由加里先生との合宿もなかっただろう。


「想像すると、ゾッとする。今僕が楽しいのは、眞白さんのおかげなんだ。だから、ありがとね」


しばらく沈黙が流れた後、中から小さな声が聞こえてきた。


「……うの」

「え? どうしたの、眞白さん?」

「違、うの……」


声が少し震えていた。


「違う、って……?」

「友瀬くんが虐められたのは……私の所為、なの」

「それって、北見さんが関係してたりするかな?」

「ッ……!?」


言葉を詰まらせるような間が空く。

僕は聞いた情報を元に、踏み込んでいく。


「聞いたよ。北見さんと、同じ中学だったんだね。そこで、何かあったの」

「……虐められてたんだ、私。北見さんに」


虐め……


「三年生は違うクラスだったから、まさか同じ高校だとは思わなくて。しかも同じクラス……私はすぐに目をつけられたんだ」


知らなかった。あのクラスで虐められてるのは、僕だけだと思ってた。


「辛かったよね」

「うん……辛かった」


よく、分かるよ。


「本当に辛くて……だから私は、虐めから逃げるために、友瀬くんを使ったの」

「それは、どういう……」

「私は虐めの延長で、北見さんにいろんな命令をされることがあった。課題や掃除を代わりにやっておいてほしい、とか。その中には、柴山くんから好印象を持ってもらえるような画策を命令されたこともあったの。北見さんは、柴山くんに好意を寄せていたから」


徐々に声が近づいてくる。扉一枚を隔てたすぐ目の前に、眞白さんが立っているのが分かった。


「そのときに、友瀬くんが柴山くん達に虐められていることを知った。私は、それを…………使える、って思ったの」


絞り出される声。そこには、懺悔のようなものが滲んでいるように感じた。


「私は柴山くんのしていることを、北見さんに伝えた。普通なら、彼の本性を知って幻滅するのだろうけど、北見さんはたぶん違う。彼女は自分と似たような、そういう力ある人物を好むような人だって思った。北見さんの虐めは、柴山くんと違ってストレス発散がほとんどだったから、彼に近づくきっかけを与えれば、私への虐めはなくなると思った。案の定、彼女は柴山くんにぐっと近づき、私への虐めは減っていった」


眞白さんは震えた声で続ける。


「けどその所為で、北見さん達まで友瀬くんへの虐めに加わるようになってしまった。なのに私は、友瀬くんを盾にして苦しみから逃げた。同じように苦しんでいた、友瀬くんを見捨てて……」

「けど眞白さんは、立花先生に相談してくれた」

「それは……後から罪悪感が募ってきて。結局自分のためだった」

「それでも、僕は救われた。助けてもらったんだよ」


それは、紛れもない事実だ。


「だから、教えてほしいんだ。眞白さんに何があったのか。この扉を開けて」


僕はドアノブに手を掛け、そして扉を開けた。

やっぱり、はじめから鍵なんて掛かってなかったんだ。

ただ、誰も開けようとしなかっただけで。


眞白さんは肩を落として、力なく俯いていた。

僕は一歩、歩み寄る。


「久し振り、だね」

「うん……」

「顔が見れてよかったよ」


眞白さんが不安げな表情で僕を見上げてくる。僕は自分にできる目一杯の笑顔で応えた。

眞白さんは少し安心したような表情を浮かべたが、すぐに俯いてしまった。


眞白さんの部屋に置いてある小さな丸テーブルの前に向き合って座った。

見ると、眞白さんは何やら頬を赤く染めて、ソワソワとしている。


「どうしたの?」

「あ、ううん、その……私、髪とかぼさぼさじゃ、ないかなと思って」


栗色の短いくせっ毛を手櫛で梳きながら、呟いた。

そんなことはないと思うけどな。


眞白さんが落ち着くのを待って、僕は本題を切り出した。


「北見さんからの虐めはなくなってたんだよね? なのに、どうして二学期になって」

「北見さん、夏休みに柴山くんに振られたみたいなの」


そんなことが。だからって、なんで眞白さんを?


「北見さんはまだ諦めていないようだった。けど、柴山くんには他に好きな人がいるらしくて。だから北見さんは、私にその相手を柴山くんから引き離すために、貶めるようなことをするように言われた。その相手っていうのが…………」

「……安原さん、とか」


眞白さんは驚いて顔を上げた。やはりそうか。残念ながらファンクラブの予想は当たっていたということだ。


「けど、どうしてそれを眞白さんに? 相手を貶めるなら、その……北見さんの方が得意、っていうか、わざわざ眞白さんに頼まなくてもいいと思うんだけど」

「北見さんはどこか安原さんと敵対することを嫌っていて。安原さんとは対等な関係でいたいみたいなの」


つまり、自分の手を汚さずに、ってことか。


「私がされてきたようなことを、安原さんにするよう言われた。けど、私にはあんな非道いこと、安原さんにできないッ!」


涙を散らせ、眞白さんが叫ぶ。


「安原さんは、こんな私にも普通に話し掛けて、仲良くしてくれる優しい人なのに……。安原さんと友瀬くんは、私にとって初めてできた友達だから」


僕と同じ気持ちだ。

僕も安原さんの明るさに助けられて、二人との関係を大切に思っている。


「けど、言うとおりにしなければ、また北見さん達に虐められてしまう。それが恐くて、私……」


俯き、肩を振るわせる眞白さん。その姿が、とてもいたたまれなかった。

彼女も僕と一緒なんだ。

自分に対する虐めは、苦しいけど耐えてきた。けど、それが自分以外の、それも仲の良い友人に向けることには耐えられない。

だから逃げ場をなくし、学校に来られなくなってしまったんだ。


事を荒げずに問題を解決する。その方法はひとつ。

北見さんが安原さんを貶めようとしなくなればいい。

けど、眞白さんはいま、その方法が分からなくて学校に来られなくなっている。

だから僕は、彼女に言った。


「一緒に、探そうか」


勉強だって同じだ。一人でやって分からないところは、誰かに聞けばいい。


「僕でよかったら、手助けをさせてほしい」


眞白さんは、涙を溜めた大きな目を見開いて僕を見つめる。


「ありがとう、友瀬くん」


ようやく、笑ってくれた。

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