第1話 で、私が生まれたってわけ。

「お嬢様?どちらにいらっしゃるんですか?お嬢様ー?」


屋敷の中を響き渡る侍女の声がかすかに聞こえるけれど、すぐには出ていくつもりはない。

図書室の片隅で分厚い本を抱えながらこっそり通路の先を伺う。


あら?ご挨拶が遅れまして大変失礼いたしました。

ごきげんよう。

わたくしの名は、マリアンネリーゼ・ツェツィーリエ・アーデルヴァルト。アーデルヴァルト侯爵家が一女でございます。


………………。

こんにちは。

初めましての皆様、初めまして。

守方麻莉、日本人です。生きてます。


-- ・ -- --- ・・ ・-・ ・・・ / ・----


6年前、マリアンネリーゼとして生を受けた私は、生前の記憶を持っている。

念願の法科大学院入学を勝ち取った日に浮かれて教科書を買い込みに行った帰りの交差点で、私はどうやら突っ込んできた車両に轢かれて死んだ、らしい。

そして次の朝に亡くなった。らしい。

さらに奇怪なことに、その朝のうちに私の遺体がどこかに消えた。らしい。

なぜ「らしい」かというと、すべては私の目の前に現れた「カミサマ」から聞いたお話だから。

雲のさらに上に浮かぶ天上庭園のようなところで意識を取り戻したところにいきなり投下された爆弾である。はっきり言って情報過多だ。


「いやいや。消えたんじゃなくて、今この空間にあるんだよ。というか君が今実体化できているのは僕が君の身体をここにひっぱってきたからだよ?」


無邪気さと底知れない胡散臭さをはらんだ笑みを浮かべたカミサマはふんぞり返る。


「君さ、死ぬ間際に『来世でも法律に関わる人生を送らせてください』って言ってたよね?そこで君に一個素晴らしい提案があるんだ」


こういう言い方をされた時はまず何よりも先に詐欺を疑えっておばあちゃんが言ってたな。


「新しい世界に転生させてあげようと思うんだ、そこでならまた法律のお勉強ができるかもしれないよ?」


"かもしれない"、ね。絶対にできるとは言わないんだ。カミサマのくせに。


「あ、信じてないね?じゃあそうだなぁ、君を貴族の家に生まれ変わらせてあげようか。しかもそれなりに高位の。そういう家なら法律使うでしょ?ね?」


ふーむ。平民よりは法律に近そう、かな……?

でもこういうのってだいたい条件つくんでしょ。ほら、「でもこれお高いんでしょう?」って言うし。


「条件ねぇ。まぁたしかにあるかもねぇ」


どこからどうみても怪しげな微笑みを浮かべてちょっと小首をかしげるカミサマ。

あ、これ胡散臭さ満点なお話だ。


「僕はさ、カミサマとしての権限はあんまり強くないんだよねぇ。だから君の魂と一緒にあともう一つしかここから送り出せないわけ」


逆に魂一つで投下しないあたり優しさを感じる気が、する……?普通は前世の記憶だけ持たせておしまいとかだよね……?


「というわけでですね、守方麻莉さん。二択です!

そのいち。君の前世の鮮明な記憶と、君が背負っていたリュックサック。中身の本もおまけでつけておいてあげるよ!

そのに。君の前世のおぼろげな記憶と、君の健康そのものな身体。転生するからもちろん赤ちゃんからのリスタートだけれど、その代わり健康このうえない生活を保証するよ!

あ、この二択を選ばないなら身体もリュックサックも全部元の世界に戻して、君の魂を初期化させるだけだからねぇ、どちらかを選んだ方がいいよ?

さぁてさてさて、どうしちゃうー?」


精神と知識という中身を持たせるのか、器を持たせるのかということらしい。

健康的な人生が確約されるのはたしかに魅力的ではあるけれども。

私は私としてまだ生きていたかった。

法律を勉強したかった。

そんな私が取る選択肢は一つしかないのは、自明だ。


麻莉としての鮮明な記憶と鞄を喪うわけにはいかない。


そう心を決めてカミサマを見上げると、カミサマはニタァと笑った。


「うんうん、よくわかったよ。じゃあ身体は霊安室の棺桶に戻しておくね、すぐに燃やされちゃうだろうから後から欲しくなっても手に入らないからね。あぁ、君の世界の人たちはマヌケだからちょいちょいっと記憶をいじってあげれば『勘違いでした誤報でした』って思い込んでくれるから、そこの心配はいらないよ。ほら、僕たちは"物理的には存在しない"モノたちだからね、君たちは"存在しない"ものを記憶から抹消するの得意でしょ?」


ぱちんっと指を鳴らしたかと思ったら、いきなり身体の感覚が消えた。自分の輪郭がどこにあるのかわからない。この空間の中に溶け出しているような感覚に襲われる。あれ、もしかして私はカミサマに騙されてこのまま消滅するの……?


うそ、嫌だ、怖い、やめて、戻して、怖い怖い怖い怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖


「あはっ。やっぱりニンゲンをいじめるのって愉しいなぁ」


それがあの空間で最後に聞いた言葉だった。


-- ・ -- --- ・・ ・-・ / ・・---


そんな魂が(物理的に)消え去りそうな恐怖を味わい、悲鳴をあげながら私はこの世界に生を受けた。

赤さんのあげる産声ってもしかしてカミサマに魂を消されそうになる悲鳴なんじゃなかろうかと思う。うん。

あれから6年経ち、アーデルヴァルト侯爵家で両親と2人のお兄様からの果てしなく深い愛に包まれながら生きている。

お父様曰く、私が生まれてきたのと同時に部屋の片隅が光り輝き、いきなり不思議な鞄が現れたそう。「これは女神様の恩寵だ!」と今でも言っているけれど、本当によく気味悪がらずに受けて入れてくれたなぁと思う。


麻莉としての記憶と法科大学院の教科書も送ってもらった代わりに健康そのものだった自分の身体を放棄した私は、病弱に生まれた。少し動いただけで倒れる仕様になったおかげで6歳にもなるのに屋敷から出たことがないのだ。

屋敷で家族と使用人だけに囲まれる、そんな小さな世界の中で私が歪まなかったのは前世の人格が残っていたからなのだろう。だからといって、もし精神ではなく身体を選んでいたとしたら普通の子どもらしく外に出ていただろうから、まぁひとえにどちらがよかったとは言えない気もする。


閑話休題。


今日は、私が初めて自力で部屋から抜け出し図書室にたどり着き、前世ぶりに法科大学院の教科書たちと対面できたという記念すべき日なのである。抱えたポケット六法の重さでもうすでに腕がぷるぷるふるえているけれど、そんなの関係ない。感動の涙で前が見えない。私よくがんばった。いやほんとに。

さて、侍女に見つかって部屋に戻されてしまう前にしっかり堪能しておかなくては。そんなに時間は残されていないはず。


前世ではカバーに入ったままで中身を開くことのついぞなかったポケット六法を、初めてめくる指が震えている。


あぁ、これがポケット六法。

……読める。うそ、読めるわ……平仮名もカタカナも漢字も全部読める、これが日本国憲法、ここに民法にそして刑法……!

なんてこと、なんたる幸せ、前世の記憶をくれたカミサマありがとうございます、いま間違いなくこの世で一番幸せな人間ですもうこれ以上望むことはないわ悔いもな--




しばらく後、私は本を抱えたまま倒れているところを発見された。

見つけてくれた侍女曰く、それはそれは幸せそうな笑みを浮かべていたそうな。

次の日に目を覚ました私は、侍女に両親にお兄様にと全員からお叱りを受け、しばらく図書室を出入り禁止にされてしまった。


ベッドの天蓋をにらみつけながら、こぶしをぐっと握る。


はやく身体を丈夫にしてお迎えに行くからね、だからね。

待ってなさい、ポケット六法!

あとまだ会えてない教科書たちも!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界ユスティティア あずさゆみ @azusa18miya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ