第38話 二人の后



 ある晩、突然ロナーが私の家にやってきた。


 ロナーに会うのは久しぶりだった。なぜなら、ロナーはエスタールや南にあるヤンランという隣国へ、クリシュナの代理として即位のあいさつに出向いていたのである。


 外国の話がしてもらえるかもしれない、と私は嬉しくなった。


「いつ、戻ったのですか」


「さっき王宮で陛下に報告したばかりだ。そうすると、今度はまた別の命令が出たのさ」


「ええっ?」


「有能すぎると休みがもらえないらしいな」


 そう言ったロナーは微笑んでいた。


「それで、どうして私のところへ?」


「ああ、それはな、今度の仕事は、タルカを連れて行くようにとの陛下の命令だったからさ」


「私を、ですか?」


「明日、陛下から直接話があるだろう。出発は三日後だからな」


 そう言うと、ロナーはいそいそと帰っていった。


 翌日、ロナーが言った通り、私はクリシュナに呼ばれて王宮に出向いた。そして、ロナーの補佐として、ラテ、エキドナル、ヌクラの三国へ行くように命じられたのである。


「しかし陛下、補佐と言われても、私には何をすればよいのか分かりません。それに、母と妹を置いていく訳には…」


「あの二人は後宮で世話をするから安心してよい。主な任務は敵情視察になる。だから、できるだけ多く絵を描いてもらいたい。絵に描かれた内容を見て、その国の状況を判断していくから。その上で、他の細かいことは、ロナーを頼り、ロナーの指示に従えばよい」


 クリシュナは、私の派遣を既に決定事項として説明していた。


 私はクリシュナの近侍の一人だが、絵を描くことも含めて、別にこれといって決まった役割がある訳ではない。だから、このようにクリシュナ本人から直接命じられたことを一つ一つやり遂げていかなければならない。例え私個人の都合が悪かったとしても、王に仕えるということは、王命を果たすということなのだから。


 母と妹のことさえなければ、それが何かと危険な偵察だとしても、外国の様子を直接この目で見ることができるこの任務は、私にとって興味のある、嬉しい任務だった。その母と妹を後宮で預かってもらえるのだから、何の不満があるというのか。


「分かりました。ロナーの指示に従います」


 クリシュナが少しだけ笑った。


「突然嬉しそうな顔になったな」


「そ、そうですか」


「しっかり外国を見てきてほしい。必ず、これからのこの国に役に立つはずだ。もっともっと、多くのものを見て、たくさん学んできてくれよ。ああ、それと、後宮でオクセーナとファラに会うように。後宮の長を任せているから、預ける二人のことをよく頼んでおくといい」


 そういう話から、私ははじめて、後宮へ顔を出すことになった。


 後宮に行くといっても、中にはほとんど入らない。入口にある応接室で、面会するだけである。この応接室よりも奥に入ることができる男性は、国王であるクリシュナと、王子たちだけである。その王子たちも、成人すると後宮への立ち入りは認められないらしい。


 当然、私も応接室止まりだった。応接室といっても、じゅうたんが敷かれているだけである。椅子も机も、窓も、ない。


 後宮の入口に門衛代わりの女官がいた。未婚の女官は、いつクリシュナの妻となってもおかしくない立場にある。この二人の門衛は若かったので、ひょっとすると実質的には妃なのかもしれない。


 後宮にはクリシュナからの知らせがすでにあったらしく、門衛の二人の女官は、私を応接室に通すと、一人が奥に入って、オクセーナ妃とファラ妃を呼んできた。


 ファラは、クリシュナのはじめての妃である。戦災孤児の世話をしていたあの娘なので、私も一度会ったことがある。オクセーナは手紙の件で深く関わったが、直接会ったことはない。ただ、後宮で働いている母がもっとも世話になっているのがオクセーナなのである。私のことを覚えているとすれば、オクセーナの方だろう。


 そんなことを考えながら、私は二人の王妃を待っていた。そして、その二人が応接室に入ってくると、その姿に私は驚いてしまった。


 二人とも、お腹が少しふくらんでいる。


 妊娠しているのだ。


 妃なのだから、当然といえば当然のことである。


 私は、クリシュナと親しく話す機会が多いせいか、国王陛下を遊び友達のような感覚でとらえているらしい。クリシュナが一人の夫であり、それゆえ妻を妊娠させ、近い将来、父親となることが当たり前なのだということを想像していなかったようだ。


 母からもそんな話を聞いていなかった。しかし、それも当然かもしれない。母にとっては、人妻が妊娠することは当たり前のことなのであって、私にわざわざ知らせることでもない。


「これは、お二人とも、おめでとうございます」


 とりあえず、私はお祝いの言葉を口にした。


 ファラが笑って言った。


「ありがとう。今、この国でもっともおめでたい場所はこの後宮ですからね」


「そうですわね。私たちを合わせて、七人も身ごもった女がいるのですから」


 ファラに続けて、オクセーナも笑った。「タルカ殿ですね。この前は、従弟のブラルドのことで大変お世話になりました。それに、母君にはいつもお世話になっています。これからもどうかよろしくお願いしますね」


 私は黙って頭を深く下げた。


 ファラは、以前一度会った時と同じで、やはり美しい娘だと思った。しかしオクセーナは、正直に言って、美人というほどでもなかった。美醜が女性の本当の価値を決めるものではないとは思うが、後宮で王の寵を競うのであれば、やはり美しさは大切だと感じる。


 そういえば、クリシュナは適齢期の娘を娶っているが、美しい娘を娶っているという話はあまり耳にしていない。クリシュナが女性の美醜を問題にしていないということはその点からも分かる。美しさを競って寵愛を得るということは、クリシュナには通用しないのだ。


 この二人はクリシュナから後宮を任された長である。オクセーナは才女として有名だし、ファラもいろいろなことをよく考え、積極的に行動する娘なので、クリシュナからこの役割に選ばれたのだろう。


 私は母と妹のことを重ね重ねお願いして、後宮を後にした。


 それにしても、在位から約半年で七人もの妃を同時に妊娠させているとはいかがなものか。


 数少ないこの賢王への批判が、町制令に反発している有力者たちから「淫王」という一言にしぼって言い広められているのも分からないでもないと感じた。


 私は、ロナーとともに出発する前に、一枚の絵をクリシュナに捧げた。それは、百人の妊娠した女性に囲まれて玉座の前に立つクリシュナを描いたものだった。


 クリシュナは絵を受け取る代償として、護身用の剣を一振り、私に授けてくれた。


 絵に込めた想いを汲んでもらえたのかどうかはよく分からなかった。






















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る