第37話 薬草園と秤


 募兵令、町制令に続いて発表されたのは免税令だった。これには国民が歓喜した。


 税務官ワグツを中心に、各地へこの法令が周知されていった。また、同時に各地の土地の調査も進められた。今年の税を免除するだけでなく、来年の税を半減することも決まっていた。そして、税そのものも、これまでより軽減されることになっていた。


 スッラが献策した免税令をクリシュナが発展させた内容になっていたが、おそらく、クリシュナはスッラが献策する前から、スッラ以上にこのことについて考えていたのだろう。


 また、今までは、その年の作物の出来不出来に関係なく、所有する土地で予想できる収穫の半分を税として取り立てていた。今回の免税令では、収穫の三割を税として取り立て、一割を町の食糧庫に保存することになっていた。


 負担は四割で、これまでよりも少しだけ軽い。それに不作の年の負担も軽い。


 戦乱の中で徴発に徴発が重なり、結局収穫した作物のほとんどを奪われていた民衆にとって、しばらくは免税となる上に、税負担が軽くなるという知らせはありがたいものだっただろう。ひょっとすると、信じられなかったかもしれない。


 それだけでなく、非常用に町の食料庫を維持していくということは、臨時の徴発を避けるとともに不作の年の飢饉への備えであり、また、他国の侵攻という不測の事態に面しても篭城できるようにという考えもある。しばらくは、十官たちから没収した財産で国庫も満たされていたので、免税に大きな問題はないだろう。


 しかし、何年か後には、税収が足りなくなってしまう。それを補うために、クリシュナはある特産品を作り、それを売った収入を国庫に納める方針だった。


 その特産品とは、薬である。


 後宮の后たちが、クリシュナの指示で、これまでにクリシュナが集めさせていた薬草を煎じて、三つの薬を大量に作っていたのである。


 足をくじいたり、手首をひねったりした時の、打ち身や関節痛のぬり薬。


 すり傷、切り傷、虫刺されまで、なんでも効くというぬり薬。


 風邪、高熱、のどの痛み、せきなどに効くという飲み薬。


 クリシュナは、アイステリアの誰も知らないような薬草の知識をもっていた。どこからか集めてきていた薬草を後宮の奥で女たちに育てさせ、それを摘み取らせて、煎じさせる。宴を続けて大騒ぎしていた裏で、誰にも気付かせずに後宮を製薬所にしていたのだ。


 私にはその効果のほどは分からないが、クリシュナは自信満々だった。そして、その自信を裏付けるかのように、エスタール商人が高額でその薬を買い受けていた。エスタール商人は、クリシュナが薬に詳しいということを知っていたのだろう。


 私の知らない、アイステリアで挙兵する前のクリシュナは、薬に詳しい存在だったのかもしれない。エスタール商人たちとクリシュナの結びつきは、どうやら、挙兵するよりもずいぶん前からの、深いものらしい。


 そして、この薬によって、数年後にアイステリアは名薬を産する国として、諸国に名を知られることになるのだった。


 もう一人の三官である法務官ケーナスは、地方の巡回に出ていた。町制令という大改革で、どうしても地元の者と余所者との間に争いが起こってしまうので、その裁定を王に代わって下すという重要な役割を命じられていたからだ。また、地方の情勢の監視も兼ねている。


 騎士団とガゼルは、軍を動かしていた。


 しかし、今は戦時ではない。戦う必要は特になかった。


 クリシュナは、平時の軍を土木作業員として動かすように命じたのである。募兵令で雇った兵士に無駄金を払うようなクリシュナではなかった。


「こういった作業は、体を鍛えることにもなる」


 その一言がクリシュナの説明だった。


 軍は、各地の巡視を行なう部隊、王都の警護を務める部隊、土木作業を行なう部隊に三分された。


 各地の巡視に配された部隊は、法務官ケーナスと連携しながら、それぞれの町での開墾の手助けも行なった。


 また、どの隊にも休みは与えられていたが、ゆっくりできる長い休暇を交代で取ることができたのは王都の警備に配された部隊だった。彼らの家と家族が王都にあったからだ。


 そして、それぞれの役割はひと月ごとに入れ替わると決められた。これで、各部隊は公平に全ての役割を交代していくことになった。


 私はクリシュナに命じられて、王都の南にあるフーラ川沿いの荒地へ向かい、そこの絵を描いた。絵、というよりは地図のようなものだ。土地の高低が分かるようにせよ、とクリシュナから言われていた。王都に戻って絵を手渡すと、クリシュナは慎重に青の顔料を使って線を書き加えていった。


 それは水路だった。


 クリシュナはこの荒地へ土木作業の部隊を派遣し、青で描いた水路の工事を始めさせた。いずれはこの荒地を開墾して農地にするつもりなのだろう。


 この事業が実現すれば、食糧の生産力が格段に上がるはずだ。


 他にも、クリシュナは最後の三官、政務官スッラに命じて、秤の統一を進めた。


 粟などの分量を量る秤のおもりを統一して、国内全域で同じ秤を使うように定めたのである。


 それまではそれぞれの町の有力者がどのような秤にするかを決めていたので、各地で取り扱う分量が異なり、取引に不便だった。そこで、秤を統一することによって、国内全体で公平な取引ができるようにすることを狙っていたのである。既得権を失うことになった各地の有力者は町制令と合わせてますます不満を抱くようになるかもしれないが、これもエスタール商人に対する優遇策なのだろう。


 ただし、アイステリア国内での商売を行なうためには、王都で作られたこの秤を五つ購入することが条件とされた。秤は一つ一万モルカという、驚くような値段であり、不満をもらす者もいたが、それでもエスタール商人たちは競うように五万モルカという大金を支払った。


 この秤を買わないと、薬の取引もできないことに決められていたからである。それに、これまでのクリシュナとの取引で、ずいぶん儲けていたのだろう。それだけの投資をする価値が、この国王にはあると、隣国の商人たちは判断したらしい。


 また、クリシュナは新銅貨の鋳造を命じていた。


 これまでのアイステリア銅貨とは異なり、隣国エスタールの規格に合わせた銅貨へと変えさせたのである。


 新しいアイステリア銅貨が大量に生産され出して、その支給を受ける兵たちに広まっていくと、クリシュナは食糧所という役所を創設して、一モルカで四バランの粟を販売すると定めた。


 秤で四回量った分量が四バランで、これは三人家族が四、五日暮らせるくらいの分量である。これまでの国民の暮らしから考えれば、格安の値段だと言えた。


 それまでは、一モルカで半バランか、せいぜい一バランの粟が買えるぐらいだったのだ。現実には、品物としての粟そのものが見当たらなかった。


 私は驚いた。これなら、我が家の収入ならば、一生飢えることはない。ありがたいことではあったが、この決まりを聞いてすぐに、私はクリシュナに面会を求めた。


「食糧所の粟の値段が安すぎます。これでは危険です。今のところ国庫に余裕があるのかもしれませんが、こんなことを続けていれば、いつかは無理が出るのではないでしょうか」


 クリシュナは微笑んでいた。こういった諫言が嬉しいのだろう。


「タルカ。気持ちはありがたいが、そう心配するな。私だって、そのくらいのことは考えているから」


 そう言われて、私は急に恥ずかしくなった。それはそうだ。クリシュナがこの程度のことを考えていないはずがない。私はなんというでしゃばった真似をしてしまったのだろう。


「同じことをスッラも言っていた。でも本当に心配するな。それよりも、これまでの粟の値段では、募兵令で集まった兵たちが家族を養えないのだ。彼らは農地をもっていないからな。そのことが今の大きな問題で、そちらの解決を優先しただけだ。独身の兵はどんどん銅貨を貯めていくのだが」


 そこでクリシュナは神妙な顔をした。「いずれは妻を迎えて、子供を育ててもらわないと、国が栄えない。しかし、最近は兵たちが私を恋敵だとぼやいているらしい」


 その表情が真剣だったので、それがちょっとした冗談なのだと私が気付くまでに、少し時間がかかってしまった。


 クリシュナ自身が、後宮の后が多いことを揶揄したのだ。


 ひょっとすると、本当に兵たちがそういったことを言っているのかもしれない。


 私の頭の中に、地方の守備につくアイステリア兵の姿が浮かんだ。私はその瞬間に思いついたことをすぐ口にした。


「では、独身の兵を特別に編成して、クリステル地方へ派遣してはいかがですか」


 クリステル地方は、もとはガラキア地方という、ラテ国の領土だった。先のカイラルトの和約によってアイステリアの領土となった地方である。これまでの戦乱に巻き込まれていたわけでもなく、現在、国内でもっとも豊かな地方である。今回の改革にある免税令によって、その豊かさはますます大きなものとなるだろう。


 住民の数も他の地方と比べてはるかに多い。当然、未婚の娘も、多いはずである。


「そうか。それはおもしろい」


 クリシュナは大きく笑った。


 そして、それを本当に実行したのだ。


 その結果、ひと月後に何人かは本当に新妻を連れて戻ってきたのだから、私の思いつきも悪くはなかったようである。


 アイステリアは着実に、強国へと変貌する第一歩を踏み出していた。
























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