第16話 敵地攻略



 武具などの物品を回収し、全軍を合流させたクリシュナは、武具と食糧を満載した二台の荷車と四人の捕虜を、援軍としてセイシェルに率いられてきたホラズム軍の部隊に預けてホラズムの待つ陣へ戻した。ラテ国の全軍が太い道を進軍してきた場合は、セイシェルの率いる部隊と前後から挟み撃ちにするつもりだったのだろう。クリシュナからセイシェルにはこう指示が出ていた。「陣には堂々と戻り、全軍での喚声を響かせよ。そしてラテ国の赤い軍旗を陣の外で燃やすように。ラテ軍を破ったとシュライザルドに感じさせれば、あの御仁も約定を守るさ」


 クリシュナは残る四台の荷車には食糧だけを載せさせていた。そして、荷車とともに全軍を北の森へと進軍させた。森の中の進軍は困難だったが、不可能ではなかった。途中で夜営をして、翌朝すぐに進軍を続けた。すると、昼前には街道に出た。


 それはラテ国から敵国エキドナルへ通じる街道だった。


 クリシュナの戦いはすでに次の局面への一手へと進んでいたのである。




 クリシュナ軍は街道を夕方まで進んで夜営し、次の日の朝、ウルハの町へ到達した。クリシュナは四つの隊で四方の門を封鎖させ、ウルハの町を包囲し、残る二つの隊を街道の警備にあたらせた。


 ウルハはエキドナルの町だが、アイステリアのレソトと同じように、エキドナルからの独立を宣言した町だった。つまり、レキサムの和約による、アイステリア、エキドナルの両軍が自由に攻めてよい町だったのである。


 クリシュナは、ウルハを包囲したが、ウルハを攻めようとしなかった。包囲しただけで、ウルハの民は震え上がっていたからだ。慌てて攻める必要はなかったのである。


 圧倒的な武力を背景に、クリシュナはウルハへ交渉を迫った。これはもう脅迫に等しかった。


 ウルハから一人の老人と一人の若者と一人の母親が出て、交渉の席についた。クリシュナはロナーと私をその場に同席させた。双子は少し離れたところで様子をうかがっていた。


 クリシュナは優しく三人の使者に対した。


 クリシュナは予定通りに、ウルハのアイステリアへの帰属を求め、アイステリア軍の駐留と引き換えに食糧の提供を申し出た。食糧の積まれた荷車が引かれて、交渉の席から見えるところに止められた。


 大量の食糧を目にした時点で、使者の心はすでに揺らいでいたように思う。


「足りぬ、というなら、もう一台分加えてもよい」


「陛下!」


 第一幕、私は、クリシュナから与えられていた台本通りに大きく叫んだ。「陛下、それはなりません」


 陛下、という言葉に三人の使者が動揺した。口には出さなかったが互いに目を合わせ、クリシュナの様子をうかがっていた。


 予想通りだった。クリシュナが王だという認識はそれまでまったく無かったのである。第二幕、私の次にロナーの出番が来た。


「そうですぞ、陛下。温情にもほどがあります。この荷車一台で、いったいどれほどの額になることか。この荷車一台で話が通らぬ町など、平和的な交渉などする必要はありません! すぐにでも攻め落としてみせますゆえ、私に一軍を預けてくださいますよう」


 脅しとして、十分に迫力のある演技だった。ロナーには役者の才があるのではないか。私の方は、どうやら役者にはなれそうもなかった。


 クリシュナが私とロナーをなだめ、三人の使者に臣下の乱暴な発言の無礼を謝罪した。王自らの丁重な対応に戸惑いながらもはっきりした返答のない使者と、その使者の態度に憤る家臣に温厚な若い国王という交渉の構図が出来上がった。


 ロナーの名演技で、ウルハの使者の返答次第では、即戦闘へと移りかねない雰囲気である。あくまでも雰囲気だけなのだが。


 使者たちは、町に戻って話し合いたいと答えた。


 ロナーはこれに憤慨した。もちろん演技なのだが、クリシュナがそれを遮り、丁重に使者たちを町へ帰した。


敵を騙すならまず味方から騙せと言うが、ロナーの演技が名演技過ぎたので、弓射隊は本当に攻撃準備をしたほどだった。


 ほどなく使者が戻り、ウルハの町は門を開いて降伏した。


 そして全軍が悠々と町へ入った。すぐに町の人々へ食糧が配給され、おどおどしていた町の人々に笑顔が戻った。そして、アイステリアの旗が町の人々によって、町の四方に掲げられたのである。


 クリシュナはウルハの町で全軍に十分な休息を与えた。


 ウルハ降伏の二日後、クリシュナはウルハの守備として六隊から九隊を残し、ロナーに指揮と訓練を任せた。


そして、弓射隊を率い、荷車を一台だけ引いてウルハを後にした。合計三台の荷車に積まれていた十分な食糧がウルハに残された。


 ロナーの演技による示威と、大量の食糧による懐柔を重ねたのである。まさに飴と鞭だった。


 この後、ウルハは、戦乱続きで王家を見放していた他のどのアイステリアの町よりも、アイステリア王家に従順な町となったのだから、不思議なものである。




 クリシュナは弓射隊の進軍の速度を上げた。錬度が低いと言われていたこの四隊と五隊も、ロナーによる訓練と、いくつかの戦いで主力として活躍したことで、精強な一団へと変貌していた。バンの弓への自信もあったのだろう。精神的な成長が、実力そのものも向上させていたのである。レソトの戦いを終えた頃の、軍人らしくない様子はすっかり消えて、疑いようの無い軍人の集団と化していた。


 行軍を急いだので、次の日にはバクラルの町へ全軍が到達した。ここも、ウルハと同じく、エキドナルから独立を宣言した町だった。


 バクラルの占領は、ウルハのような手間は不必要だった。クリシュナが全軍を町の前へ進めると、門がすぐに開いたのである。


 そして町から三人の男が出てきた。そのうち二人は、私も知っている人だったので驚いた。


 一人は、本陣の守りを指揮しているはずのガゼルだった。いつの間にこんなところへ回り込んでいたのだろうか。もう一人は、クリシュナとは馴染みのエスタールの商人だった。残りの一人はバクラルの代表者だという。


 バクラルの代表者は、バクラルの町のアイステリアへの忠誠を誓った。


 町の中には、本陣の守備隊として残ったはずの一隊がそろっていた。聞けば、二隊、三隊と交代でこの町へ進軍したのだという。それ以外にも見たことのない十人隊が組まれていた。バクラルの町の者で構成された新しい部隊だった。これがクリシュナ軍の十隊になる。


「ご指示通りに、本陣はレソトへと移させておきました。訓練は指揮についた騎士が行なうことになっています」


 ガゼルが淡々とクリシュナへ報告した。


 レソトへ、と聞いて、私はようやく気付いた。クリシュナは、本陣で一隊から五隊の訓練を続けていた時から、いや、ひょっとするとそれよりも前の段階で、すでに現在の状況を予見していたに違いない。


 王都からの討伐軍が来ることも。


 それを吸収し、ホラズム軍との合同作戦でシュライザルド軍を敗走させて講和を結ぶということや、その講和の内容も。


 進軍中のラテ軍がシュライザルドの知らせに従って進路を変えることも。


 ウルハやバクラルを占領することも。


 そのほとんどがクリシュナの予定にあった行動で、まあ少しは予定変更があったとしても、ほとんどのことを予定通りに実現してきたのだろう。


 これは偶然ではない。私の直感がそう告げていた。今の王家の混乱は六年前だという。六年前とはいかなくとも、まあ、二、三年前から、つまりクリシュナが今の私の年頃から、着実に、このような計画を練ってきていたのではないだろうか。クリシュナという人は何という人だろうか。


 町の中で、エスタールの商人はいくつかの束になった矢を荷車から降ろした。


 これまでの幾度かの戦闘で、使っては回収するという繰り返しだった弓射隊の矢は、かなり傷んでいる上に数も減ってきていた。補給する絶妙の機会に、一番必要な物が届けられていたのだ。


 私は興奮し過ぎて、逆に寒気を感じていた。この矢の補給も、クリシュナが前もって指示していたのだろう。


 おそらくバクラルの町は、エスタールの商人によって届けられたクリシュナからの大量の食糧に買収されたのだ。今までのクリシュナの行動から、そうに違いないと確信できた。


 長年の戦争で大地は荒廃し、働き手のいない農村は消滅していく。アイステリアやエキドナルでの食糧不足、飢饉は恒常化していた。


 クリシュナは誰もが当然そう考えている食糧の重要性をもっとも合理的に考えることができていたのだろう。


 戦乱とは無縁のエスタールの商人と通じ、豊富な資金力を背景に次々と食糧を輸入し、もっとも有効に利用したのだ。戦闘での敵の食糧の強奪も最優先事項として実行していたではないか。そして、レソトでも、ウルハでも、王都への帰還兵にも、必ず食糧を惜しまずに与えていた。


 それは、このアイステリアで人心を掴むための、もっとも現実的で、もっとも即物的で、もっとも効果的な方法だったのである。


 レソトや他の場所でも、クリシュナの意を受けた誰かが、今後のクリシュナの活動に関わるものとして食糧を運んでいる様子が思い浮かんできた。考えれば考えるほどに、クリシュナの本当の力は計り知れないものだと感じる。










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