第23話 人攫い

「舐めやがって! クソが!」


 鈍い音が鳴る。男の骨張った硬い拳は、リベアルの頬を打たなかった。

 その代わりに、ハルメリオの手の平で受け止められている。ハルメリオが止めることを予測していたのか、それとも自分で何とかするつもりだったのか、リベアルは微動だにしていなかった。


「リベアル殿はアスチルベ家のご令嬢だ、やめておけ。そうでなくとも、他人に殴りかかるのはやめておけ。内心どう思っていたとしても、それを表に出したら取締部隊員じゃなくても問題だぞ」

「猿ってば口が悪ければ頭も悪くて、おまけに手も早いの? 救いようがないわ」

「リベアル殿、先ほど自分が言ったことを忘れたのか? 説得力がどんどん無くなっていくんだが」

「あら、大変。私もつい私情を持ち込んでしまったわ。ここは一つ、貴方と共犯になって差し上げるのも悪くないわね。ええそれがいいわ、仕方ないんだから、もう」


 まだハルメリオは何も言っていない。そして、仕方ないと言いつつも、彼女は非常に機嫌が良さそうだ。歌うような声音で言葉を紡ぐリベアルとは対照的に、男達は苛立ったように眉尻を上げる。ハルメリオが片手を抑えていなければ、今すぐにでも暴れまわりそうな雰囲気だった。


「くそ、お前等のことなんてすぐに上層部に言って――」

「ハルメリオ様、このことは二人の内緒ですからね。共犯よ」


 男の言葉を遮って、リベアルは嬉しそうな声音でそう呟く。そして、懐から透明な小瓶を取り出した。

 小瓶の中には、土がぎっしりと詰まっている。彼女は細い指で小瓶の蓋を開けると、おもむろに自分の足元に土を振りまき始めた。

 彼女はそれを確認すると、にんまりと口角を上げる。まさか、と思った次の瞬間に、リベアルは靴の爪先で地面を叩いた。

 道に落とされた土が、次の瞬間大きく膨れ上がる。明らかに質量を増した土は、やがて歪な球体となった。

 土の球体から、小さな双葉が顔を出す。その双葉は目で追える速度で成長していき、あっという間に人一人分程度の大きさになる。つい数秒前までは双葉だった葉は何枚にも生い茂り、細かった茎は太く、丈夫なものへと変化する。その先では、大きく膨らんだ白い蕾が、綻ぶ瞬間を待っていた。


「な……!」


 男達の顔に、動揺の顔が走る。ハルメリオはその隙に、片手で自分の口と鼻を覆った。


「私の華麗な植物魔法を特別に見せて差し上げます。感謝してくださいな」


 得意げに笑ったリベアルは、そう言って指を鳴らす。パチン、という軽快な音の後で、植物の蕾はようやく満開の花を咲かせた。

 大輪の花は、開花と共に黄色い花粉を大量に巻き散らす。その花粉は急激に空気を伝って広がり、騒ぎを見物していた観客を覆い隠した。

 当然、大通りは悲鳴に包まれた。しかし、それも一瞬で収まってしまう。

 野次馬も、二人に噛み付いていた二人の男も、突然目付きが胡乱になる。ハルメリオが掴んでいた男の手は急に脱力し、そのまま、その場に倒れ込む。どさどさと音を立てて転倒した人物は、そのまま起き上がる様子がない。

 これが、リベアルの植物魔法の効果である。彼女の魔法の媒体は、土。それも、彼女が直々に改良を加えた魔力を含む土である。たった少量で、非常に強力な魔法を繰り出せるのが特徴だ。その結果、ハルメリオとリベアル以外は容易く意識を手放し、その場に倒れこむこととなった。


「相変わらず、派手な魔法だな。これは何の花粉だ?」

「相手の意識を奪う花粉。副作用で前後のちょっとした記憶を飛ばす副作用がありますの。こんな軽い揉め事なら、目が覚めた後で全部忘れるかと。ハルメリオ様が今回の件を黙認すれば、無かったことになります」

「とんでもない方法に出たな。苦情が出るぞ、確実に。記憶が飛んでいてもこんな場所に集団で寝転がっているのは不自然だし、魔法の痕跡で特定されるんじゃないか?」

「直ぐに目覚めますし、花も消えます。私、たまに面倒な殿方に絡まれたときにこれと同じことをしますけれど、目覚めた後、周囲のことを把握できないくらい意識が朦朧とするらしくて。無意識の内に立ち上がるように脳が働く品種改良をしてありますから、意識がはっきりする頃には大通りの真ん中で直立しているだけですわ」


 バレたことないから大丈夫、だなんて言葉を口にして、リベアルは胸を張った。

 一般人を守るのが務めだの、自分の立場を自覚しろだの、そういった常識的な言葉から一気に説得力が失われていく。一瞬呆れた顔をしかけたハルメリオは、数拍の間を置いて、いや、と自分の思考を正す。

 彼女は存外賢いし、そこまで横暴な性格はしていない。そうでもなければ、第三部隊の副隊長になることはできないだろう。

 彼女の言う『面倒な殿方』とは、大方何らかの理由で仕事を妨害する犯罪者のことを指すはずだ。でもなければ、リベアルが魔法を使う理由が思い浮かばない。今回の件だけが特別、ということだろう。


「リベアル殿、今回はどう考えてもそちら側にリスクしかない案件だと思うが?」


 もしこの件がバレたとして、その場の痕跡から補足できる犯人はリベアルだけだ。元々彼女が起こした揉め事ではないのに、そんなことはあんまりだ。

 彼女とは顔を見合わせて嫌味を言うだけの関係である。危険を冒してまでハルメリオの失態を隠す理由など、リベアルは持ち合わせていないはずなのに。


「何故そうまでして俺を助ける。何かメリットがあるか?」


 純粋に不思議であった。そんなハルメリオの一言を聞いて、リベアルは一瞬頬を赤らめる。彼女はそのまま、交わり合った視線を瞬時に逸らした。

 リベアルは、突然気を悪くしたかのように、ツカツカとヒールを踏み鳴らして歩き始める。倒れた人を避けながら、彼女は高いヒールでも器用に前に進んでいく。


「なんて鈍い人! 助かったような苛立たしいような!」

「は?」

「なんでもありませんわ! ここで恩を売っておくのも悪くないと思っただけで深い意味はありません! ……それに、言ったでしょう。仕事が入ったって。仕事を急いでいる私達の行く手を阻むのは、例え一般人でも職務妨害ですから。バレたとしても言い訳ができます。負傷者は出ていませんし。絶対にバレませんけれど」


 思うよりずっと冷静な一言を返されて、ハルメリオは肩を竦める。やはり、どれだけ冷静ではないように見えても、彼女は聡明だ。

 倒れこんだ人の山を越えた辺りで、リベアルが振り向く。彼女の顔からは既に赤みが引いて、この上なく真剣な表情が浮かんでいた。


「シスル様が何者かに攫われました。急いで現場に向かいましょう」

「……何? お前、今なんて言った?」

「シスル様が何者かに攫われました、と」

「何故そんなに落ち着いている! 開口一番に言うべきことだろう!」


 リベアルは、その口で告げていることが如何に大事か理解していないとでもいうように、非常に涼しい顔をしていた。ハルメリオが声を荒げるのを、彼女は何処か呆れた顔で見つめる。

 シスルは両親をアンドロイドに殺されてから、ハルメリオの父に保護された。彼は大事な存在が殺された記憶が蘇るからと言って、元の家に帰りたがらなかったのだ。孤児院での生活の後、アンドロイド取締部隊に調律師として入隊した彼は、取締部隊本部に住み込みで働いている。怪我を負ったシスルが寝かされていたのは、本部の医務室だったはずだ。

 これはレイとシスルの共通点だが、二人の近辺には警備がついている。衰弱している二人が再びメリーに強襲されるのを防ぐためである。二人は取締部隊にとってあまりにも重要な人物であるし、これ以上本部内で問題が起これば、市民の信用にも影響が出るからである。

 シスルを攫うには、あまりにも難しい環境が整っていたはずだ。

 何故そんな環境で人攫いが起きるのか。そんなハルメリオの動揺を宥めるように、リベアルは至極落ち着きを払った様子で言葉を放った。


「開口一番にお伝えしなかったのは、犯人に大方目星をつけたからですわ」

「何?」

「行けば分かります。もう拘束してありますので」

「犯人をか? 随分仕事が早いんだな」

「この間、横腹に大きな穴を開けて大きなお仕事を成し遂げた英雄様に、遠回しに無能と言われたのが恥ずかしくて恥ずかしくて。僭越ながらもっと大きなお仕事を成し遂げさせていただきましたわ」

「リベアル殿、助けてもらった直後でこんなことは言いにくいのだが、君は嫌味の天才だと言われたことはないか?」

「今初めて言われました。ハルメリオ様ほどではなくてよ」


 ふん、と胸を張って、リベアルは足早に本部への道を歩む。その後ろをついていきながら、ハルメリオは静かに目を伏せた。

 両親を殺害したアンドロイド、例のアンドロイド、メリー。この三期の共通点は、『お前たちを殺してやる』と明言していることである。

――もしも、十年前に両親が殺害されたあの日の犯人が、今回の事件の黒幕だとしたら?

 彼女が拘束したという犯人は、アンドロイドに両親を殺すように指示した人間ということになる。

 心臓が嫌な音を立てた。アンドロイドと対峙をしたときのような、憎悪と嫌悪に吞まれるような感覚がハルメリオの全身を襲う。

 その感覚に背中を押されるようにして、ハルメリオは歩き出した。本部までの道のりは、随分と長いように感じられた。

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